第10話 残されたもの
「大丈夫か?」
「ええ……少し頭が痛いだけだから」
翌朝、私は布団を被ったままモートンと会話をした。
泣き腫らした顔を見せる訳にいかなかった。
「なるべく早く帰るから。いってくる」
「いってらっしゃい…」
モートンは布団の上から私を抱きしめて部屋を出て行った。
…モートン、いつも通りだった。
昨夜、お義父様とお義母様とあなたの三人が話していた事を、私が聞いてたなんて思いもしないでしょうね。
あなたがベッドに戻ってきてからも、私が眠れない夜を過ごしたなんて思いもしないでしょうね。
「今日、お話があるのかしら…」
私は仰向けになり、胸元で両手を組んだ。
まるで死刑執行を待つ罪人のような心境だった。
◇◇◇◇
「父から君に話があるんだ。その事で本当は今朝話したかったのだけど…。リサーリア、ひとつだけお願いだ。僕の事を信じて欲しい…。あとできちんと説明するから」
今朝言った通り、モートンは早く帰宅した。
そして帰ってくる早々、こんな事を言い出した。
タラを愛妾にする話でしょ? 分かっているわ。
あなたは即了承していたわよね。
それで何を信じろというの?
どんな言い訳をするつもり?
モートンが話せば話すほど、自分の心が冷えていくのを感じていた。
「…わかったわ」
私は言いたい事を呑み込んで、静かに微笑みながら答えた。
応接室に行くと、お義父様、お義母様そして…タラが待っていた。
「皆、集まったな。さっそくだが、タラをモートンの愛妾にする。結婚して一年経っても妊娠の兆候がないのだから仕方あるまい」
お義父様は威圧的にそうお話をされた。
「リサーリア、あなたも納得してくれるわよね?」
お義母様からも無言の圧を感じた。
だから私はこう答えるしかなかった。
「…はい」
タラは私の方を見ながらニヤニヤ笑い、モートンはただ黙って立っていた。
私の人生を変える話は、ものの数十秒で終わった。
「モートンは残れ。リサーリアとタラは行きなさい。」
「「失礼致します」」
なんでこういう時に二人一緒に部屋から出すかしら、お義父様。
案の定部屋を出た途端、タラが得意気に私に話しかけてきた。
「安心して下さい、奥様。私がモートン様の息子を産みますから。ですから奥様はもう無駄な努力をされなくて結構ですよ。よろしければご実家にお帰りになられたら? ふふふ」
癇に障る笑い方。タラは人を不愉快にさせる天才ね。その才能だけは認めてあげるわ。
「侍女から愛妾に昇格おめでとう。せいぜい豚のようにたくさん子供を産めばいいわ。お義父様もお義母様もさぞお喜びになるでしょうね」
「なっ! 豚ですってっ!!」
憤慨するタラに構わず、話し続ける私。
「けれど、決して正妻にはなれないわ。爵位を重んじるお義父様が自分の家格より低い男爵家のあなたを息子の正妻に迎えるはずがないじゃない。たとえ、私がいなくなったとしても、別の上位貴族の令嬢を迎えるだけ。たかが男爵令嬢のあなたは一生愛妾の人生を送るしかないのよ。それがあなたにはお似合いよ」
わなわなと震えるタラの顔を見て、少しは溜飲が下がる思いがした。
私はさっさとその場を離れ、自分の部屋に向かった。
そして、モートンがいない午前中にしたためた手紙を机の上に置き、急いで部屋を後にした。
『モートンへ
この手紙を読む頃には、私はもういないでしょう
美しい夕日を見ながら、あなたの元から消えて差し上げます
跡継ぎを産めなくてごめんなさい
けれど、これからはタラがあなたの跡継ぎを産んでくれるでしょう
どうか愛妾とお幸せに
さようなら
リサーリア』
◇◇◇◇
足元は断崖絶壁。岩肌に打ち付けられる波音が轟く。
「この夕日を見に、よく二人でここに来たわよね。モートン」
私は切岸にひとり立ち、目の前に広がる海と沈みゆく夕日を眺めていた。
来る度に、このオレンジ色に染まった海の美しさに見惚れていた。
「…でも今日は、真っ赤な血の海のようね…」
私は徐に履いていた靴を脱ぎ、揃えた。
「あなたがプレゼントしてくれたこの靴、とても気に入っていたわ。あなたの瞳と同じ紫色の石が散りばめられていて、とてもきれいなんだもの。けど…もう…いらないわ…」
靴を見ながら一筋の涙が零れ落ちた。
「さようなら…モートン…」
別れの言葉の後に残されたのは、紫色の石が輝く靴と波の音だけだった…




