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あの世の手前のティールーム  作者: 天西 照実
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痛み

 死者が近付いたことに気付き、角無し鬼は読んでいた本を閉じた。

 横壁の大きな本棚に人界雑学事典を戻していると、勢いよく近付いて来る足音が聞こえた。

「えっ、なんだろ――」

 慌ただしくやって来た足音の主は、人界側の扉をドンドンドンっと叩いた。

「助けて!」

 男の声だ。

「助けてっ、助けて下さい!」

 扉を叩きながら叫んでいる。

 角無し鬼は恐る恐る扉を開けた。扉の向こうでは、腹を抱えるように背を丸めた男が足踏みをしていた。

「まだ痛いんですよっ。助けて下さい!」

 白っぽい姿で目元だけを真っ赤にして、男は必死に訴える。

「どうぞ中へ。今、薬を用意します」

 角無し鬼は、男をソファへ促した。

 黒テーブルの上に、古びた救急箱が用意されている。

 角無し鬼は救急箱を開けて、中から小さな茶色い小瓶を取り出した。所々ペンキが剥がれているが、救急箱の中はきれいに整理されている。

 背を丸めて座る男の前には、グラスに入った水も現れた。

 角無し鬼は小瓶の中から黒い丸薬を三粒、薬包紙(やくほうし)の上に転がした。

「どうぞ。三粒とも飲んで下さい。すぐに痛みは引いてしまいますから」

 男は慣れた手付きで薬包紙を摘み上げ、丸薬を口に入れた。コップの水を口へ流し込み、勢いよく飲み込む。

「少し苦いかな」

「……苦い薬は慣れてますから」

「そうでしたか」

 男は、ふーふーと深く息を吐き出していたが、やがて背を伸ばしてソファにもたれかかった。

「良かったぁ。治まりました」

「良かったです」

 角無し鬼が薬の小瓶を戻してふたを閉めると、黒テーブルの上の救急箱はすぐに姿を消してしまった。

「死ねば楽になるって思ってたのに、死んだのはわかってもまだ痛くてどうしようかと思って……それこそ、死にもの狂いで走って来たんですよ」

 四十歳の手前程に見える男だ。白い体に、洗い晒しのような灰色のパジャマを着ている。浮腫(むく)んでしまったような体格が、徐々にすっきりしていくように見えた。

 テーブルにおしぼりが現れると、軽く会釈して手に取った。両手を拭い、額の汗を拭う。

「はー、助かりました」

「ここまで、すぐに来られましたか?」

 角無し鬼が聞くと、男は首を傾げて考えてから、

「がむしゃらに走って、目指していた場所はここだったって感じですね」

 と、言って笑った。

 必要なものをなんでも出してくれる黒テーブルが何を出すか迷っているので、

「お茶でもいかがですか」

 と、角無し鬼は聞いてみた。

「カフェインのあるもの、飲んじゃいけないんですよね」

 と、男は答えた。

「もう、死んでるんですけどね」

「では、カフェインレスのカフェオレにしましょう」

 白いマグカップでカフェオレが現れた。角無し鬼の前にも同じものが置かれる。

「あ、いただきます。コーヒー系って久しぶりです」

 と、男はマグカップを口へ運んだ。

「よく考えたら、痛いのが無いのも久しぶりです」

「闘病生活、長かったんですか」

「長く感じましたけどねー。でも闘病って感じだったのは一カ月くらいでしたよ」

「苦しい時は、二十四時間ですら長く感じるものです」

「そうですね。病気が発覚する前の時間、もっと楽しんでおけばよかったですよ。仕事ばっかりなんて立派なものじゃなかったけど、なんか無駄にしていて、もったいなかったと思います」

 何かが軽くなったように、男は笑って話している。

「そうでしたか」

 と、角無し鬼が苦笑すると、男は頭を掻きながら、

「死んだから振り返って考えてみるとね。ずっと、治るなら頑張るけど治せないなら安楽死させてくれって思ってたんですよ。治るのか治らないのかハッキリさせてくれって、医者を恨んでました。治るかもしれないから手を尽くしてくれているはずなのに、わがままな話ですよね」

 と、言った。

「本当に苦しい時は、何も考えずに、頭に浮かぶままのことを思っていて良いんだと思います」

 角無し鬼が話すと、男は真顔で頷き小さく笑った。

「あぁ……そうですねぇ」

 息を吐くように言い、男はカップのカフェオレを一気に飲み干した。

「いやぁ、助かりました」

 そう言って、立ち上がった。

「出口、あっちで良いんですよね」

「はい。お気を付けて」

 すっきりとした面持ちで、男は冥界側の扉をくぐって行った。


 角無し鬼は羽筆を持ち、懺悔日誌を開いているが、

「えっと、死因……字がわからないや」

 と、黒テーブルに羽筆を置いた。

 横壁を見れば書棚が現れている。必要な時にだけ現れる、事典や雑誌の詰まった大きな書棚だ。

 角無し鬼は立っていき、上段に手を伸ばして一冊の事典を取った。表紙には死因病名一覧と書かれている。

 索引を開き、

「ぞ、ぞ……続発性、えーっと続発性副甲状腺機能亢進症」

 と、病名を読んだ。

 黒テーブルを振り返り、羽筆が病名を書き込んでくれているのを確認してから、事典に目を戻した。文字だらけの事典を眺めながら、ソファに戻って腰を落とす。

「長い名前付けるなぁ。あの人は、調子が悪いのを放っておいて大変なことになっちゃったんだ。他にもたくさん病名が見えたけど、死亡届に書かれたものでいいや」

 ページをめくりながら、角無し鬼は小さく溜め息を吐く。

「痛みって、他の人に伝えにくいんだ。調子の悪さもそう。誰かがわかってくれれば、軽い内に治せるものって多いのに。死んでも続かせてしまうほどの痛みを、わかってくれる人はいたのかな」

 悲しげな表情で呟き、角無し鬼は事典を閉じた。

「痛いのは嫌だな……あ、さっきの薬って」

 黒テーブルに救急箱が現れた。ふたを開け、いくつか並ぶ小瓶の中から先程の茶色い小瓶を取り出した。

 男の前では貼られていなかったラベルが付いている。ラベルには『胃腸薬』と書かれていた。黒テーブルの隅で、羽筆が懺悔日誌に書き込んでいる。

「死後は、成分関係ないもんね。これで良くなるっていう暗示が一番の特効薬。治るって信じてくれて良かった。死んだ後に会った、薄緑の顔をした子どもに渡された薬だもんね」

 と、自分で言っている。

「僕が鬼って言っていたら、毒だと思われたかな。それとも鬼の薬って言うほうが、効き目があるように思うかな」

 薄い笑みを浮かべて角無し鬼は小瓶を戻し、救急箱のふたを閉めた。

 救急箱が消えた代わりに、黒テーブルにカフェオレが現れた。

 角無し鬼はマグカップを両手で包み、カフェオレをたっぷりと飲み込んだ。

「美味しい」

 お腹が温まるのを感じながら、角無し鬼は痛みのない安らぎを味わっていた。

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