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シリーズ 【パラレル・フラクタル・オムニバス】

読み切り短編集 『星屑に坐す(4)』~今際の際の亡国の集い~

作者: nanasino




 「────魔王だと」




 低い擦れ声は御簾みすの向こうの小さな人影に似つかわしくなかったが、暗い玉座の間は空気を締め上げられたように静まり返った。

 戦線離脱し皇城へ逃げ込んだ南朝皇帝ギラゼリックの嘆きに居並ぶ諸侯は言葉もない。


 凶報が舞い込んで来たのである。皇帝自らが出征した親征軍が撤退する起因となった膨大な魔物の群れ。突如として湧いて出るや大津波のように大地をおかした群魔は今や地平線まで景色を埋めている。この膨大な伏兵の背後に在るのが、事もあろうに魔王1柱なのだという。

 この大陸南方戦線においては大規模な魔物征伐の名目で百國諸侯が軍事同盟を結び、途方もない範囲の戦線を形成していたのだが、真の征伐対象が魔王であるとまでは想定していない。

 なにしろ、当の魔王といえば遥かな西方諸国の主戦場に在るはずで。




「やんぬるかな」




 という誰かの古めいた嘆きが、高い天井の広間に虚しく響いた。

 その意味するところを正しく人々は理解しただろうか。


 悲観、あるいは奮起────


 終わりだと思っていた戦争が実のところ、これからだと判明した瞬間が今であった。






▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


 




 時は戦国。

 パングラストラスへリア大陸は神裔しんえいを称する皇帝の血族が四方に分かれて4つの皇国をしろしめている。その分家や他家の部族など様々な人間、エルフ、ドワーフ等々といった人類種達が帝国につぐ王家として各地を支配しているのを四皇国が派閥を争って吸収し、戦争を繰り返している。

 それは、大陸を一つの正当なる神の末裔の皇帝が統一支配するためであるという、海外の国々の戦争の大義とそれほど変わらない根拠の争いなのだが、しかしこの大陸で四皇国の統一戦争がいったいいつの昔から続いているのかというとちょっと誰にも分からない。

 戦国という時がそのままこの大陸に留まっているのだ。

 『戦国大陸』──というのが、此地を指す場合の海外諸国における一般表記の所以ゆえんなくらいである。


 ただし今回のこの戦争は、常のように人間と人間やエルフやドワーフといった人類種間での戦争とは様相が違っている。

 永年争ってきた人間、エルフ、ドワーフ、その他諸々の人類種同志が同盟して魔族の軍団に挑む、戦国大陸の命運をかけた殺し合いなのである。

 こうした構図の戦争というのは人類の歴史上”魔王戦”と称されるもので、それこそ人類の起源から続く人類と魔族の争いの中でもとりわけ大きな戦禍といっていい。数百年から数千年という間に徐々に露見する人類社会の裏側──そこにある魔族の暗躍が極まって、人類種達が魔族を追い詰める過程で組み上がってゆくのが魔王戦という天下分け目の決戦なのだ。


 今般の魔王戦の魔王、ゲゲリエという名の魔族は皇国史の故事にも名の在る由緒ある古魔族の一柱であった。

 そのゲゲリエが唐突に西方帝国クシュに現れてから30年ものあいだ魔王戦が継続している。

 昼夜を問わない魔族と魔物の襲撃で30年間──大陸中の人々の生命力は大いに削られており、総人口も激減してしまって限界が近い状況であった。

 その戦線がもう近々にも結末を迎えようという大詰めのところへ来ているはずだったのだが、これからどうなってしまうのだろう。


 というのは、今しがた届いた凶報より一刻前に届いた吉報によれば、西方帝国連合軍の奮戦の末に魔王ゲゲリエは既に討たれたはずだったのだ。

 あとは大陸全土に残留する魔族と魔物を掃討すれば魔王戦は収束する見込みであったというのに────




「で、あるな」


「左様」


「誤報ではないのか? 」




 と、まず疑義の声が挙がるのは当然なことだろう。凶報を得た一同の静けさがにわかに破られると諸侯から口々に同様の考えが述べられた。

 その騒めきの前で床に蹲る小者は肩を弾ませつつゆるゆる首を振っている。当の凶報を持ち込んだ密使のささやかな挙作、その姿を御簾の向こうから見下ろす皇帝がやや首肯したのはどういう意味であろう。

 誤報かどうか、根拠を確かめるまでもない。予の言葉を伝えよ。──という意味の頷きである。

 そうと察した側近の小姓が皇帝にかしずき言葉を取り次ぐと、さらに言伝された宰相アッベの口から小者へと皇帝の言葉が下された。




「大儀で、あります。……して、…………魔王の名を、何と言いますか? 」

 



 妙な間があって言い下された宰相の言葉に周囲の者達からどよめきが上がった。──それを今言えと言うのかと。

 魔王の名をなど音にして発声するのも聞くのも忌むべきもので、通常なら側近の賢者一人に聞き取りさせるか密使を一旦さがらせて然るべき魔除をした上で確認する。それを皇帝と諸侯の居並ぶ玉座の間で開示するというのは、誰にも耳にする覚悟がなかっただろう。




「ハァッ、ハァ……ッ……ング、……ッ……」




 衆目を集める中で小者は蹲った居住まいを正し、膝を立てて下座の礼をとり口を動かすが、息を切らして喋れない。

 この小者は今さっき外から皇城に駆け込んで来て門前で倒れ伏したのを人々に抱えられて皇帝の前までやって来ている。密使というのは陰に陽に社会の人々に紛れて情報を受け渡し、人目に目立たぬように顧客へ極秘情報を通知する者だが、今回は目立ちすぎている。

 皇帝に直に奏上するほどの情報をどういう状況で知り得てやって来たのか、ともかく密使の小者は息急切いきせききらしてふらふらでまともに話せる様子でない。




「グッ……、ウグ……ッヒュ……ハァッ……ハァッ──」




 疲労によるだけの困憊こんぱいした様子でないのは、この頃には誰の目にも分かってきた。小者の顔には、もう死相が出ている。

 彼が駆け込んで来たとき応対した侍従に密報を耳打ちしたのが、今になっていっそう喘いでいるのはおかしい。

 間も無く息絶えるだろう。




「申せ! 」

何処いずこの魔王か? 」

「本当に魔王か? 」

「魔王の名は!? 」


「ハァッ、ハァッ……! 」




 むしろ死ぬる前に言えと諸侯が小者にせっつく。魔王の名を聴くのは縁起が悪いが、役目を果たせず死ぬ者を見るのはもっと良くないという気分からだろう。

 そこに城付きの賢者アマトが割って入った。




「皆、静粛に。──其方そなたは、まだ話せる」





 普段なら衆人の隅でじっと事態を静観しているばかりの賢者が動くときは何か考えがあるときである。

 賢者アマトは小者の前に腰をかがめると左手に持つ数珠を指で一つずつ押して繰り出すように回し、右に持っていた笏を掲げ、その先で小者の左右の肩に触れると背後に回り頸椎にも触れて呟いた。




「──”フルベフルベ。今また君が鼻から吸い、口で吸い込んだ空気は甘美に君を癒す。あまねく大気は神世かみよ永久とこしえの女神の意吹気降いぶきくだし賜う天津風。冷たくも暖かく胸を満たす命の騒めき。フルベフルベ。神々は其方を知り給う。祖霊が其方を励ます。されば今生を生きて生き切る勇敢な人草の魂を絶えて生かさぬということ無し。今、神々の慈悲がこの者に顕れる。この者の生きた因果に叶う徳あり。されば女神アルテモーエ、その神徳において死にゆく命をも生かして救わしめんとす。かくらば聞こし召さん。オン・マニ・フルベフルベ・エル・イサッハヤノアアルテモーエ”──」




 最後にその背に笏で何がしかの文字を素早く書くように走らせると、項垂れていた小者が何かに気がついたように顔を上げて目を見開いた。

 これは賢者アマトは祝福の所作とみそぎ祝詞のりとにより邪気を祓ったものだが、僧籍でない者にしてはさりげなく小慣れた法力による処置である。ただの魔法とは違った原理らしいそれを興味深く一同が見守る中で、果たして小者は精気を取り戻したらしい。





「さて、どこの、どの魔王だというのだね? 籠城しておったのは。……魔王の名は? 」


「──あ、申し上げます!  ッぐ? 」


「無理をなさるな。言えぬものは言わぬ方が良いものだ」


「……そ、それが……いえ……も、申し上げます……魔王の……名はぐむっ!! ゴブッ!!! 」




 密使の小者は、その名を溢そうとして喀血し、体が絨毯のように潰れて死んだ。

 ──魔王の名号の発音に掛かる呪いである、というのが賢者アマトの検死による見解である。死ぬ前にせめて魔王の名を言わせようとしたのが却って小者の命を終わらせてしまったらしい。

 ただ、既に広く知れ渡っている魔王ゲゲリエの名であれば、ここまでの呪いの発動は無い。──つまりは、まだ公になっていない未知の魔王の実在を示していると考えられるのだ、とも賢者はいう。

 



「──くの如しと思われます」


「アマト殿、……では、……すると、────此度の魔王戦、魔王が二柱、で、ありますか? 」




 賢者アマトの諭す最悪の事態に、宰相アッベの抱いた懸念は一同の顔色を一層暗く曇らせた。

 魔王戦に、魔王が2柱も同時に出現────そのような事態を誰も想像だにしていなかったのである。

 それこそ誤報、魔族による戦線撹乱のための虚報ではないかと訝しむ声が諸侯から上がったが、これも賢者アマトの示す根拠によって諌められた。

 それは魔法通信、狼煙、手旗信号、伝書鳥、密偵、などなどによるこの戦争での情報戦を統括する賢者アマトがあらゆる情報の相対的比較による正否を考察した上で語る状況説明で、その内容に齟齬がないか傾聴する一同は特に異を挟む事の無いまま「西の魔王ゲゲリエの征伐成功」が事実と受け入れつつも「新たな魔王の出現」をも受け入れざるを得なくなった。

 というのは今死んだ密使の所属が大陸中央統括本部の相談役”魔女ギギギ”からの密偵ということが死体の検分で明らかになったからである。密使の身体を構成する成分解析から魔女因子が検出されたということが決定的となり、情報の信憑性もまた紛れもないということなったのだ。

 諸侯の抱く疑問について賢者アマトは続けて語る。




「”魔王”という存在は歴史上、その活動を終えたと目される魔王から、封印され休止中の魔王まで数多く存在するとされています。が、皇国ジュメリイル及び大陸四皇国の古今の事歴において確認できる個体数は限られています。その中から当の魔王の目星をつけたかったのですが、その手掛かりは今しがた潰えました。とはいえ、全く新しい魔王である可能性が高いという状況。そして、魔王が2柱も同時に出現するという魔王戦についてですが、私の知る限り──」




 まず類例がない。という前提を明かした上で賢者の見識が開陳された。

 魔王戦が、人間や獣人やエルフ達といった人類種達を食料と見なす魔族達に抗う戦争であることは、既に人々の共通認識である。その行き着く先が魔族の長の最たる者を討とうという魔王征伐であると。


 魔王戦はこのパングラストラスへリア大陸の何処かで4〜5世紀に一度程度発生するとも、1000年に一度とも諸説あって各国の保持する史記の記録がまちまちであり、またその魔王戦の事実が公にされず封印される場合もあって、魔王が大陸人類種達の間の共通認識とはいえその認知は様々なのだ。海を隔てた他の大陸でも魔王戦はあって、星の地表のどこかでいつも魔王は人命を弄んでいるのだともいう。

 ただし数世代も魔王戦がなくて魔王戦に対する軍備や用兵の差配が分からないという国家の方が多く、その国史に魔王そのものについての記述すらない国が多い。


 それは不吉な悪魔が人類に干渉する凶事まがごととして魔王を認知することすら隠避した民衆心理から、人類同士で争ううちにいつしか忘却されたという事もあるが、それにしても過去に連綿と続いてきた大規模すぎる戦禍の記録が不確かであるというのは奇妙である。

 そしてその不確かながらも各国に伝わる古史古伝の記述の中に、魔王が同時に2柱出現というのは無いはずなのだと。少なくともこの大陸内においては賢者ですら知らない。




「ですが、今し方の凶報が神聖魔女ギギギからの密告であることを鑑みますに、2柱目の魔王は確かに居ると考えるべきでしょう。現世に生きながら神々の眷属神に位置する魔女、その密使に虚偽や詐称は不可能なはずです。問題は、この新たな魔王が元から2柱同時に動いていたのか、あるいは単に連続で現れたものか。ともかく魔王戦は、1柱の魔王を討てば終わり。魔王旗下の魔族は魔力を著しく減衰し、魔物達も多くは勢いを失い事態は沈静するはずでした。そのはずが、魔物の群れも魔族の軍団もそのままで今もこの皇城を包囲しています。おそらくは新たな魔王が、死滅した魔王ゲゲリエの権限を引き継いでいると考えるべきでしょう。その未知なる魔王を討たねば群魔の大群は尽きないかと思われます。しかしそれは、今から再度この軍魔の魔海戦術の中を切り込んで樹海中央の廃城へ討ち入るなどと、そのような戦力は現在の皇国連合に残っていません。陸・海・空いずれの戦線もすでに総崩れです。東西南北に分けた四軍のいずれもが同様。各所の空賊や海賊も魔族への寝返りが相次ぎ旗色は悪くなる一方です。既に海路で退避した難民船団にあっては、難民流入を恐れる海外各国の海上封鎖と攻撃で撃沈されていると聞きます。攻めるにしろ逃げるにしろ、どちらかに残存戦力を全て注がねば、このまま皇国は終ります。猶予はありません────」




 大陸全土を30年混ぜっ返した魔王戦は大陸史始まって以来の甚大な規模の戦役として始まり、今は凄惨な結末を迎えようとしている。

 大陸12方面に戦線を展開した四皇国は再建の目処が立つかどうか解らないほどズタボロになっている様相が諜報部隊により伝わっている。各地の戦線で人類種の大勝が相次ぎ優勢かに思えたのが、大陸全体を見渡して今後の見通しを立てようとすると劣勢だったのだ。

 もし新たな魔王を討って魔王戦が終わっても国力を形成するのにまた人類種間で戦争になるのは想像に難くない。国内の政治だけでも難しいだろうに、魔王戦で弱った大陸諸国は海外の諸国からの新たな軍事侵攻や経済戦略で大いに国力を削られて様変わりするに違いない。元の皇国の国体には二度と戻れないかもしれない。

 魔王を討っても終わらない殺し合いであれば逃げて生存の可能性を掴むしかないだろうと考えるくらいに窮地である。

 それもまた、海外の国々へ事実上の大規模な移民をするのだから、現地の国々と戦争になる可能性は大いにあるのだが。

 今、辛うじて群魔の大群から民と兵を守って囲う皇都ジュメリイル。ここに籠城している全員が亡国の民として戦意の滅入る状況に陥っていた。


 ──と、人々の胸の内に自然な「撤退」の方針がもたげる中で、しかしそれならそれでこの大陸に放っておくわけにはいかない重要な人や物があることが彼らを強く引き留めようともするのである。

 彼らが進めて来た群魔討伐戦線の中心地、新たな魔王の見敵という凶報が上がった樹海の廃城は今どうなっているのだろうか。

 参集している諸侯がそれぞれの懸念を口にしかけたとき、最前列に座す者がやおら手をあげた。老齢の元帥マクレガーである。皆黙ってその言葉を聞いた。




「宰相、あの廃城には魔貴族5爵の強敵を見込んで”勇者”の配置があったじゃろう」


「……」


「西側の主戦場とは別に、各ギルドから選抜した勇者隊”幻示録12士”が突入していることは調べがついとる。これはおかしな事じゃ」


「……」




 宰相アッベに投げかけられた老元帥の問いはどういう意味だろう。

 勇者という、魔王を討ち倒すことを目指す人々の中から特に勇敢な男女に冠される肩書の存在が十二人も一か所に配置されていたとしたら、その意味する所は一つしかないに決まっている。魔王征伐に他ならない。

 つまり老元帥は、2柱目の魔王の実在を本当は事前に分かっていただろうと宰相に指摘しているのであり、その秘密をあえて諸侯の前で指摘したということは、その秘密作戦にどういう背景があるのかを皆に明かせという督促とくそくをしているのである。


 そうと分かっている宰相アッベは黙り、──皇帝の御前でその背景の事情を知る血族の一人として自ら腹を破るわけにもいかず、尚も黙った。

 この場に集う諸侯の誰も知らなかった事実の開陳を期待して一同も静粛に待っているが、ただ沈黙だけが10拍もの間過ぎた。

 皇帝の座す玉座の軋む音だけが高い天井にまで響いている。


 魔王征伐の勇者を集めた12士という、皇国の軍部にも通達の無かった極秘の人員配置は、その”勇者”という強力な武力の偏った編成にも関わらず、皇国の将官以下誰も知らない小部隊による作戦行動である。

 これは皇国の血族達が独自に取り決めて勇者達を動かした魔王征伐作戦で、表向きの魔物征伐戦線に紛れて秘密裏のまま達成されるはずであった。世の人々に知られることのないままに。


 しかし魔王征伐というものは古来、人類が魔族に対して結託して一つにまとまるための巨大な社会現象であり、冒険者ギルドをはじめ軍産複合体の関連企業にとって巨大な収益を叶える事業でもある。つまり、むしろ12人の勇者達の団結を公にして戦線を形成する仲間を募り共闘すべきもので、これを秘匿して尚、ここにいる誰もが否定も肯定もしないというのは、つまり「言えない」理由があるということなのである。

 大方の勇者戦力が登録されているであろう冒険者ギルドが魔王戦における12人もの勇者たちの配置について秘匿し続けていたのは戦略上しかたがなかったが、界隈の誰も情報を知らないというのも奇妙であった。

 

 ただし、この世界で何某(なにがし)かの秘密が固く守られるとき、それは人類種達の共有する一つの概念を誰しもに想起させるものではあるのだ。

 この世界に魔法がある理由、奇跡を起こせる理由そのものの権限を象徴する”存在”を。


 その存在──神々の『眷属神』、その『眷属』達に深く干渉を受ける”世界”である国家を構築し、現世において人類社会を統治・管理する権限を預かる血族の長たる皇帝が、御簾の向こうで黙して背筋を伸ばした際の玉座の軋む音は、それだけで事の追及を退ける意味を持って元帥マクレガーの心胆を寒からしめた。




「いやさ、宰相。その機密の理由などを今の我々が知ってどうなるものでもないんじゃ。新たな魔王とやらを討つべく向かったという12士、──その勇者達は今どうなっていおる? この上は現在の状況を共有してくれてもええんじゃあないかのう」


「……いかにも、マクレガー大尉。……その件ですが、彼らに付けた斥候も含めて、ついぞ、戻らなかったので、あります。本丸へ突入した部隊とは、ことごとく、連絡が途絶えています。そう大きくはない廃城だというのに……解せないのであります」




 賢者アマトの顔色を伺い、御簾の向こうの御影を伺ってやっと絞り出した宰相アッベの返答はそのまま秘密を認める機密の開示となった。

 しかし、そのかんばしくない報告から余計に暗澹たる空気が広間に落ちかけたとき、戸口の脇に控えていた青年が腰をかがめつつ宰相の傍へ進み出たのが空気を俄かに変えた。宰相に耳打ちした青年が宰相から目配せを返されて、ことさら笑顔を諸侯に向けては低頭するのは何やら機を見て出てきたらしく吉報を思わせる。

 ニコニコして立ったままでいる青年が尚も顔色を伺ってくるのを宰相はやや苦々しい顔になって紹介した。




「えー、皆さん、こちらの方は、大陸中央委員会の者で、あります」


「あ、よろしいですか? では、ええ、今ほどその件についての報告が来ていまして、はい。まず、件の廃城、もとい魔王城内において、勇者隊”幻示録12士”の御一人、ノーラン・ビクター様により、グルルマなる魔王1柱会敵、及び征伐成功との残留兵よりのご報告。おめでとうございます! 」


「「──ぉお……!? 」」


「次に、同じく魔王城から御一人で離脱してきた勇者ノーラン・ビクター様によれば、廃城の魔王城内に現存する魔王は残り1柱。勇者隊は未だもう1柱の魔王との会敵には至っていないものの、討ち倒した魔公爵など複数の魔人から得た情報では新たな魔王の存在を確認できているとのことです。尚、城内は冥界化しており、建築物の死後世界が組み込まれる迷界。どこまで行っても通路や部屋が続いているとのこと。四散した魔物征伐連合軍各部隊とは連絡がつきません。生存報告のある残留兵は、軍魔の手薄になった主戦場本拠地、廃城周辺に臨時拠点を設営しています。逆に未だ戦火の集中しているところは九重包囲陣形の外側で、廃城に召喚された軍魔と群魔の広がりに伴い戦火も広がっています。勇者隊に先発した斥候達は、廃城の城付き悪魔の手にかかり全滅した模様です。以上です」




 最初、勝鬨かちどきを上げるべき吉報であったのが続け様に告知された3柱目の魔王という奇報──広間の全員は上げかけた拳を引っ込めた。

 グルルマなる魔王が征伐された──と言われても、それも全員が初めて知る魔王情報で困惑したまま整理がつかない。

 広大すぎる樹海を九重にも取り巻いて布陣した防衛線が全て突破されているという報告もこれが初めてのもので、もはや連合軍は全滅の戦況と判明してしまったのも今が初めてなのだった。




「3柱の魔王──」

「え、さっきは、2柱目が〜って……」

「どうなってる」

「ばかな」

「冥界だと? 」

「そうか、それではまともな情報が来ないわけだ」

「冥府……冥王も絡んでいる、というわけか」

「やはり普通の魔王戦とは違う」




 想定外すぎる事態に諸侯の戸惑いは収集がつかなくなっている。

 今般こんぱんのような絶望的状況に抗う知恵も力も人々は持ち合わせていない。

 魔王を一柱討つだけでも大陸中から途方もない兵員を動かし、あらゆる魔法を駆使して戦略を練り上げ、長年にわたる魔族との殺し合いに次ぐ殺し合いを乗り越えねばならないというのに、その終りかと思っていた今になって二柱三柱と現れるなどと。


 魔族、魔物という悪意ある存在が食すのは人類の肉体。命。魂。

 食べ物にされる側である人類が、その命を守るために抗う力は、知恵は、心は──人類にどれだけ必要だろう。


 力がなければ、知恵は活かされない。

 知恵がなければ、心は活かされない。

 心がなければ、力は活かされない。


 強大な敵に立ち向かうのにそれらが一つでも欠けてはならず、満ち足りたとて、いつ何時も強敵に敵うとは限らない。

 人類間にあるような話し合いの仲裁も通じない魔界の意志達を相手に人類は”ひ弱”であった。

 魔法と魔力による屈強な肉体と、狡猾な知恵と、狂気の精神を常に持ち合わせる魔族や魔物に対峙するには、人類も相応の超常能力を必要とするのは現実的な問題である。


 そして確かに、その能力は人類に協力する形で与えられてきたから戦ってこれたのだ。

 肉体を強靭にする魔力も、空から敵を爆撃する魔法も、四肢の欠損をさえも直す奇跡をも、人類は自ら知ってか知らずか使いこなして戦争を生き抜いてきている。

 その超常現象──奇跡の操作ともいえる能力を、この世の何者でも無い何者かに頼ることで。




「やはり、必要だ」


「求めなければならない」


「奇跡を──」




 困窮する人類が必ず欲する事になるその”奇跡”を左右する存在がある。

 姿形が有るような無いような不可思議なその”意思”を『眷属』という。神々の使いなのだという。


 無数に存在する眷属達の協力があれば巨悪を挫く事ができる。

 希望を達成するための能力は全て眷属に用意される。

 そうして来たはずだろう人類は。


 今の希望の潰えた状況でこそ希求される眷属達のはず。

 しかし、この籠城に集う人々は、口々にこう言うのだ────




「フン、眷属や神々など、あれらの動きは判らぬものだ。我々を守護する眷属神達も何を考えているやら、今日は音沙汰もない」


「ああ、我らの方でも同様だ。人類がこれほどの窮地に立たされても抗っているというのに、眷属神達はどうしたというのだ」


「やめよ。既に守られているから今の皆々の命があるのだ。深遠なお考えをお持ちの眷属神たちを疑うなどと恐れ多い」


「しかし、帝国の社稷しゃしょくは陥落してしまった。国柱眷属神達への祭祀が滞っている今は、御加護は得られまいよ」


「そうだ。百國の社稷や村落の社は言うに及ばず。これでは、もはや眷属神達は国民を見放したやもしれぬ」


「神事を代行する神子や巫女は行方知れずと来ている。我々の普段の心付けでは、太神おおかみには通らぬだろう」




 神々という、この世界の創造に起因するとされる系列の大いなる意志達の眷属に対して人々の思いは複雑になっている。

 諦念、疑義、懸念、──それらを経て、ここまで国難の極まった人々の気に掛けるところは国体の要である根本的な一点に集まってくるのだ。

 それは普段なら社会の前面には表さない事柄。


 生死を分かつ戦争の渦中にあっても、人々はあえて神々を命題に掲げずに、その社会と人生の局面をただ生きて己の命と心を燃やして死んでゆく。

 魔物や魔族に殺されそうになっても、人々は己や仲間の人生のために抗う。

 異人種や政敵に謀られ無一文になっても、人々は己や家族の人生のために抗う。

 

 それらは自他の魂のためである。

 生きるために神々を祀り奇跡と魔法の力を借り受けても、神々に魂を捧げ渡したりはしない。

 神々のために人生を生きたりはしない。


 ”自分”という唯一の存在が確かに在ると信じるからである。

 己という一個の魂──仲間や家族の魂の意志は、確かにあるのだと。

 この世界のあらゆる存在、事象の因縁、その全てを司る全能の神々に支配される世界の中で、自分たちは確かに”自分”という存在を生きているのだと。

 出家の僧や神官でもなければ在家の俗世に生きる人々の通念はそのようなものであった。

 

 だが今は、常ならば思いを馳せないその存在を思わざるをえなかった。

 国家、その国々を抱く、大陸という一つの世界が亡ぼうとしている今────。

 ここにましますはずの神々と眷属達は、一体どうしてしまったのだろうかと。









▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲









 ”眷属”──という存在は、現実世界における物理法則の不可逆性を無視するかのような奇跡的現象操作の解放を司る。人間達がその非常の力──”魔法”を求めて祈る時、その魔力の貸与を惜しむことはない。

 それは魔界の魔族を使役する魔神の思惑で人類が攻め滅ぼされて世界が支配されては、正神界諸神の眷属神達が困るからなのだ。

 人類種達から得られる祭祀も供物も無くなっては正神界の神々の神徳は痩せ細ってしまい、眷属神達の存在を維持出来なくなるだろう。


 この世界の多種多様な人類種達の風習や信仰などにより、眷属達の姿や名前に多少の違いはあれども、その不可解な存在概念は広く知られている。

 だが、普段は現世に姿を表さない眷属達の姿を見る者は稀である。人々が耳目に眷属達を捉えて認知する機会は少ない。


 ほとんどの場合、人類種達が眷属達を祀り、その神通力をたまわらんとする時──その契約の印の交換に、眷属達は異形の姿を顕わしてきた。

 ただしその言葉や所作は不可解で意思疎通が難しく、人類にとって謎が多い。


 皇国全体が窮地に陥った今こそ、人々の国家の守護神たる国土神、或いはその眷属神からの大きな加持護持が待望されるのは自然なことである。

 だというのに、その神々へ感謝と供物を捧げる国土神の祭殿”社稷しゃしょく”が先日に陥落してからというもの、人々の前に意志達の顕現が絶えてな無い。

 これでは国神を祀る皇国圏全域に在する人々の行使する魔法──戦闘における攻防や治癒、心身の強化などに眷属神の加護が得られず、そればかりか衣食住の全てが不便になっている。


 兵糧は容易に腐り──

 飲み水を探し疲れ──

 火を得るに苦心し──

 汚物の処理に困り──

 身は病み、心は荒み、籠城する戦士達の士気は下がるばかり。

 魔法に頼らない人力による知恵と工夫や自然資源などは農村部にこそ普遍的だが、皇都など強国の都市圏ほど便利な魔法で生活基盤を保つため、魔法の力を司る契約の要を遮られては弱い面ばかりが目立った。


 とはいえ個別の人間と眷属との個人間契約はその限りでも無いのだが、今はその個別の加護を得ている人材達は群魔の侵攻を食い止めるため前線に出払っている。

 現状、廃城に潜伏しているという新たな魔王に対して新たに打つ手が無いという訳なのだ。

 全ては魔法が満足に使えないことによる弊害、眷属神達へ祭祀と供物を国家から正式に捧げる社稷が絶たれたことによる絶望的な戦況なのであった。




「そも、”あれら”は本当に我々の味方なのか? 」


「「──、……! 」」


「何を言う」


「社稷神殿の陥落は魔族の手勢によるもの。守りきれなんだのは我らの力不足」


「神々や眷属の落ち度ではない」



 一人の公卿がこぼした嘆きの容易でなさに周囲の者達は黙り、あるいは不敬をいさめたが、内心は同じ不安を抱えている。──眷属達は人類を最後まで護持してくれるだろうか、と。

 このような声が諸侯から聞こえてきたのはいよいよ亡国も極まったと考えるべきだろう。

 だが無理もない疑念ではあるのだ。正邪の区別こそあれ、魔王や冥王もまた魔界や冥界の諸神に仕える眷属のような位置づけと考えられることからして、人類種達が祭祀している眷属達といわば同種の存在と見做せなくもない。俯瞰すればそうした存在達が敵であり味方でもあるように見えるというのは、ある種の不気味さを伴っていることは見紛いようもない。




「言いたいことはわかる。が、ともかく、今はこれから引くか攻めるか早急に決めなければならない。我々の命運を決めるのは我々なのだ。やるべき事ををやり、天命は神々に任せる。それだけだ」


「━━━それにしても、あの樹海にしても、魔王の潜伏する廃城にしても、その由来の確かなところは土地の古老どもも知らぬと来ている。分からぬまま開戦に至ったは迂闊であった」


「いや、しかしあのような樹海に埋もれた古城に……ミシュマ王、あれは登記簿にも載っておらなんだのだろう? 」


「地元の者達にはパン工場という名目で認知されていたそうだ」


「……パン工場……? 」


「一部界隈での、魔石加工場の隠語らしいな」


「……ああ、魔石の……」


「「────」」




 神々を疑うような恐ろしい話から話題を彼らの本題に戻すべく誘導したい者達がいたが、しかしまた人々は沈黙した。触れたくない話題に触れてしまったからである。

 ”魔石”という魔力の資源に絡む話、それもその資源の密造と思しき部位には諸侯の誰も絡みたくない。

 それはこの魔法の生きる世界で魔力の資源として必須燃料である魔石の採掘や製造・加工に違法な手段を用いていない国などないからで、その長達である諸侯は急な話の流れにやや慌てたのだ。

 常に諸国と競り合う戦国大陸で、綺麗事だけで国体を護持する事は難しく、時には秘密裏に魔族と手を組み資源や財源の確保をして国力を増強する場合がどの国にもあった。

 そのような話はいつものように誤魔化したり知らぬふりをすればいいのだが、今の彼らには普段のように立ち回る気力が無いのかもしれない。

 

 すると、いやこの際、むしろ今回の事の発端であるかもしれない者を糾弾して当の残存戦力を没収し、何か無茶な戦法の捨て駒にでも充ててはどうか──とまで考えたかどうかは分からないが、一人の公卿が進み出て、




「ナッティ王、今聞いた通りだがあれは民間の方では事実上パン工場とされていた。製造された魔法食料は近隣諸国には卸されておらず、遠く西側諸国に納品されていたのだ。それが実態は魔族の管轄であるとまでは我々は掴めていなかったが……森に住む半魔の民の古老によれば、大昔の人族の貴族の居城だったそうだ」




 と、さらに国家の暗部に言及することを言い出した。

 たくさん人が集まると色々な考え方をする者がいるもので、一人くらいは事態を混ぜっ返そうとあえて空気を読まない困った奴がいるものである。

 とはいえ話の先行きがどうなるか諸侯はえず、皆慎重な面持ちになって互いの顔色を伺うとあちこちで咳き込む音が鳴った。




「ふぅむ……どこの幕閣に囲われた魔族か知らんが、やはり魔石の件か。民間は知る由もないが、魔石の発行権を有する者達の加工場だったわけだ。……我がドゥワンナ列国は魔石の流通に困ってはおらんから知らんぞ? 密造などと」


「得体の知れぬ廃城に蔓延る軍魔に群魔……どこから湧いたものか怪しいとは思ったが、しかし魔王が工場に潜んでいたのなら城内は冥界ばかりか魔界をも勧請していたのやも……それならあの物量、群魔の大群もわかる」


「ああ、サルマン王の言うことは分かるが、しかし魔王というのは、そんなことが可能なのか? 我々はそのようなバケモノ共と戦って……この百國連合が全滅するなどとは、ここに至るまで誰も思いもよらなんだろうに。我がマルガリッヒ王国軍は四散してしまったぞ。私のカスティーヨ近衛師団は全滅だ。あれだけの群魔を魔界とやらから召喚したのか、なんなのか解せんが……とにかく怪しからん」


「あの廃城と周囲の城楼や砦……賢者アマト殿の進言の通り、あの全域に点在した魔物が溢れる召喚の仕掛けだという門扉をいくつも破壊したが、しかし、既に溢れた魔物の群れは地平におびただしく満ちたままだ。我々人間に打つ手はない。最初から、魔王などと、人知を超えた魔神の眷属を相手にすること事態無理だったのだよ」


「情けないとを申すなコラルド公。この大きな流れに待ったをかけられるものでもなかっただろう。それに、この掃討戦は各国重鎮の肝煎で企てられてようやく実現した作戦だ。百國諸侯が手を組むなどと戦前は考えられないことだった。あり得ないことが成されたのは偶然とは思えん。……この流れそのものがな」




 最後に僧形の者がそう言うと、いろいろ言っていた全員がその者に注目した。

 僧形の公方は瞑目して口を噤んでいる。それは次にかけられる言葉を待っている姿勢と察した賢者アマトがすかさず合いの手を入れた。




「何を申されたいのですかな? ゲネック猊下げいか


「この後に及んでとぼける事もなかろう。我々のような教義教団の権威、皇国の血族や神裔の権限、そして派閥を超えた結社組合の権利、これら3権の秘匿する預言書・神託書・予定書のことだよ。つまりこの流れは当然、眷属神達の息がかかっているということだ。まあ、それらを突き合わせて見比べるなどとは出来ないことだが……」


「「────」」




 またもや、沈黙が落ちるのである。

 神僧ゲネック法王の言及した預言・神託・予定の秘蹟は各組織の奉ずる眷属からもたらされる秘事。外部に漏らしてはならない組織の秘密。

 その未来を記した未達の事歴に、この魔王戦や今後の経過までもが書かれている。──とまで知る者は各組織の中でも一握りの人数だが、そんな世界の支配層だけが知る秘中の秘を公に示し、尚も追求する姿勢を見せる法王はどういう魂胆か。

 

 三権の奇書の、どの流れに添った事態となっているのか、知っている者が居るはずだろう────


 とまでは、法王ゲネックも口にできない。

 秘密を直接的に明かすのが無理なことを自身も承知している。もしそうして余人に明かせば禁忌に触れてしまい、自他の命がどうなるか分からない。誰にもその内容を公開する事はできないものなのだ。


 だがこうした場合、その秘密を知る者達は”暗喩あんゆ”で示す。というのが”知恵ある者達”の間での慣例である。

 このときも法王ゲネックはその意図する「三つの権限」「一つの未来」「委ねる」ということを、足下にある三角片のタイルの一角に立つ事と、呆れたように両腕を開いて白けてみせることで”白紙”を──未知の未来を表し、傍の侍従の肩に触れ信任を暗示した

 これだけの行為で解る者には判るのである。歴史の局面が今動いたのだということを。

 つまり法王は三権の長を競う対立をこの場で降りたのだ。

 一つの未来を奪い合う政争の、歴史的な放棄────




「解放された、と考えるべきやもしれません」


「……どういうことか? 賢者殿」




 ちょっと分からない賢者アマトの言葉に諸侯は固唾をのんだ。秘密の未来書の導く一つの世界へと運命を委ねる時だ、という話の流れに入る寸前である。




「在るべき未来へ導くのは、いつの世も三つの奇書の示す未来の内、どれか一つ。三権のうち、この状況の推移に叶う組織が陣頭に立ち、大陸民を「行末」へと導くべき──。そのような未来からの解放と、そう言えるのではないでしょうか」


「……それは……──」


「神々の示した未来。その実現にあたうべく生きるのではなく、人類種が自ら考え、在ろうとする在り方のために未来を選ぶ機会なのです」




 この大陸諸国の支配層に課せられた「神意に敵う未来」というのは、もう無いのだ。社稷を失い、眷属たちが人類を導かなくなった今、人々の未来を囚う掟はもう無い。そう賢者アマトは言いたいのだろう。

 或いはどの未来でもない新たな未来を創ったとしても、それもまた諸神と眷属神達の筋書き通りに世界は動いているのかもしれないが。


 ただ、もし決まっている未来が無数にあり、そのどれかに人々が道筋をつけていくのだとしたら、何もかも諦めてしまっては本当にそれまでだ。何か最も人々が希望を持てる未来がどこかに在るはずなのである。

 今こそこの大陸の人類は自らの未来を本当の意味で自分たちで切り開く時だった。


 ──という具合に、諸侯にとって最も価値ある資源”魔石”の話はいつの間にか未来の話にすり変わっている。

 諸侯がこの流れに追従しないはずがない。




「この状況でまだ勝算があるだろうか? 」


「何をもって勝利とするかによる」


「既に西軍に出ている援軍要請の出所やタイミングの経緯を鑑みると、各国省庁や行政委員会などの首脳はこの戦況を見越していた可能性が確かにある、と私共も考えている。その範疇と考えると、まだ反転攻勢の余地はある。魔王を討ち果たした西軍がそのままこちらに来れば──」


「ふむ」

「挟撃か」


「挟撃ぃ? 遠い西国がすぐにここまで援軍に来れるか? この地平まで群魔に満ちた中を。 魔王戦を戦って疲弊した西軍が?? 」


「援軍などと……! もう大陸から離れた方がいい。1人でも多く海外へ生き延びねば」


「いや、しかしそれも、あの大陸中央山脈からうまく撤退できるかどうか……通常でも行軍には不向きな悪路。空輸するような輸送翼機などは空賊共の格好の的。護衛の翼機や龍騎兵を集めようにも今は連絡がつかんのだぞ」


「何にせよ逃げるなら早い方がいい。巫女に降りた託宣の布告通りになるのであれば、もう全土から退避せねばいつ大陸凍結が始まるともしれぬ。33氏族会の幹部共、界闢かいびゃく重工の役員共、アジュビジュバン家など公方くぼうの一族はとうに海を渡ったぞ」


「あのさぁ逃げろ逃げろって、本当にこの国を、大陸を捨てて海を渡るんですか!? 私たちの世界を捨てて!? 」

「家族や仲間を殺されて、街も野山も川も海も魔族に奪われて逃げるなんて……そんなことできない!! 」

「逃げて、海を渡った先でどうするんです? みんなで奴隷にでもなるんですか? 大陸全土の生き残り……何千万もの難民がそれぞれどこへ向かうって言うんです!? 」

「だから、逃げた先で戦争だよ。上陸地点に陣取るんだ。無論、現地の領主どもに包囲される。そこですぐに降伏するが、手打ちには条件をつけて和平に持ち込むのよ」

「そんな上手くいくと思いますか? 皆殺しにされますよ。言葉も文化も違う移民の大移動で諸大陸の国々は何度も亡んできたんだから」




 声を上げ始めた諸侯の心うちは一様ではなかった。

 死を賭して誇りのために戦うか、命を安んずるために撤退するか────


 ただし、彼ら自身が言うように逃げてもまた戦いなのである。

 すでに大陸全土の人民が故地を捨ててあらゆる手段で海外へ脱出を試みている。という情報は方々の部隊から入ってきているが、その難民たちは海路では海賊と魔獣に、空路では空賊と魔獣に襲撃されて阿鼻叫喚の地獄絵図となっているという報告も同時にきているのである。

 ほとんど海上封鎖と言っていい状況らしく、それはおそらくは、海外諸国が難民の渡海を阻まんと企てた偽装賊軍である事は疑いようもない。事態はもはや事実上の世界大戦の様相を呈しようとしており、パングラストラスへリア大陸文明の滅亡──その人類種が全て海外へ逃げ出す膨大な規模の民族大移動は、星の地表に伝播する激震で世界中の人々を侵略の恐怖に陥れている。


 彼らが避難先に衣食住の生活様式が発展した文明国を目指すとすれば、それほどの莫大な難民を歓迎できるだけの余地ある国家など何処の大陸にも有りはしないだろう。魔王戦から逃れたはいいが、移住先の土地では土着民達との戦争になる懸念が濃厚にある。

 未開拓の土地へ行き着いたとしても、そこの自然環境にすんなり生活基盤を築けるかどうかは一か八かだ。食糧難や病気で多くの難民が死に絶えることは想像に難くない。




「俺たちは逃げるなんてまっぴらだ。いまさら退却はないでしょう? 魔王を討てば済む話じゃないか」


「そうですよ! まだ、まだ勇者達や大魔導師、英雄達は生きている。援軍を要請して新たな魔王を討とう! 」


「そうは言うが、しかし────」




 この広間の壁の分厚い石組みの深く、縦に細長い溝が空いただけの窓とも言えぬ窓の向こうに外の景色が見えるだろう。魔物が満ちて地平線まで野山を埋める景色が。

 皇帝ギラゼリックと百國諸侯以下、兵と民が籠城する皇都は群魔の海に孤島のように浮いている。




「…………」


「…………」


「「……………………」」




 劣勢の極みに停滞した戦況、この南朝連合軍の残存戦力は帝都を守る4万足らず。打って出るのならそこからける兵員は7千か、1万人が限界だろう。

 しかも、神徳の加護で国体を支えてきた国柱眷属神達の助力が無くては、個々の兵員の戦闘力増強に期待できず、帝都郊外の群魔を切り分けて樹海の奥の廃城へ討ち入るのは難しそうである。

 それは魔王戦主戦場の西国で戦っている者達も同様かも知れず、であれば、こちらまで援軍に来れたとて戦力にどれだけ期待できるか。

 想像すればするほど勝算のない前途が人々を再び沈黙に覆い、鎧の軋む武者鳴りばかり虚しく聞こえた。




 ────こんなときに────




 ポツリと誰かが言った。


 こんなときに、”あの人”が居れば。


 静まりかえる場内に落ちた呟きは、しかし、誰の胸にも不思議に響く。




「英雄────────」




 深刻な空気に投げかけられた言葉は静かな波紋を呼び、その概念を悟った諸侯から順に顔が上がってゆく。

 懊悩おうのうする脳裏へ差し込まれた非現実的な存在が一同を”期待”という淡い気分でキョトンとさせている。

 真しやかな輪郭があるのだ、その非現実を裏打ちする概念には。

 敗戦色濃厚、帝国存亡の危機的状況に陥った今こそ抱く、最後の希望。

 いや、────伝説が。




「「アメン・エイヤー」」




 その名を呼べば聞いている。


 英雄見参。


 人ならざる邪鬼暴神をも討ち滅ぼす唯一絶対超人。


 最後の最後まで諦めない人類を必ず救う”超神英雄アメン・エイヤー”──その伝説を誰もが思い出す。




「実在するのか!? 」

「アメン・エイヤーが!? 」

「うそだろ」

「あれは昔からある伝説で……というか──」

「いや、見たという話も聞くじゃないか」

「アメン・エイヤーを!? 」




 その人が実在するなんて誰も言っていないのである。でも誰かが呟いた一言が伝播して起きた架空の願望は熱を帯びて現実の期待になっている。

 「まさか」という視線が一斉に宰相アッベ並びに幹部陣へと集まったのは、彼らがこの連合軍を取り仕切る最上長だからだろう。何か本当のことを知っているとしたらこの人達しかいないだろうと。

 衆目の中から進み出た戦士の青年が何を言い出すか察した幹部達は互いの顔を見たが、誰かが真実を知っているかしら。




「あのっ、宰相殿! お答えいただけますか? まさかっ、その、……英雄殿が、此度の陣触れに応じたと!? 」


「────いや、それは……元帥殿……」

「儂は知らんぞ。賢者殿なら……」

「いえ存じ上げません。猊下は……」

「我々の所にそんな知らせは来とらん。頭取はどうだ? 」

「ゴホッ! ゴホ! あぁすまん、聞き取れなかった。本当なのか宰相? 英雄殿が!? 」


「ぇえっ!? ──いやぁ、ですから、その──それはですね、本当かどうかというか、というよりも……いえ、我が軍の名簿にそのような名前は、無い、無いかと思われます。私的にも聞いた事がございません」




 宰相アッベはいつになく答弁歯切れが悪い。幹部達の様子も不審ではないか。

 これらは諸侯の目に怪しく映った。

 英雄の存在を隠しているのではないか、この後に及んで────と。

 ただ、だとすれば、なんのために。




「宰相殿。もし、もし、彼の者がいれば……この状況を覆せるのでしょうか? いや、無理でしょう。いかに大英雄とはいえ単騎でもって何億という群魔に立ち向かい魔王を討ち取るなどと、そのような絵空事は……そも、このような事態になるまで現れぬ英雄などと片腹痛い。臆病者のそしりを免れますまいよ。大英雄アメン・エイヤーの名が聞いて呆れるというもの」




 諸侯の中のとある国主がそう言って宰相を煽ったのは、本音を吐かせようと軽く探りを入れたものである。その反応から言質をとって矛盾点をつき、核心へ迫ろうというこすくもよくある絡み方で──しかし、このときの煽りにいち早く反応したのは誰あろう諸侯の方であった。「違う! 」「英雄殿は臆病者ではない! 」「口を慎め貴様ぁ! 」という英雄擁護の声が方々から上がって広間は(どよ)めきに包まれた。

 尚も人々は言う。




「私はエルフ族の者から英雄の伝説を聞いた事がある! 英雄アメン・エイヤーは徒手空拳、──襲い来る1億柱の群魔にたった1人で立ち向かい、ことごとく討ち伏せて去ってゆく超人──だとか半神だとかなんとか……」


「なんなんですか」

「いや居ないでしょ」

「だから、伝説というか、昔からある噂話では? 」


「否々(いないな)、政府会で議題に上がったことも実際にあるというぞ」

「うむ。その議事録は確かに有る」

「ああ、あれな」

「不可解な事件解決の追求が行き詰まると、今でもたまに名前が上がるんだろ? 」


「最近では、開示された過去の戦争記録にある不明点についてアメンの名が上がっていたな。50年前に発生したヨクサル半島の海没が実は南北レメゲ王朝紛争で大陸間弾道魔法の爆心地となったためとされているが、実際は魔王戦だったとか、英雄アメンが邪神と戦った余波で地盤沈下したとか……」


「あんなのは情報誌が部数稼ぎに創作した虚構だ」


「いや、俺っちもそういう噂、聞いたことあるぜ。中央軍の極秘裏マニュアルに英雄アメン・エイヤーと遭遇した際の対応が大雑把に書かれているとか。……どうなんですか? クラウディア駐在中央幕僚補佐官殿? 」


「それは言えません」


「「(ざわ……)」」


「俺の爺さんは中央官庁の刑事だったんだが、英雄アメン・エイヤーについて捜索することは昔から禁止だとか古株の刑事から忠告されたと言ってたぞ。……その辺どうなんですか? ユーゲン警視総監? 」


「言えません」


「「(ええ〜? )」」

「「(ざわ……ざわ……)」」




 話の流れから現実的な公的機関に絡む英雄実在への追求となって一同騒然とした。この東軍に中央軍から派遣されているというか戦況の都合上避難している形の官僚2人の意味深な黙秘は英雄アメン・エイヤーの存在を否定するものではなかったのだ。実在を匂わせるに足る無言の肯定と誰もが思いたくなる拒否の姿勢はいかにも怪しい。居るとも居ないとも取れない短い言葉を溢した男女の全くの無表情が尚更全然どっちなのか誰にもわからなかった。

 これは気になる。玉座の間の諸侯は英雄アメン・エイヤーについての話題から離れられるだろうか。




「嘘か本当か、噂だけは聞いたことあるなほんとに……」

「私もそれらしい話は年寄りから聞いたことあるわね」

「俺は子供の頃に絵本で知ったよ」

「皆んなそうでしょ」


「いやぁ?英雄アメンなんては伝説にすぎん。実在するのかどうか分からん者に期待してもせん無い。あんなのは子供騙しのおとぎ話だ」

「まあ実際お伽話だしな……」


「絵本のモデルになった伝説だろう? 元々はあちこちの少数民族に伝わる伝承から吟遊詩人や作家共が創作した伝説。実は他にも、いろんな戯曲や物語の元にもなってるらしい」


「いや、それがな、実は昔から大陸中のギルド組合に英雄アメンの捜索願が登録されているんだ。ときどき笑いのネタになってるだろ? 」

「ハハっ、あぁあの募集記事の過去帳の隅っこにあるやつな。成功報酬50兆Gとか、っあっはっは! 」

「あの依頼、一応更新されてんだぜ」

「ほんとかよ……」

「それ俺も気づいて調べたことあるわ。でもギルド職員の話では史上一度も見つかったことが無い捜索依頼で、今は形骸化してる依頼書だとか変なこと言ってたな」

「依頼主は? 」

「匿名の代理依頼の匿名代理依頼の匿名。長年探りを入れて聞き出したんだが、ギルド側も依頼主の根っこを把握できない状態らしい」

「「……」」


「なんだそりゃ」

「つまり、存在しないって事だろ? 」


「うむ……現に、今日までの魔王戦で英雄アファンヌの出現報告は無い」


「ほらな。そりゃあ〜これだけ大陸中が滅びかけてるのに現れないんだから居ないんだろうよ」


「「……………………」」




 なかなか踏み込んだ話もあったが取り止めもない。

 だが確かに最後の存在否定は説得力があって、英雄の話題にめちゃくちゃ騒ついた玉座の間はちんとして静かになった。


 英雄アメン・エイヤーの存在は彼ら大陸の人類社会に昔から居るとも居ないともされつつも消えずに在る、不確かながらも人々の共有する英雄像である。

 その実在となると「誰それから英雄アメンを見たと聞いた」という噂ばかりは誰もがちょっと聞いた事があるが実際に見たことのある者はおらず、ましてやその戦う姿を自身の目で見た者などいない。

 それはやはり、おかしな英雄像の擬人化された虚像に過ぎないのだろうか。


 谷底に現れた八面六臂の怪物がある日を境にパッタリ消えれば────英雄、アメン・エイヤーの御技である。

 村を襲う魔物の大群が突如として退散すれば────英雄、アメン・エイヤーの御技である。

 邪悪な組織の潜むと噂の山岳が突如として大爆発すれば────英雄、アメン・エイヤーの御技である。

 魔族に拉致され消えた街中の子供達が無事に帰ってくれば────英雄、アメン・エイヤーの御技である。

 討ち入った魔王城の玉座に魔王が頓死していれば────英雄、アメン・エイヤーの御技である。

 遥か高空になんか変なものが浮いていれば────英雄、アメン・エイヤーの御技である。 


 彼らの社会で時折発生する不可解な事件や事故の迷宮入りは大抵、アメン・エイヤーの仕業ということでオチがつく。

 だがその、ごく稀に人類社会に一瞬だけ吹いては消える英雄アメンの噂は人々の記憶が忘れるとも消えさらず、英雄様は本当は何処かに居るんじゃないかしらと思わせてしまう奇妙な存在感がその概念にはあった。

 大英雄の実在を信じないと公言する者がいる一方で、内心では信じ続けている者達が多いのだ。ここに集う百國諸侯の者達もまたそういう人たちである。


 その淡くも熱を帯び続ける期待が、しかし「やっぱり居ないのでは? 」と沈み込んだ今、満を辞したかのように人々の前へ進み出た一人の騎士によって意外にも焚き付けられることになる。

 それが数ある英雄伝承の中でもとりわけ希少な、珍しい証言の開陳に繋がるとは、人々は思いもよらなかっただろう。




「──そうです。英雄アメンは極めて遅れて現れる、英雄の中の英雄……それ故、その戦う姿を見たものは少なく、僅かな記録しかない。彼がいつの時代から存在して、今どこで何をしているのか、誰にもわからない。本当にこの大陸に存在するのかどうかすら。でも────」


「いやいや皆様方。それは色々な見解をお持ちでしょうがな、それがしは英雄殿を見たことがあり申す。20年ほど前の若かりし頃、エドナの街のイブヤ駅で鼻紙を配っているのを見かけましたぞ。あれはおそらく……」


「「……?」」


「──そっ、そうですよ! 英雄殿は実在します! 非常に申し上げにくいのですが、私も数年前にお見かけしました。意外なことですが、ヤメリアの国のヨーク3番街の路地にある売店で、お店番しているところを。あのお方こそ……」


「おお、それなら僕も見かけた事がある。あれはいつだったか、3年くらい前かな。確かネシヤン半島での夜更け、フィリッピの港街の歓楽街で風俗街の広告を持って立っていた。たぶんあの方は……」


「あっあの、私も! ついこの間のことなんですけど、荷物を受け取りに玄関に出たら、あの、郵便物を持って立っておられました! あの人はきっと……」


「「…………??」」




 意味がわからない。これらの証言のどこが英雄目撃談なのか。

 それは英雄と対面したことのない者には決して分からない体感なのである。

 だが英雄と出会った者には紛れもなく”英雄アメン・エイヤー”だと分かる場合があって、その異質な存在感のあまり、見た者の記憶に強く焼きつく。

 それゆえに確信を持って語る目撃者達へ、信じれぬながらも信じたい人達は聞きたださずにはいられない。




「なにを……」

「それが英雄殿だと言う確証は? 英雄殿の姿を実際に見たことのある者など居ないのだぞ。そのような記録は百國の国史を押し並べて見ても無いのだ」


「いやぁ、公式にはそれは無いでしょうが……しかし、──英雄アメン・エイヤー殿は人間族なれど、常ならぬ時は姿を変身する超人──と言いますでしょう? 民間伝承では。 それがあの時なぜか、その超人のお姿のままで一般人に紛れておられて……噂に違わぬ異様な外見でしたから一目で分かり申した。あのお姿は、どういえばいいのか……」


「私もです。なぜ変身なさっていたのか分かりませんでしたが、絵本で見たのと同じで不思議なお姿でした。どう言えばいいんでしょう、背丈は人族の成人男性くらいでスラッとしてて……全身黒くて堅そうな……鋼……? 全身が鎧で出来てる? みたいな質感? っていうか……でも、”もしかしてアメン・エイヤー様? ”ってお声かけしたら、握手してくださいましたよ」


「えっ僕は無視されましたね……。見た目は確かに、今聞いた通りです。新聞社のスクープにあった写像の通りですね。お顔は人間離れしてて……なんか目が赤く光ってて怖かったです……怒ってたんすかね……」


「そ、……そうです。そんな感じのお姿でした。でも、あの、荷物の受け渡しだけで、何にもお話ししてくれなくて……聞いたんですよ? もしかして本物ですか? 何されてるんですか? って。でも何も言ってくれなくて。とても無口なお方でした」


「「……………………」」


「うそくせ〜」

「フェアリーは黙って」




 人垣の中のエルフの髪に隠れていた妖精が黙ってられず本音を吐いて怒られたが、嘘くさいというより今の4人の目撃談は何か妙ではないだろうか。異様な姿の奴がいたからってそれが英雄アメンと思い至るのはどういう直感だろう。英雄ともあろうお方が普段は一般人に雇われる労働者として日銭を稼いでいるなんてあり得るんだろうか。 

 誰かの何かの役に立っているということならば、それは事の大小によらず英雄──なのか? そういう事ではあるまい。


 英雄とは、困難に喘ぐ大衆を導き、救い、その名を世界へ轟かし、人類を次世代へ繋ぐために絶望を超えて行く超人。永遠の歴史に燦然と立ち続ける、時空を超えた世界の英雄なのだ。 




「つっ立ってるだけの奴がなんで英雄なんだよ」

「確かに」

「時給いくらで雇われる英雄って……」




 結局、英雄待望論者の語る英雄実在の証言は共感を得られなかったらしい。冷静に考えて、これらの証言だけでは意味不明であった。

 彼らの聞き知りたかった証言は「魔王を一撃で倒した」とか「大津波を吐息で打ち返した」とかいう超人譚であり、街角で見かけたというようなタレコミでは無い。

 国家、大陸人民の存在危機に立たされている今は、こんな与太話をしている場合ではないだろう。




「ま、英雄アメン・エイヤー物語の絵本なんか読んだことある人は、本の最後に決まって書かれてる言葉を覚えているだろう。あれが答えだよ」


「────あ……」

「おぉ……」

「ふはは! そうだったな」

「”英雄は君の心の中にある”──と、……アハハ」




 というふうに話は終着してしまった。場の空気を諦観して言葉を切り出す機会を伺っていた一人の諭しには光るものがあって、全員がある種の納得をしたのである。

 このとき、全員が抱いていた期待の熱は昇華して別の意志に変わっている。

 

 眷属達は未だ現れない。その奇跡を思う者も今はいない。

 だが英雄は、現れずともその名でもって人々の勇を鼓舞したのである。









▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲









「ふっ。ともかく、退くにしろ攻めるにしろ、今こそは身命を賭して闘う時だ。このまま籠城して援軍を待ち、申し合わせて打って出るか──それとも、全員で海外へ避難する退路を開くか」


「どちらにしても残存戦力をつぎ込む総力戦になる。その選択の機を伺わねばならぬ。どの時点で決断するかということのな」


「さしあたっては眷属神達の加護。これはやはり必要だ。宮中祭祀殿の横の中庭に社稷の仮殿かりどのを仮設する手筈があるから試してみるべきだ。国柱眷属神への正式な祭祀方法は我々には分からぬが、せめて各々の眷属神へ渡りをつけて個々の戦力回復を急がねば、撤退戦もどうなるかわからん」


「うむ、そちらも進めてくれ。そして採決の刻限だが、……今この皇都外苑の外側、第一防塁沿いを固める防衛力は十分に足りているものの、全ての民と兵を明日明後日も食わせる食糧はないのだ。時間はない。魔物の動きの鈍る明朝を境として、皆が体力の有る内に決める。それまでに西軍本隊の援軍が見込めぬ場合は都民を守りつつ全軍撤収を開始。まず南岸へ退路を開き、そこから海路、南西の四面獣大陸北岸はタタギ列国を攻め落として陣取る」


「援軍ありの場合は反撃を決行する。陣割りは────────」




 話はようやく元に戻った。架空の希望とはいえ、人々が同じく抱く志に触れた諸侯の面持ちは前を向いて見える。この正念場に奮起する者こそが英雄なのだと。

 そうして諸侯の話し合いは戦闘態勢を編成するべく移行してゆくところなのだが────




「──あの、よろしいですか? 」


「む? オッハーラ長官」


「これは本当に”魔王戦”なんでしょうか? 規模が大きすぎるのでは……」




 空気を読めないのか話を混ぜっ返す者がどこにでも居るものである。一人の公卿が話の流れに割って入り、話題を最初のところまで戻し過ぎようとしている。

 魔王の話題は確かに問題だが、しかし、この場を取り仕切る宰相アッベは判断の優先順位を間違えてはならない。クソデカ溜息を堪えて今一度、話を本題へ戻さねばならないだろう。




「長官殿、あのですね、その話はですね、もうよしましょう。今は、この、全員の進退について十全な準備を──」


「先ほど、僧正そうじょう猊下の仰られた秘儀……これはもしや、どの預言書や予定書とも外れているのではありませんか? 表立って布告された神子と巫女の託宣とは既に縁路えんろが違うでしょう。どうです、各位の知るそれらと、少しでも合っていますか? 」


「「……」」


「私は公卿オッハーラとしての家柄から言っているのではありません。任務を預かる南軍本部長官として、あの廃城の戦線で起きた、”大陸中央本部派遣部隊”の単独行動に疑問を呈さざるを得ないのです。あの乱戦の中で廃城から運び出されていた大量の財宝や石棺などの遺物はなんだったんでしょうか? あれは今どこに? ……皇帝自ら親政して最前線に出てきたと思ったら、時を同じくして始まったあの部隊による戦況を無視した身勝手な乱取り。それに、膨大な魔石を戦場に遺棄した上に、勝手な退却。どれも大陸軍事協定に違反する行為です。これはいったい────」




 場の空気を壊し、話を曲げてでも公卿長官オッハーラが言いたい疑義というのは、諸侯を黙らせるだけの意味があった。

 それは諸侯の誰もが触れたくない話題。

 不可侵ともいうべき皇帝による親征、つまり自らが戦場の最前線へ本陣を移して軍を采配し果敢に攻めるという、本来の戦場にあり得ない配置に伴う戦況の過密が引き起こした大敗。

 これ自体、皇帝の独断先行に問題があった事は誰もが思うところでありつつも、皇帝の為す事に言挙ことあげする者は諸侯の中に一人もいない。それは彼ら全員の信仰に似た皇室への尊崇からくる慣例であり、責任を問う者などいないからだ。むしろ全員が親征の勢いに乗った形で突っ走り、魔族の伏兵である魔物の大群召喚によって窮地に陥って敗走している。

 そんな事はもはや今どうでもいい。

 問題は、その大混戦の渦中で堂々と行われた大陸中央本部派遣部隊による戦利品の強奪──というより戦地の廃城に在る遺物・出土品と思しき物品を運び去る盗掘か掠奪の如き行為が、皇帝の異例の親征と無関係には見えなかったという所にある。

 もしや大陸中央本部が怪しげな遺物を廃城から持ち去るために、皇帝親征という異常行動を起こしたのではないか。魔王戦の大敗を引き起こした戦犯ではないかと、そういう疑義をオッハーラ長官は言いたいのだ。


 パングラストラスヘリア大陸の四方、東西南北の各連合皇国軍を統括する大陸中央本部は公社でありながら、皇帝という血族達が形作る皇国の階層秩序の枠組みに属さぬ組織である。政治組織ではなく、神官僧侶の組織でもなく、武家や財閥団体でもない。

 血族の司る”権限”、神僧の司る”権威”、財政会の司る権利、の三権とは別の権力──”智権”を有する、いわゆる秘密結社の一つと言えるだろう。彼らは独自の活動を大陸四帝国に向けて特に布告しておらず、四帝国から独立した趣旨で動いている。組織を構成する人員の素性も謎だ。




「彼らは今どこに? 」


「……この皇都には、すでに居ないようです」




 四方を海原の如く魔物が犇いている皇都の外をどう逃げたのか、大陸中央本部派遣部隊はすでに姿がなかった。そもそもいつから消え去ったのか誰もしらない。 

 南軍参謀本部長官オッハーラが切り出した疑義は玉座の間にまた長い沈黙を溜めた。


 百國諸侯や各軍閥も大陸中央軍本部に対して思うところがあるはずだが、しかし、その謎の組織にある智権により秘密とされている絶対的な領域に首を突っ込むような者はいないようだ。人外の眷属神達によって担保されているであろう権能に反意を唱えることは、ひるがえって自らが奉じる眷属神達との契約にも反する事となるからだろう。 


 ここにいる者達は誰もが秘密を抱えている。

 諸国の長である王侯貴族達は、事態の裏の異変に気づいてもいる。自分達の手には負えない部類の事情の込み入った混迷であると。


 ただし、この沈痛な空気、この渋面の面々の中にいて平気な顔をしている者達がいることにも気がついている。

 人類種で最も秘密を抱える、秘密慣れしている擦れた人種が白々と諸侯の中で突っ立っていることを。




「──そろそろ、エルフの方で過去の事歴を開示するべきではありませんでしょうか? 中立を気取って自領に引きこもっているばかりが脳ではないでしょう。我々のような、人間族の持ちうる伝承では、魔王戦の全容がわからず太刀打ちできません」




 微妙な空気の中で切り出した皇国宰相のアッベ。その視線の先、諸侯の立ち並ぶ人垣に華奢な女性の姿が二人ある。

 透き通るような青白い肌──光を吸い込むような漆黒の肌──ライトエルフとダークエルフの女性達はやや俯き、髪をそっと掻きあげると宰相を上目で見据えた。




「宰相殿、そんな風に煽られても、何も出せません。私はエルフのはぐれ者に御座います故……ケルルシュケーさん……? 」


「ん? チェルシーさん、こちらに話を振られても困ります。私はエルフル王の派遣した観戦武官という名目なので……秘史の開示とかはちょっと……」


「ふふ、……」




 助けを求める人間にエルフ族は連れなくて、宰相アッベはただ微笑を浮かべてエルフへ歩み寄った。この口の硬い超絶保守人種であるエルフが相手でも掻き口説く自信があるのかどうか、ともかく宰相は絡んでみるつもりのようだが上手くいくだろうか。

 ことに、本エルフ──エルフ族の主体であるエルフル族は、同じく大陸魔王戦争の当事者であろうというのに、加勢するでもなく、積極的に支援をするでもなく、各地のエルフル族の拠点防衛に結界を閉じて自らのエルフの世界に閉じこもるのみでいる。エルフの領土ごと冬眠のような状態にして魔王戦をやり過ごそうということらしい。淡白な性格の強いエルフ達は冷徹でもあるのか、他の人類種達が魔族に殺戮されようともどこ吹く風だ。


 しかし異常な長命を誇るエルフには世界の歴史の生き証人のような側面があり、寿命の短い人間や獣人が知らない歴史上の事歴を引き出せれば非常に有用であった。

 一人が数百年から千年以上をも生きる事のあるエルフ達が、魔王戦について何も知らないはずはない────。

 何とかして何事か有益な情報を引き出せないだろうか。




「いやあ、それにしても、この籠城におけるエルフ二人の立ち姿。美しい。さながら戦場に咲く、汚れなき群青の花であります」


「まあ! やったわ! どうしましょうチェルシー」


「し……諸侯の面前で、こうも口説かれては〜仕方ないですね……! んん゛っ! ……では今から、この逸れのエルフが独り言を言います」


「うわ、ちょろ……」


「フェアリーは黙って! 」




 宰相アッベは冗談めかしておだてただけだったが、エルフの女性というのは大勢の注目する中でお世辞を言われると男女として口説かれたと受け取る。それはエルフの女にとって一つの功名だからなのだ。この辺は文化の違いで、エルフチェルシーの肩に乗るフェアリーが呆れている様子からして、よくあることなのだろう。

 

 エルフの語る秘史──昔語むかしがたりというのは、諸民族の間でも珍重されている。

 他人種の知らない、珍しく稀趣に富んだ情報に満ちているからだ。

 伝統と禁忌を重んじる生粋のエルフは口が固く、なんらかの記念日や式典などに限定した空間と人数を揃えて特別な局面を(あつら)えない限りは、滅多とその秘伝が語られるものではない。

 それ故にエルフの秘伝という事柄を知っている者も少なくて、他の人種の中では知識階級の極一部と限られている。


 そういう背景もあり、玉座の間に詰めた貴族達諸侯は期せずして世界の秘史にありつける巡り合わせに緊張し、全員が固唾を飲んで聞き耳を立てた。




「「────────」」




 だがそれから、逸れエルフのチェルシーがつづる”エルフ伝承魔王戦史”を聞いて諸侯の顔々は徐々に歪んでいくことになる。

 断片的に、脈絡もなく、ただぽろぽろと語られたその昔話は俄かにも信じ難い物語。大陸諸国に残る多様な民族史のどれもにも似つかぬ、誰も聞いたことのない話で────


 曰く、700,000年前にアガズマ群島の東にあったトロア大陸での魔神サクセウス以下眷属神33柱による、地表人類社会工作”サクセウス大作戦”という虚構の次元上昇による世界遺棄と人類消滅。

 曰く、魔王9柱ユニット”マキアス”と2000年戦った人類種アスラ10氏族が、天神キリークの下賜した神書”三界の誘気いざなぎ”により魔王たちと共に冥府へ封じられた悲劇。

 曰く、星座から降り立った大魔王アモーの地表人類全面大量虐殺と、星神エシュミシュミカーツカによる偽りの1000年を繰り返す世界輪廻に保存された人類を騙して奪った魔王サターンの謀略。

 曰く、惑星フェイトロンの爆破に激怒する魔神フェイトロンの逆襲を返り打つ、冥界の魔神スッタカノスフェルピチュキエフのバチバチの星間戦争による人類の生き残りをかけた逃避行。

 曰く、半神英雄ギリリアによる魔皇帝ゼ・ゼ以下八百魔王の月面封殺と人類への呪詛──そして世界中の火山噴火、地表世界の全面凍結、当の大陸は地殻変動による地表の隆起や陥没に巻き込まれて人類はほぼ滅亡したという。




「……で? 」


「参考にならんな」


「話これぜんぜん関係なくない? 」


「チェルシー殿の創作ではないのか? 」


「ひっどーい! 」




 諸侯の一部から呆れのひそひそ声が囁かれたのは全部エルフの長耳に聞こえている。声をあげたチェルシーも、その横にいるケルルシュケーも顔を真っ赤にして怒っているのか恥ずかしいのか変な表情で目を白黒させている。

 実のところ、こうした昔話を聞いて歴史的資料として珍重する者は一部の有識者だけなのだ。多くの人々にとっては空想的すぎる内容のあまり信じてもらえず小馬鹿にされてしまう。

 よくあることなのだが、エルフの神代伝承がなかなか語られない理由は、眷属の秘匿制約ばかりかそうした理由もあるのかもしれない。

 それにしても700,000年前の伝説などと言われても、地形も自然環境も獣の棲息圏も今とは違って人種の居住も国の版図も異なるだろう。そんな話がなんの参考になる示唆だというのか。

 最もそれは、要点に注意して聞いている者には分かることなのだが────




「────」


「──! 」




 魔王見敵の報告を受けて以来、ここまで一言も無かった皇帝ギラゼリック──その影が御簾の中で立ち上がった。

 すわ勅言かと宰相は膝をつきかけて、この場の全員が天井を見上げるのに気付いて見上げると、玉座の間の高い天井の暗い一角、小さなステンドクラスの小窓が音もなく開き、虹色の光が玉座を横切った。


 この小窓は大空に浮かぶ島々の空島群島に住う真聖魔女ギギギからの伝令にのみ出入りが許されている窓で、利用されることは滅多にない。だがここから魔女の伝令の者が入城するとき、すなわち意味するところは魔女からの不吉なお知らせでなのである。


 暗い部屋に差し込んだ虹色の光の溜まった床に、伝令の黒い影はゆっくりと降り立つ。バサバサに広がった箒から降りる伝令の者は雷にでも打たれて来たか、身に纏うローブが焼け焦げ煙を上げる匂いで周囲は据えた空気になった。



「────カー、カー、かしこみ畏み、申し上げます。天地あめつちに憂いなしとて、今日という日は絶好のお散歩日和。ご機嫌麗しゅう皇帝陛下。からすはクロエよりのご挨拶です。さて、これなるは神聖魔女ギギギからの伝令にて、謹んで捧げ奉ります」



 魔女のお使いは御簾の向こうの皇帝にかしずくと、鳴くような頼りない小声でこそこそと短い口上を述べ、ぴょこぴょこと烏が跳ねるようにして歩き、玉座の隅に誂えてある小さな机に近づくと、黒手袋の細腕をうんと伸ばしてそっと伝書を置いた。

 机は厳重な柵で囲われた重厚な石造りの壇机だんたくで、そこは魔女の使い魔と皇帝しか触れることが許されない。

 誰もその伝者の方をまともに見ず、声をかける者もない。

 魔女の使いは人外の眷属にならんとする修験者であり、通常目に見えぬ眷属として扱われなければならず、それを知る者達にとっては直視してはならない暗黙の了解があるのだ。

 だが魔女の使い魔が踵を返して飛び去ろうとするところへ声をかける者がある。




「──しばし、待て」


「────ぁ……」


すずりをもて。…………それと、例の物を…」




 皇帝ギラゼリックのうら若い声が優しげに使い魔の撤収を制し、ついで近侍の小姓へ筆と硯を取らせた。

 皇帝が何やら一筆したためている間、困惑する使い魔がかしこまっていると、皇帝はまた近侍の者に命じて少しの手荷物を持ってこさせた。

 まだ伝令の書面も見ずに返信という訳でもないだろうに、どういうことなのか周りの者達には分からない。



ちん餞別せんべつである。これと、これを……ギギギに。それと、これは烏の君に」


「ぁ、ぁ……陛下……────」


「烏が泣くな、三本足が遠のくぞ。……長々(ながなが)よく仕えた。大儀である。クロエ、下がってよい」



 烏が泣いている。それはその場の誰が視界の端で見てもわかる様子だった。人外の眷族であろうとする眷族見習いの契約魔女は烏故に涙を流してはならない。眷族は慣例通りに左・右・左と被りを振って左右を見回し、その眼からボロボロ溢れる涙をたくさんの三つ編みで拭うと、箒に跨ってゆっくりと上昇して、元来た天井の小窓をくぐって赤黒く輝く空へと登って行った。何度も何度も振り返りながら。


 皇帝が手ずから餞別を下賜するなど異例のことである。

 これらの様子ははまたしても衆人達には意味の解らぬやりとりなのが、しかしある部分では察しがつく。それだけに黙っている諸侯ばかりではない。




「陛下、我々はまだ────」


「お控えくださいオズマ獣王! 陛下が書面をご覧で……────」



 進み出て声を上げようとする諸侯の一人と、それを制止する宰相アッベが息を飲んで言葉をやめた。

 皇帝ギラゼリックが御簾から歩み出て姿をあらわにしたのだ。


 ギラゼリックのしなやかな細身の体に誂えた甲冑は傷だらけである。軍魔包囲戦に親征して前線に布陣したが魔王軍の猛反撃に遭い這々の体で撤退したのは文字通り命辛々だったのだろう。

 まだうっすらと産毛がわかるほどに若い顔立ちだが、結い上げた豊かな黒髪が黒獅子のようで気品と威風をたたえている。ただ眼差しだけが、夕暮れに伸びる影のように暗く未来を見据えるようで。

 言い下される兆しを見てとった諸侯はすでに跪いている。




「────諸侯の忠義に頼み、これまで皇国は八千代やちよ弥栄いやさかを守られ、民宝たみたからは朝夕のみぎりを営み、天つ神、国つ神はよく祀られた。万世世々(ばんせいせせ)に寿ことほぐ忠義である」




 そうして皇帝ギラゼリック568世が告げるみことのりを諸侯は傾聴した。

 ここにいる皇帝以下の諸侯は南方各国各種族の王侯貴族や将軍、多くの眷属神を祀る各宗派や政財界の重鎮から派遣された後見人など重鎮ばかりである。戦時下という情報戦の活発な最中でこの状況の流れを知らない上流階級の者はいない。その上で、実のところそれぞれの内状により今後の方針は出ており、その作戦は半ば進捗している。それなのに、彼らがわざわざ守りを固めた皇城に籠城したのは、一縷の希望に縋る思いからだった。勝利で終わるはずだった魔王戦の不可解な継続を封殺する神勅を、神々の天子たる皇帝から得られるはずだと。


 だが、その希望は今の魔女の使い魔の登城で霧散したのだ。

 皇帝に支える百國百王、直参36王の奉ずる主要な36眷属神のうち最初に現れたのが、不吉な神聖魔女ギギギの眷属だったからだ。

 最悪な凶報しかもたらさない魔女の伝報の内容を見ずとも、もはや諸神の加護は得られず反撃の余地のないことは誰にもわかった。


 大陸を捨てて逃げるしかなくなった人々の胸中にあるのは喪失か、安堵か。

 結局、人類である自分たちには命一つしかない心身を自ら生かす他ないのだと、絞られた未来を見据え始めた諸侯の頭上を皇帝の別辞べつじが過ぎてゆく。

 国神へ自らを捧げて執り成す犠牲の勅が。




「────パングラストラスヘリア大陸四皇帝の奉ずる神司の神勅を受け、ここに大陸東方南朝皇国ジュメリィルの解散を命じる。各々(おのおの)、海を渡って生き延びよ。各位に人質の返還、神器の開放、及び、朕の形代を割譲下賜する故、遠国、後の世において結束の印とするがよい。────賢者アマト! 」


「ハッ。アマトはこれに。陛下、お時間です。よろしいですか? 」


「是非もない。では皆の衆、久遠くおんにてまみえよう」









▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽









 先に言っておくが、この短編の主体となる本編小説を読んでいない者には儂のことが分かるまいから以下の項を読まずに無視してかまわん。

 実のところだな、彼ら大陸に住う人草達には一刻の猶予もない。急いでこの大陸の外へ避難せねば、おそらくは7日と待たず全国民が死滅してしまうのだ。魔王が勧請するこの星の極点はすぐさま大陸を厚さ5000m前後の氷棚で覆ってしまうだろう。魔王などという表宇宙のロクデナシにかかずらっている場合ではなかったのだな。


 彼ら人類は人類間で争い、かつ魔族と対峙し、その末に至って生き残るための未来を示す矛先を再び同族たる人類へと指し示した。

 このさき海外諸国に散らばって、ある者達は滅び、ある者達は他国を奪い、ある者達は野に潜み、ある者達は奴隷になり、ある者達は延々と旅を続ける放浪の民となる。元の大陸四皇国の民ということは忘れられてゆく。


 これは選択の余地がないほど運命を限定されてしまい自然な成り行きで自らが決めた人生であるかに見えるが、半ば強制された運命である。

 人類の因果を監督する神々の下部の眷属達が人類を誘導した結果、その通りに推移したという状態が正しい。

 それでも人類が魔族・魔王に抗おうとすればその選択の自由はあるのだが、見ようによっては自殺にも等しいだろう。


 ただ、自らの命にかえても己の信念を貫きたいという者がいるとすれば、それは必ずしも間違いとばかりは言えないのだ。

 そもそも生と死は”在り方”の形態に過ぎないのであるから、そこのところをもし悟った者達であったならば、この魔王戦における”因果の生産”は全く別種のものになったには違いない。

 そうなれば彼ら人類の因果の定めはある種の積極的変化を帯び始めるかもしれなかったのだが、後の祭りである。彼らが自らに架す”時間”というやつは運命を狭めていく。

 惜しむらくはこの大陸パングラストラスへリアの国土神。その大いなる聖神界1柱の神と眷属神達が、この失脚で埋没する神として解体の憂き目にあってしまったことなのだが、人類は知る由もないだろう。

 パングラストラスへリア大陸の人類を入植した神界の神々は魔界の魔神に負けたのだ。

 表向きは人類と魔族の戦いでありながら、裏では星の地表の人類種を使った神々の争いだったというわけだな。


 というわけでだな、チキウと呼ばれる星から覗き見ておる人草の賓達よ。このレコードは先日この星に遷移してきた人草の個体が二度目の死を迎えたのちに星の記憶の界域をうろついておるのをブブゼラスであるこの儂が閲覧した記録である。そこから眷属達の媒体たる皇国の人草達がお別れ会を開いているところを紹介してみたというだけのお話なのだ。特に意味はない。




 ああ、ついでと言ってはなんだが、アメン・エイヤーついて教えておこう。

 アメンは人草の中からその人類の命運を憂いて怒りに燃えるあまり人間であることを捨てた1人の哀しき人草の青年、アメン・エイヤーに星の精霊が干渉したものだ。

 面宇宙の現世において眷属や魔族共が星と人類の営みを混ぜっ返す中で犯す”天津罪”を許さない。

 星の運営規約に反するような偏向干渉で入植してくる卑劣な奴柄が現れれば必ず鉄槌を下しにやってくる。

 チキウの人草たる君達にわかり易くいえば、ある種の取り返しのつかない”価値”の飽和や崩壊の状況に至る事態をギリギリで防ぐセーフティというやつだな。


 その彼はこの魔王戦の最中に大陸中を右往左往しつつ登場の機会を窺っていたのだが、それは前述の通り、状況が天津罪という掟破りに至るか否かと彼なりに吟味していたのだろう。

 結局は大陸凍結開始直後になって廃城に現れることになったが、どういうタイミングか、ちょうどそこへ門から出て来るところだった魔王ベニベニ・シャンカラを”エイヤーパンチ”なる必殺の右ストレートで撲殺した。

 現世の地表でまだその名を知られておらぬ魔王ベニベニをどうやってアメンが知ったか知らぬが、魔王と目星をつけた魔族の素性を確認もせずにいきなり征伐したのはどういう根拠があったのであろうな。儂はその判断に至る思考が気になる。


 魔王ベニベニにとっては心残りある最後となっただろう。彼はその役目ゆえにアメンの登場を心待ちに待っていたはずで、しかし残念なことに、おそらくその姿を目視することすらできていまい。魔王は扉越しに殴られた上に衝撃で頭部が消滅してしまっていたからな。


 この大陸が凍結された極地になったとはいえ、こうして軍魔の首領たる魔王ベニベニが討たれたことで、その魔領としては機能を停止せざるを得なくなってしまったというわけだな。完全なる縦社会をうそぶく魔族の弊害だろう。やっとこ拵えた巨大なテナントがいきなり空いてしまった上に巨大過ぎて買い手がつかない状態になってしまっている。今はただ野放図に魔族と魔物がはしゃぎ回るだけのだだっ広い凍土に過ぎない。

 辛くも正神界は勢力を保つ事が出来たのだから、アメンは結局はいい仕事をしたのではないだろうか。


 だがこれは、常ならばアメンは自らの姿をあえて魔王などの目に焼き付くように目の前に立ちはだかって見せることから考えて異例なことだと思う。急いでいたのか、気分によるものか、英雄アメンの考えは儂にもよくわからん。アメンについて語ると長くなるからこの辺にしておこう。


 ただ、一つ言っておかなければならないことがある。

 「英雄は遅れて現れる」とは一見都合の良い解釈に聞こえるが、毎回がそうであるように今回もまた遅れに遅れて現れたアメンにとっては止むを得ない事情があるのだ。

 それは英雄の力と出現条件を満たす命のトリガーであり、誰にも理解されないだろうが、彼は星と人類の味方なのである。

この読切短編は本編の幕間の挿話です


<――魔王を倒してサヨウナラ――>

https://ncode.syosetu.com/n9595hc/


よろしかったらどぞ〜

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