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打ち上げ話

 10月30日。俺は18歳になり、名実ともに兄貴の歳を越えた。

 昨年と同様にキスツスの家で俺を出汁にした宴会が開かれたが、昨年と異なり酒類は用意されなかったため、俺の記憶は最後まで鮮明だった。

 割と早くにこっちもこれから泊まりだからとあやめと薊が去り、後片付けをしてから少しだけイチャついたのち、キスツスが先に風呂に入っていった。

 知人に会いに行くとだけ二親に告げて外出して帰宅しなかった8月5日は、翌日になって聞いたものの、ここにいるのだろうと察していたということと、それでも心配していたということだったから、今日は泊まってくる旨をきちんと伝えていた。半ばにやついていた親父とお袋の表情が思い出されて再度の照れを覚え、ぶん殴りたくなるような苛立ちをぶつけられないせいか、今のほうがよほど緊張している。

 動悸を鎮めることも狙ってベランダに出たところ、先客が柵に寄りかかって夜空を眺めていた。アホ面の横面を見ているうちに、俺の高揚は平時以下にまで落ち着いた。

「とりあえずあいつが風呂から上がる前には帰れよ」

「君らが乳繰り合うとこ見ちゃダメなの? 俺にとってはちょっとしたオナニーだぜ?」

「うるせぇよ」

 そうして打ち上げ話が始まるのだ。


「実際、創作なんざオナニーみたいなもんだが、君らはとりわけ赤玉みたいなもんだろう」

「いい加減下ネタに例えるのやめてくれませんかね」

「リアルな表現だよ。元々自殺については肯定的だったが、兄貴の自殺がきっかけになって、自死遺族という立場からもそれを掘り下げることができた。そのうえで行き着いた俺なりの結論が君らだ。作中で君が感じたように、兄貴の齢を越えることへの引け目は本当にあったし、あの頃はマジでその前に死んでしまうのではないかという不安もあった。いやもう死ぬのはいいんだ。しょうがないって割り切れるし受け入れられる。最も恐れたのはもう一人の子どもに先立たれた親の余生だ。俺には君と違って、今も昔もキスツスのようなラブドールがいないから、百パーセント親のことだけが気掛かりだった」

「オナホール言うな」

「言ってねえよ。持っとるわ」

「聞いてねえよ。捨てちまえ」

「しかし、書く前は君のパートよりぐっと短くなると思ってたし、どう水増しするか悩んだぐらいだったのに、あれよあれよと大幅に増えてしまった。本当はもう少し書き足したいぐらいだが、盛りが多くなるばかりだからひとまず終えることにする。やはり実体験を取り込むと嵩んでしまうな」

「俺の誕生日と自殺した兄貴とその命日ぐらいじゃねえのか」

「ちなみに公的な命日は6月7日だ」

「なにその噓」

「しょうがねえだろ検視の結果がそうなってんだから。でも6月8日に兄貴とお袋でメールのやり取りしてるのが携帯に残ってるからそんなことありえねえんだよ。もっともそれを警察に指摘したら先に言えだの監察医が偉い人だから変更できないだの呆れるようなことのたまってくれたわ」

「それ警察か?」

「違ったのかな? さておきキスツスがいじめを受けたことと不登校したことは俺の経験。学年も小五で時期もあの頃。あんなところに行かなくていいと言ってくれたのも親だ」

「またぶっちゃけたな」

「さすがに盛ってるけどね。キスツスと違って数十日で復帰したし、リストカットは未だにしたことないし、初潮は過ぎてたし」

「もう突っ込まねえからな」

「そのせいではないが、削ったところもある。当初は前後編の間を繋ぐストーリーを考えていた。キスツスが留年する前の同級生で、現在は上級生になっている男子生徒と女子生徒がその軸だ。男のほうはキスツスに惚れてて、女のほうは男に惚れているからキスツスに嫉妬してるという設定。君らとそいつらとの軋轢を描くつもりだったが、一番大事な自殺や自死遺族といったテーマが薄れる気がしたからやめた。キスツスがダブりで君より年上って設定はそのときの名残だ」

「ダブりもお前の経験かと思ったよ」

「俺は浪人したぐらいだ。言わせんな恥ずかしい」

「ほかの経験はなんだ」

「君の両親やキスツスの親父の考え方は、俺と俺の親、そして俺の親が出会った自死遺族の思考や発言を元にしている。俺や俺の親だけでは到底行き着けなかった思想や言葉はここから生まれた。そしてそれが派生して、君たちをはじめとした登場人物の思想や言葉になっていった。キスツスのお袋はさすがに創作だが、『ボク達、今日死ニマス』から拝借した文言や考え方も元になっている」

「なんだその不景気なタイトル」

「死んだ兄貴が書いた戯曲だ。集団自殺するために集まった男女数人の群像劇とでもいおうか」

「死ぬ前にそんなもの作ってたお前の兄貴も相当だな。だから自殺したんじゃねえのか」

「自殺するような奴だからそんなもの作ったまである。あれは彼なりに自殺という行為や思想を昇華させたものだったんだろう。ぶっちゃけそんなに面白いとは思わないけどな。彼が作・演出した舞台の幾つかは観たというより観させられたが、どちらかといえば演出に才があった人だ。一番感心したのは本筋とは何の脈絡もなく演者数人がクジ引いてジョッキ一杯の生卵を平らげるくだりだった。演者でさえ誰が当たるかわからないし、そもそも何が始まったのかと困惑する客が“あ、これガチなんだ”と気づいた瞬間、舞台と客席が一体化するんだよ。よっしゃセーフ! とか、俺昨日もやったじゃんかよー! とか、あとは悲喜こもごもの演者の姿に笑い転げる。毎回違う展開になるから演者も客もいつも新鮮。彼もああいうものを追求していれば、ひとかどのものにはなれたかもしれん。そうすればまだ生きていたかもな。あるいはそこでまた死に向かったか。いずれにしても自殺というものは、生きてる間の兄貴にとっても、他人事ではなかったんだよ」

「兄弟っていうのは似ちまうもんなのかね。俺にはもうわかんねえや」

「俺の場合は親世代までは似るとはっきりした。揃いも揃ってやりたいことしかやろうとしない。我慢が嫌いで諦めも早い」

「社会性のない奴らめ」

「なにはともあれ足掛け三年で書き切ったよ」

「遅漏にもほどがある」

「まだ書き足りていない気もするが、とりあえず一段落ということでリリースに踏み切った。また赤玉が復活したらリライトするかもしれんし、やっぱり二部構成にすると蛇足感が否めないから、今一度全編混ぜこぜにしたほうがいい気もするんだよなあ。まあ今後の課題としましょう」

「課題多すぎませんかね」

「どうせやるのは俺だし」

「やらされるのは俺らなんですが」

「ともあれこれで君たちの物語は終わりです」

「お疲れさまでした」

「ありがとうございました」

「じゃあとっとと帰ってくださいね」

「この後も頑張ってね」

「この後はねえだろ」

「いや実はキスツス妊娠してるんだよ」

「いやちょっと待て」

「帰れ帰れって言ってたのに」

「誰の子だよ」

「君のほかにいるのかよ」

「いてたまるかよ」

「まあこの後でそのこと聞かされるからガンバ」

「いやだ聞きたくない」

「ええ…」

「どうしたらいいんだ」

「まあ知ってたけど、君は案外小心者なんだよね」

「お前の分身だもんな。肛門も小せえわけだ」

「それがこの後も少し頭をもたげる。これからの君らは箇条書きにするとこんな感じ」

・8月5日に懐妊していたキスツス。用意していたコンドームを使う暇がなかったことがその主因。

・胡蝶の誕生日の10月30日にそのことを伝える。

・錯乱した胡蝶はキスツスを自宅に連れ帰り、キスツスと結婚して学校を辞めて働きに出ると両親に告げるも、説得されて思い留まる。

・両親は二人の結婚を認めるとともに、キスツスに片喰家で暮らすことを勧める。

・半同棲ののち、高校卒業と同時に結婚と片喰家での同居を果たした二人。胡蝶は推薦入学でどうでもいいような大学に入り、キスツスは出産に専念。

・やがて月満ちて産まれた第一子は男児であり、キスツスから名付けを一任された胡蝶より、『がい』と名付けられる。

・キスツスは垓を保育園に預け、自身も保育所だか児童館だかの補助のパートタイマーとして働き始め、次第に保育士になりたいと思うようになる。

・1年余り勤めたところで職業訓練を利用しての保育士資格取得を目指し、専門学校に入学。

・同じ頃、胡蝶は大学3年に進級。なりたいものといった将来の夢は皆無。ただ、キスツスや垓と日々を暮らしていくことにのみ意義と価値を感じている。それを果たすための仕事と割り切り、インフラにかかわる仕事に関心を抱く。

・キスツスは実習の際に乳児院への興味を抱き、資格取得と学校卒業と乳児院への就職を果たす。

・同じ頃、胡蝶は大学を卒業。電気関係の会社に就職する。

・垓が小学校に進学する頃、キスツスはまたも懐妊。やがて双子の姉妹が産まれる。キスツスのたっての希望で名付けられた名前は『薫子かおるこ』と『緑子みどりこ』。4文字の名前の孤独を払拭したいため。

・胡蝶は今の住まいの自治体で中途採用となり、地方公務員として電気関係の業務に就く。

・そうして君たちは穏やかに慎ましく暮らしていく。

・めでたしめでたし。

「という空想で楽しんでる。キスツスと結婚して学校辞めて働きに出るって言い出すほど錯乱した君と、それを感情的に叱り付ける君のお袋と、それに気色ばんで反論する君と、それらを目の当たりにして動揺するキスツスと、穏やかに君を説いて場を収める君の親父といったあたりは、特に捗る。書いたら早漏って褒めてもらえるぐらい早いと思う」

「俺カッコ悪くないスか?」

「俺の分身なんだから当然だ。でも自然だろう。その年齢で女孕ませちまったら、ましてやその相手が生涯を捧げ合えるような女だったら、どう責任を負ったらいいか苦悩するだろうさ。遊びじゃねえからな。それでもちゃんと正しい道を選んで進むことができる。本当に羨ましい。その年齢で生涯を捧げ合えるような出会いを得るのは至難の業だからな」

「だから創作や空想に走ってるわけですね」

「止めたら死ぬで」

「それが活力になるのもどうなのか」

「生きてりゃいいんじゃね?」

「それ引き合いに出されたらなんも言えなくなるわ」

「ちなみにあやめは君と同じでやっぱりどうでもいい学校にやっぱり推薦で入学したのち、キスツスの職業訓練の申請で着いていったハローワークでキスツスを担当したキャリアコンサルタントに感銘を受けてそれを目指すようになり、卒後はハローワークの正規職員となる。薊はとにかく稼げる仕事という目的から国公立の上位レベルか私立難関クラスの学校にヌルっと入学して、初志を貫徹してアクチュアリーになる。君に中途採用の地方公務員を勧めたのはあやめだ。すでに薊と所帯を持ってる」

「それも空想か」

「どちらかというと想像だな。あやめは自分のやりたいことを追求するためなら苦労を苦労と感じないタチで、だからこそ猛勉強を厭わず三流大学から国家公務員に行き着いたわけだ。だから多分、ここでは自分の理想とする就労支援ができないと判断したら、すぐにでも職を辞して独立したり起業したりするだろうが、それはそれで成功を収める気がする。薊はもっと高位のものにもなれるだろうが、自分で何かをするというのを好まず安穏に雇われることを望む。しかし決められたレールの上を誰よりも速く正確にけして逸脱することなく進んでいく。だから多分、今よりずっと条件のいいヘッドハンティングもあっさり断って、最初に入った生命保険会社とかに定年まで勤め上げるだろう。いずれ関連会社の代表取締役ぐらいにはなりそうだ」

「どいつもこいつも地味な未来だ」

「40年近く使ってきた脳細胞の搾りカスなんてそんなもんよ」

「俺も20年経ったらそうなるのかね。ぞっとしねえな」

「その少し前から前髪が薄くなるよ」

「リアルなのやめて」

「しかし君らと出会ったときには職業訓練を受けていた俺が、その後37歳で正規の公務員になるとは思わなかった。サイコロで7や8が出たような気分だったよ」

「お前の人生ゲームのマス目はどうなってんだ」

「踏むまで何書いてあるかわかんないの」

「それ不良品だから突っ返してこい」

「君らのみたいに自由に書き込めんもんかね」

「なんて書きたいのか聞くだけ聞いてやる」

「実は結婚していた」

「過去はなおさら変えられねえから諦めろ」

「でも俺が空想した君の未来を実現するように俺はこの肩書を得たわけだから、俺も今から得られないかな? 君の女房みたいな走攻守揃ったポンコツ」

「いっぺん死んで生まれ変わったほうが確実だと思うぞ」

「いやアだ生まれ変わるなんて冗談じゃないわ。死んだほうがマシよ」

「どっちもできない以上うだうだ生きるしかねえな」

「君らの空想で腹を満たしながらね」


 話し終えた作者が柵の上によじ登る。

 俺も去年は跨線橋で似たようなことをしたものだと思いつつ、こいつは俺ではないし俺もキスツスではないから、止めてやることなく部屋に戻った。

「次は誰に会いに行くんだ?」

「道が二つに分かれてて、それから繋がってる。どっちが先でどっちが後かって具合だとは思うが、どうすっかな」

「どっちがどうなんだ」

「片方には愛国心溢れる男がいる。こっちのほうが近いから、先にするかな」

「左を公言しておきながらそんな奴に会いに行くのか」

「左を公言しているからこそだ。会えばわかるよ」

「もう片方は」

「15年前に卒業する条件として大学に置いてきた、芸術家の女」

「夢破れる前のお前の肖像だな」

「破れてはいない。忘れただけだ。いつでも思い出せる。今でもそうだ。無論、あの頃と今では全く違うものだけど」

 そして作者は跳躍した。

 飛んだのか落ちたのか進んだのか留まったのか、見届ける前にカーテンを閉めた俺には知る由もないが、こちらにやってこなかった、いや、これなかったことは、確からしい。

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