1.エリザベスじゃない
「おいで、エリザベス」
カーテンの隙間から差し込んでくる、満月のわずかな明かりだけの中。よく見えてしまうこの目は、エドワルド様の表情まで鮮明に映してしまって。
先にふかふかの柔らかいベッドの中に潜り込んで、少しだけ夜具を持ち上げているのは、そこに私が入り込めるようにという配慮なんだろう。
(そもそも私の名前、エリザベスじゃないんだけどなぁ)
もう何度目かも分からないことを考えながら、眠るためにメガネを外した顔をそっと見上げる。
これだけの暗さの中でもよく分かる、それはそれは端正な顔立ちのエドワルド様は、きっと大変おモテになるはずだろう。
襟足が少しだけ長いブリュネットの髪は、今はセットしていないから自然に流れて。前髪が青みがかったグレーの瞳にわずかにかかっているところなんて、明らかに色気が隠しきれていない。
(私だって、ちょっと直視できないもん)
きっとこれが見慣れていない令嬢だったら、卒倒ものだっただろう。
恐ろしいのは、本人には一切その自覚がないというところだけど。
「どうしたんだ? ほら、おいで」
優しく声をかけてくるその姿は、まるで恋人に向けているようにも見えて。でもそうじゃないことは、私が一番よく知っている。
(本当に、色々な意味で恐ろしい宰相閣下だなぁ)
二十三歳という若さで宰相を務めているエドワルド様には、恋人も婚約者も存在していない。あまりにもお忙しすぎて、それどころじゃないというのは分かっているけれど。
これを最初に向けてもらうべき人物は、どう考えたって私じゃない。
いや。今の私の場合、果たして『人』というくくりに入れていいのかも、疑問ではある。
(けど、そういうことじゃあないんだよなぁ)
むしろ、それならなおさら、恋人や婚約者に向けるような表情をしてはいけないと思う。
困ったことに、この場にはエドワルド様と私以外誰もいないし。いたとしても、わざわざ指摘してくれる人も、このお屋敷の中には存在していないだろう。
「エリザベス。お前が横にきてくれないと、私は眠れないんだ」
その言葉に、今日も私は仕方がないと小さくため息をつく。エドワルド様からすれば、きっと私のそんな仕草なんて見えていないんだろうけど。
請われるままにベッドの上へと乗り、持ち上げてくれていた夜具の中に体を滑り込ませれば。
「ふふ。いい子だ」
嬉しそうに呟いたエドワルド様が、そっと私の体に手を伸ばして、抱き寄せるように腕を回す。
私のほうが体温は高いけれど、伝わってくるぬくもりに鼓動が早くなったのを感じた。
「いい匂いだね、エリザベス」
私の後頭部に頭をうずめたエドワルド様は、そんなことを言っているけれど。これをやられるたびに、毎回思うことがある。
(顔に毛、つかないのかな?)
毛むくじゃらな、明らかに人の腕とは違う、白い前足を眺めながら。私は今日も、同じ疑問を頭の中に浮かべたのだった。