106.今日が終わるまで
シーズンの始まりの合図は、デビュタントたちのファーストダンスから。そんな決まりがある以上、最低限踊らなければいけない時間が決められている。
そんな中、予想通りものすごく注目を浴びながら、それでも一切顔には出さずに踊り続けて。
そろそろ私が疲れ始めていることに気付いてくれたエドワルド様が。
「少し休憩しよう」
そう口にして、私の手を引いてダンスの輪の中から連れ出してくれた。
ホールの中は人で溢れていて、熱気もすごかったので。ダンスで火照った体を冷やすためもあってか、バルコニーまで連れて来てくれたエドワルド様。
すぐ近くに涼める場所があることを知っているあたりは、さすがこの場の準備に携わってきた宰相閣下なだけはあると、妙に感心してしまった。
「どうかな? 初めての社交界は」
「とても華やかで、楽しいですよ。……今のところは」
表面上だけを見れば、良いことばかりのように見えるけれど。その実、向けられる視線の中には嫉妬が混じっていたことも、ちゃんと知っているから。
とはいえ、鋭い視線が飛んできたのは入場してすぐの時だけで、踊り始めてしまえば気にならなくはなったけれど。その代わりに、ものすごい注目を浴びているということだけは、逆によく分かるようになってしまった。
気にし始めたらステップを間違えそうだったので、とにかく意識をエドワルド様に集中させていたことは、ここだけの秘密だったりする。
「まぁ、そうだろうな」
私がその状態だったくらいなのだから、エドワルド様なら気付いていて当然。むしろ事前に予想すらできていたのだろう。
その証拠に、私の答えを聞いて苦笑しているのだから。
「気を抜けば蹴落とされていたり、利用されているような世界だ。例えるならば、猛毒を持つ美しい花のようなものだろう」
「確かに、その通りかもしれませんね」
その見た目に惑わされれば、すぐにその毒に侵されてしまう。
エドワルド様はそんな中で、ずっと戦ってきたのだから。若くして高い地位に就くということは、相応の苦労もしてきたということなのだろう。
きっとその内容は、貧乏貴族出身の私には想像もつかない。
「だが、私たちは貴族だ。デビューした以上は、社交界の中で生きていくしかない」
「覚悟は、できていますよ」
貧乏だろうが裕福だろうが、そこは変えることのできない事実。
私が微笑みを伴って答えた言葉に、エドワルド様は満足そうに頷いてくれた。
「さて。これで当初の予定通り、君は注目を浴びたわけだが」
「そう、ですね」
ダンスの最中、向けられていた視線の中にはきっと、様々な思惑があった。それは社交界に疎い私にだって、よく分かっている。
けれど、ダンスが始まる直前。いくつかの視線は、好意的な意味合いを持って向けられていたことにも、気付いていたから。
(中には、パートナーを伴っていない若い男性も数人いた)
つまり結婚相手を探すのに、少しだけ有利に働くようになる可能性が高いということ。
それは本来、とても喜ばしいことのはずなのに。
(それでも、私は……)
エドワルド様がパートナーに名乗りを上げてくれてから、今日まで。とても楽しくて、幸せだったから。今日で終わってしまうのだと思うと、どうしても寂しくなってしまう。
だからといって、エドワルド様を引きとめることはできない。私にその資格はないのだから。
胸を締め付けるようなこの痛みは、心の奥深くへとしまい込んで。誰にも気付かれないように、そっと鍵をかけて隠し続けなければならない。
どうやったって、すぐには消すことができない恋慕の情を。エドワルド様への想いを、この先もずっと。
(でも、だから。せめて、今日だけは)
今日が終わるまでは、この幸せの中にいたいのだと。そう、祈るような気持ちでいる私に。
「残念ながら、その望みは叶えてやれそうにないな」
エドワルド様は突然、そんなことを言い放ったのだった。




