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夜伽の前に

 グレナデンはエドマンドに見送られながら、マクファーレン邸を後にした。

 すでにとっぷりと日が暮れ、暗い空には無数の星が輝いていた。ずいぶんと長居したな、と思いながら霧になり、星空を飛行する。


 治癒術を何度も使ったことによる疲労感を抱えながら玄関扉をくぐると、すかさず最古参の従者モリィが出迎え、(ねぎら)ってくれた。


「お帰りなさいませ、我が君。こんなに遅くまで……さぞお疲れでしょう」


 彼女に外套(コート)を渡しながら、グレナデンは邸内を見渡す。しんと静まり返っており、ここを溜まり場にしている同志たちはみな帰宅したのだと知れた。

 ただし、一人だけは留まっているはず。


紫紺(しこん)の間でフィリックス様がお待ちです」


 モリィの声に『ああ』と頷く。フィリックスには、ずいぶん待ちぼうけを食わせてしまったはずだ。たっぷりと文句を垂れられることだろう。


「サマンサがお相手を務めておりますが……もう一時間以上、出て来ません」


 と、モリィが眉尻を下げた。


「奴の長話に付き合わされているな。可哀相に」


 同情を口にしつつも、胸中では安堵していた。従者が『犠牲』になってくれたおかげで、グレナデンは苦情を言われなくて済みそうだ。


「お急ぎくださいませ」

「待て」


 後輩を案じ、早急に客間へ先導しようとするモリィの肩を叩いて引き止めた。


「モリィ。これを」


 グレナデンは、庭先で摘んだ花石榴(はなざくろ)をモリィの髪に挿した。途端、モリィは年嵩の従者としての威厳を崩壊させ、ポッと顔を赤らめる。


「お疲れではないのですか」

「疲れているゆえだ。いいな」

「……はい」


 従者へ花石榴を渡す。それは、『今宵の伽を務めよ』という意味だった。


「あとのことは他の者に任せ、お前は下がれ」

「……かしこまりました。身を清めて参ります」


 一礼し、しずしずと退(しさ)るモリィ。けれど、伏せられた瞳には隠し切れない欲望が(たぎ)っていた。


 ――()い奴め。


 従者の強烈な春機(しゅんき)にあてられたグレナデンは、込み上げてきた吸血欲を押し殺しながらフィリックスの元へ向かう。


***


 紫紺の間と呼ばれる応接室は、賓客(ひんきゃく)をもてなすための最上級の部屋だ。

 グレナデンと付き合いの長いフィリックスは、従者たちに貴賓(きひん)扱いされている。彼本人は礼儀的なことにこだわる性格ではないため、格下の部屋に通したっていいのだが、その辺りは従者たちの裁量に任せている。


 ノックをしてから扉を開けると、まずサマンサと目が合った。グレナデンの姿を認めた瞬間、ぱぁっと顔を輝かせる。救助を待ち侘びる遭難者のような心境だったに違いない。


 次いでフィリックスへ目をやると、至極残念そうな顔をしていた。おしゃべりが中断されたことが不満だったのだろう。


 サマンサは風のような動きでグレナデンの元へやってきて、端正な挨拶(カーテシー)を行った。


「お帰りなさいませ、我が君」


 まさに喜色満面。あるじが帰還した喜びと、ようやく長話から逃れられる喜び、果たしてどちらが大きいだろうか。


「面倒を掛けたな。ここはもういいから、他所(よそ)の片づけを頼む」

「かしこまりました」


 サマンサは足早に去って行く。たかだか二十歳ほどの娘が、六十過ぎの男の相手をさせられ、さぞ気疲れしたことだろう。


「待たせてすまなかった」


 友へ向けて謝罪すると、フィリックスは苦い顔で『まったくだ』と言い、思い出したようにカップに口をつけた。湯気は一切出ておらず、冷え切っているに違いない。

 だが、代わりを出すほど長居させるつもりはない。グレナデンも疲れている。


 フィリックスの向かいに腰掛け、無言で報告を促す。返ってきたのは、締まりのない笑顔。


「ハリー・スタインベックの追跡は失敗しちゃったよ」


 と、フィリックスは悪びれもせず肩を(すく)めた。


「な……んだと」


 グレナデンはそれだけ言葉を紡ぐのが精一杯だった。てっきり良い知らせがあるとばかり思っていたので、がっくりと脱力してしまう。


「いい線までいったんだけどね~。領域(テリトリー)を巧妙に隠しているみたいでさ。あと少しのところで、見失ってしまった。意外と抜け目がない」

「そ、そうか……」


 大きく嘆息するしかなかった。


「お前を振り切るとは、恐ろしい奴だ……」

「うん、そうなんだよね。私もちょっと油断していたよ」


 フィリックスは自省の言葉を述べたが、口元には笑みが貼り付いたまま。なにか愉快なことを考えている顔だ。


「あのねぇグレナデン。今日のハリーの戦いっぷりを見ていて、考え付いたことがあるんだけど」

「なんだ?」


 グレナデンが促すと、フィリックスは笑みを濃くした。


「ハリー・スタインベックは、『超越者』の部類に入るんじゃないかな」


 思いもよらぬことを言われ、グレナデンは瞠目した。『は?』と言ったっきり、二の句を継ぐことができない。

 呆然とまばたきするグレナデンに構うことなく、フィリックスはうきうきした調子で続ける。


「彼は、カルミラの民の肉体の一部を自らに移植し、適合し、力を手に入れた。それって、『超越者』が発生する原理とほとんど変わらないと思わないかい?」

「うむ……」


 グレナデンは腕組みして呻る。まだ如何(いかん)とも返事をし難い。


「体液の経口摂取か、体組織の移植か、の差異はあるけれど。ハリーは一人でエドマンドくんたちを圧倒していたじゃないか。つまり、我々カルミラの民をやすやすと『超越』する存在になっている」


 フィリックスの理論には妥当性があったが、突拍子もないと感じる気持ちの方が大きかった。


「エドマンドが圧倒されていたのは、彼が経験不足の若輩だからではないか? それに、従者たちが足を引っ張っていた」


 エドマンドとハリーが一対一で戦っていれば、前者に勝機があったかもしれない。エドマンドは従者たちを気遣いながら戦っていた。それさえなければ、彼は復讐を果たしていたかもしれない。


「でも、血の槍を自在に操っていたよね。私のことも華麗に撒いてみせたし、意外と侮れないんじゃないかな」


 侮れないと言いつつも、フィリックスの声は相変わらず弾んでいる。危惧よりも好奇心を膨らませている友に、グレナデンは厳しい目を向けてしまう。


「もしお前の言う通り、ハリー・スタインベックが『超越者』で、我々を凌駕し得る力を秘めているのならば……どう対処すればいいのだ?」


 つい責めるような口調になってしまったが、フィリックスはあっけらかんとしている。カップの中身を飲み干して、口角を軽く舐めたあと、茶化すように手をひらひらさせた。


「まぁ、仮説に過ぎないよ。……でも、ますます生け捕りにする価値がある。私はずっと、『超越者』という存在に興味があった。研究したいと思っていた」

「以前は常々そう言っていたな。最近は聞かなかったから、すっかり諦めたのかと思っていた」


 そう、『超越者』など、滅多に出会える存在ではない。間違いなく実存していたようだが、伝説の中の生き物だと言ってもいいほどだ。

 そんな存在と(まみ)えたいというフィリックスの切願が、『ハリーが超越者である』という空論の証明を望んでいる。


 テーブルに肘をついたフィリックスは、夢想するようにぼんやりとした目で天井を仰いだ。


「若い頃は、ただの好奇心だったんだ。でも齢を重ねるごとに、違う目的が湧いてきてね……」

「違う目的?」


 尋ねると、フィリックスは『よくぞ聞いてくれました』と言わんばかりに瞳を輝かせた。これは、彼の計略に嵌まってしまったらしい。

 長い話が始まるぞ、とグレナデンは眉根を寄せた。

 フィリックスは両腕を大きく広げ、演説するように話を始める。


「かつて始祖ラウラが数人の超越者を生み出したように、私たち手ずから超越者を量産することができたなら……カルミラの民は、さらなる繁栄を遂げるはずだ」

「超越者の量産、だと? そんなことをして、なんの意味がある? それに、カルミラの民をこれ以上繁栄させてどうする。今のままで十分ではないか?」


 何百年も生きるカルミラの民の数が過剰に増えれば、食料(人間)の奪い合いにならないだろうか。

 ほとんどのカルミラの民が好むのは、十代半ばの少年少女である。中でも、健康で見目麗しいとなれば非常に限定的だ。美しい人間を巡り、同胞間で熾烈な争いが起きる可能性がある。


 さらに、カルミラの民の数が増加すれば、人間たちに存在を気付かれやすくなるだろう。

 カルミラの民という『捕食者』を、人間たちが放置するとは到底思えない。彼らはカルミラの民を狩り出すようになるのでは。


 年嵩の者は容易には狩られないだろうが、若い者たちはどうだろうか。

 美しい人間を『餌』におびき寄せられた同胞が、待ち伏せしていた人間たちに刃を向けられ、首を落とされる……。

 そんな恐ろしい想像が、グレナデンの脳裏に浮かぶ。

 しかしフィリックスはくつくつと笑うのみ。


「特に意味はないさ。このフィリックス・(フィル)・シアースミスが、カルミラの民のさらなる栄華の礎を築いた、という自己満足だよ」


 言葉の通り、それ以外の意図はないようだった。フィリックスの目は遠い未来を見つめながらも、美しく澄んでいる。


「長い長い人生を、無為に過ごすのもどうかと思っていたんだ。人生の一大事業と呼べるなにかを成し遂げたいものだねぇ」

「まぁ、それは理解できるが……」


 頑健かつ長命の種族として生を受けたからには、その特性を生かしてなにかを築き、後世に名を遺すべきなのかもしれない。

 けれどグレナデンは、積極的にそうしたいと思えなかった。


 従者たちを愛し、人間を愛し、悪辣な同胞を処断する。それ以外のなにかを行いたいという意欲は湧いてこない。

 ゆえに、壮大な夢を抱くフィリックスに対し、羨望の眼差しを向けてしまった。


 それから、ハリー・スタインベックの対処に関してはまた後日、ということにして、友を送り出した。

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