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その3

 片喰家を後にした私が道々思っていたこと。

 いつかお父さまとお母さまにお話しすること。

 いつか胡蝶くんにも聞いてほしいこと。

 私が胡蝶くんと出会うまでの、無残な過去のこと――

 物心がついたとき、私は父と二人だけで暮らしていた。

 私を産んですぐに死んでしまったという母の記憶はもちろんなくて、きょうだいのいない私には父だけが家族だった。

 老若男女を問わず、さもしい固定観念の持ち主から、片親を憐れまれることは少なくなかった。しかし私もその一員に過ぎなかった。むしろ誰より私が私の境遇を憐れんでいた。

 幼い頃の思い出といえば、保育園の片隅から見上げる空しかない。煌めく太陽の純白に、どこまでも透き通るような水色。ときに大きくときに小さく千変万化にその形も色も姿を変えて流れたり留まったりする雲と、風と相俟って様々な音色を奏でる雨。ごくまれに現れる稲光は、私をさらいに来てくれるような空想が捗った。とはいえ別段空が好きだったわけではない。他にやることがなかっただけだ。

 茜や橙に染まった日が落ちて、一面の群青色に映える星々が白く瞬くようになると、ようやく現れた父に連れられて、適当な食べ物屋に寄る。その場で食べたときは帰宅するとすぐに、買って帰ったときは食べてからほどなくして床につく。翌日は前夜やその前に買っていたもので空腹を満たしたのち、父に率いられて朝一番で登園する。私が早番の保育士に託されるのと同時に父は消えている。そしてだいたいいつも遅番の保育士とともに最後まで残される。毎日がその繰り返し。

 休日もあまり変わることはない。父は仕事の一環として不在にすることも多く、無趣味な人なので遊びに連れていってもらった記憶もない。平日と異なるのは昼食が用意されることや、家で父の帰りを待つことぐらいだ。そのときもやはり窓辺に寄りかかり空を眺めていた。

 父のことは嫌っていたわけでも憎んでいたわけでもない。好きだったしむしろ愛していた。ただ一人の家族であるから当然だ。もっともそれがただ一人の家族であるからという理由による打算でなかったとは言い切れない。私が孤独に耐えられるのは、必ず迎えに来てくれることで、必ず帰ってきてくれることで、私の孤独を終わらせてくれることを知っていたからだ。

 しかし無口で無愛想な父の返答は控えめだった。私が力いっぱい握る手をかすかに握り返す程度。話しかけても一言二言短い返事をするぐらい。笑いかけたところで笑い返してくれるわけでもない。

 それでも父の愛情を疑ったこともなかった。どんなに遅くなっても必ず迎えに来てくれる。必ず帰ってきてくれる。そうして私の孤独を終わらせてくれる。それが父だ。寂しい巣の中たった一羽で親鳥を待つ雛。それが私だ。

 送り迎えがなくなったことを除けば、小学校や学童保育もこれとほとんど変わらなかった。そしてその頃から、私へのいじめは始まっていった。あるいはそれに気が付いていった。

 きっかけらしいきっかけはなかっただろう。あえて言えば他に誰もいなかったからだろう。それだけに槍玉に挙げられるものは実に様々だった。

 顔立ちや体型、声や喋り方といった身体的特徴はもちろん、無口で根暗という固定的評価を下された外面的性格、何の変哲もない成績と運動能力と芸術性に、父子家庭という家庭事情。私の何もかもが私を攻撃する口実と正当性を与えていた。

 方法としては悪口が最も多かった。次いで持ち物の毀損や隠蔽。孤立させられることは実害がないから一番良かったけれど、それを感じ取られてからはあまりされなくなった。昔から同性より頭一つ大きくて、背の順で真ん中より後ろ側の男子ぐらいは軽く越えていたせいか、暴力はほとんどなかった。たまにやられても小突かれる程度。子供のやることだからそこまで重篤にはならなかったが、肉体的な痛みが尾を引かない分だけ、精神的には蓄積されるものだった。

 対応には苦慮した。反応すればまた攻撃され、反応しなければ攻撃は激しくなる。その機微は最後までわかることはなく、こちらの意図とは無関係なものであったのだとようやく悟ったのは、ずっと後になってからだ。

 加害者を叱り付けてくれる教師もいたが、仕返しとばかりにその後の攻撃が強くなるのが常だったので、変異を問われたときには何もされていないと偽るようになった。必要なものを守るために、授業に関係のないものを持ち歩いて注意されることも多かったが、理由を正直に話しても解決はしなかったので、次第に緘黙するようになった。

 毎日が辛くて学校に行きたくなかった。行けば行ったで早く帰りたかった。父はいつも私より早く家を出て私より遅く帰ってくるから、うまく口実を作ればできないことはなかったろう。でもそれをすることはなかった。

 教育段階は異なれども、私に叱責を重ねる大人と同じ職に就く父は、私がそのような不正をしようものなら、きっと怒るだろう。あるいは失望するかもしれない。どれも嫌だった。言い換えるならば、父がいてくれることで、私は辛い学校生活を耐え抜くことができたのだった。いつまでだって、どうにか凌げたことだろう。

 しかしその日その時は前触れもなく訪れた。小学校五年生の11月のある日の午前最後の休み時間。用を済ませて教室に戻ってきたところで、幾つかある群れのうちの一つが私を囲んできて、その頭目が先陣切って言うのだった。

 お前キスツスなんだろ? 明日死んでこいよというような趣旨の揶揄に、私は顔をしかめた。何を言われたのかよくわからなかったのだ。死ねなんていうのは悪口の定番だったし、それでなくても変な名前だと言われることは常だった。ただ、それらが牽連する意味がわからない。

 頭目はやおら群れから離れ、いつもはその一員として最下位争いをしている一人のところに歩み寄る。遠巻きにしていた面子は胸に抱えていたものをさらに守るように身を縮めるが、私が普段受けている一割程度の威迫に怯え切ってそれを献上し、舌打ちとともに小突かれるついでに奪われて足蹴にされた。本だった。

 頭目はこちらに戻りながら二、三回ページを繰って品性の欠片もない微笑を浮かべ、その顔のままそのページを開いたままその本を私に押し付けてきた。

 とりあえず受け取って、まず外側を見てみた。図書室の本で、怖い花言葉みたいなタイトルだった。そして指を挟んでおいたそのページを開くと、私と同じ名前の花の写真が飛び込んできた。キスツス・アルビドゥス。これが私の名前の由来なのかと驚くのも束の間、傍らに添えられたその花言葉だという文言に目が留まる。曰く『私は明日死ぬだろう』

 黙って見つめている私の耳を、様々な声が侵してくる。その花言葉どおりの明日を、囃し立てるように求めてくる群れの連中の声。過激すぎる言葉のせいか、さすがにたしなめる群れの外の連中の声。それらに対して逆上のように反論する頭目の声。キスツスなんだから仕方ないだろ、こいつ明日死ぬんだってよ。そこで私は本を閉じて押し返した。

「明日までなんて待たなくていいよ」

 私はそう言い残すや自席に向かって駆け出し、両手片足使って机を引っ繰り返し、散らばった文房具の中からカッターナイフを鷲掴みした。刃が一段階ずつ押し上がるたびに私の口角も上がっていき、狭く鈍い刀身の反射でも、狂った笑顔が弾けていく様が見て取れた。両端が耳元まで達し、生え揃ったばかりの永久歯が全て剥き出しになったところで刃の全身が現れ、私は振り返った。

 その瞬間、頭目の引きつった笑いが消え失せ、怯えに染まる。少なからずこのような状況を予知していたらしい周囲の群れは即座に散ることができたものの、虚勢を張ることに注力していたために一足遅れ、逃げそびれた手近な手下を楯にしようとするも邪険にはねのけられ、遠く離れた最下位やその次の手駒に私の制止を強く命じるも裏切られ、ついには背を向けて逃げ出した。私はその後を追うように走り出していた。

 学内一とうたわれる俊足だからあっという間に距離を広げられるが、しょっちゅうこちらを振り返ってくるものだからその何度目かで足が縺れてしまい、溺れるように虚空に手をばたつかせてから吹っ飛ぶように転んだ。それでもすぐにこちらに向き直るが、どこかを痛めたのか腰でも抜かしたのか立ち上がることはできないらしく、くしゃくしゃの顔に甲高い泣き声で助けを呼ぶように普段そうしているのであろう母親の呼称を叫んだ。

 これまでにろくな反撃もしてこなかった物言わぬ人形が狂気と殺意で満ちた笑顔で突進してくればそうなるのかもれないが、私には何の感慨もなく、勢いを削ぐことには繋がらなかった。怒りや憎しみがなかったといえば嘘になる。だがそれ以上に私にこの名を付けた父に対する不信のほうがよほど看過できなかった。さらに声高く泣き叫ぶ肉塊に差し掛かる直前で直角に曲がって階段を駆け下りた。

 途中でチャイムが鳴った。すれ違った教師が授業だというような言葉を言い終えぬうちに危ないとはっきり叫んだ。靴を履き替えるのももどかしく上履きのまま外に出た。体育座りの体操服の集団が驚いた顔で声を上げて離散したことで広々と空いた校庭を横切って正門から飛び出した。

 緩やかな坂を下って勾配のなくなったところをしばらく行った突き当たりの線路沿いの道を左折して四つ目の二階建てのアパートの一階部分が我が家だ。路地裏に面した部屋の窓は隠された鍵が見つからなかったときのために開錠しておくようにしていた。それが今日も役に立った。

 家の中心あたりまでたどり着いたところで息つく間もなく、折れるほど伸ばしたカッターナイフの刃の根本を手首に沈め、捉えた獲物を切り落とす勢いで引いた。とはいえ小五女子の非力とただの文房具では、肌と肉を浅く刻むのが関の山。それでも激しく息を切らしていたこともあり、私の血は勢いよく噴出した。

 いったいいつどこでそのような方法を身に着けていたのかはわからない。あるいは自ら編み出したのだろうか。

 なぜ家でやろうと思ったのかについては、衝動的な選択だったからうまく説明できるとは思わないが、配慮や処置といった何の手心も加えられていない素材のままの私の死体を確実に見せつけるためだったとは思う。そしてその目的は半分だけ達成できた。私は他の誰にも見つけられることはなかった。しかしもう半分は失敗だった。私は死ねなかったのだ。

 気が付くと私は横たわっていた。熱くて重くてじくじくする不愉快な痛みを感じてその出元を見ると、皺一つなく包帯が巻かれているのだった。その内側から発せられた光景を思い出したが、そこから先は途絶えていた。あれだけの血が自分の体から出ていく様は、仰天のあまり私の意識を喪失させるには十分だったようだ。

 未遂に終わったことを知ってより険しくなったしかめっ面を体ごと起こして、もう片方の手が動かないことに気が付く。見ると、そちらの手は別の手で握られていた。幼少の頃に、いつも宝物のように両手で捕まえていた大きな手。私は顔も上げずに告げた。

「明日までなんて待たなくていいよ」

 私は自分が最後に言ったのと同じ言葉を今一度発し、念押しのように続けた。

「今日死んであげるよ」

 そして反対側に飛び起きようとするも、それより早く父の手に力がこもり、私は尻餅をつく。それでも私はその手を振り払おうともがき、しかしけして能わない。それでも私は挑む。父が私にそう名付けてまで託した望みを先走って叶えてやるために。

「止めないで。離して」

 しかし私が抗えば抗うほど、父の拘束は強くなり、確実さを増す。程なく片方の腕で肩口から腰までを斜めに縛られ、頭を顎で押さえつけられ、胸に抱かれて停止する。こうなってしまうと小五女子の非力で払い除けることなど到底できない。どの部分も鉄のように硬かった。それなのに傷口にあてられた手だけは優しく包み込むようにそこに添えられていることが、私を一層逆撫でした。

「それじゃあなんで…! なんでこんなひどい名前を付けたのよ!」

 それなのに私は脱力していた。成長してからは、このように父に触れることがなくなってしまっていた。拒んでいるはずの父の温もりをどこかで求めている自分に呆れながら、父に体を預けていた。

「いつまでだって生きていてほしいからだ」

 父の声を初めて聞いた。もちろんそんなことはない。そんな気がしただけだ。ただそんな気がするほどに、そのときの父の声は、福音のように私を包んだ。

 それから父が話してくれたのは、私の名前に込めた想い。明日というのはいつだって今日の次の日のことであること。明日になればその日が今日になり、今日の次の日が明日になること。だからいつだって今日を生きているし、いつまでだって生きていけること。私を産んですぐにお母さんが死んでしまったから、そうしたのだということ。

 他にもっとマシなものがあっただろうと、具体例が浮かばないながらも思ったものだ。それでも父が明かしたメソッドに、私は救われる思いがした。私は生きていていいんだ。生まれたときから死ぬことを望まれていたわけではないんだ。

 思い出したように学校を抜け出したことを詫びると、咎めるどころか、あんなところに行かなくていいと言った。

 すでに父は一部始終を把握していた。その日の学課を終える前にカッターナイフを握り締めて学校を飛び出した生徒がいれば、当然の帰結として学校から保護者に連絡が入り、さすがの父も仕事を放り出して帰宅したのだった。そこで目にしたのは手首から血を流して意識なく倒れている娘。それでも仕事柄傷病人の応急処置には慣れているため動揺は少なかった。大事はないと判断して介抱した後で、報告がてら学校に連絡し、学校からは事情を聞かされたのだった。

 そのうえで父は断言したのだった。親であるにもかかわらず、教師であるにもかかわらず。あるいは親であり、教師であるからこそ。生まれて初めて父のことを変な人だと思い、その娘であることを誇りに思えた。

 翌朝、私がいつものように目を覚ましたときには、父はいつものように出勤していた。ただいつもと異なり朝食用の食べ物のほかにいくばくかのお金が残されており、それで昼の空腹を満たせという意図は教えられずとも悟れた。

 その日から私の不登校が始まった。同じ孤独でも攻撃を受けない分だけずっと気が楽だった。しかし集団をやり過ごすだけの一日と同じように、ただ単身で過ごすだけの一日もまた長かった。そこで日中は時間割に従うことにしてみた。

 体育や図工や音楽といった時間は自習に充てた。放課後の時間帯や休日も復習と予習に励んだ。もとより勉強は嫌いではない。むしろ誰にも邪魔をされない勉学は捗った。成績が捗々しくなかったのは、提出したはずの宿題が捨てられたり、テストの回答を改竄されたりしたためであるということが、はっきりしてきた。気が付けば進級していた。変わらない日々を送ったが、汚損も破損もない教科書はそれにもかかわらず薄すぎた。もう一巡してみたけど物足りなかった。

 ふと、最後に学校に行った日に目にした本のこと、そしてその出所を思い出した。図書室には数えるほどしか行ったことはなく、本を借りたことは一度もなかった。必ず紛失するのが目に見えていたからだ。

 どうせ図書室には行けないけれど、学校に通ずる道を一本外れたところに図書館があることは、知識として備わっていた。すぐに行ってみて、迫りくるような本の量に圧倒された。本棚の間を何周もして、目を引いたものを片っ端から手に取ってみた。

 最も興味を持ったのは中国文学だった。漫画でその存在を知って原作を読んでみたくなり、原典は手を付ける気にもならなかったものの翻訳版に没頭し、解説本も読み耽った。そこから目覚めて四大奇書をはじめとした多くの作品を知るとともに、翻案は読みやすいが何か違う気がしたことで、原典原理主義とでもいうべき評価軸を得た。

 趣味嗜好から離れたところでは料理本が群を抜いた。不登校になってから外食と出来合いとインスタントとレトルト以外のものを口にしておらず、引っ繰り返されたりゴミや虫の死骸を入れられたりしていたものでも給食を恋しがっていることに気が付いた。見ているだけで空腹を催すような写真のそばに作り方が載っているのは知っていたが、あるとき自分で作るという発想が湧いた。このため食材を買って昼食を拵えるようになった。手順と分量を誤りさえしなければ好みの差はあれどどれも給食を上回っていた。外食よりはるかに安くつくことと自分で作るもののほうが概ね口に合うこともわかった。ある日父が帰宅したときに用意しておいたのを皮切りに、父の弁当を含めた二人分の三食をほとんど手掛けるようになった。少し手を加えるとより美味しくなり、さらに料理が楽しくなっていった。

 これらと並行して着飾ることにも目覚めるようになったのだが、ファッション誌を手にするまでには時間と手数を要した。

 そもそも平日の昼日向に学校に行かずに往来をうろついている子供がいれば多くの大人は気にするものであり、私もまた注目を浴びているという実感があった。とはいえ放課後や休日といった同級生と鉢合う可能性のあるときに外出する気はなく、その程度の仕打ちで私の知的好奇心や食欲が阻まれることもなかった。

 そんな頃に男女の二人連れが家を訪ねてきて、聞き慣れない肩書きを名乗って私や父のことを聞き出そうとしてきた。父以外の大人を信用していなかった私は慇懃な態度はともかく値踏みするような質問に苛立ち、済ませたばかりの昼食の支度を口実に戸を閉めたが、女のほうが食い下がってきた。言葉の意味はわからなかったが、このままでは父の立場を危うくするおそれがあることは何となくわかった。ここで話すのが嫌なら図書館で話そうと残して、二人の気配は消えた。戸を少しだけ開けて顔を覗かせてみても、見えるところには誰もいなかった。

 半信半疑で図書館に行くと、女のほうが入り口で待ち構えていた。促されて職員以外立入禁止の札が表示された扉の先におずおず進み、長机と椅子が並べられているだけの一室にたどり着いた。男のほうはすでにその一角を占めていた。私はそのはす向かいの席を与えられ、女は男の隣に腰を落ち着けた。

 女は私のことをして、もっと小さい子なら難しいだろうが、年齢のみならず色んな本を読んでいるからきちんと話が通じるだろうと思ってこうすることにした、図書館の人にも協力してもらってここを借りた、急だったからこんな広い部屋になってしまったことを明かしたうえで、改めて立場を名乗ってきた。女は児童相談所の職員で、男は自治体の児童福祉部署の職員だという。違いはよくわからなかった。私のことはすでに色々調べてあり、不登校であること、日中は足繁く図書館通いをしていること、父親と二人暮らしということを把握しているが、そもそも父から私への虐待の疑いがあるという連絡を受けたものであり、その状況把握のためにやってきたのだという。

 言葉の意味を教えられて驚いた。そのような事実はないと一生懸命否定したが、信用を得るには足りなかった。その理由は私の外見だった。そこから私は一般的な事柄と前置きされたうえで、毎日同じ服を着ているのはおかしいこと、髪は梳くものであること、胸に宛がう下着の必要性などを指南されるとともに、それが果たされていないから父による虐待を疑ったのだと明かされた。教えられたことがないものも少なくなかったが、もともと面倒臭がりでもあり、ここ何日も同じ服装で過ごして入浴すらしていないのは、憧れのキャラクターとの逢瀬のために寸暇を惜しんでいたためだ。それを白状するのは顔を上げられないほど恥ずかしかったが、父の無実を証明するためにはやむを得なかった。

 本来ならば父が取り計らうべきなのだという言い分にはやや気分を害したが、こうして教えられたからには私一人でもそれができるだろうという指摘はひびを埋めるように絶妙に入り込んできた。事実、わからないことがあれば連絡するようにと渡された名刺を使ったのは、そのすぐ後の日に思いがけなく迎えた初潮に狼狽して対応を指示してもらった一度だけだった。

 不登校については学校からの聞き取りもあったようだが、私からも原因を主張し、父と話し合ったうえで決めたものであることを伝えた。手首の傷跡を見せてこれ以上増やさないようにしたいという言い分が奏功したのか、二人がやってくることもそれきりなかった。

 料理本の近くに置かれている服飾の本を参考に、身だしなみをきちんと整えるようになると、大人たちの視線も変わった。少なくても、心配の度合いはかなり和らいだ。よく顔を合わせる図書館職員たちの表情は人が変わったように朗らかになった。きっと彼らはいつも汚れた風体でいる私を訝り、あるいはもっとひどい状況であることを想定して気を揉み、しかしどうすればよいかわからずにいたのだろう。確証はもちろんないが、連絡したのはこの人たちの誰かだと思った。直接言ってくれればいいのにというもやもやした気持ちもなくはないが、望ましいことを学ぶことができたからまあ感謝している。

 皮肉なもので、同級生の悪口や教師の注意の中には、的を射た示唆が含まれている指摘も少なくないことに気が付いていた。私がそれを聞き入れられなかったのは、その多くに悪意が込められているからだった。汚いだとか臭うだとか、ぼさぼさだとかべたべただとか、見えるだとか透けてるだとか、それらを言いたいがために引き合いに出しているだけだとしか思えなかったのだ。

 母親がいないくせにと言う者もいれば、そんなだから母親がいないのだと言う者もいるように、私には与えられるべき母性が圧倒的に欠如していた。その存在があれば、また違ったのかもしれないと、思わないではなかった。

 だがそのような教授を怠った父を恨めしく思うこともなかった。父に悪意などはなく、ただただ無知だとわかってきていたからだ。ワードローブが乏しく年中丸坊主という風体も手伝い、少女一般の望ましい外装や習慣に思い至らなかったのだ。それが証拠に父は私が求める衣類や生理用品への費途を、食物や調理器具のそれと同様に少しも惜しまなかった。

 必要最低限のエチケットがより良いファッションを求めていくのに時間はかからなかった。ガーリーなものが似合わないことを早い段階で悟る一方で、背の高いモデルを真似たポーズは割としっくりくることも知り、寂しいような嬉しいような気持ちになった。

 これと前後して中学生になっていた。その前より父からは進路指導のような話し合いの場を設けられており、同級生との再会を避けるために中学受験も提案されていたが、どうせ高校で別れるのだし、嫌ならまた行かなければいいだけなのだと、形だけの卒業を果たした母校を横切って坂を登り切った先にある公立校を選んでいた。

 同じ小学校から進んだ生徒のうち、外見だけで私だと気付いた者はいなかったようで、名前を知って顔色を変えた者ばかりだった。しかしこちらはもっと、誰のことかがわからない。そもそも元を知らないぐらいだ。群れの面子と思われる顔立ちは少しいたが、あえて確かめてはいない。かつての私と同様に、しかし幾分か殴打の割合が多く、さらには金銭的にも攻撃を受けている生徒には見覚えがあり、やがて頭目だった人物だと気が付いたが、往時の権威が霧消しているせいで、自分の錯誤の疑いを晴らすまでが長引いた。参加する気はないけれど、手を差し伸べる義理もなく、それでも我関せずと気取るのも心苦しかったので、空っぽの下駄箱に以前もらった名刺を忍ばせておいた。それ以上のことをする気はなかったから、それを役立たせることができたかどうかには、全く関知していない。

 このために、私に近付いてくるのは違う小学校からやってきた生徒ばかりであったが、どこかで私の過去を知ったらしく、また私の手首の傷跡に気づいたらしく、それらを結び付けた切れ者もいたらしく、遠近の差はありながらもどれも真相に向かおうとするような様々な噂が立っていった。私と接することで彼我のどちらが加害者となり被害者となるか、何より何が原因となるかがわからない以上、どちらも回避するためには付かず離れずの距離を保つしかなく、彼らが私と必要以上に親しくなることはなかった。私もまた、学外では不登校時代とほとんど変わらない日々を送るため、あえて彼らを要しなかった。

 自分のファッションスタイルが固まる頃には、父の服装にも違和感を抱くようになった。いくら仕事着がジャージとはいえ、それで通勤までするのはおかしい。そのまま仕事を経て、汚れたそれを別のジャージに着替えて退勤し、翌日の仕事を終えるまで着回すのはまたおかしい。普段着との区別は本人にもついていないようだった。

 成人男性向けのファッション誌を読み漁る私は顔馴染みの図書館職員に再び心配されたようで、私も自分が可哀想になったが、苦行の甲斐あって父のコーディネートは私の役目となった。父は唯々諾々と従っていたが、髪を伸ばすことについては最も長かった頃だという昔の写真を見せられてこちらから引いた。あの無様な薄毛をさらされるぐらいなら坊主頭のほうが幾分ましだった。

 休日のうち、父にも用事がない日には、外出を誘うようになった。よく読む雑誌には面白そうな場所や気になる遊びも紹介されており、大抵のことは一人でこなしたが、単身で赴いたり行ったりするには気が引けたり困難だったりするものや、そもそも不可能だったりするものもあったのだ。財布を出さなくてよいという打算がなかったとは言えないし、初めての場所に迷いやすい私の道標としての役目を負ってもらうことも度々あった。何より幼少の頃から得られなかった団欒を取り戻すことにも繋がった。父と連れ立つのは地蔵を引きずるのに等しかったが、それでも私は満足だった。

 予想外のことも起こった。私が頭を捻って導き出したコーディネートどおりの服装になった父は、異性に粉をかけられるようになったのだ。父を残して席の確保をしたり、二人分の注文を手にして戻ってきたりすると、父が女に話しかけられている場面によく遭遇したものだ。とはいえ中身は変わらない。少しでも父と接すれば、誰しもがその正体に気が付くはずだ。無知で無口で無粋で無趣味で無愛想で無遠慮で無神経。髪の毛以外にも無いものが多く、ごく近いところにはコブが付いている。お父さんと父に声をかけるだけでほとんどの女はいなくなった。そのために誰もが一定の距離までしか近づいてこなかった。父もまた淡白なもので、彼女らを追っていくようなこともなかった。そもそも接近を把握していたのかどうかさえ怪しいものだ。

 だから私は未だに父とその再婚相手との馴れ初めを知らない。

 中学三年生の冬休みに入ってすぐ、父を誘うも先約を盾に断られ、予定を変えて一人で別のところに出かけたある日、持ち前の方向音痴が顔を出し、目当ての店を見つけられずに苛立ちながら彷徨っていた私は、見知らぬ女と連れ立って歩く父の後ろ姿を発見した。あっと思う間もなく二人はすぐそばの小綺麗な建物に吸い込まれていった。産科を標榜するクリニックだった。

 私は回れ右した。帰路は少しも迷わなかった。途中で目当ての店を見つけたが、端から端まで全部注文するという野望は消え失せていた。

 見間違いではないかと思おうとして断念した。あれは確かに父だった。あんな風体の男は二人といるまい。服装も私が選んで着せるようになり今朝出かけるときにも身にまとっていたものだ。女についてはよく見ていない。父よりは痩身で小柄だったが私を含めた多くの女はそうだろう。しかしそのファッションが腹回りにゆとりを設けたものであることは目的地を知らずとも明白だった。

 これらを踏まえて導き出される推論に私は動悸を堪えられなくなる。父が昔ほど私の誘いに応じなくなっていたことには気が付いていた。今日のように三回に二回は断られ、一人で外出していたものだ。夜遅く帰ることも少なくなく、外泊してくることも珍しくなかった。それらの事実はさらにその推論を補完していく。むしろなぜそういう可能性に思い至らなかったのかと悔悟するばかりだが、それは須らく父の性格を知悉しているからだ。無知で無口で無粋で無趣味で無愛想で無遠慮で無神経。

 そう考えると落ち着いてきた。それだけが異論の拠り所になった。あの人に誰かと交際できるわけがないし、子供なんて作れるはずもない。お母さんや私で精一杯だ。だからあれは教え子なのだ。経緯はさておき望まぬ妊娠をしてしまい、その事情を知った父が善後策を講じるために連れ添っているのだ。そうだそうに違いない。

 私がそう結論付けてしばらくして、父の好物ばかりを夕飯として拵えているところ、帰宅した父から、交際相手の出産を待って再婚することを聞かされた。

 予定では年が明ける頃だといい、本当ならば私の高校受験が終わるまで秘しておくつもりだったというが、初産であることに加えて思いのほか早産になりそうであり、主治医から大きな病院への入院を命じられ今まさに従ったばかりのその相手に付き添うため、すなわちこれからしばらく家を空けることになるため、この時期に打ち明けたのだという。私の応諾を待つことなく、父は慌ただしく出かけていった。

 私の手にあった包丁は、次の工程を大幅に逸脱し、私の腕に切れ目を入れた。しかしかつてのように宙に吹き出し肌を流れ落ちる血を目にしても、私はさして驚かなかった。場所を替え、持ち手を替え、試しに狙いを足に切り替えても、その意識は明瞭だった。

 こんなことでは達成できないのだと、予想どおりに始まった月の物の処理をするように血を止めながら、方法そのものを変えることと前後して思いついたのは、玄関先のフェンスを乗り越えた線路の上に佇むことだった。

 血まみれになった服の着替えを済ませて戸を開けると、白っぽく視界を遮られたその先に、目当ての電車が横っ腹を向けて停止しているのが認められた。訝る声をまとった私の吐息も白く、それが溶けるように中空に消えてもなお、舞い落ちる雪は続いた。

 電車からは折からの降雪で設備に不備が生じて停止していることと、それを詫びるアナウンスが漏れ聞こえていた。そういえば、いつもならば絶えない電車の通過音や震動が、いつからかなかった気がする。どれだけ待てば再開するかはわからないし、それまで待つのも受け入れ難かった。

 雪は誰かに言われるまでもなく、辺り一面を控えめに支配しているのが見て取れた。もっとも積もるほどではなく、道路が薄く濡れている程度。積もるとしても例年この辺りでは、踏み締めれば地面に達するぐらいのものだ。

 私はふと、この雪と同じものになりたくなった。いずれ溶けて消えていき、誰にも見つからずに忘れ去られていく。そのために雪に埋もれることを考えた。ここでは到底できないことだ。

 私は戸を開けたまま室内に戻り、厚手の服を重ね着した。父は予定の期間の倍は過ごせそうな枚数の紙幣を残してくれており、それらをひったくって再び外に出た。

 こうなると電車が使えないことはそう悪いことではなかった。タクシーを拾い、雪のありそうな場所と考え、単語としての知識を持っている地名を伝えれば事足りた。近場ではないために面食らった運転手は、こんな時間にどうしたのかと聞いてきたが、母のところに行くのだと答えると少しは不審を拭えたようで、電車が止まってしまったからと重ねると納得してくれた。

 目的地に着いたのは夜半頃だった。山だということは知っていたが、頂上からの眺めが絶景だということは車中で調べるまで知らなかった。そのためにこんな時間でも明るい建物があったのは助かり、そのために人気がないことも都合がよく、そこで下ろしてもらうことにした。車が見えなくなるまで見送ってから、戻ってこないことを確認するまでさらに待った。

 雪はこちらでも静かに降っており、路傍を中心に厚く積もる先達の嵩を増していた。整備された登山道をしばらく進み、呼吸が収まりにくくなってきた頃合いで、道を外れた。靴の高さまで沈むぐらいの雪の上を、振り返ってみてもさっきまでいた場所が見えないところのさらに先まで進み、つまずくようによろめいて膝と手をついたところで、ここでいいかと積雪を掻き分けた。

 思いのほか深い雪はしかし柔らかく、私一人が小さく横たわることのできる程度の隙間はすぐにできた。縮かめた身をねじるようにそこに収まると、首尾よく顔が天を仰ぐかたちとなり、丸めた背中が思わず笑ってしまうぐらい冷たくなった。

 もう動かなくてよくなると思うと、突如として急激な疲労を催したが、最後の力を振り絞るように足を伸ばし、半身を起こして左右に寄せていた雪を下から順にかけていき、両腕と首から上だけが覗くところまで頑張って、頭を寝かせる。

 仰向けになった私の体に、さらに雪は降ってきた。剥き出しの手と顔に直に触れるも、両手はもはや存在する感覚さえ忘失していた。顔に訪れるそれは早々と目を閉じていたのでどんな軌道を描いたかは知れないが、耳や鼻をむず痒くさせ、少しだけ口を潤し、それも次第に感じなくなる。願いどおり、雪と一つになれたような心持ちになった。

 もう一つの願いが叶わないことはわかっている。全身を包むこの雪と一緒に溶けて消えていくことなどできないだろう。でもこのままこの雪の中で永遠に見つからなければいいのにと思い、それもきっと果たせないということもわかっていた。

 それでも当初の目的は達成できるだろう。私はここで死ぬのだ。この辛い人生をようやく終えられるのだ。

 目元が熱く濡れてきて、思わず拭おうとした手をどうにか留めた。何で泣くのか考えそうになるのをどうにか堪え、それどころか何も考えないように努めた。もう死んでいるように振る舞ううちに、私の意識は次第に遠ざかる。

 それでも最後の最後まで、私の瞼には、あの人の姿が、はっきりと浮かんでいた。そのときに思っていたことも、はっきりと覚えている。

 そして私は膜を引き剥がすように目を覚ました。

 入院経験がなくても、一見して病室とわかる清潔な部屋の簡素なベッドに、病衣をまとって一人横たわっていた。

 起き上がることも立ち上がることもでき、特に肉体にも思考にも支障を来たしていないことを確認していると、後に私の担当だと知ることになる看護師がやってきて、驚くのも程々に、色んな器具を用いて医学的にも問題ないことを証明してくれた。

 彼女は私の血圧やら体温やらを確かめながら、記録的な暖冬のために溶けた雪の中から私が発見されたことと、発見が早かったから大事に至らなかったのだろうという分析を披露した。もうあんなことしちゃだめよという困ったような笑顔から顔を反らすと、西日が差し込む窓から輝く積雪が見えた。溶かしてもくれず隠してもくれない彼らに、裏切られたような気持ちを抱いた。

 どれぐらい経っているのかという質問に対し、ついさっきだという回答が得られた。私は今一度、今日の日にちを問うた。暦の上では春だった。

 彼女は父がすでにこちらに向かっていることを残して去っていった。今ならさぞかし脈拍が速まっていただろう。

 私はほんの少し先が見通せなくなるまで吹雪くほど急激に悪化してきた天候を眺めながら、我が身に訪れた迷惑な奇跡に立腹していた。なぜだ。なぜ死ねないのだ。これだけ体を切り刻んでも、あれだけ血を投げ捨てても、どれだけ雪に埋もれても、まだ足りないというのか。私はいったい何なんだ。

 怒りと嘆きと困惑の果てに私は、名前のせいだと思い至った。私は明日死ぬだろう。奇妙な花言葉を持つ花キスツス。夭逝した母と相対する無限の生を願われ私に名付けられた花の名。それは呪いのように私の命にまとわりついている。だから私は何をしても死ねないのだ。いつまでも死ねないのだ。そんな名前を付けた父に対して、それでありながら私を苦しませるあの男に対して、これ以上ない憎悪が芽生え、一瞬のうちに膨張したそれは底を穿ち天を貫き涯を破る。あるいは初めからその規模と質量で出現したようにも思えた。

 その日のうちにあの男はやってきた。私にとってはほんの少し離れていたという感覚しかないが、こちらにとっては実際の時間が流れているはずだ。

 長い休みの只中で登校の必要がないために、私のことについて誰からも連絡を受けることがなかったから、帰宅して作りかけの料理や乾いた血だまりを見て異変に気が付いたことだろう。それまで私がどこにいたのか、なにをしていたのか、なぜこんなところにいるのか、知りたいことはいくらでもあるだろう。しかしこの男の口は相変わらず重かった。

 私は感情をぶつけるのをどうにか留保し、中学に進学してから身に着けた最低限の社交性を遺憾なく発揮した。

「生まれた?」

 男は変わらず黙っていたが、やがてスマホを手渡してきた。

 画面いっぱいに、おくるみに包まれた赤ん坊の顔のアップが映っていた。スワイプするとほとんど同じ顔のアップが現れ、あるいは小さな全身が別のアングルから何回も現れた。それが終わると、その子を胸に抱く病衣姿の女が登場した。垂れ下がった髪の毛で表情は窺えないが、赤ん坊を抱える手付きは優しかった。その次に差し掛かったところで、私は思わず目を閉じ顔を伏せた。

 たったの一瞬なのに、私はその写真を脳裏に焼き付けてしまった。赤ん坊を抱いてその顔を見下ろすこの男の姿と表情。この男は、こんな風に笑うことができるのか。私には、ただの一度として、見せたことがないのに。

「なんて名前?」

 私はスマホを差し出しながら尋ね、男はスマホを受け取りながら答えた。性別を判断するのは困難だった。

「どういう意味?」

 男はまだ聞いていないと答え、相手に任せたからわからないと付け加えた。

「英断ね。それなら私みたいに体中を切り刻んでも、雪の中で年を越しても、死ぬことができないなんてことにはならないわね」

 男は何も言わなかった。私も何かを言う気はなかった。

 やがて男は、自分の勤める学校であれば、今からでもどうにかねじ込めるという趣旨のことを言った。

 しばらく意味がわからなかった。ややあってから進路に悩んだものだと誤解されているのだと悟った。初めから内申点を期待せず、一般入試でしか出願していなかったし、今日ではそれさえ過ぎた後であるから、もっともではある。

 しかし私は思いがけず落胆していた。この男は何もわかっていないのだ。私が何のために死を望んだのか、何を苦痛としているのか、何もわかっていないのだ。全宇宙を覆いその下にあるもの全てを圧し潰すほどの憎悪は嘘のように霧消した。この男に期待するべきものなど、何一つないのだと知った。

 私は受験することを改めて伝えた。条件はそれまでに示したことのないものであり、たった一つに狭まっていた。それは生家からでは到底通えない場所にあること。すなわちこの男の勤務先ではないということ。それまでは希望していた職業や将来の夢と呼べるものがあった気がするが、思い出すのも億劫だった。そしてそのために、もう自宅には戻らないことを加えた。万に一つもその女や腹違いの弟妹との邂逅を避けたかった。何よりも私に向けられたことのないあのような顔を、もう二度と見たくなかった。

 私の意図がどれだけ通じたかは杳として知れないが、あの男は私の要求に対し、最低限の言葉で了承し、最大限の対応を行った。翌日に退院した私は、あの男に指示された近場の宿に逗留することになった。前夜あの男が過ごしたところをそのまま引き継いだものだ。

 受験シーズンは佳境を越えていたが、後期試験を残している学校は探せば幾つかあるもので、その中から目的を果たすことができるところに絞り込み、さらには最速で試験を受けられるところに絞り込んでいく。あの男から送られてきた情報も私の調査と概ね合致していた。

 偏差値の高低は問わなかった。どこにだって行ける自信があった。その中で白羽の矢を立てたのは聞き覚えのある地名にあった学校だった。入学試験を翌日に控えた出願の際に初めてその地を訪れて一文字違っていたことを知った。どうでもよかった。どこでもよかった。全てはできるだけ早くあの男から離れることだけが目的なのだ。

 恙なく進学を決めると、バス一本で行き来できる、日当たりのよいワンルームマンションの中層階の一室とともに、3年分の賃料と学費と生活費としては十分すぎる資金を与えられた。この数年間、堅実に家計を担っていたことから、浪費する恐れはないという信用を得ていたのだろう。足りなくなったときは言うよう伝えられたが、仮にその必要が生じたとしても言う気はなかった。実際一度ぐらいの留年は問題なかった。その後のことはどうでもいい。どうとでもなる。

 入学式の前日に届いた新しい保険証は、ほんの一瞬だけ誰のものかわからなかった。被保険者だという人物の上下の名が、それぞれ見知らぬものと見知ったものだったからだ。被扶養者が二つとない名であることから私のものに間違いないと思う間もなく、あの男が名字を変えたことを悟った。

 直後に私は首を吊り、明くる日になって隅々まで照らすほどの日当たりのよさとともに、やはり死ぬことができずぶら下がったままの私を知ることになった。しかし私は私を知ることができなかった。

 私はいったい何なんだ。

 誰も教えてはくれなかった。


 鳥籠のような塒にあの男が無遠慮に侵入してきたのは、私が戻ってきてからかなりの時間が経過した後。

 思いがけない再会に全ての意欲が喪失し、なのにしっかり空腹を覚えていたため、炊飯器に洗米と具材と調味料を入れて炊き上げるだけのピラフを作り、山盛りにしていざ食べ始めたところだった。

 普段ドアのほうを向いて食事をしている私は開錠の音を聞きつけるや、慌てて座卓を皿ごと飛び越え反転しながら膝から着地した。開いたドアの隙間からその姿が見切れたが、向こうから私を視認することはできなかったはずだ。

 あの男は無言で部屋の中に入ってくると、私から離れたところで立ち止まる。私も黙ったまま、食事を続けた。

 あれから一度として生家にも生地にも戻ることはなく、毎日欠かさず送られる無言のメッセージに既読をつけるだけのやり取りを続けていた。それが長く途絶えたときのために持たせた合鍵が、そのとき以外に使われることになるとは思わなかった。

 いったい何の目的で来たのかと、内心身構えている私の耳に、食器の音が聞こえてきた。胡蝶くんと付き合うようになってから、いつその機会が訪れてもいいようにとワンセットずつ追加したうちの一つ。思わず振り向き、皿とともに床に安座で居座るその背中に声を張った。

「何勝手に食べてるのよ」

「この量ならどうせ残るだろう」

「残すつもりで作ってるの」

「そうか。それじゃあ戻しておこう」

「やめてよ気持ち悪い! そんなの食べられるわけないでしょう!」

 さすがに言い過ぎたと思ったが、攻撃を目的とした過剰な本音は、零れ落ちた食べ物と異なり口の中に戻すことも飲み込むこともできない。さりとて素直に詫びるのも癪で黙り込む。

「そうだな。すまないことをした」

 ここで腹でも立ててくれればいいものを、殊勝に言ってくるものだから、こちらに負い目を抱かせ、そのことまで含めて苛立たせてくる。

「いいわよもう。それ食べたら帰ってよ」

 そう吐き捨てて私は食事を再開する。勢いがついていたためあっという間に皿は空く。しかしあの男が食べ終える様子はない。というよりその後食べていないのではないか。食べてないから帰らないでいるのではないか。むしろ帰らないために食べないでいるのではないか。これではおかわりできないではないか! どうして私がとことん割を食わなければならないのだ。

 様子を窺いたいものの、迂闊に振り向いてうっかり顔を合わせることになるのも嫌だったので、しばらく味のしなくなったスプーンを噛み締めていたが、ふと思いついてスプーンを立てつつ前方に伸ばしてみた。鏡の代わりにしてみたわけだが、凹部だと上下が逆さに映り、凸部だとそのままになるという、思いがけない発見に恵まれた。感心して手首を返していると、肩越しにこちらを見ているあの男の姿が上下2つのパターンで映っているのに気が付き、思わずスプーンを口に隠した。遅れて顔が赤くなる。男はそれを見計らったかのように喋り始める。

「片喰がお前と同じ高校に入ったことは聞いていた。面識ぐらいはあるかもしれんと思っていたが、そんな間柄になっていたとはな」

 この男がこんなにも滑らかな口を得たのはいつからだろう。きっと、その女と出会ってからだ。どんなに頑張っても、私にはできなかった。

「やることはやったのか」

 身が強張った。この無神経さは変わらないのか。呆れて返事をできずにいたことを否定とでも受け止めたのか、こちらも呆れた口調で言い捨てられた。

「遅いな。俺たちのときはもっと早かったもんだがな」

「早けりゃいいってもんじゃないでしょ」

 男親と赤の他人のロマンスなど聞きたくもない。それが伝わったのか、唐突に話題が変わる。

「進路は決めたか」

「関係ないでしょう。父親面しないでよね」

「高校教師として聞いているんだ」

「教え子になった覚えはないわ」

「そうだろうな。その気がないからここに来たんだろうしな」

「よくわかってるじゃない。なんで先生と名字違うの? なんて聞かれたくないわよ」

「金のことなら心配するな。それぐらいの蓄えはある」

「結構です。奥様やお子様のためにお使いください」

「そういう嫌味なところ、母親そっくりだな」

「お母さんと一緒にしないでよ」

 私は写真でしか会ったことのない母親を思い出していた。顔のよく似た夫婦だと思ったものだ。それが貶されるのは許し難いものだった。

「命がけで子供を産んだ立派な人よ。私みたいな気の触れた人間とは違う。なんでこんな男と結婚する気になったのかしらね」

「俺は大いに反対したんだがな」

「………」

「俺みたいな男より、もっといい男がいるはずだってな」

「………」

 男親と亡き女親のロマンスは、少し気になった。そこに到達していく発端と経緯は一度聞いただけで覚えたが、その時々の感情や仔細なやり取りまでは知る由もない。しかし再び話題が急変する。

「お前、いくつになった」

「こういうのも男親の特徴なのかしらね。学年考えればわかるでしょう」

「あいにく教え子に留年した奴がいなくてな」

「同級生を自殺に追い込んでも構わず卒業させるような学校だものね」

「俺は大いに反対したんだがな」

「………」

「しかし片喰を停学にも退学にもさせないためには、それと棒引きにするしかなかった」

「………」

「それに、俺が聞きたいのはそういうことじゃない」

「……?」

 しばらくの間、私たちの元に沈黙が下りてきた。この人はこの話をしたかったのだろうかと、嫌でも身構えてしまう。やがて私は尋ねられた。

「どうしてお前は死ねなかったんだと思う」

「さあ? いつまでも死ねないような呪われた名前を父親に付けられたからじゃない?」

「俺は母親の死んだ歳を越えていなかったからじゃないかと思うんだ。それが呪いのようなものなのか、はたまたその逆か、その辺りのことはよくわからんがな」

「私、19なんだけど」

「まあそんなものだろうな」

「じゃなくて、お母さん幾つだったのよ。ていうか、学校で会った人だって言ってたでしょう。お母さん学校辞めて結婚したって。それにあの写真何よ。どう見てももっと歳いってたでしょう」

「死んだのは18のときだ。教職員だとは言ってない。あの写真は俺の母親だ。お前の母親に出会うより早く死んでいたから身代わりに使わせてもらった」

 男は私の質問に過不足なく答えた後で、実際お前の母親の写真は一つも残っていないと付け加えた。

 初めて知る事柄の数々に混乱した私は、半ば欺かれていたこと以上に不快だったことを口にしていた。

「教え子と付き合って学校辞めさせて結婚するって…頭おかしいんじゃないの?」

「男女の関係になったのはあいつが退学してからだ」

「………」

「辞めた原因が俺だと言われると、否定はできないが」

「………」

「俺があの学校で教師になったとき、ちょうど入学してきたのがお前の母親だ。最初の授業のときからズタズタに切り裂かれた体操服を着ていた」

 私は全身が熱くなるのを感じた。我が身に受けた仕打ちが怒りを帯びて蘇ってくる。そして胡蝶くんに行った類似行為を思い返してゼロ以下にまで落ち着きを取り戻す。私に非難する資格などない。

「その頃から気にかけていたし、どうにか手を尽くしたものだったが、どれもうまくいかなかった。他の教師も生徒たちも、あいつの親でさえも、あいつの味方にはならなかった」

 母方の家系のことは、お母さんのことと同様に、死んだと聞かされていた。好意的に見れば、そのときまでは生きていたということだろう。今の私には、どうでもいいことだ。

「そして俺はお前に言ったのと同じことを言った」

 あんなところに行かなくていい。自分が通う学校の教師からそう言われた生徒の心境はいかほどだろうか。あるいは私が感じた以上の福音として響いたのかもしれない。しかし私はひねくれている。

「で、もう教え子じゃないから別にいいやって、襲ったわけ。そっちが目的だったんじゃないでしょうね」

「襲われたのは俺のほうだ」

「………」

「退学してすぐに家にやってきた。お礼をしたくて後を着けてきたとさ。手料理を見せてきて、仕上げをするから台所を貸せと言うんで、上げてやった。ちょっと背中を見せたところで、一瞬で転がされて組み伏せられて身動きも取れないまま終えた。あいつが離れるまで抜け出すことができなかった」

 俺たちのときはもっと早かったというのは、こっちのことだろうか。確かめる気は起きない。

「あれは天賦の才だ。投技でも寝技でもその気になれば世界を狙えただろう。だがあいつは言ったもんだ。俺が相手だからできたんだとな」

「………」

「それから家に居ついた。俺なんかよりいい男が他にいるだろうと、いくら説き伏せても聞きやしない。追い出そうとすればあることないこと言いふらすと脅された。学校にいられなくなるぞと」

「それでなんて答えたの」

「構わん、と」

 目に浮かぶようだった。保身とか世間体とかにはてんで無欲で無関心。この人はそういう人だ。自分が信じる正しさを無暗に追求することしかせず、実際それしかできない人。

「俺が職を失うことなどたいしたことじゃない。退学したとはいえ年端もいかない教え子と寝るなぞ教師失格だ。むしろこっちから言おうと思っていたほどだとな。すると今度は口止めだ。絶対に言うな、私を養う気はないのかと」

「そんな無茶苦茶な女とどうして結婚したの」

「あいつが結婚できる齢になったからだ。最初からどんなかたちであれ責任は取るつもりだった。あいつの気持ちが微塵も変わらないと知ってその日のうちに届を出した。そしてあいつが死ぬその日まで一緒に生きた。その翌日には今のお前と同じ歳になるはずだった」

「………」

「そこまでしておきながらあいつは死んだんだ。俺と、生まれたばかりのお前を遺してな。馬鹿な女だ」

「産後の肥立ちが悪かったんでしょ…? そんな言い方するのやめてよね…」

「あれは嘘だ」

 あまりにも当たり前に言われて、垂直よりも真っすぐに背筋が伸びた。軋むように振り返り、父の背を見据える。

「あの日、お前を産んだばかりのあいつは、すでに書き上げていた出生届を出してくるように俺に頼んできた。名前は一人で決めていたんだ。とても素敵な花言葉を持つ花だと言っていた」

「ちょっと、ちょっと待って」

 私は思わず体も振り向かせていた。父は正面を向いたままだ。

「私の名前はお父さんがつけたって」

「本当のことなんて言えるものか」

「………」

「役所から戻ってきた俺が戻ると、ベビーベッドで眠るお前の傍らで、あいつは首を吊っていた」

「………」

「遺書もなく、それに代わるようなものも何もない。なぜ死んだのかを、何も遺してはくれなかった」

「………」

「お前の名前と同じ花の花言葉を知ったのはその後だ。だから俺がその名前をつけたことにした。ありもしない理由を無理やり捻り出してな」

「………」

「俺はあいつを憎んだ。何も言わずに俺たちを遺して死にやがって。そのせいでどれだけ俺が苦しんだか。母親がいないことでどれだけお前が苦しんだか」

「どうしてそんな大事なこと、今まで言ってくれなかったの」

「お前があいつの歳を越えるまでは、初めから黙っておくつもりだった。死んだ母親が自殺だったことを伝えるのは忍びなかったし、それを知ったお前がどうなるのか、想像もつかなかった。ショックを受けるだろうとは思ったし、後を追うようになることだけは絶対に避けたかった」

「………」

「だが、そんなこととは関係なく、お前は死のうとした」

「………」

「あの頃からお前はだんだんあいつに似てきた。顔も声も、仕草も体格も、物の考え方も服の趣味もそっくりになっていった。食い意地も張ってたな。飯の味付けなんて寸分違わん。教えたわけでもないのになぜわかる。喜びよりも恐怖が勝った。怖くて仕方なかった。俺はあのときと同じように、誰よりも愛しい人をまた、何もわからず失うのではないかと。そしてようやくわかった。俺はもう、死んだあいつのことを愛していないのだと。何もわからなかったあいつのことから逃れたいのだと」

 得心がいった。色んなことが繋がってきた。

「それで私からも逃げたのね」

「そうだ」

「そこで出会ったのが今の奥さんってことね」

「そうだ」

「そして私を捨てたのね」

「…そうだ」

 心なしか逡巡を感じたが、それを追及するよりも、新しい疑問を解きたかった。

「じゃあどうしてそのまま黙っていてくれなかったのよ」

「これを話しておかないと本題に入れないからだ」

 まだ入ってなかったのかと内心ずっこけている私に、父は言った。

「仕事を辞めることになった」

 目を見開き耳を疑った。事情はどうあれ家庭を顧みず執心していたそれをなぜ。答えるように父は続ける。

「お前の母親のときもそうだったし、片喰の兄のときもそうだし、その後もそうだ。ろくでもない問題は未だに起きてる。どうにかあの学校を変えようと戦ってきたが、力及ばずだ。年度いっぱいで職を追われることになった。甚だ不本意だが仕方ない。だがこれを機に女房の郷里に行くことになった。そこでまた、今と同じように働くことになる。これから先、俺もあの家に戻ることはないだろう」

「どこなの?」

 私の純粋な問いかけに父は即答したが、致命的に地理が苦手な私には字面はもちろんイメージも湧かない。近いのやら遠いのやら、暑いのやら寒いのやら。私がわからないだけで有名なところなのだろうか。ふと気が付くと肩越しにこちらに向けられた視線と目が合っていた。反らすより早く父の口が開かれるのが見えた。

「お前も来ないか」

 私は再び自分の耳目に疑いをかける。そんなはずない。その女にしても、その子にしても、私みたいな身内なんていないほうがいいに決まっているし、他でもないこの男が私を求めるはずがない。父は顔を戻し、やはり私の疑問を払拭するように続けた。

「女房は全部知ってる。お前のことも、お前の母親のことも、全部話してある。そのうえであいつはお前に会いたいと言ってる。お前を養子にすると宣言してる。自分が新しい母親になるのだと息巻いてる。お前の意思も聞かずにそんなことできないと言ってもなかなか聞かん。今日だって着いてくるというのをどうにか置いてきたぐらいだ。子供にはお前の母親の本当の死因までは話せていないし、お前が自殺未遂を繰り返していることも話していないが、姉がいると知っただけで大喜びだ。年長さんではないといくら伝えても、一緒に遊べるものだと勘違いしたままだ。俺もお前がそばにいてほしいと思ってる」

 父が発言するたびに、胸の奥に熱いさざ波が寄せてきていた。胡蝶くんのお母さまのような人に請われる空想や、願うことさえ放棄していたきょうだいから望まれるむず痒さに、口角が軽く持ち上がる。そして最後の一言は、それを一挙に飲み込むほどの大波だった。

 私はきっと、その言葉が欲しかったのだ。父の再婚に反対したかったわけではない。父を選んでくれた人に嫉妬や憎悪なんて感じるものか。異母姉という肩書を得ることが嫌だったわけでもない。母親を異にしようとも弟妹ができることを寿がないはずないだろう。ただ私は、父の選んだところに私が含まれていないことが、そう感じずにいられなかったことが、死ぬほどまでに辛かったのだ。

 だから私は海嘯のように、その波を弾き返すことにした。

「お父さんって自分勝手ね」

 緩ませた口元は、父が見ていないにもかかわらず、嘲罵を装うためのものにした。

「今更そんなこと言われて、私がどんな気持ちになるか、ちっとも考えていないでしょう。お父さんにお母さんの気持ちがわからないのも当然よ。私の気持ちだってわかるはずもない。わかろうとなんて、してくれてないじゃない」

 そこで引き締めた表情は、母を詰るためのもの。

「でも、お母さんもお母さんよね。嫌がらせみたいな名前を私につけて、何も明かさずに自殺していって、本当に自分勝手」

 俯くことで向いた視線の先にいるのは、他でもない私。

「私も私。言いたいことも聞きたいこともいっぱいあったのに、何も言わずに何も聞かずに一人で突っ走って、周りの人みんな巻き込んで、こんなとこまでやってきた。本当に本当に自分勝手」

 そこで思い切り顔を振り上げたのは、母を初めとした先達に対峙するためだ。

「自殺ってね、やっぱりすごく自分勝手なことなのよ。なんで自殺するかなんて、どれだけ説明したって誰にも納得なんかしてもらえない。死んでいいなんて、誰かに言ってもらえるはずがない。だって死んでいい人なんて、本当はいるはずがないんだから。それでも自殺したいなら、それだけのことをやらなきゃいけない。残された人たちが、どうして助けられなかったんだなんて、せめて苦しまないように。どうしようもなかったんだって、自殺者を置き去りにできるように。それをしない人は、自殺なんてしちゃいけないのよ」

 最後に私は父を向く。

「だからお父さんは、間違ってなかった。自分勝手な私や自分勝手なお母さんのことなんて、自分勝手に捨ててよかったの。そうしないと、お父さんが生きられなかったもの。私はお父さんが、今日まで生き延びてくれて、今は幸せでいてくれて、本当に良かったって思ってる。だから私がそこに行くわけにはいかない」

 父の前屈した背中はとても小さくなっていた。私は見えていないことを承知で姿勢を正し、一語も漏らさず聞かせるべく丁寧な言葉と口調によって、その後姿を容赦なく蹴り飛ばす。

「卒業するまでは、お世話になります。でも、その後のことは、構わないでください。私はもう、あなたに愛されなくても、生きていけます。だからあなたももう、私を拾いに来ないでください」

 この人が、私ともう一度、あるいはこれから初めて、父子の関係を構築することができると思っていたとは、さすがに思えない。そこまで無理解な人だとは思わない。それでも一縷の望みを繋ぐように私の元にやってきた。そしてあえなく拒まれた。それでいい。

 私にたどり着けなかった父は、失意のうちに巣に戻っていくだろう。そこには新しい妻子が待っている。手ぶらの夫や父親を責めるようなことはせず、その頑張りと喪失を心からねぎらうことだろう。そこに存分に甘えればいいのだ。自分なりに娘を育てることに精一杯で、誰にも甘えることができなかったこの二十年弱の分まで、無様に泣いたり無駄に悔いたりして、慰めてもらえばいいのだ。それがあなたの居場所だ。あなたがいるべき場所なのだ。もう二度と、ここへ来てはいけないのだ。

「なあキスツス。なんであいつは、死んじまったんだろうな。どうしてお前みたいに、死なないでいてくれなかったのかな。あいつが生きててくれれば、俺もお前も、こんな風になってなかったのにな。もしかしたら俺はずっと、あいつに愛されてなんて、いなかったのかな」

 そう言う途中で父は幾度か鼻をすすり、その声はのべつ震えていた。答えを持たない私はしかし、そのことを伝えて涙声を聞かせるのが嫌で、黙っていた。

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