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1 憂鬱な日


「父さん……行ってきます」


「あぁ……いってらっしゃい」


 次第に小さくなっていく息子の背中を俺はしばらく眺めていた。


「……がんばれよ」


 はぁ、と小さなため息をついて、仕事用のスーツを身に纏った。


 息子は王立魔道士養成高等学院へと向かった。今日はその入学式。

 新入生の保護者の参加は認められているが、残念ながら俺は行くことが許されない。




 なぜなら俺は底辺貴族だからだ。




 7段階の貴族カーストの最底辺。辛うじて貴族としての肩書を持っているが、その実態は貴族というよりも召使いに近い。

 普段は上流貴族の雑用として働いている。無論、親切に扱われることなどはなく、その立ち位置は奴隷の少し上といったところか。

 なぜ俺の家はこれほどに身分が低いのか、それは分からない。俺がこの世に生まれる、そのずっと前からこうなのだと父母から聞かされている。



 息子が、かの有名な魔道士育成校に初めて登校するというこのめでたい日に、俺は二流貴族の屋敷の床をせっせと拭いているのだと思うと、不甲斐なさが心に溢れて仕方がない。が、それでも俺は仕事を全うせねばならない。息子の入学式、そんな理由で仕事を休むなど許されるわけがないからだ──。


 あぁ、憂鬱だ。また今日もあの屋敷に出向かねばならない。その事実が俺の気分をどん底まで突き落としていく。


 ……はぁ、今日も仕事、なのか。




 ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢




 ──僕の父さんは底辺貴族だ。




 だから僕は貴族生徒の列の最後尾、平民生徒の列の最先端の一つ前という、とても微妙な位置に座らされている。


 今日は王立魔道士養成学院の入学式。今まで僕を虐めてきた上流貴族の御曹司たち(あいつら)も、堂々と前の方で学院長の話を聞いている。



 (また、あの地獄の日々が始まるんだなぁ……)



 そう思うと気分が沈む。


「──当学院では、皇帝殿下のもとに定められている貴族制の原則に則り──」


 そう、ここはこの国の貴族制の文化が色濃く反映されている学院。底辺貴族出身とあれば、いじめの標的となることなど目に見えて分かる。


 ──はぁ。憂鬱だ。


 頬の傷が痛み出すのとともに、中等学校のときの、あの放課後の苦い思い出がフラッシュバックしてくる。



 ♢ ♦︎



「違う‼︎ 違うんだ! 僕はやってない‼︎」


 僕はそのとき、同級生のパオラを何度もぶん殴った、という濡れ衣を着せられていた。


「まだ白を切るのか? ルネ。 おいパオラ、確かにルネがやったんだな?」


「うん! 確かにこいつがその手で、私の頭を……殴ったの……!! デュアン、早くなんとかして!」


 違う。本当は、パオラに後ろ髪を直すように頼まれただけだった。分かったよ、と言って僕がパオラの髪に触れようとした瞬間、パオラは僕の手を振り解いて泣き出し、他の同級生たちに僕がパオラを殴ったんだと言いふらし出した。


「な、何でだよ! パオラ、僕はただ君に頼ま──」


「うっせぇなこのクソ餓鬼! パオラは泣いてんだぞ! お前に泣かされてんだぞ分かるかおい‼︎ 自分より弱い奴の前でだけ粋がんなクズ!!」


「随分と偉そうだなルネ。前々から変な奴だとは思っていたが、まさか人を殴るようなゴミだったとはな。 ほら、謝れパオラに」


「そうじゃない! 頼まれたんだ! 僕はパオラに!」


「殴ることをか? ふざけてんのかてめぇ」


「違──」


「そういう奴だったのか、ルネ。 残念だ。 見損なったよ」


「待て、聞いてくれ、僕の話を‼︎」


「ルネ、見苦しいぞー」


「とっとと白状しろよカス」


「いやだから違──」


「いやその前に謝罪だ。 ルネ、パオラに早く謝るんだ。 もしかしたら許してくれるかもしれないよ? パオラは優しいから」


 何でだろう。どうして皆んなはこんなにも分かってくれないんだろうか。僕がそんな薄情なことするわけないだろ──。


「おいおい、謝れっつってんだろぉ⁉︎ ごめんの一言も言えねぇのか、お前って奴はよぉ」


「デュアン、もう限界だわ! 早くこのゴミを処理して頂戴‼︎」


「ん、そうだなパオラ。 ちょっと分からせてやるか。 自分がどういうことをしたのかってことを」


「何でだ‼︎ 僕はなんにも──」



 バシッ



 刹那、右頬に衝撃が走った。清々しいほどに晴渡った冬の大空に、鈍く太い、そして重たい音が反響する。



 ──痛い。殴られたのか……?


「ぐ……は……」


「ざまあみろ。 これがパオラの味わった痛みだ。 100倍にして返してやるよ。 おいお前ら、こいつボコしていいぞ」


 次の瞬間からは拳と蹴りの嵐だった。僕はその後、気を失うまで傷められ続けた。




 ♢ ♦︎




 そして、目が覚めるとそこは鬱蒼とした、不気味な森の中だった。



「お、ルネ、お目覚めか? 悪人には罰を施さなきゃいけねぇからなぁ、アハハ。 すまんな、運が良ければ帰れるかもしれねーよ? あは、あは」


「じゃあなー、ルネ。せいぜい魔物の腹を満たしてやってくれや、カッカッカ」


 日没間近の太陽が森の木々を暖かくオレンジ色に火照らせている。


 そこは……多分、魔物領域(フェンスの外)。日が没んだ頃にはそこらじゅうで飢えた魔物がうろついているという、世界で最も危険な場所の一つだ。そこに、彼等はタコ殴りして弱り果てさせた僕を置いていこうとしていた。

僕はボロボロに傷ついた拳を弱々しく握りしめ、パオラと、自分に暴力をふるった同級生たちを呪っていた──。



 ♢



 ──狂ってるよ……。間違いなく狂っている……。


 ここは……魔物の領域じゃないのか……。こんなところに置いてかれたら、まず助からねぇぞ……。こいつらは本気で僕を殺す気なのか……?


 皆んなは笑っている。揃いも揃って同じように大口開けて、さも楽しそうに──。


「さぁ、行こうぜ。もう日没だ」


「あー腹減った。今日の夕飯は何かなー」


 行ってしまう。本当に置いていく気だ。奴らは。


 考え事をしている場合じゃない。動かなければ。街の門が閉まる前に街へ辿り着かなきゃ終わりなんだ。と、とりあえず立ちあが──。



 ──うがっ‼︎



 体を動かそうとしたその刹那、亀裂の入ったような激痛が全身を駆け回った。


「うがあああぁぁぁぁぁ‼︎」


 ──痛い、痛い痛い痛い痛い痛い。全身の筋肉、骨、その全てが悲鳴を上げている。無理だ。歩くことなど到底。立ちあがることすらままならない。


「ん? おいおい、なんかあいつ騒いでるぞ」


「放っとけ。どうせゴブリン仲間でも見つけて喜んでんだよ」


「ハハハ、そりゃあ傑作だぜ、ヘッヘ」


 そんな笑い声も次第に遠のいて、終いには聞こえなくなってしまった。


 なんとか立ち上がろうと試行錯誤しているうちに、あたりは数メートル先も見えない暗闇へと変化していた。


 もう体を動かそうとする気力が残っていない。

 そして呼吸が荒い。少しづつ意識が肉体と乖離していくような、そんな感覚に襲われる。もう、ダメなのかもしれないな……。


 自分の掌すら見えなくなった漆黒の世界の中心で、僕は意識を失った。


アルファポリスでも掲載しています

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