103.子爵令嬢のパートナー
「…………はい……?」
数秒間か、数十秒間か。もはや自分では分からないくらい、無駄に長い間見つめ合ってから。ようやく私が絞り出せた言葉は、それだけだった。
これでも疑問の形になっただけ、まだマシだったと思う。
そもそも何の理由もなく、子爵令嬢のパートナーに公爵様が名乗りを上げるなんて、普通に考えてあり得ない。しかもこれが、真実を知った上での発言なのだから、なおさら。
すでにエドワルド様は、私から情報を引き出す必要がなくなっているのに、どうしてそんな提案をしてくるのだろう、と。
本当に、意味が分からなかった。
「……私では、不足だろうか?」
それなのに、一気に不安そうな表情になったエドワルド様が、そんな風に聞いてくるから。
「い、いえっ……! まさか、そんなっ……!」
子爵令嬢にとって公爵様であり宰相閣下であるお方が不足だなんて、そんなことはあり得なくて。思わず必死に両手も首も振ってしまった。
だって、考えてもみて欲しい。爵位で下から数えたほうが早いはずの家の令嬢に、どうして上から数えて一番最初に出てくるであろう人物がパートナーとして劣るというのか。
エドワルド様でダメならば、もはや相手は王族しか残らなくなる。
(いやいやいやいや! おかしいでしょ!)
どんな傲慢な娘だと、つい想像して思ってしまったけれど。
ある意味それは現実逃避をしていただけだったのだと、次の瞬間思い知らされることになる。
「アウローラ嬢」
「っ!?」
何せ対面に座っていたはずのエドワルド様が、いつの間にか私の横に来ていて。そっと、手を掴んできたのだから。
否定の言葉を発してから、思わず私が俯いてしまっていたのは、本当にわずかな時間だった。その短い間に、静かに席を立ってここまで歩いてきていたということは。
(ぜ、全然気が付かなかった……!)
本来であれば、すぐに気配を察知できたはずなのに。現実から目を背けていたせいで、目の前が全く見えていなかったと言わざるを得ないだろう。
ただ、一つだけ言い訳させてもらえるのであれば。こんな展開は予想すらできなかったので、大いに混乱している現状ならば、そうなるのも仕方なかったと。私は、そう言いたい。
悲しいかな、その言い訳は誰に対してでもなく、自分自身に対するものでしかなかったけれど。
「不足でないのならば、私を選んで欲しい。今度こそ本当に、正真正銘君のデビュタントのパートナーとして」
「っ……!!」
その瞬間の私の心の中は、どう表現していいのか分からなくて。
メガネの奥から、青みがかったグレーの瞳が真剣な眼差しで、こちらをただ見上げていて。ここでようやく、エドワルド様が膝をついていることに気付いたのに。正直、それどころではなくて。
(だって、そんなっ……!)
あり得ない、と。これは夢だ、と。そうとしか思えない状況に、頭の中も心の中もぐちゃぐちゃで。
嬉しいと思う反面、なぜという疑問も確かに渦巻いて、言葉にならない。
それでも必死に、エドワルド様が申し出てくれた理由を探して。
(……あぁ、そっか)
ようやく、納得のいく答えに辿り着いた。
考えてみれば、現在パートナー不在のデビュタント予定者は私だけ。
だからきっと、放っておけなかったんだろう。少しの間とはいえ、フォルトゥナート公爵家の飼い犬エリザベスとして過ごしてきた令嬢が、このまま親族にパートナーを務めてもらうしかなくなる状況を。
そして同時に、本当に前回エドワルド様自身が口にしていたように、その状況を私に利用してもらおうと。
(そういう、ことだよね)
ほんの少しでも期待してしまった自分が、恥ずかしい。ちゃんと考えれば、取り乱す必要なんてなかったんだから。
そこにはちゃんと、エドワルド様が気を遣ってくれる理由があったのに。
(バカだなぁ)
幸いだったのは、自分の中で早めに納得のいく答えが見つかったこと。おかげで、冷静さを取り戻せた。
先ほどまでの動揺が嘘のように、頭の中はスッキリと冴えていて。けれど少しだけ、胸の奥が痛むから。
私はその痛みを忘れようと、一度ゆっくりと深呼吸をしてから、しっかりとエドワルド様と視線を合わせて。
「ありがとうございます。ぜひ、お願いいたします」
そう返事をして、頭を下げたのだった。




