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宵闇の女王は二度目の愛を誤らない~拾った青年に血と寵愛を捧ぐ~  作者: root-M
第三部 第四章 ハリー・スタインベックの呪詛
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心の汚染

 ラスティを見殺しにすることはできない……。

 エドマンドが脱力し剣の切っ先を下ろすと、ハリーは意外そうに眉を跳ね上げて『おや』と言った。


「解せないね。君はどうしていつまでもあの女に執着するんだ? 相手にされないとわかっているのに」


 残酷な言葉が、エドマンドの胸に突き刺さった。

 しかし黙して耐え、打開策を考える。ラスティとシェリルは、なんとしても無事にヴィオレットの元へ帰さねばならない。


 エドマンドの葛藤を知ってか知らずか、ハリーはにやりと冷笑し、さらに酷烈な台詞を吐き出した。


「それとも、私が去ったあと、悲嘆に暮れる彼女の心の隙に付け込んで口説き落としたのかな? 私のお下がり(・・・・)の味はどうだった?」


 ああ――とエドマンドは目を閉じ、両拳を強く握った。

 これ以上、かつての友の口から、最愛のひとを侮辱する言葉を聞きたくない!

 塞がりかけていた傷が開き、わずかに血剣の重量が増す。


 ならば、いっそラスティを見捨てて……。


 衝動的にそう考えたとき、背後を一陣の風が通り抜けた。

 ずっとへたり込んでいたシェリルの疾駆だった。


「ハリぃぃぃっ!!」


 虎狼のように吠え立て、殺意の塊となってハリーへと向かって行く。

 しかし、衝突する直前で霧化し、姿をくらませた。ハリーはやや驚いた表情を見せ、視線を左右へ巡らせる。


 強襲は上空からだった。

 獲物を狩る猛禽類の如く、シェリルは足で襲い掛かった。

 ハリーはそれを腕で防ぎ、わずかに顔をしかめるが、すかさずシェリルを撥ね()けた。さしてダメージは与えられなかったようだ。


 わざとらしく腕を振りつつ、ハリーは不敵に笑む。


「エドマンドより、君の方が男気(おとこぎ)があるな」

「黙れぇっ!」


 獣のように四つ足で着地したシェリルの瞳には、これ以上ないほどの憎悪が滾っていた。

 しかし辛うじて残った理性が、ラスティのことを案じているようだ。赤毛男の方へちらちらと目線を向けつつ、ハリーの一挙手一投足を窺っている。


 ラスティの喉元に足を掛けながら、ハリーは挑発するような眼差しをシェリルへ送った。


「ああセーラ、あのときは怯えて泣き叫んでいただけの君が、よくもここまで勇猛になって」

「ヴィオレット様の『目』で私を見るな! あの方から強奪したものを返せ!」


 獅子のように(たけ)り立つシェリル。

 けれど、不意にその表情が柔和なものとなった。吊り上がっていた眉も(まなじり)も、眉間のしわも、歪んだ口元も。すべてが柔らかく(ほぐ)されて、いつものシェリルに戻っていた。

 シェリルはふわりと微笑んで、すっくと立ちあがり、手足の土を払う。ハリーを捉える瞳の中には、憎しみとはまるで正反対の、情熱的なものが宿っていた。


「ああ……シェリル!」


 すべてを悟ったエドマンドは、絶望に嘆く。

 シェリルは、ハリーの瞳力(どうりき)に囚われた。

 激昂し我を失った状態で、真っ向から『力』を受けてしまった。


 源祖カルミラが所持し、始祖ラウラの血の中に受け継がれ、ヴィオレットに顕現した『力』。

 諸人(もろびと)(とりこ)にする能力。

 それはカルミラの民相手には効果が薄いが、人間、そして従者には覿面(てきめん)の効力を発揮する。

 現に、術中に落ちたシェリルは頬を薔薇色に染め、陶然とハリーを見つめている。まるで初恋の相手に対するように。


「ねぇハリー」


 憎しみを以って紡がれていた声は、すっかり甘味を帯びていた。


「ヴィオレット様と同じ、美しい『目』……。もっとこっちを見て」


 先ほどと正反対のことを言って、ハリーへ近づき、愛しそうに寄り掛かる。寝そべるラスティの姿はもはや眼中にないようで、髪を踏みつけていた。


 ハリーはシェリルの肩を抱きながら、エドマンドに向かって勝ち誇ったような嘲笑を向けた。シェリルは、己の方を見てもらえない不満にくちびるを尖らせ、気を惹くようにハリーの衣服を引っ張っている。

 一見すると微笑ましいカップルの姿だが、エドマンドの目には哀れで醜悪な光景にしか映らない。

 人の心を、ここまで歪曲せしめていい道理はない。


 ヴィオレットは己の力を(わきま)え、決して濫用しなかった。気に食わぬ同胞の従者へ意趣返しで使うことはあれど、ごく軽度に留めていた。

 自分に突っかかってくる者に能才を見せつけ、引き下がらせる示威行為として。もしくは、大切な者たちに火の粉がかからぬようにするための防衛手段としてのみ、使用していた。


「ハリー、やめろ……。シェリルの心を汚すな……」


 懇願混じりで命令すると、ハリーは『ははっ』と短く笑い飛ばす。


「我々の心は、とうに汚されているのだ。私が少しくらい踏み荒らしても、どうということはないだろう」

「違う……」


 エドマンドは弱々しく否定した。

 たとえ、カルミラの民の能力が『心の汚染』だとしても、カルミラの民は人間を、従者を慈しんでいる。それが種族の誇りだからだ。

 人間を無下に扱う輩はグレナデンのような人物に誅されるし、従者を粗末に扱う輩は同胞中から白眼視される。

 今のハリーのように、戯れで人心を弄んでいい(いわ)れはない。


「思いのほか、深く術中に落ちたな。私のために自死しろと言えばそうするかもしれない」


 ハリーの言葉に、エドマンドは凍り付く。


「……やめろハリー、なにが望みだ。このままお前を見逃すことか? それとも、この場の全員を殺すことか……?」


 語尾が震えた。その問いに『イエス』と答えが返って来たらと思うと、途方もなく恐ろしかった。

 ヴィオレットに関わるものを鏖殺(おうさつ)せしめんとするハリーの憎念(ぞうねん)が、恐ろしい。

 シェリルとラスティがハリーの掌中にあり、今この瞬間にも殺害が可能であることが恐ろしい。

 結果、緩やかに塞がりかけていたヴィオレットの心の傷が、完治不可能なまでに抉られるであろうことが恐ろしい……。


 しかしハリーは怪訝そうに眉根を寄せただけだった。


「私の、望み……?」

「それとも、今度こそヴィーを殺すつもりか? 数年間姿をくらませておいて、今さらぼくの目の前に現れたのは、そういう腹積もりなのか……?」


 すると余裕ぶっていたハリーの表情が崩れた。苦痛をこらえるかのように難しい顔をして、引き絞るような声を発する。


「私がなにを望んでいるか、お前に語って聞かせる筋合いはない」


 今のハリーは間違いなく、胸の深奥にある想いをさらけ出していた。しかし、剥き出しにされたその情念がなんなのか、彼がなにを言いたいのか、エドマンドには汲み取ることができなかった。


 さりとて、これ以上質問を続けて、ハリーの真意を探る余地もなかった。


 うっとりとハリーにしなだれかかっていたシェリルが、口から大量の鮮血をこぼしたからだ。


「シェリル?!」「セーラ?!」


 二人の男が、同じ少女を異なる名で呼ぶ。

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