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シリーズ 【パラレル・フラクタル・オムニバス】

読み切り短編集 『星屑に坐す(4)』~今際の際の亡国の集い~

作者: nanasino






 「━━━━━━魔王だと」




 低く曇った声は御簾の向こうの小さな人影に似つかわしくなかったが、暗い玉座の間は空気を締め上げられたように静まり返った。

 戦線離脱し皇城へ逃げ込んだ南朝神裔皇帝ギラゼリック568世の凄むような嘆きに居並ぶ百國諸侯や従卒は黙して言葉もない。


 凶報であった。

 親征軍撤退の起因となった廃城に立て籠る魔公爵や反乱軍の裏で魔物の群れを開放していたのが、事もあろうに魔王1柱であるという。

 大陸全土を巻き込んだ魔王戦の主戦場は大陸中央山脈を隔てた遥かな西の向こう側で、先刻届いた報告によれば西側諸国連合軍の奮戦の末に魔王ゲゲリエは討たれたはずであったのだ。


 主戦場から遠く離れたここ大陸東方戦線では、南朝皇国ジュメリィルの広大なオブリオストラッタ樹海から無尽蔵に湧き出でる群魔の掃討戦に大陸史上最大規模の兵員を徴した百國連合軍が樹海を九重に囲って布陣した。

 魔物や魔獣の異常発生の背後には西国の魔王戦に呼応する無数の魔貴族や反乱分子の関与があるとして、それらを封殺せんと人間・獣人・エルフや亜人たち人類種各国が共同戦線を張ったのだ。


 その50万に及ぶ兵員を擁した包囲戦が樹海の深部へ達した頃に魔王ゲゲリエ討伐の一報が百國連合軍に届き、士気の高ぶりとともに全軍総攻撃を仕掛けて魔物の大群を押し崩し軍魔の首謀・魔公爵を大いに討ち取った。樹海や廃城の各所に見つけた魔界の仕掛けが群魔を産出するのをも見つけて破壊し、魔物の群れは一時減衰したのである。


 このとき南朝帝国百國連合軍東方軍総帥として親征していた皇帝ギラゼリックは異例にも前線まで本陣を動かし、魔公爵達の篭城する廃城に布陣していた北朝反乱軍と異種族・魔貴族の軍魔連帯軍に善戦したが、守護魔法の要である法王ラディロが暗殺されると同時に謀反を起こしたジャブチ国セバス王家ジャプリー公ネモ第8王子大隊により帝国の社稷しゃしょくが焼き落ち陥落。そのまま叛徒と軍魔の挟撃に合った帝国連合軍は乱戦となり一時瓦解したのだ。


 叛徒と軍魔の共謀により再度盛り返した魔獣・魔物の群れの魔海戦術は際限なく現れては山津波の如く押し寄せ、実際に無限かと思われるほどに尽きることがなかった。

 魔物の波に飲まれた連合軍が散り散りに四散して逃げ、城攻めをしていたはずの皇帝達が追い立てられて帝都皇城へ篭城する羽目となったのはどういう皮肉であろう。


 全滅の様相を呈する乱戦の最中行方を晦ました皇帝はほとんど一騎で駆けて逃げ去り、鉄の雄鹿に鞭打って長大な距離を走り抜き暁の皇城へ現れるとその足で玉座に着いた。

 軍魔の猛追で四散した諸侯や旗本の武将達は皇帝の健在を知ると再度結集し皇都の守りを固めたが、兵站も兵糧も無くて海外へと離脱する者が相次ぎ、皇国史上類例のない大惨事に人間も獣人もエルフも皇国の生き残り達は全員がこの世の終わりのような顔で防衛戦に当たっている。留守居の大魔導士ゼドが拵えた八重垣魔法防塁も波いる軍魔に打ち砕かれるのは時間の問題かもしれない。


 そんな亡国に追い討ちをかける不吉な知らせが諸侯の無表情を歪めたのは、西で討ち滅ぼされたはずの魔王が当地の戦場にいるという意外なものだったからだ。


 だがこの異常事態の渦中ともあれば肯けるところはある。魔王を討ち取ったのであれば大陸全土の魔族蜂起は鎮まるはずだというのに戦禍の渦は広がるばかり。討てども討てども尽きることのない魔物の大群勢。その群魔の起点、波状に広がる魔海の震源に坐すのが━━━━━人類の仇敵、魔王だと。




「なんと」

「何処の魔王か?」

「本当に魔王か?」

「魔王の名は!?」


「皆の衆、静粛に。…日陰の者よ、まだ話せるな? それで、どこの、どの魔王だというのだ?篭城しておったのは。…魔王の名は?」


「…ハァ…ハァッ…! ッぐ……そ、それが……いえ…も、申し上げます……魔王の…名はぐむっ!!ゴブッ!!!」




 黒尽くめの男が上奏した魔王見敵の知らせであったが、その名を溢そうとすると喀血し、体が潰れて死に絶えた。━━━名号の発音に掛かる呪いである、というのが城内に居合わせた賢者アマトの検死による見解である。


 歴史上において魔王達は、その活動を終えたと目される魔王から封印され休止中の魔王まで数多く存在するが、皇国古今において確認できている個体数は限られている。その中から目星をつけたかった諸将であったが、その手掛かりが今しがた潰えた。事の真偽も定かではなくなった。




「…問題は、こちらに魔王がいるとなると……」


「岸壁の魔王城の方はもぬけの殻……?」


「今ほどの密使の報告、誠でしょうか?すると、西方連合軍の向かった岸壁の魔王城は…フェスタ東空殿下、先刻届いた魔王ゲゲリエ討伐の一報は誤報ではありませんか?」


「いや、メリコビッチ王子、そうではあるまい。西側諸国戦線の凄惨は各所からの報告で知る限りこの地よりも酷いものだ。類例のない戦禍の規模だがやはり魔王戦だろう。先刻上がったバルサロッサ峡国からの狼煙を含めると、判明した魔族の支城はノロウェイ高原のタイフン城を始め50にも及ぶ。魔王は向こうにいたはずだ」


「宰相殿。西の魔王ゲゲリエは間違いなく、突入部隊第二龍騎士団”子午線の司”と、勇者特戦隊”征魔星輝輪せいませいきりん3戎士じゅうし”が討ち果たしてございます。反乱軍も瓦解したとのことで首謀の一人、ガオライ国第7王子ゼスプリ他、諸侯の首級が上がったとの由、魔法伝信、狼煙、手旗信号、飛伝書、いずれにても報告は合致しております」


「それに、この密使の方。中央軍の魔女のところから来た小者さんでしょう? ならよっぽどの通信だよこれは」


「ほう、魔女会後見人シャズナからの…では本物の凶報か」


「━━━…すると、こ度の魔王戦、魔王が2柱……?」


「「「「「「「「━━━━━━━━」」」」」」」」




 異常事態にもたらされた不吉な報告に満場の諸侯から憶測や疑念の声が上がった。中でも皇帝の嘆きに疑念の色を見とめた宰相ジョカ・キュメイの抱いた懸念は一同の顔色を曇らせるものである。魔王戦に魔王が2柱同時に出現というのは彼らの想定外だ。


 ━━━━━魔王戦。

 人間や獣人・エルフ達を食料と見なす魔族達と、命を喰われまいと抗う人間達。その奪うものと奪われる者達とが命をかけて殺しあう戦争の行き着く先が、魔族の長の最たる者を討とうという魔王討伐の戦いである。


 魔王戦は大陸全土の何処かで1世紀に一度発生するとも数百年に一度とも言われていて各国の保持する史記の記録がまちまちであり、またその魔王戦の事実が公にされず封印される場合もあり、魔王が大陸人類種達の間の共通認識とは言えその認知度は様々だ。

 数世代も魔王戦がなくて魔王戦に対する軍備の差配が分からないという国家の方が多く、なぜかその国史には魔王そのものについての記述すらない国が多い。


それは不吉な悪魔が人類に干渉する凶事まがごととして魔王を認知することすら隠避した民衆心理からいつしか一般的には忘れられたという事もあるが、それにしても過去に連綿と続いてきた大規模な戦禍の記録が不確かであるというのは奇妙である。

 そしてその不確かながらも各国に伝わる古史古伝の記述の中に、魔王が同時に2柱出現というのは無いはずなのだ。


 ここでまた魔王戦に至る経緯の一端に触れると、この大陸戦争は当初、大陸中央山脈西方渓谷に位置するグラディオリア峡国の主城ブラッディキャニオ城が魔王ゲゲリエに占拠されたことで此れを討伐ということになった。大陸中の諸国が魔王戦ということで色めき立って、人間も獣人もエルフも普段の軋轢をよそに一丸となったのだ。

 主戦場はその西国一帯だが、魔王戦となると大陸中の諸国に潜伏する魔貴族5爵が紛争を立ち上げて社会を乱し、燃え広がった戦線が繋がってたちまち大陸戦争の程を成した。


 誰が敵か味方か分からない混沌を纏め上げる旗頭となったのは教義教団・血族神裔・財閥軍閣の三権を牽引する法王・皇帝・会長達である。

 その内の皇帝、大陸四方を鎮護する4皇帝の一人である南朝連合神裔皇帝ギラゼリック568世の擁する東方南朝連合軍は樹海オブリオストラッタに魔獣の群れの異常な偏向発生に注目し、昨今の諸国の反乱軍や魔族の蜂起からの奇怪な事件を関連づけて大規模な討伐軍を結成して立ち向かった。


 徴兵には工夫を凝らし、諸国の軍隊に秘密裏に軍勢を整えさせている。

 密約に応じた諸種族諸国の陸・海・空・地底の総勢50万に及ぶ大軍を大陸中央付近の樹海から周辺諸国まで途方もない広域に九重に布陣。国庫の魔石を費やして魔法使いなどを大規模雇用し兵站の運営にあたらせるなど戦線を強固に維持。宰相ジョカにして大陸史上類例がないと言わしめる軍魔掃討戦に踏み切った。


 それだけの人員を動かす大義名分があったのである。それは大陸転覆を目論む反乱軍の北朝神裔タルタル・ジョバンニを擁立する諸貴族や魔族の背後に西の魔王ゲゲリエがあり、契約魔女連盟や賊徒同盟や海外諸国の介入があったからで、それら朝敵を討ち滅ぼす戦いの一端を封殺して平和の時代に覇権を形成するのはこの世界の一つの宿命のサイクルだった。


 だが、しかし魔王が2柱となると事情が違ってくる。

 彼ら人間種の保持するだけの事歴にはその類例がない。類例がなければ約束事も違ってくるのだ。




「魔王戦は魔王を討てば終わり。の、はずではなかったか…それがまた、さらに別の魔王などと……これは…いや、こちらも魔王が相手となると、やはり魔王を討たねば群魔の大群は尽きないでしょう」


「しかしそれは…今から再度この軍魔の魔海戦術の中を切り込んで樹海の中央の廃城まで討ち入るなどと、そのような戦力は残っていませんぞ。陸・海・空いずれの戦線も総崩れだ」


「うむ。東西南北に分けた四軍のいずれも崩れた。各所に潜伏する空賊や海賊も魔族に寝返り遊撃に現れている。海から退避した船団などは海外各国の横槍で撃沈されていると聞く。攻めるにしろ逃げるにしろ、どちらかに残存戦力を注がねば本当にこのまま終わってしまう」


「猶予はあるまい」


「いや、しかしだな。新たな魔王を討って本当にこの戦は終わるのか?さらに他の魔王がいたら━━━━━」


「「「「「「「「………………」」」」」」」」




 既に大陸全土に及んだ魔王戦は大陸史始まって以来の甚大な戦役となっている。

 爆発的な激戦の広がりは急拡大して止まらず、その激しさ故に遂勢は顕著に現れた。朝敵である反乱軍は最初は脆くも瓦解したが、軍魔のさらなる跳梁により12方面に戦線を展開した四皇国は再建の目処が立つかどうか解らないほどズタボロになった様相が諜報部隊により伝わっている。各地の戦線で人類種の大勝が相次ぎ優勢かに思えたのが、大陸全体を見通して時間経過も俯瞰すると劣勢だったのだ。


 複数の魔王の同時出現などはどの国の史書にも前例が無くて貴族も学者も判断がつかないでいるが、 魔王を討っても終わらない殺し合いであれば逃げるしかないだろう。




「━━━だが、あの廃城にも魔貴族5爵の強敵を見込んで配置があっただろう。西側の主戦場とは別に各ギルドから選抜した勇者達”幻示録12士決死隊”が突入していることは調べがついているぞ。魔王がいたとしても、こちらもまた時間の問題で魔王を討ち果たすだろう」


「うむ、マクレガー大尉…その件だが、彼らに付けた斥候も含めて、ついぞ戻らなんだ。本丸へ入城した者達とはことごとく連絡が途絶えている。大きくない廃城だというのに……解せぬ」


「あ、それは今ほど報告が来ました。廃城から一人で離脱してきた勇者ノーラン・ビクター様によれば、斥候達や境界に配置した兵たちは城付きの眷属に殺されていたそうです。ノーラン達は勇者隊は未だ魔王との会敵には至っていないものの、討ち倒した魔公爵など複数の魔人から得た情報では魔王の存在を確認できているとのことです。城内は冥界化しており、建築物の死後世界が組み込まれる迷界。どこまで行っても通路や部屋が続いているのだと」


「冥界…?」

「そうか。それでか…情報が来ないわけだ」

「冥王も絡んでいるのか」

「やはり普通の魔王戦とは違う」


「フン、眷属や神々など、あれらの動きは判らぬものだ。我々を守護する眷属神達も何を考えているやら、今日は音沙汰もない」


「ああ、我らの方でも今日は動きがない。人類がこれほどの窮地に立たされても抗っているというのに、眷属神達はどうしたのだ…」


「やめよ。既に守られているからこうして命があり戦えているのだ。深遠なお考えをお持ちの眷属神たちを疑うなどと恐れ多い」


「しかし、帝国の社稷しゃしょくは陥落してしまった。国柱眷属神達への祭祀が滞っている今は、御加護は得られまいよ」


「…そうだ。百國の社稷や村落の社は言うに及ばず。これでは、もはや眷属神達は国民を見放したやもしれぬ」


「神事を代行する神子や巫女は行方知れずと来ている…我々の普段の心付けでは、太神おおかみには通らぬだろう」



 人類達がその個人や国家の命運を全うする中で時に心身を預け、助け合い、運命を託し、願い、誓い、共に生きる人外の存在━━━それが諸神の守護神の眷属神とその部下の眷属達である。

 眷属達は現実世界における自然法則の不可逆性を無視するかのような奇跡的な現象操作の解放を司り、人間達がその非常の力”魔法”を求める時、その魔力の貸与を惜しむことはない。

 それは魔界の魔族を使役する魔神の思惑で人類が攻め滅ぼされて世界が支配されては正神界諸神の眷属神達が困るからなのだ。人類種達から得られる祭祀も供物も無くなっては正神界の神々の神徳は痩せ細ってしまい、眷属神達の存在を維持出来ないだろう。


 その存在は一般的な人間達の間の風習や信仰心などにより広く知られているが、普段は現世に姿を表さない眷属達の姿を見る機会は稀であり、尚その目に眷属達の姿が映る者はどういうわけか少なく限られている。それは眷属との確固たる契約で結ばれた人間であっても気ままに現世へ呼び出せるものではなく、眷属達のそうした不可思議なところは人間達にとって謎が多かった。

 だが、人間達が眷属達を祀り、その神通力を賜らんとする時。その契約の印の交換に眷属達は現世へと異形を顕現してきたのだ。


 皇国全体が窮地に陥った今こそ国家の守護神・眷属神からの大きな加持護持が望まれるというのに、彼ら国柱の神々へ感謝と供物を捧げる国家の祭殿である社稷が先日のネモ第8王子大隊の謀反により陥落してからというもの、彼らの前に顕現することがない。


 これでは国神を祀る皇国圏全体における人員の魔法攻防や治癒、心身の強化などに眷属神の神通力による補助が得られないばかりか、衣食住の全てが不便になる。

 兵糧は腐り、飲み水や火を得るのに苦心し、汚物の処理に困り、身は病み、心は疲れ、籠城する戦士達の士気は下がるばかりだ。

 魔法に頼らない人力による知恵と工夫や自然資源などは農村にこそ普遍的だが、皇都など強国の都市圏ほど便利な魔法により生活基盤を保つ側面が強固なため、それゆえに魔法の力を司る契約の要を遮られては弱い面ばかりが目立った。


 とはいえ個別の人間と眷属との個人間契約はそのばかりでは無いのだが、今はその個別の加護を得ているであろう人材は群魔の侵攻を食い止めるために前線に出払っている。廃城にいるという新たな魔王に対して新たに打つ手が無いという訳である。

 全ては魔法が満足に使えないことによる弊害、眷属神達へ祭祀と供物を国家から正式に捧げる社稷が絶たれたことによる絶望的な損害であった。


 だが時として、人間達がこうも頼りにする眷属達が何を考えているのか人間達には分からない。

 眷属達にとって人間達からの祭祀や供物は必要な心付であるはずなのに、その人間達と国家が滅びようとしていてなぜ助けてくれないのだろう。そもそも何故このような局面に至るのか。


 それに、魔王といい冥王といい諸神の眷属神に仕える眷属達の長であるところを考えると、人類種達が普段に祭祀している眷属達といわば同種の存在と見做せなくもなかった。

 正邪の区別こそあれ、そんな存在達が敵であり味方でもあるというのは人類種達にとってはある種の不気味さと不可解を伴う。眷属達のそういった実態を知った上で付き合いを保つ志ある諸侯であっても眷属達が本当に人間を助けてくれるのかどうか時には疑いたくなるのだ。




「それで?今、勇者ノーランはどうしている。魔法に頼らずとも屈強であるという勇者達が1人でも陣中にいてくれれば心強いのだが…」


「いえ、ノーラン様は拠点兵に報告だけして、茶漬けなど喫された後、また単身突入されたそうです」

「茶漬け…」


「ふむ。元気なやつだな…。して、廃城に拠点を築いたという兵達は?あの戦況でよくぞ生き残ったものだ」

「いかにも。よほどの強者達だな…当の魔王城本丸城下が手薄というのも異様であるが」


「はい。拠点兵の残存戦力は3個小隊程。現在敵影無く、しかし廃城へ魔王討伐に討ち入るには全員の心身損壊が著しく困難と見られます」


「そうか。しかし3個小隊とは意外と多い…」

「ふむ。かと言ってこちらに撤退するのも難しかろう」


「ではそのまま待機させよ。魔女会から救援の魔女共を向かわせる故、次に勇者達が退城してきた時には魔王討伐の成否に関わらず魔女の誘導に従って撤退せよと伝令を」




 魔王討伐が成功したのなら撤退させなくても良さそうなもので、つまり宰相ジョカの腹の中は勇者隊に廃城の魔王を討伐することは無理だろうとの考えがあるのだ。それならば皇軍本隊に吸収して今後の籠城や撤退軍に編入した方がいいと思っている。

 廃城に留まる残留兵達を帝都皇城へ吸収しようにも魔物の海が遮って無理であることはどうしようもない。通常の退路を取れない今は皇軍としては遺憾ながら魔女会の救援に頼るしかなかった。空を飛び、眷属を召喚し、魔獣を使役する魔女達ならば何とかするだろう。


 魔女会は皇帝の臣下ではないが大陸東方南朝皇国ジュメリィルと協定を結んでおり、皇国で活動する許可をもらう代わりに皇帝の命令を聞かねばならないから動いてくれる。

 しかし魔界にも肩入れしている魔女達だから組織として魔王戦には参戦していないのだが、こうして兵站の補助などの役目は請け負っているのだ。


 絶望的な群魔の魔海戦術から生き延びて尚且つ敵城城下に拠点を築いた残留兵達の屈強さは異常なことかにも思えるのだが、しかし魔物の群れの広がりの中心が台風の目のように手薄というのは諸侯にもイメージしやすい。

 樹海オブリオストラッタを包囲する各戦線から帝都皇城へ逃げ集まった諸侯からの戦況報告を合わせると、やはり廃城の中心へ向かうほど魔物の群れは少ないのである。どうも妙なことに魔物達は魔王のいる廃城と樹海各所から沸き返った後に八方へ逃げるように広がり、文字通り地平を満たして魔物の海のようにそのまま留まっている━━ように見えるということらしい。

 ように見える、というのは群魔の先頭は先を争うように海岸から離岸して渡海を試みている様子であり、その後続となる群魔は樹海の各所からいまだに湧き出でている。いわば群魔の海流の中にポツンと帝都皇城が位置しており、魔物達は帝都を襲撃しつつ海岸に向けて移動し海に没している。何が魔物達をそうさせているのか人間達には意味不明であった。




「━━━それにしても、この樹海にしても件の廃城にしても、その由来の確かなところは土地の古老どもも知らぬと来ている。分からぬまま開戦に至ったは迂闊であった」


「しかしあのような樹海に埋もれた古城に………ミシュマ王、あれは登記簿にも載っておらなんだのだろう?」


「地元の者達にはパン工場という名目で認知されていたそうです」


「パン工場………?」


「一部界隈では魔石加工場の隠語であるとのことです」

「魔石の…」


「ナッティ王、今聞いた通りだがあれは民間の方では事実上パン工場とされていた。製造された魔法食料は近隣諸国には卸されておらず、遠く西側諸国に納品されていたのだ。それが実態は魔族の管轄であるとまでは我々は掴めていなかったが…森に住む半魔の民の古老によれば、大昔の人族の貴族の居城だったそうだ」


「ふぅむ…どこの幕閣に囲われた魔族か知らんが、やはり魔石の件か。民間は知る由もないが、魔石の発行権を有するという彼らの加工場だったわけだ。…我がトゥルカナ列国は魔石の流通に困ってはおらんから知らんぞ?密造などと…」


「得体の知れぬ廃城に蔓延る軍魔に群魔…どこから湧いたものか怪しいとは思ったが、しかし魔王が工場に潜んでいたのなら城内は冥界ばかりか魔界をも勧請していたのやも…それならあの物量、群魔の大群もわかる…」


「サルマン王の言うことは分かるが、しかし魔王というのは、そんなことが可能なのか?我々はそのようなバケモノ共と戦って…この百國連合が全滅するなどとは、ここに至るまで誰も思いもよらなんだろうに。我がマルガリッヒ王国軍は四散してしまったぞ。私のカスティーヨ近衛師団は全滅だ。あれだけの群魔を魔界とやらから召喚したのか、なんなのか解せんが…怪しからん。賢者殿の進言通り、魔物が溢れる仕掛けだという門扉をいくつも破壊したが、結局は元どおりだ。我々人間に打つ手はない。最初から、魔王などと、人知を超えた魔神の眷属を相手にすること事態無理だったのだよ」


「情けないとを申すなコラルド公。この大きな流れに待ったをかけられるものでもなかっただろ。それに、この掃討戦は各国重鎮の肝煎で企てられてようやく実現した作戦だ。百國諸侯が手を組むなどと戦前は考えられないことだった」


「━━何が言いたいのですかな?べネック猊下」


「この後に及んでとぼける事もなかろう。我々のような教義教団の権威、そなたら血族や神裔の権限、そして派閥を超えた結社組合の権利、これら3権の秘匿する預言書・神託書・予定書の事だよ。つまりこの流れは当然、眷属神達の息がかかっているということだ。まあ、それらを突き合わせて見比べるなどとは出来ないことだが…」


「「「「「「「「━━━━━━━━」」」」」」」」




 広間に詰めかけている諸侯達に一瞬の沈黙が落ちた。

 自分たちの普段頼りにしている眷属達との契約、密約。それらを抱えていないものはこの場に1人もいない。法王べネックの言及した預言・神託・予定の秘蹟は各組織の奉ずる諸神の眷属神達からもたらされる秘事であり、外部に漏らしてはならない組織の秘密である。


 そのいわば未来を記した未達の事歴に、この魔王戦や今後の経過が書かれていることを知る者は各組織の内一握りの極少数。3権の奇書のどの流れに添った事態となっているのか、知っている者はいるはずなのだ。

 或いはどの未来でもないのだとしても、それもまた諸神と眷属神達の筋書き通りに世界は動いているだろう。なにしろこの世界はあまりにも多くの神々がおり、それらを奉じて頼りとする別々の組織や人種が多い。どの神界の牽引する未来となるかは誰にも分からなかった。


 ただ、決まっている未来が無数にあり、そのどれかに人々は道筋をつけていくのだとしたら、何もかも諦めてしまっては本当にそれまでだ。何か最も人々が希望を持てる未来がまだあるはずなのである。


 ━━━という具合に、大陸の人類種達にとって最も価値ある資源”魔石”の話はいつの間にか戦況の話題にすり変わっており、これを良しとした諸侯は流れに乗るべくもっともらしい追従に終始した。




「猊下。この状況でまだ勝算があると申されますか?」


「何をもって勝利とするかによるがな。そうだろう、ジャックウェロー会会長殿」


「え?えと、ど、どうなの?ヒスチェルド会総長殿…」


「!?っ…あー、…猊下のお考えとは違うが、既に西軍に出された援軍要請の出所やタイミングの経緯を鑑みると、各国省庁や行政委員会などの首脳はこの戦況を見越していた可能性はある。その範疇と考えると、まだ反転攻勢の余地はあるのだ。魔王を討ち果たした西軍がそのままこちらに来れば━━━」


「━━挟撃か」


「…挟撃ぃ…?西国から援軍に来れるのか?この地平まで群魔に満ちた魔海の中を?あの岸壁の城の魔王戦を戦って疲弊した西軍が??」


「援軍などと…!もう大陸から退散した方がいい。こちらに援軍などこさせず1人でも多く海外へ生き延びてもらわねば」


「いや、しかしそれも、あの大陸中央山脈からうまく撤退できるかどうか…通常でも行軍には不向きな悪路であろうに」


「逃げるなら早い方がいい。巫女に降りた託宣の布告通りになるのであれば、もう全土から退避せねばいつ大陸凍結が始まるともしれぬ。…33氏族会、八角重工、アジュビジュバン家の一族はとうに海を渡ったぞ。」


「逃げろ逃げろって、本当にこの国を、大陸を捨てて海を渡るんですか!?私たちの世界を捨てて!?」

「家族や仲間を殺されて、街も野山も川も海も魔族に奪われて逃げるなんて…そんなことできない!!」

「逃げて、海を渡った先でどうするんです?みんなで奴隷にでもなるんですか?大陸全土の生き残り…何千万もの難民がそれぞれどこへ向かうって言うんです!?」



 

 諸侯の心のうちは一様ではない。逃げるのも易くはないのだ。

 すでに大陸全土の人民が故地を捨ててあらゆる手段で海外への脱出を試みているが、海路では海賊と魔獣に、空路でも空賊と魔獣に襲撃されて阿鼻叫喚の地獄絵図となっている。

 それらはすでに海外諸国が難民を阻まんと企てた偽装賊軍である事は疑いようも無い。事態はもはや事実上の大陸文明崩壊であり、大陸中の人類種が海外へ逃げ出すというとんでもない規模の民族大移動から星の地表に伝播した世界大戦にまで発展しつつあった。


 彼らが避難先に文明国を目指すとすれば、それほどの膨大な難民を歓迎できるだけの余地など何処の国にも有りはしないだろう。魔王戦から逃れたはいいが、移住先の土地では土着民達との戦争になる懸念が濃厚である。

 未開拓の土地へ行き着いたとしても、そこの自然環境にすんなり生活基盤を築けるかどうかは一か八かであった。食糧難や病気で多くの難民が死に絶えることは想像に難くない。

 

 それに、彼ら人類種達は今の状況を未だ受け入れられないでいる。

 ほんの3日前までこの広大なパングラストラスヘリア大陸は人間や獣人やエルフといった人類種達の天下だった。

 魔族や魔王との戦いは大陸有史以来続いているが、彼ら人類種は代々魔王戦を勝ち抜いて大陸全土を人類種の文明で支配し、今や人類種同士の種族間や国家間の戦争の方が忙しかったくらいだ。


 それが、たった3日で魔族達に大陸文明を奪われてしまうなんて誰も想像すらできないだろう。

 この魔王戦主戦場から遠く離れた戦線配置である東方連合軍は言わば2軍とはいえ兵員は莫大であった。戦士、騎士、勇者、賢者、魔女、将軍、大魔導士。人類種に加勢する諸神の眷属神や眷属達。この大陸諸国にひしめく戦争と殺し合いの豪傑達が総力をあげて魔王戦に参戦しているというのに負けるはずがないのだ。


 劣勢極まる現状、この東軍の残存戦力は帝都を守る僅か4万足らず。以前ならば神徳の加護で国体を支えてきた国柱眷属神達の助力も無くては個々の兵員の戦闘力増強にも期待できず、帝都郊外を囲む防壁の外に満ちた群魔の海を切り分けて樹海の奥の廃城へ討ち入るにはかなり無理がある。


 しかし、西国の主戦場にこそは魔王を討ち取らんとする名だたる最強無敵の志士が大陸全土からしこたま動員されており、その西軍がこちらに援軍に来てくれれば挽回の機運が一挙に高まることは大いに期待できるだろう。


 問題はその援軍の到着まで東軍の籠城が持つのかどうかというところだが、兵站も兵糧もほぼ尽きた彼らには魔石だけは豊富にある。

 魔石は眷属との契約を経ずに魔法に似た現象を起こせる魔法資源ともいえる結晶石の一種で、火を起こしたり清潔な水が瞬時に手に入る。何なら食料にも転用できるし、病気や怪我の治癒にも使えるのだ。そうして魔石を魔力に用いれば空腹や健康状態などを補填して兵達の心身を保ち戦線を維持することはできるかも知れなかった。


 ただし魔石の過剰な使用には副作用が有るのだが、それは魔石の取り扱いと流通上の理由で一般には秘密にされている。

 その副作用の原因などの事情を知る諸侯においては、返って国民と兵達の心身を損なう結果になるという恐れがあり、それが籠城に用いる資源としては懸念するところである。

 それでも質に拘らなければ魔物を討ち倒して手に入る魔石も多いので調達にも困らず、西軍の増援を待とうと思えば待てるだけの算段は成り立つ。それゆえ敗退退避を否定し、反転攻勢を主張する諸侯も少なくないのだ。




「俺たちは逃げるなんてまっぴらだ。いまさら退却はないでしょう?魔王を討てば済む話じゃないか」


「そうですよ!まだ、まだ勇者達や大魔導師、英雄達は生きている。援軍を待って魔王を討とう!」


「そうは言うが、しかし…」

「いや、確かに、有名な強者の討死の報告は少ない。だがな…」


「ああ。無事な者は多く無いのだ。西軍の強者達のほとんどが満身創痍だと報告が来ている」


「西の勇者隊に随行した高名な大魔導師チャクラなどは魔王の呪いを受けて半死半生の心神喪失状態らしい」


「あのチャクラさんが…」


「「「「「「「「………」」」」」」」」


「英雄といえば…皆さん、忘れてませんか?」


「━━━ん?……英雄……」


「英雄と…いえば…?」




 玉座の間に漂う深刻な空気に投げかけられた問いかけは静かな波紋を呼び、”英雄”の概念に気がついた諸侯から順に顔が上がっていった。

 魔王討伐軍本隊の主戦場に送り込んでいた英傑達の消耗からして、その軍隊全体の残存戦力が援軍として成り立つものか懸念が起こったところだというのに、そこへ差し込まれた非現実的な期待に一同の表情はキョトンとしている。


 だがその非現実を裏打ちした期待の先の”英雄”の概念には真しやかな輪郭があるのだ。敗戦色濃厚、帝国存亡の危機的状況に陥った今こそ脳裏によぎる、最後の希望。いや、━━━━━━伝説が。




「「「「「「「「━━━━━アファンヌ ・リベリオン…」」」」」」」」


「ああ!俺たちがどれだけ負け戦でも、英雄の中の英雄アファンヌ・リベリオンにかかれば魔王が何柱いても風前の灯ですよ!!」


「「「「「「「「……………………」」」」」」」」


「実在するのか!?」

「うそだろ」

「あれは昔からある伝説で…」

「いや、見たという話も聞くじゃないか」

「その…英雄アファンヌが此度の陣触れに応じたと!?」


「「「「「「「「━━━━━━━━」」」」」」」」

「まさか…」

「いや俺は知らんぞ」

「聞いてない」

「我々の所にそんな知らせは来とらん。本当なのか宰相殿?」


「いえ、この東軍本部の名簿にそのような人材は無いですな。私的にも聞いた事がございません」


「━━だが、宰相殿。もし彼がいれば…この状況を覆せるのでは?私は酒の席でエルフから英雄の伝説を聞いた事がある。英雄アファンヌは徒手空拳。襲い来る100万柱の群魔にたった1人で立ち向かい、尽く討ち伏せて去ってゆく超人だとか半神だとかなんとか……」


「いや居ないでしょ」

「伝説というか、昔からある噂話では?」


「でも、政府会で議題に上がったこともあるというぞ。不可解な事件解決の追求が行き詰まると、今でもたまに名前が上がるんだろ?」


「うむ。最近開示された過去の戦争記録にある不明点について話が上がっていたな。50年前に発生したヨクサル半島の海没が実は南北レメゲ王朝紛争で大陸間弾道魔法の爆心地となったためとされているが、実際は魔王戦だったとか、英雄アファンヌが邪神と戦った余波で地盤沈下したとか…」


「あんなのは情報誌が部数稼ぎに創作した虚構だ」


「いや、俺もそういう噂聞いたことあるな。中央軍の極秘裏マニュアルに英雄アファンヌと遭遇した際の対応が大雑把に書かれているとか。…どうなんですか?クラウディア駐在中央幕僚補佐官殿?」


「それは言えません」


「「「「「「「「(ざわ…)」」」」」」」」


「俺の爺さんは中央官庁の刑事だったんだが、英雄アファンヌについて捜索することは昔から禁止だとか古株の刑事から忠告されたと言ってたぞ。…その辺どうなんですか?ユーゲン警視総監?」


「言えません」


「「「「「「「「(ざわ…ざわ…)」」」」」」」」




 一同騒然となった。この東軍に中央軍から派遣されているというか戦況の都合上避難している状態の官僚2人の意味深な黙秘は英雄アファンヌの存在を匂わせるに足る無言の肯定と誰もが思いたくなる拒否の姿勢であった。その居るとも居ないとも取れない短い言葉を溢した男女の表情は全くの無表情であり、全然どっちなのか誰にもわからない。

 これは気になる。玉座の間の諸侯は英雄アファンヌについての話題から離れられるだろうか。




「嘘か本当か、噂だけは聞いたことあるなほんとに…」

「私もそれらしい話は年寄りから聞いたことあるわね」

「俺は子供の頃に絵本で知ったよ」


「いやぁ?英雄アファンヌなんては伝説にすぎんよ。実在するのかどうか分からん者に期待しても詮無い。あんなのは子供騙しのおとぎ話だ」


「絵本のモデルになった伝説だろう?元々はあちこちの少数民族に伝わる伝承から吟遊詩人や作家共が創作した伝説だよ。実はいろんな戯曲や物語の元にもなってる」


「いや、それがな、実は昔から大陸中のギルド組合に英雄アファンヌ捜索願が登録されているんだ。ときどき笑いのネタになってるだろ?」

「あぁあの募集記事の過去帳の隅っこにあるやつなw成功報酬50兆Gとかww」

「あの依頼、一応更新されてんだぜ」

「ほんとかよ…」

「それ俺も気づいて調べたことあるわ。でもギルドの職員の話ではギルド史上一度も見つかったことが無い捜索依頼で、今は形骸化してる依頼書だとか変なこと言ってたな」

「依頼主は?」

「匿名の代理依頼の匿名代理依頼の匿名。長年探りを入れて聞き出したんだが、ギルド側も依頼主の根っこを把握できない状態らしい」

「「「「「「「「……」」」」」」」」


「なんだそりゃ」

「つまり、存在しないって事だろ?」


「うむ…現に、今日までの魔王戦で英雄アファンヌの出現報告は無い」


「ほらな。そりゃあ〜これだけ大陸中が滅びかけてるのに現れないんだから居ないんだろうよ」


「「「「「「「「……………………」」」」」」」」




 確かに最後の存在否定は説得力があって、英雄の話題にめちゃくちゃ騒ついた玉座の間は沈として静かになった。

 だが英雄アファンヌの存在は彼ら大陸の人類社会に昔から居るとも居ないともされつつも消えずにあり、不確かながらも人々の共有する英雄像である。


 その実在となると「誰それから英雄アファンヌを見たと聞いた」という噂ばかりは誰もがちょっと聞いた事があるが実際に見たことのある者はおらず、ましてやその戦う姿を自身の目で見た者などいない。

 それはやはり、おかしな英雄像の擬人化された虚像に過ぎないのだろうか。


 谷底に現れた八面六臂の怪物がある日を境にパッタリ消えれば━━━━━英雄、アファンヌ・リベリオンの御技である。

 村を襲った魔物の大群が突如として退散すれば━━━━━英雄、アファンヌ・リベリオンの御技である。

 邪悪な組織の潜むと噂の建物が突如として大爆発すれば━━━━━英雄、アファンヌ・リベリオンの御技である。

 魔族に拉致され消えた街中の子供達が無事に帰ってくれば━━━━━英雄、アファンヌ・リベリオンの御技である。

 討ち入った魔王城の玉座に魔王が頓死していれば━━━━━英雄、アファンヌ・リベリオンの御技である。

 遥か高空になんか変なものが浮いていれば━━━━━英雄、アファンヌ・リベリオンの御技である。 


 彼らの社会で時折発生する不可解な事件や事故の迷宮入りは大抵アファンヌの仕業でオチがつく。

 だがその、ごく稀に人類社会に一瞬だけ吹いては消える英雄アファンヌの噂は人々の記憶が忘れるとも消えさらず、英雄様は本当は何処かに居るんじゃないかしらと思わせてしまう奇妙な存在感がその概念にはあった。

 その存在を信じないと公言する者がいる一方で、内心では信じている者もいるのだ。




「━━━そうです。英雄アファンヌは遅れて現れる英雄の中の英雄…それ故、その戦う姿を見たものは少なく、証言も僅かな記録しかない。いつの時代から存在して、今どこで何をしているのか分からず、本当にこの大陸に存在するのかどうかすら━━━」


「いやいや、皆様方。それは色々な見解をお持ちでしょうがな、それがしは英雄殿を見たことがあり申す。20年ほど前の若かりし頃、エドナの街のイブヤ駅で鼻紙を配っているのを見かけましたぞ。あれはおそらく…」


「「「「「「「「……?」」」」」」」」


「━━━そうですよ、英雄殿は実在します。私も数年前に見ました。ヤメリアの国のヨーク3番外街の路地にある売店で店番しているところをお見かけしたことがありましてよ。あのお方こそ…」


「おお、僕も見かけた事がある。あれはいつだったか、3年くらい前かな。確かネシヤン半島での夜更、フィリッピの港街の歓楽街で広告を持って立っていた。たぶんあの方が…」


「あっあの、私も!ついこの間のことなんですけど、荷物を受け取りに玄関に出たら、あの、郵便物を持って立っておられました!あの人はきっと…」


「「「「「「「「…………??」」」」」」」」

「なにを…」

「…それが英雄殿だと言う確証は?英雄殿の姿を見たことのある者など殆ど居ないのだぞ」


「いやぁ、それが、英雄アファンヌ殿は人間族なれど、常ならぬ時は姿を変身される超人と言いますでしょう?それがあの時なぜか、その超人のお姿のままで一般人に紛れておられて…噂に違わぬ異様な外見でしたから一目で分かり申した。あのお姿は、どういえばいいのか…」


「私もです。なぜ変身なさっていたのか分かりませんでしたが、絵本で見たのと同じで不思議なお姿でした。どう言えばいいんでしょう、背丈は人族の成人男性くらいでスラッとしてて…全身黒くて堅そうな…鋼…?全身が鎧で出来てる?みたいな質感?っていうか…”もしかしてアファンヌ様?”ってお声かけしたら握手してくださいましたよ」


「えっ僕は無視されましたね…。見た目は確かに、今聞いた通りです。新聞社のスクープにあった写像の通りですね。お顔は人間離れしてて…なんか目が赤く光って怖かったです…怒ってたんすかね…」


「そ、…そうです。そんな感じのお姿でした。でも、あの、何にもお話ししてくれなくて…無口な方でした」


「「「「「「「「……………………」」」」」」」」


「うそくせ〜」

「フェアリーは黙って」




 嘘くさいというより今の4人の目撃談は何か妙ではないだろうか。異様な姿のやつがいたからってそれが英雄アファンヌと思い至ったのはどういう訳だろう。英雄ともあろうお方が普段は一般人に雇われる労働者として日銭を稼いでいるなんてあり得るんだろうか。

 誰かの何かの役に立っているということならば、それは確かに事の大小にかかわらず英雄━━━なのか?

 

 



「立ってるだけの奴がなんで英雄なんだよ」

「確かに」

「時給いくらで雇われる英雄って…」

「ぐぬぬ」


「ま、英雄アファンヌ物語の絵本なんか読んだことある人は、本の最後に決まって書かれてる言葉を覚えてるだろう。あれが答えだよ…」


「━━━━━あ…」

「おぉ…」

「ふははwそうだったな」

「━━━”英雄は君の心の中にある”と、…ハハw」


「ふっ。ともかく、身命を賭して闘う時は今だ。我々にできることは、このまま籠城して援軍と共に反撃に出るか、それとも全員で海外へ避難する退路を開くか」


「どちらにしても残存戦力をつぎ込む総力戦になるが、その選択の機を伺わねばならぬ。どの時点でどちらを選ぶかのな」


「眷属神達の加護については、宮中祭祀殿の隣に社稷の仮殿を造設しよう。国柱眷属神への祭祀方法は我々には分からぬが、各々の眷属神への祭祀が必要な者は仮殿を使ってくれ。個々の戦力回復を急がねば籠城も立ち行かぬ」




 話はようやく元に戻った。架空の希望とはいえ人々が同じく抱く淡い期待に触れた諸侯の面持ちはやや前を向いて見える。この正念場に奮起する者こそが英雄なのだ。

 闘うか逃げるかの2択。全員の内心は既に抗う方へと向き直っているのだ。それでも弱腰を呈する者は臆病の謗りを免れまい。

 そうして諸侯の話し合いはすでに社稷の再建などと戦闘態勢を整える話へ移って行きつつあるのだが、━━━━━




「━━あの、よろしいですか?」


「む?オッハーラ長官」


「これは本当に”魔王戦”なんでしょうか?…規模が大きすぎるのでは……」


「…今はともかく、攻めるか引くかの死線を決めねばならんのです」


「ええ、ですから、…この流れはすでに、神子や巫女殿の託宣とは縁路えんろが違いませんか…? いや、もしかして教団の預言書や委員会の予定書とも外れているのでは?どうです、各位の知るそれらと合っていますか?」


「「「「「「「「……」」」」」」」」


「東軍本部長官として私はあの廃城の戦線で起きた中央軍派遣部隊の単独行動に疑念を呈せざるを得ません。あの乱戦の中で廃城から運び出されていた石棺などの遺物はなんだったんでしょうね?あれは今どこに?…皇帝自ら親政して前衛に出てきたと思ったら、随伴する中央軍派遣部隊によるあのような乱取り。それに、溢れかえった大量の魔石。これは既に━━━━━」




 パングラストラスヘリア大陸の四方、東西南北の各連合皇軍を統括する皇軍中央軍本部は、その独自の動きを諸侯に向けて特に布告していない。

 それは4皇帝や並居る各国重鎮に指示を出す皇軍中央軍本部の指揮系統が諸国から独立した趣旨で動いていることを示す公然たる秘密であった。


 廃城で中央軍派遣部隊は魔王戦に加わらず、廃城へ突入した部隊の脇から入城して城内の物品を運び出すとさっさと戦線離脱してしまった。書籍や結晶石や彫刻など、あれらの怪しげな品々が何だったのか誰にも分からない。

 現在は中央軍との交信は途絶えて何の指示も支援もなくなった。


 無論このことに各軍長官は思うところがあったが、中央軍本部にある”権限”により秘密裏にされていることに首を突っ込むような者はいない。人外の眷属神達によって担保されているその権限に反意を唱えることは、自らが報じる眷属神達との契約にも反する違約となるからだ。預言書などの秘密の共有も許されず黙るしかない。

 それが東軍参謀本部長官オッハーラから切り出された事で、玉座の間にまた沈黙が生まれた。


 ここにいる者達は誰もが秘密を抱えている。

 諸国の長である王侯貴族は事態の裏の異変に気づいていた。その面々の中にいて平気な顔をしている者達がいることも。




「━━━━━そろそろ、エルフの方で過去の事歴の情報開示をするべき事態ではないのか?中立を気取って自領に引きこもっているばかりが脳ではありますまい。我々のような人間種の持ちうる伝承では魔王戦の全容がわからず太刀打ちならぬではないか」


「ジョカ殿、こちらに期待されても何も出せません。私はエルフのはぐれ者に御座います故…ケルルシュケーさん…」


「ん?チェルシー、こちらに話題を振られても困ります。私はエルフル王の派遣した観戦武官でしかないので…情報の開示とかはちょっと」




 微妙な空気の中で切り出したのは人間であり皇国宰相のジョカ・キュメイである。

 だが、助けを求める人間種にエルフは連れない。ことに本エルフであるエルフル族は同じく大陸魔王戦争の当事者であろうというのに、積極的に支援をするでもなく各地のエルフル族の拠点防衛のために転戦するのみでいる。


 しかし異常な長命を誇るエルフには世界の歴史の生き証人のような側面があり、寿命の短い人間や獣人が残せなかった歴史上の事歴を引き出せれば非常に有用であった。一人が数千年を生きる事もある彼らエルフが魔王戦について何も知らないはずはないのだ。何とかして何事か有益な情報を引き出せないだろうかと諸侯は気を揉んだ。




「いや、それにしても此度の篭城におけるエルフ二人の立ち姿。美しい。まるで戦場に咲く汚れなき群青の花だ」


「まあ!やったわ!どうしましょうチェルシー」


「し…諸侯の面前で、ジョカ殿からこうも口説かれては〜仕方ないですね…!んん゛っ!…では今から、この逸れのエルフが独り言を言います」


「うわ、ちょろ…」


「フェアリーは黙って!」




 宰相ジョカ・キュメイが冗談めかして軽くおだてたものだったが、エルフの女性二人は満更でもなく機嫌が良くなってしまった。

 宰相に口説くほどの気はない。だがこれをエルフの女性は大勢の前で男女として口説かれたと受け取る。そしてそれはエルフの女にとって一つの功名なのである。この辺は文化の違いだろうか。チェルシーの肩に乗るフェアリーが呆れている様子からして、よくあることらしかった。


 とはいえエルフの昔語というのは諸民族の間でも特に珍しく稀趣に富んだ情報に満ちている。

 伝統と禁忌を重んじる生粋のエルフなどは口が固く、特別な局面が訪れない限りは滅多とその秘伝が語られるものではない。

 エルフの口伝は眷属神により筆記の禁忌が呪われており外部に漏れ広まることがほぼなく、その上、エルフの秘伝を知っている者自体が他の人種の中では知識階級の極一部と限られているのだ。


 そういう背景もあり、玉座の間に詰めた貴族達は期せずして世界の秘史にありつける巡り合わせに緊張し、全員が固唾を飲んで聞き耳を立てた。

 だがそれから、逸れのエルフ━━━もとい、エルフの籍にない浪人エルフのチェルシーが漏らしたエルフ伝承魔王戦史の逸話を聞いた諸侯の顔々は微妙に歪んでしまった。断片的にぽろぽろ語られたその昔話はとても信じられない規模の話なのである。大陸列国の多様な民族史に残る歴史書や口伝のどれもにも似つかぬ、誰も聞いたことのない話。


 曰く、700,000年前の時点で今のアガズマ群島の東にあったトロア大陸での魔神以下眷属神33柱の蜂起による地表人類社会工作と眷属間盟約改定━━━━━。

 曰く、魔王9柱ユニット”マキアス”と2000年戦った人類種アスライ10氏族と勇者スザリオを加護する神々と天神キリークの下賜した神書”三界の誘い”━━━━━。

 曰く、星座から降り立った大魔王アモーの人草大量虐殺と星座に坐した天眷エシュミシュミカーツカの契約━━━━━。

 曰く、惑星フェイトロンの爆破に激怒する魔神フェイトロンの逆襲を返り打つ冥界の魔神スッタカノスフェルピチュキエフのバチバチの星間戦争による人類種の受難━━━━━。

 曰く、半神英雄ギリリアによる魔皇帝ゼ・ゼの月面封殺と人類への呪詛━━━━━そして世界中の火山噴火、地表世界の全面凍結、当の大陸は地殻変動による地表の隆起や陥没に巻き込まれて人類はほぼ滅亡したという。




「参考にならんな…」


「話ぜんぜん関係なくない?」


「チェルシー殿の創作ではないのか…?」


「ひっどーい!」




 チェルシーの後ろで聞いていた諸国の王達から呆れの声が囁かれた。怒って声をあげたチェルシーも、その横にいる本エルフのケルルシュケーも顔を真っ赤にして怒っているのか恥ずかしいのか変な表情で目を白黒させている。たぶんこうして人間に昔話をしても信じてもらえないことがよくあるんだろう。


 チェルシーの語った伝承は彼女の知る昔話のほんの少しの極一部なのだが、エルフのタイムスケールは特に他の人種とは桁違い過ぎて理解を得られない。700,000年前など地形も自然環境も獣の棲息圏も今とは違い、人種の居住も国の版図も異なる。

 だがなにより、神々の名はどれも聴き慣れぬ響きの名号であったことが諸侯にとってある種の期待を外れていた。そのことが彼らにとって一縷の望みであったにもかかわらず━━━━━━━━━━━




「━━━━━━━━━━━」


「━━!…ふむ、しかし今の話が事実だとすれば、魔王が2柱というのは必ずしも……ん?」




 魔王見敵の報告を受けて以来これまで一言もなかった皇帝ギラゼリックの影が御簾の中で立ち上がったのを見て、宰相ジョカは今のエルフの昔語の中に何か得るところがあっただろうかと勘繰った。そして宰相が皇帝ギラゼリックへ所見を述べようとしたとき、すでに全員がその異変に気付いて天井を見上げている。

 皇城の高い天井の暗い一角、小さなステンドクラスの小窓が音もなく開き、虹色の光が玉座を横切った。


 これは空に浮かぶ空島群島に住う真聖魔女ギギギからの伝令にのみ出入りが許されている小窓で、利用されることは滅多にない。だがここから魔女の伝令の者が入城するとき、すなわち意味するところは魔女からの不吉なお知らせでしかなないのだ。


 暗い部屋に差し込んだ虹色の光の溜まった床に、伝令の黒い影はゆっくりと降り立つ。バサバサに広がった箒にまたがる伝令の者は纏った漆黒のローブが焼け焦げてか火花が伝い、煙を上げている。



「━━━カー、カー、かしこみ畏み、申し上げます。天地あめつちに憂いなしとて、今日という日は絶好のお散歩日和。ご機嫌麗しゅう皇帝陛下。烏はクロエよりのご挨拶です。さて、これなるは真正魔女ギギギからの伝令にて、謹んで捧げ奉ります」



 魔女のお使いは御簾の向こうの皇帝にかしずくと、鳴くような頼りない小声でこそこそと短い口上を述べ、ぴょこぴょこと烏が跳ねるようにして歩き、玉座の隅に誂えてある小さな机に近づくと、黒手袋の細腕をうんと伸ばしてそっと伝書を置いた。机は厳重な柵で囲われた重厚な石造りの壇机だんたくで、そこは魔女の使い魔と皇帝しか触れることが許されない。


 この間、誰もその伝者の方をまともに見ず、声をかける者もなかった。魔女の使いは人外の眷属にならんとする修験者であり、それを知る者達にとっては直視してはならない暗黙の了解があるのだ。

 だが魔女の使い魔が踵を返して去ろうとするところへ声をかける者がある。



「━━しばし、待て」


「━━━━━━ぁ…」


「筆をもて。それと、例の物を…」



 皇帝ギラゼリックのうら若い声が優しげに使い魔の撤収を制した。困惑する使い魔が畏っていると、皇帝は近侍の者に命じて少しの手荷物を持ってこさせ、その場で筆をとってさらさらと一筆書き上げた。

 伝令の書面も見ずに返信という訳でもないだろうに、どういうことなのか周りの者達には分からない。



「朕の選別である。これと、これを…ギギギに。それと、これは烏の君に」


「ぁ、ぁ…陛下……━━━━━━」


「━━━烏が泣くな、三本足が遠のくぞ。…長々(ながなが)よく仕えた。大儀である。クロエ、下がってよい」



 烏が泣いている。それはその場の誰が見てもわかった。人外の眷族であろうとする眷族見習いの契約魔女は烏故に泣いてはならない。眷族は慣例通りに左・右・左と被りを振って左右を見回し、その眼からボロボロ溢れる涙をたくさんの三つ編みで拭うと、箒に跨ってゆっくりと上昇して、元来た天井の小窓をくぐって赤黒く輝く空へと登って行った。何度も何度も振り返りながら。


 皇帝自らが手ずから選別を下賜するなど異例のことであった。

 これらの様子ははまたしても衆人達には意味の解らぬやりとりだったが、しかしある部分では察しがついた。それだけに黙っている諸侯ばかりではない。



「陛下、我々はまだ━━━━━」


「お控えくださいオズマ獣王!陛下が書面をご覧で…━━━━━━━━」



 進み出て声を上げようとする諸侯の一人と、それを制止する丞相が息を飲んで言葉をやめた。

 皇帝ギラゼリックが御簾から歩み出て姿をあらわにしたのだ。それは何か重大な発言をする兆しだった。


 ギラゼリックのしなやかな細身の体に誂えた甲冑は傷だらけである。軍魔包囲戦に親征して前線に布陣したが魔王軍の猛反撃に遭い這々の体で撤退したのは文字通り命辛々だった。

 まだうっすらと産毛がわかるほどに若い顔立ちだが、結い上げた豊かな黒髪が黒獅子のようで気品と威風をたたえている。ただ眼差しだけが、夕暮れに伸びる影のように暗く将来を見据えていた。



「皆、よく集まった。一刻の猶予もない故、ただ聴くことを望む。━━━そこもと達の忠義に頼んで、これまで帝国は八千代やちよ弥栄いやさかを守られ、民宝たみたからは朝夕のみぎりを営み、天つ神、国つ神はよく祀られた。万世世々(ばんせいせせ)に寿ことほぐ忠義である」



 そうして皇帝ギラゼリック568世が告げる前置を諸侯は黙って聞いていた。

 ここにいる皇帝以下の諸侯は東方各国各種族の王侯貴族や将軍といった軍閥、多くの眷属神を祀る各宗派や政財界の重鎮から派遣された後見人など事情通ばかりである。戦時下という情報戦の活発な最中でこの状況の流れを知らない上流階級の者はいなかった。その上で、実のところそれぞれの内状により今後の方針は出ており、その作戦は半ば進捗している。それなのに、彼らがわざわざ守りを固めた皇城に集まったのは、一縷の希望に縋る思いだった。勝利で終わるはずだった魔王戦の不可解な継続を封殺する神勅を、天子たる皇帝から得られるはずだと。


 だが、その希望は今の魔女の使い魔の登城で霧散した。皇帝に支える百國百王、直参36王の奉ずる主要な36眷属神のうち最初に現れたのがあの真正魔女ギギギの眷属だったからだ。

 その伝令の内容を知らずとも、もはや諸神の加護は得られず反撃の勝算はない。



「━━━━━パングラストラスヘリア大陸四皇帝の奉ずる神司の神勅を受け、ここに大陸東方南朝皇国ジュメリィルの解散を命じる。皆々、各々の工夫で海を渡って生き延びよ。各位に人質の返還、神器の開放、及び、朕の形代を割譲下賜する故、遠国、後の世において結束の印に用いるがよい。━━━賢者アマト!」


「ハッ、アマトはこれに。陛下、お時間です。よろしいですか?」


「是非もない。では皆の衆、久遠くおんにてまみえよう」






▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽






 実のところだな、彼ら大陸に住う人草達には一刻の猶予もない。急いでこの大陸の外へ避難せねば、おそらくは7日と待たず全国民が死滅してしまうのだ。魔王が勧請するこの星の極点はすぐさま大陸を覆う厚さ5000m前後の氷棚へと変えてしまうだろう。

 もっとも、すぐさま大陸から出てゆこうにも一筋縄にはいかないことは彼らも把握しておる通りだ。

 大規模な難民の発生による侵略戦争を危惧した海外諸国政府軍の手先により海路も空路も封鎖されており、魔王戦開戦時から渡海退避を試みておった皇国左派や財閥系私設軍隊などが退路を阻まれて壊滅しておる。地底路という秘密のルートもあるが、そこは冥府の者共が通行人を諦観するとは限らない。


 それでも帝国が総力を上げて渡海を挑めばなんとかなるだろうが、問題はその後である。

 彼らは茫漠な難民となって海外諸大陸に散らばるが、各国各地で待ち受けるのはその移民の際の戦争と飢餓と病気の蔓延だ。多くの命が潰えて星の地表人類を混ぜっ返す歴史の明滅が起こるだろう。

 舞台裏の眷属達にとっては今後の企画進行の趨勢を決める大きな節目というわけだ。

 滅びゆく種族、ながらえる種族、それら人類種配置の大まかな全容は裏宇宙の企画で決まっておるが、実際は施工の段階で企画媒体が滅ぶなど変動があって面白く明暗が分かれるので見ものである。


 彼ら難民が無難に移住できる大地がないわけではない。この凍結する大陸の代わりに解凍された大陸や島々が遥かに離れた南北にあるのだが、彼らはその視点の低さ故に気づいておらぬだけなのだ。

 もっともその再起動した新大陸でも陣取り合戦に明け暮れることになろうが。


 さて、彼らの想定外についてだが、これは無理もない。彼ら人草の寿命は50~60年とそう長くはないのだから。魔法を駆使して人草の構成要素をいい塩梅に調節し続けても300年〜1000年がほぼ限界だろう。魔王が表に顔を出すのはおよそ100~300年に一度、大陸のどこかで現れる程度。

 彼らが魔王戦だと思っている戦争の半分は単なる人間戦争だし、彼らが人間戦争だと思っていた戦争の2割は魔王戦だったりする。彼らの都合上魔王戦の事実を公表せぬ場合もあるし、後になって魔王戦だったと判明する場合もあるのだ。


 そういう訳でだな、過去の魔王戦を正確に知っている人間種が生き残っていない場合がほとんどだろう。全容を把握している人草など1人もおるまい。

 活動を休止しておる魔王などは離島に幽閉されておったりするが、公の歴史からは隠されておる。この星に現場で8つある諸大陸では常にどこかで魔王が出没しておるが、海外の事情までは一部の異常な情報通以外に知るべくも無く、知っていても酷く遠い対岸の火事であり、まさか自分たちにまで魔王戦の火の粉が飛んでくるとは思っておらんのだ。


 しかし実際、このパングラストラスヘリアと今の人草達が命名しておる大陸の魔王戦における舞台裏には、魔王は2柱どころか15柱潜伏しておる。パッとみて分かる範囲だけでな。その上、現場におらん大魔王ポッポロが全体を主宰しておる。掌の上で弄ばれる人草達には知る由もないがな。


 それからな、人草のまれびと達よ。無論のことだが、表宇宙を転生して生きる人草には記憶の引き継ぎは無いのだ。衛星達がそれを抜け目なく監督しておる。だから魔王戦について過去の事歴を参考にするのは、なかなか人草達には難しいことになっているのだ。

 そもそも、魔法や魔王戦という企画自体が盛大なマッチポンプというわけなのだが、それは追々わかるだろう。彼らの目的のための遊戯であり、大したことでは無い。


 というわけでだな、地球と呼ばれる星から覗き見ておる人草の賓達よ。このレコードは先日この星に遷移してきた人草の個体が二度目の死を迎えたのちに星の記憶の界域をうろついておるのをブブゼラスであるこの儂が閲覧した記録である。そこから眷属達の媒体たる皇国の人草達がお別れ会を開いているところを紹介してみたのだ。特に意味はない。



 ああアファンヌついてだが、教えておこう。

 あれは人草の中からその人類の命運を憂いて怒りに燃えるあまり人間であることを捨てた1人の哀しき人草の青年、アファンヌ・リベリオン ・エイヤーに星の精霊が干渉したものだ。

 アファンヌは眷属や眷属の受肉である魔族共の共謀に邪神が干渉して星と人類の営みを混ぜっ返すことを許さない。星の運営規約に反するような偏向干渉で入植してくる卑劣な奴柄が現れれば必ず鉄槌を下しにやってくる。ある種のセーフティというやつだな。


 それで彼はこの魔王戦の最中に大陸中を右往左往しつつ登場の機会を窺っていたのだが、結局は大陸凍結開始直後になって廃城に現れると、どういうタイミングか、ちょうどそこへ門から出て来るところだった魔王ベニベニ・シャンカラを”エイヤー・パンチ”なる必殺の右ストレートで撲殺した。

 魔王ベニベニはその役目ゆえにアファンヌの登場を心待ちに待っていたのだが、彼にとって残念なことに、おそらくその姿を目視できていまい。扉越しに殴られた上に衝撃で頭部が消滅したのだ。


 これは常ならばアファンヌは自らの姿をあえて魔王などの目に焼き付くように目の前に立ちはだかって見せることから考えて異例なことだった。急いでいたのか、気分によるものか、英雄アファンヌの考えは儂にもよくわからん。アファンヌについて語ると長くなるからこの辺にしておこう。


 ただ、一つ言っておかなければならないことがある。

 「英雄は遅れて現れる」とは一見都合の良い解釈に聞こえるが、毎回がそうであるように今回もまた遅れに遅れて現れたアファンヌにとっては止むを得ない事情があるのだ。

 それは英雄の力と出現条件を満たす命のトリガーであり、誰にも理解されないだろうが、彼は星と人類の味方なのである。


この読切短編は本編の幕間の挿話です


<――魔王を倒してサヨウナラ――>

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よろしかったらどぞ〜

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