愚か者
魔王が誕生してからと言うもの世界は少しずつ闇に浸食されていた。それから数年が経ち、空は厚い雲で覆われ、陽が差す場所と時間は僅かになっている。
アダムの残した二人の子のうち、兄カインは農耕に精をだし糧を得ていたが、少なくなった日差しにより思うような収穫が得られなくなっていた。方や弟アベルは羊を飼い、育て、そこから肉と言う糧を得ていた。
以前よりも収穫が減っていることを気に病むカインは、地べたを這いずり土にまみれて働いている自分よりも、羊と戯れているだけのアベルが多くの糧を得ていることを羨むのだった。
ある夜カインとアベルは、いつものように神への供物を捧げに山頂へやってきていた。カインは痩せた大地から得たわずかな麦からわずかの捧げものを、アベルは丸々と太った子羊をその場で捧げた。
それを見たカインは、自分も羊飼いであったならアベルのような供物を捧げることができたはずだと思い込み、嫉妬し、その生き方を与えた父アダムと神を恨んだ。
『カイン、そしてアベルよ、汝らの捧ぐ供物を受け取ろう。しかしこの麦は受け取れない、そのまま風化させ大地へばら撒くが良い』
カインの感情はこの時、嫉妬から憎悪に変わった。
あの夜から数日が経ったある日、カインは自分の畑へ羊を一頭連れて行った。お腹を空かせていた羊は喜んで麦を食べ始める。そこへ迷子の羊を探しにアベルがやってきたのだ。
「ああ、大変だ、兄さんの畑で僕の羊が麦を食べている。早く連れ帰らなければ、そして兄さんへ謝罪をしなければならないだろう」
「弟よ、これは一体どういうことなのか。なぜお前の羊は私の大切な麦を食べているのだろうか。私の麦は、決してお前の羊を食べたりしないと言うのに」
「兄さん、あなたの言う通りです。なんでも言うことを聞きますからお許しください」
カインはにやりと笑いアベルへ告げた。
「すでに過ぎたことは赦されはしない。それは我らの父も良く知っていることだ」
そう言った直後、カインはアベルの胸へ剣を突き刺し、その命を奪った。人類史上初めての殺人である。
「魔王様、またまた愉快なことが起こりましたよ。なんとアダムの息子カインが、自分の弟アベルを刺殺したのです」
「ほう、それは滑稽な。アダムをあれほど恨み、今すぐ八つ裂きにしたい程にルルを憎んでいる私でさえ誰も殺していない。それなのに、神のもとで正しく生きてきた者たちが身内を殺すなんてな。本当の愚者とはやつらのことを指すのだろう」
「生き残ったカインは、せっかくもらった肥沃な土地も追われるでしょう。なんせ我らの魔王とは違い、神には慈悲の心がありませんから」
「ふはははは、ざまぁないな。何も知らずなにも考えず、ただ怠惰に暮らすものが正しいのか。楽園を出て土にまみれて生きることが偉いのか。結局どれもが正しくも偉くもなく、そして永遠でもない」
「左様でございます。本当の救い、本当の慈悲、本当の楽園はここにございます。すなわち、魔王様こそこの世をすべてを手に入れ治めるべきお方で間違いありません」
不敵に笑う蛇と魔王となったイヴは、滑稽な現実をあざ笑うかのように高笑いをしていた。