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宵闇の女王は二度目の愛を誤らない~拾った青年に血と寵愛を捧ぐ~  作者: root-M
第一部 エドマンド・E・オルドリッジの憂苦
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欲望を遂行できぬ男は退屈だ

「いいえ、なんでもないわ。夢を見ていたの」


 答えると、赤毛の男ははぁ、と息を吐いた。


「まったく、シェリルの言った通りだったな。『あの方はお風呂で寝る癖があるので、注意してください』だと。よく今まで溺死しなかったな?」

「そんな間抜けなことはしないわ」

「どうだかな」


 ラスティは眉尻を下げて肩をすくめた。呆れ果てたような表情をしながらも、瞳の奥にはとても優しい光が宿っており、ヴィオレットはつい目をそむけた。


 それから、水面に揺蕩(たゆた)う髪をまとめて掴むと、勢いよく立ち上がる。

 ざばりと跳ねた水滴がラスティに降りかかるよう、計画的な犯行だった。『うわわ』という間抜けな悲鳴に満足しつつ、つんと澄ました顔で言い放つ。


「寒い!」

「そりゃ、長く浸かってたからな」


 湯はすっかり冷えていた。

 浴槽から一歩出て身を縮めていると、ラスティがタオルを持ったままぼんやりとこちらを眺めていた。


「どうしたの? 寒いと言ってるじゃない」

「無防備だな、と思って」

「ずかずかと風呂場に入ってきておいて、今さらなんだ」

「……だよな」


 ラスティは目を細めて柔らかい笑声をこぼした。そのあとでようやく、ヴィオレットをタオルで包み込んだ。

 彼の体温がわずかに移っており、まるで優しく抱き締められているようだった。

 身体の水分をあらかた吸収させると、今度は髪を(くる)む。すかさずラスティがガウンをまとわせてくれた。


「大丈夫なのか?」


 ラスティの思案気な声に、ヴィオレットは首をかしげた。


「なにが?」

「ヴィーを殺人犯だと決め付けてる奴らのところに行くんだろう? そのまま拘束されたりしないのか?」

「行って来いと推したのはお前だろう?」


 声にわずかな険が出た。けれどラスティは気にした様子もなく、ただ頭を掻く。


「いや、俺もその場の思いつきで物を言っちまうから……。なんか心配になってきたんだ」


 普段は明るい男の声が弱々しい。ヴィオレットはやや面食らった。


「案ずるな。そうやすやすと捕縛されたりしない」

「でも、待っている間、きっと不安だ。……俺も、シェリルも」


 なにを言っても、ラスティの懸念は晴れない。ヴィオレットは身体ごと振り返って、彼の頬に手を添えた。


「私はお前とシェリルを守るために行くの。だから待っていて」


 そう、もう二度と大切なものを傷付けられたくない。失いたくない。

 胸の痛みを誤魔化すように、男へ顔を寄せ、くちびるを重ねる。

 ラスティもそれに応じ、ただくっつけるだけだったキスは、噛み付くような愛の交歓へと転じた。


 ガウンの前がはだけ、冷涼感が半身を襲う。だから、よりいっそう男に身体を密着させて体温を求めた。


 やがて、ラスティのくちびるが移動し、ヴィオレットの耳朶を()んだ。それから、顎のラインをたどって首筋へと落ちる。そこに触れられただけで、全身にむずがゆいものを感じ始めた。

 ラスティはキスをやめ、ヴィオレットの首元をしきりに撫でさする。


「昨夜の傷口、もうなくなってる」

「ちょっとした傷跡なら、治癒に数分とかからないわ。従者だとしばらく残るかしら」

「そうか」


 ヴィオレットは、赤毛の男がなにを望んでいるか理解した。そして、自分がなにを考えているかも。

 ガウンの肩をはだけて、そっと囁く。


「……欲しい?」

「昨日食ったばかりだけど」

「欲しいかどうかを聞いている」


 傲然と言い放つと、ラスティは困ったように笑った。


「俺は、ヴィーがいいかどうかを聞きたい」


 互いの望みを引き出すための問答は、男女の駆け引きそのもの。

 だが、ラスティはそんな粋なことができる男ではないと、すでによく知っている。純粋に、ヴィオレットの許諾を待っているのだ。


 欲望を遂行できぬ男は退屈だ、と無下にあしらってもよかったが、今日はヴィオレットが折れることにした。


「いいわよ」


 艶やかに微笑みながら肯定すると、ラスティの喉仏が上下に動く。

 次いで、首筋にくちびるを寄せられて熱い吐息を感じる。肌を破られる苦痛の前兆に、ヴィオレットは身を硬くし男の頭をかき抱いた。


 ピンと張りつめた皮膚に、尖鋭(せんえい)があてがわれる。ぷつりという音とともに破られ、肉がえぐられていく。


「――っぅ」


 痛みは最初だけ。牙が根元まで埋まる頃には、身を蕩かすような官能が全身へ広がり、背を仰け反らせていた。


 ヴィオレットは、今までさんざん人間や従者にしてきたことを己の身に受けて、その快楽を記憶した。

 吸血とは愛情表現であり、征服である。

 プライドの高いヴィオレットは、己が他者に征服されることなどあってはならないと考えてきたが、ラスティ相手ならば許せてしまう。


 自分が血を与えて蘇った男。血を分け合い、肉親よりも濃い絆で結ばれた、大切な『家族』。ラスティが自らそう言ってくれたのだ。


 そして、吸血とは愛される快感。くちづけよりももっと深く濃厚な愛の行為だ。


 通年生殖可能な人間とは異なり、カルミラの民には発情期がある。

 雌性の個体は数年周期で生殖可能な状態になり、雄性側の個体を誘う甘い匂いを発するのだ。

 そのときに交配を行えば、そう低くはない確率で懐胎する。


 反対に言えば、カルミラの民は発情期にしか交わらない。

 その代わりに口づけで親愛を示し、吸血で愛を伝える。


 ヴィオレットはラスティと出会ってから、愛される喜びと快感を知った。

 それを守りたい。


 全身を巡る穏やかな快楽にうっとりと瞼を閉じたとき、浴室の扉が乱暴に叩かれた。


「ヴィー、いつまで風呂に入っているんだい! 溺れてないだろうね!」


 ――そういえばエドマンドが来ていたのだっけ。朝風呂の心地よさにすっかり忘れていた。


 牙を抜いたラスティがそそくさと離れていき、至福のときを邪魔されたヴィオレットの眉間に深いしわが刻まれる。次いでグッと握り締められた拳は、獲物を求めて滾っていた。


 このわずかのち、扉の向こうの銀髪の青年の顔面にめり込むこととなる。

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