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プロローグその1

初めての作品投稿になります。生暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。

私は小平正三、現在69歳になる爺だ。1930年に田舎の農家の3男に生まれ。

子供のころ第二次世界大戦で争いの虚しさを経験し、その後小さな電気部品製造工場を立ち上げた。


小さかった町工場は、ベンチャー精神で世の中にない物を次々と創り上げた結果、現在は1部上場会社にまでなった。


民は国のため!国無くしては民は無し!と学校で教えられ、戦争を幼いころ経験したためか、

私の中では、 国は民のためであれ。 民なくして国は無し。 と言う気持ちがあった。


起業してからは、企業は社会のためであれ。が私の信念だ。


良き妻に出会い、愛しい子供も3人生まれ、会社も大きく成長し始めていた。

ただ1人愛娘は生まれつき、身体に障害を持っていた。当時の社会では、愛娘は一人では生活していけない環境であった。それは愛娘のような子供たちが働く環境がなかったからだ。


愛娘だけなら私の遺産、財産で生涯を終えることは出来るであるが、それではだめだ!私は悩んだ。どうしたら、生まれつきハンデを背負った子供たちが、自立していけるだろうかと。

企業は社会のためであれ。生まれつきハンデを背負った子供たちの支援団体に寄付も考えたがそれではだめだ!根本の解決にならない!


悩み抜き、特例子会社を作り、そこで雇用していくことに決めた。

初めの頃は、思いもよらぬトラブルが沢山あったが、それも落ち着き、その会社は今では社員160人中6割程迄障害を持った人達を雇用できている。


60歳を過ぎた頃には息子2人に会社はほぼ任せ、妻と、趣味のアウトドア、そこそこの面積での畑作、酪農、養蜂、ディー・アイ・ワイを楽しんでいた。


やがて愛娘が亡くなり、昨年愛妻が亡くなり、私の胸にはぽっかり穴が開いてしまった。

会社は、息子2人に任せて大丈夫の様だし、あとは2000年!アト〇やドラ〇もんが生まれた時代を迎えるのみとなった。


今日も、日課の午後のジョギングをしている。家から公園に行き商店街を通って家に戻るルートだ。

!!!

公園の入り口で数人で話をしてる母親達らしき陰から、幼児が道路に向かって歩いてるではないか!!!


幼児はそのまま車道に出てしまっている!奥には車が!気が付いたら私は駆けていた。子供を歩道の方に転がし・・・・・激痛が走った!


何も見えない・・・・体が凄く熱い。サイレンの音がうるさい。女性の声が聞こえた。

「ありがとうございます」「子供は無事です」

よかった。あの子は無事だった・・・・・

私のような老人が生きながえるより、若き命が救えてよかった・・・・

・・・・

・・・

・・


突然私の目の前が真っ白になった。白すぎて眩しい!目を開けてるのがつらいほど眩しい!

一人の人影が見えるような気がした。

・・・

声が頭の中に響いた。

『わしはウラノス。神々の王だった者じゃ』


誤字脱字などありましたら、よろしければお教えください。


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