シェリルのお願い、ヴィオレットのお願い 1
その日エドマンドは、ヴィオレットの屋敷へ再訪を果たしていた。
目的はもちろん、忘れ物のコートを引き取ること。
間抜けなことに、オルドリッジ家へ帰還して数日はコートがないことに気付かなかった。それに、代わりの衣装はいくらでもあるのだから、いっそ諦めようかと迷ったほどだ。
だが、放置すれば必ずヴィオレットは激怒する。次に会ったとき、『我が家はゴミ捨て場ではない!』と数発殴られるかもしれない。
しかし、あれほどまでに気取った挨拶を交わして別れた以上は、すこぶる足を運び難かった。
エドマンドとしては、とある目的――今や仇敵となったハリー・スタインベックの討伐――を果たすまで、もうヴィオレットに会うつもりはなかったのだ。さもなくば、あの名残惜しむようなキスが、『ただのかっこつけ』になってしまう。
結局、訪問を決意したのは、十日ほど経ったあとだった。
今回はヴィオレットの顔を見るつもりはなかった。ゆえに前回と同様、早朝にマクファーレン邸を訪れ、庭に水を撒いているシェリルへと声をかけた。
「あら、エドマンド様」
エドマンドの顔を見ると、メイドはくすりと笑った。訪問の事由を速攻で悟ったらしい。
「忘れ物は、丁重にお預かりしておりますわ」
「……そうかい。話が早くて助かるよ」
拗ねてくちびるを尖らせるエドマンドを、シェリルは快く応接室に案内し、茶を出してくれた。一度退室し、戻って来たときには、エドマンドのコートを丁重に抱えていた。
「ああ、ありがとう。怒り狂ったヴィーにズタズタに切り裂かれていたらどうしようかと思った」
「裏庭で燃やしたらどうか、とはおっしゃっていましたよ。延焼したら危険なので、とわたくしが断っておきました」
「……ああ、それはありがたい」
嘆息してコートを受け取ろうとしたが、シェリルはそれを赤子のように胸に抱いたまま、放さない。
「あの、エドマンド様。お願いがあるのですが」
そのお願いを聞き届けるまで、コートを『人質』にするつもりらしい。しかも、わずかに思いつめたような顔をしている。
一体何事なのかと、エドマンドは眉をひそめた。だがすぐに笑みを作って、おどけた調子で尋ねてみる。
「どうしたんだいシェリル。可愛い君のためなら、ぼくはなんでもするよ?」
するとシェリルは安堵したように表情を緩め、ぽつりと言った。
「わたくし、セントグルゼンの街へ行ってみたいのです」
それは想定外の要望で、エドマンドは目を見開いてメイドの可憐な容貌をまじまじ見つめた。
「また、どうして?」
尋ねると、シェリルはわずかなためらいを見せたあと、堰を切ったように話し出す。
「ヴィオレット様の姿を騙って殺人を犯す輩がいると知ってから、そのことがずっと気になっていて。エドマンド様が事件の現場をご存知なら、そこへ行ってこの目で見てみたいのです。なにか気付くことがあるかもしれません。エドマンド様、どうにかお願いできませんか?」
「シェリル……」
少女の切実な物言いに、エドマンドは胸を打たれた。
ヴィオレット自身は、己の潔白さえ証明できれば事件には無関心のようだった。だが従者であるシェリルは、己の主人が厄介かつ不名誉な事件に巻き込まれかけ、居ても立ってもいられないらしい。わずかでも解決の糸口が見つけられないかと、心を逸らせているようだ。
エドマンドは応とも否とも返事ができず、視線を彷徨わせた。
シェリルが現場を見たところで、なにかを発見できるとは到底思えない。すでに片付けられているだろうし、犯人があからさまな痕跡を残しているとは考えにくい。
悩みながらシェリルを窺えば、彼女は手にしたコートをぬいぐるみのように抱き締め、不安をあらわにしている。
コートがしわくちゃになる前に、エドマンドはなんらかの返答をする必要があった。
だが、大切な幼馴染の従者を巻き込むことになるのだから、慎重を期さねばならない。
「もちろん、ヴィオレット様には内密にいたします。『買い出しに行って参ります』と告げれば、わたくしの行き先を探られることはありません」
シェリルの瞳に宿る真剣な光を見たエドマンドは、彼女の肩に手を置き、『わかった』と答えた。
とりあえず現場を見せさえすれば、収穫がなくとも満足してくれるだろう。それに、昼間ならば危険はないだろうし、万が一なにかが起こったとしても、彼女一人くらいなら守り抜く自信はある。
「ありがとうございます!」
パッと顔を輝かせたメイドはすっかり感極まったようで、腕の中のコートをぐしゃっと抱き潰した。
***
という経緯があり、さっそくその数日後、エドマンドはシェリルを伴いセントグルゼンの街へと足を運ぶことになった。
しかし、そういう日に限って想定外のことばかりが起こる。
まず、シェリルを迎えるためにマクファーレン邸へ寄ったのだが、余所行きの格好をした彼女の前に、いかにも不機嫌といった様子のヴィオレットが立ちはだかっていた。
シェリルは我関せずという顔をして、エドマンドにすべての説明を委ねていた。まったく、こういうところはちゃっかりしている。
「どうしてシェリルの買い出しにお前がついて行くの」
女主人にじろりと睨めつけられ、エドマンドはたじろいだ。
「別にいいじゃないか。拐かそうってわけじゃないんだし」
「どうだかな!」
吐き捨てるように叫んで、ヴィオレットはそっぽを向いた。顔を背けられてしまうとなかなか説得し難い。
なぜここまで拒絶されるのか、エドマンドには自覚があった。
かつてエドマンドは、無知で無力だったシェリルに従者としての『戦い方』を教え、さらに、女中としての仕事を覚えるよう勧めた。主人であるヴィオレットには断りもなしに。彼女は、シェリルにそんなことをさせるつもりは一切なかったというのに。
以来、ヴィオレットからの信頼は大きく損なわれたまま。けれど数年を経て、多少は回復したと思っているのだが、果たしてどうだろうか。




