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あの世の手前のティールーム  作者: 天西 照実
7/20

品位

 翡翠色の肌をした小鬼、角無し鬼は、にこにこと笑みを湛えながら女性の話を聞いていた。

「もう、恥ずかしいわ。私がお店の窓に張り付いていたの、ずーっと見られていたのね。恥ずかしいわぁ。デザートビュッフェのお店だったのよ」

 四十歳手前ほどの、品の良い女性だ。頬に手を当て、

「だって私、死んだでしょう? だからね、誰にも見られていないと思ってたのよ」

 と、苦笑している。

「悪気があって見ていたのではないんですよ。ただ、デザートビュッフェのお店がどのような場所なのか、逝き先案内人の彼にはわからなかったようで」

「あぁ、さっきの灰色の人? 案内人さんだったのね」

「はい。デザートビュッフェのお店って、デザートだけじゃなくてサンドイッチなんかもあるんですよね」

「そうね。ティータイムだけじゃなくて、ランチにも良いわ」

「こんな感じですか?」

 と、黒テーブルに目を向けると、デザートビュッフェの一角のようなデザートたちが現れていた。赤い花柄のティーセットも用意されている。

「まぁ、甘いものが沢山!」

 と、女性は目を丸くしている。

「良い香り。素敵なティーセットね」

「ありがとうございます。紅茶はセイロンティーにしてみました」

 沢山のデザートを乗せた三階建てのプレートスタンド。大きな飾り皿に、きれいに刻まれたフルーツの盛り合わせ。銀の大きなトレーにも、様々なパフェやゼリーのグラスが並べられている。

 ティーセットを見詰めながら、なかなか手を付けない女性に角無し鬼が、

「先日、人界の雑学について書かれた情報誌で、美味しそうなクロワッサンサンドを見たんです」

「じんかい?」

「この世と呼ばれる、あなた方人間が住む世界です。僕たち鬼の世界では珍しい事が多いので、人界の雑学って好きなんです」

「なんだか、鬼さんも鬼さんの世界で普通に生活をしているものなのね」

「はい。そのクロワッサンサンドがどうしても食べてみたくて、同じ物を用意してみたんです。雑誌に紹介されていたセットをそのまま用意したので仰々しいですが、あなたがかしこまってしまう必要はないんです」

 大きなプレートスタンドの一番下のプレートに、クロワッサンサンドがふたつとフルーツのデニッシュが数種類ならんでいた。その上のプレートにはスコーンと数種類のマフィン、一番上のプレートにはクリームやチョコレートたっぷりのケーキが並んでいる。

 トングでクロワッサンサンドを掴み、角無し鬼は自分の取り皿に乗せた。

「でも、僕は食事が必要無い鬼なので、これだけで良いんです。のこりは、召し上がってしまって下さい」

「……こんなに?」

「甘いもの、お好きでしょう?」

 角無し鬼はにっこりと笑みを見せる。

「でも、こんなに沢山は――」

「あなたはすでに幽霊ですから、いくら食べても太りませんし誰も見ていません。残すのももったいないですから、食べられるだけ食べてしまって下さい」

 角無し鬼は女性の傍へ立って行き、ティーポットを置いた。

「紅茶もお好きなだけ。僕は、隣りの部屋に居ますから」

 そう言って、角無し鬼はクロワッサンサンドをひとつ乗せた皿と自分のティーカップを持った。

「何かあったら呼んで下さい」

 もう一度にっこり笑って、角無し鬼は横壁に現れた扉から隣の部屋に入った。

 両手の塞がった角無し鬼が手も使わずに扉を開けた事は気にせず、女性はデザートたちを見詰めて唾を飲み込んだ。

 トングを手に取り、クロワッサンサンドを取り皿に運んだ。


 ナプキンを口元にあてながら、

「最後だからと思って、全部食べてしまったわ」

 と、女性は目をキラキラさせたまま言った。

 隣の部屋から角無し鬼が戻ると、黒テーブルには何が乗っていたか思い出せないほどきれいになった白いお皿が並んでいた。それもすぐに消えてしまい、現在は赤い花柄のティーセットに新しい紅茶が満たされている。

「このお部屋は落ち付くわ。安心して食べられちゃった」

「狭い部屋ですから」

「でも、圧迫感も窮屈な感じもしないのね。自分しかいないって思えたから、手掴みもしてしまったわ」

 と、女性はフフッと笑った。

「壁の向こうから私が食べてるのを見て、笑ったりしてないわよね」

「壁の向こうなんて見えませんよ。クロワッサンサンドを食べてから、ずっと居眠りしてました」

 と、角無し鬼は答えた。

「あら。お昼寝には良い時間だわ」

「はい」

 窓も時計も無い懺悔室だが、彼女の中では心地良い昼下がりを感じているのかも知れない。

「主人と結婚したばかりの頃にね、好きなだけ食べたら良いって言ってくれたから、本当に好きなだけケーキを買って帰って食べた事があるの。そうしたら、やっぱり主人に白い目で見られちゃってね」

「おや、好きなだけって言ったのに」

「そうなのよ。今でもはっきり覚えているわ。あの時、別に良いけどデブるのは勘弁してくれよって言ったのよ。なんかね、汚いものでも見るような顔だったわ。自重すべきだったなって後悔したの」

「食べる量を自重するより、他の人が驚くほど加減なく食べてしまうという行動を自重したかったんですね」

 角無し鬼が言うと、女性はゆっくりと頷き、

「ええ、そう。恥ずかしいもの。決して品が良いとは言わないでしょ」

 と、言った。

「大量になってしまうと、そうかも知れませんね」

「割と良い家柄に育ってね。主人もそのつもりで私と結婚したから当然なのよ。私も恵まれた生活が出来たと思っているの。品が良いって言われるのは嬉しかったし、清楚に振舞っていたわ。でも、食べたいものも食べられないし、上品でいなくちゃいけないし、とても窮屈だったわ」

 そう話し、女性はティーカップを口へ運んだ。

「私が甘いものを思い切り食べたかったの、知っていたのね」

「はい」

「嬉しかったわ。こんなに満足できたの、産まれて初めてかもしれない。死んでしまった後だけどね」

「喜んで頂けて良かったです」

 笑顔で角無し鬼が答えると、女性は、

「ここは天国なの?」

 と、聞いた。

「違いますよ。ここは心残りを祓うティールームです」

「そうだったの。でも、私には天国のようだわ」

「良かった」

「本当に嬉しい。どうもありがとう」

「どういたしまして」

 大切そうに紅茶を飲み干し、女性は一息つくと、

「お会計は?」

 と、聞いてフフッと笑った。

「必要ありません」

「本当に、天国のようね」

 優しく明るい笑みは、角無し鬼にも上品に見えた。

 女性はゆっくりとお辞儀し、冥界側の扉を通って行った。


「好きなお菓子が食べられる鬼なんて、僕くらいだなぁ」

 黒テーブルには、女性に用意したものよりも小規模なデザートセットが用意されている。

 獄界の刑鬼は人間の食べ物は口に出来ないが、死者のために用意される紅茶や菓子は実物ではないので鬼たちも口に出来る。

 角無し鬼が取り皿に乗せたのは小さなフルーツタルトだ。

「これも美味しい」

 黒テーブルの隅で懺悔日誌が開かれ、その上で羽筆がひとりでに揺れている。

 もぐもぐと頬を膨らませながら角無し鬼は、

「品の良さを強要されていた女性。大好きな甘いものをいっぱい食べて、大満足してくれた。僕のティールームにピッタリのお客さんだったね」

 と、言った。お手拭きで両手を拭い、赤い花柄のティーカップを口へ運ぶ。

「偉い人たちは懺悔室って言うけど、今回はやっぱりティールームって感じだったよね」

 お腹いっぱいという様子で角無し鬼がソファの背もたれに寄りかかると、デザートセットは姿を消した。

 新しい紅茶が入り、優しい香りが広がった。

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