102.名前一つ
「起きてしまったことは仕方がないとして、下手に真相を知ろうとして魔女を刺激するほうが危険だろうな」
「私も、そう思います」
真剣な表情で告げるエドワルド様の言葉に、私も同じ表情をして頷く。
せっかく人の姿に戻れたのだから、これ以上森の魔女を刺激して事態を悪化させる必要はないと思っているので、その考え方には全面的に賛成だった。
「謎を解決できないのはもどかしいが、こればかりは深入りしないほうが賢明だろう。それよりも今は、別の重要な話を進めよう」
「別の、ですか?」
人間が犬の姿に変えられることとは別に、そんなに重要な話なんてあっただろうか?
そんな風に思いながらも、真剣な表情のままのエドワルド様の言葉に、真っ直ぐ目を合わせている私に。
「いつまでもエリザベスと呼ぶわけにはいかないからな。まずは、君の呼び方を明確にしたい」
「……はい?」
それはそれは真面目な顔をして、そんな風に告げたのだ。
正直、意味が分からなかった。
名前なんて、好きに呼べばいいのにと。私がそう思ってしまったのは、当然のことだったはず。
それなのに。
「アウローラ嬢、と呼んでもいいだろうか?」
エドワルド様は、本当にどこまでも真面目に、そんなことを問いかけてくる。
はたして許可が必要なことなのだろうかと、こちらも違う意味で真剣に考えてしまいながらも、どう考えても問題点など見当たらないので。
「はい、もちろんです」
とりあえず、そう答えておいた。
その瞬間、なぜかエドワルド様がものすごくホッとしたような表情をしていたような気がしたのは、私の気のせいだったのだろうか。
(というか、名前一つがそんなに重要なのかな?)
貴族社会において、令嬢の呼ばれ方はそんなに種類は多くない。
私の名前を例に取れば、エドワルド様が口にしたもの以外の呼ばれ方は『パドアン子爵令嬢』か単純に『アウローラ様』という、本当にその三種類くらいだけで。
(エドワルド様の立場を考えれば、他の呼び方なんて『パドアン子爵令嬢』くらいしかなかったはずだよね?)
逆にどうしてそちらを選ばなかったのか、なんて気になることはないので、別段普通のことのはずなのに。本当にそこまで確認が必要なのだろうか。
これがニックネームとかになると、基本的には親しい間柄でないと呼び合うことはないので、また変わってくるだろうけれど。今回は、全くそんなこともなく。
(単純に、ものすごく真面目だからなのかなぁ?)
わざわざどうしてそんなことを確認したのかなんて、深堀する必要もない気がして。とりあえず、一人でそう納得しておいた。
けれど、それ以上に。
「ところで、アウローラ嬢」
「はい」
「先に確認をさせて欲しいのだが、パートナーは見つかったのだろうか?」
「……いえ。残念ながら、まだ」
以前とは違い、少しだけ心配そうに見える表情で問いかけられた言葉に、ゆっくりと首を振りながら答える私は。
その疑問を完全に吹き飛ばすような発言が、エドワルド様の口から飛び出してくることになるなんて。
「それならば、一つ提案がある」
「何でしょうか?」
予想すら、していなかったから。
「まだ決定していないのであれば、デビュタントのパートナー候補として、私が名乗りを上げてもいいだろうか?」
その瞬間、意味が理解できなくて完全に思考が停止してしまって。
瞬きすら忘れて、思わずエドワルド様の顔を凝視してしまっていた。




