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「あんたのことを好きになっていいか?」

「ラス――、私の血を受け入れて、蘇った元人間」


 ヴィオレットの白く細い手が伸ばされ、頬のあたりを撫でられる。女の指先はひんやりと冷えていたが、それが心地よかった。


 わずかなためらいを見せたあと、ヴィオレットはゆっくりと口を開く。


「お前が自分の境遇を忌避せず、また私のことも憎悪せぬというのなら……私はお前のものになってやる」


 『お前のもの』。

 その言葉の意味を即座に理解できず、ラスティは何度もまばたきした。

 あらゆる人間に搾取されてきた人生において、『ラスティ自身のもの』などあっただろうか。だが眼前の女性は、自らそれになってくれると言う。


「おれの、もの」


 半ば放心しながら、口内でその言葉を吟味する。


「そうだ」


 女ははっきりと肯定した。それから、よりいっそう語勢を強める。


「――だがお前も、私のものだ」

「……あんたの、もの」

「そうだ、私のもの。……お前の意志で、私のものとなれるか?」


 言い方こそ傲岸だったが、その黒い瞳には哀願が詰まっていた。どうか願いを受け入れてと訴え、すがり付く子どものように弱々しい目。


 ああ、とラスティは思い至った。きっとこのひとには、路傍の花のように踏みにじられた過去があるのだろう。

 カルミラの民の始祖の血を引くという女も、なんの価値も持たない男も、結局のところ『同じ』だ。傷付きながらも、他者のぬくもりを求めている。


「……厭わしいか?」


 ヴィオレットの目に卑屈なものが混ざった。

 それを見てラスティはただ思った。この女に、こんな顔をさせたくはない、と。

 倨傲(きょごう)に構え、気に食わぬことがあれば忿怒(ふんぬ)し、気紛れのような優しさを見せ、ときには濃艶(のうえん)な女の(さま)をさらす。そんな女王然としたヴィオレットでいて欲しい、と。


 ラスティは寝台から身を乗り出し、ヴィオレットを抱き締める。『誰がそこまで許したか!』とぶっ飛ばされる覚悟を決めてのことだったが、そんな未来は訪れなかった。


 腕の中で、女は無防備だった。どんな顔をしているかはわからない。だが、身を預けてくれている。長い緑髪(くろかみ)からは、優しい花の香りがした。


「俺は、喜んであんたのものになるよ」


 わずかに尖った耳に向けて、囁く。


「でも、あんたは無理して俺のものにならなくていい。あんたの心のままに、奔放に振る舞ってくれたらいいんだ」


 すると女は身じろぎした。


「そんな……」


 それはフェアではない、と言いたげだった。


「いいんだ、そういう交換条件みたいな関係は……『無粋(ぶすい)』ってやつじゃないか?」


 苦笑しながら言うと、ヴィオレットは『む』と唸って黙り込む。

 大人しくなった女へ向けて、さらに続けた。


「けど、ただ一つ許して欲しい」

「なんだ」


 ラスティは、このままヴィオレットの顔を見ずに言ってしまおうか迷った。だが、それはいささか男らしさに欠けるのではないだろうか。

 ゆえに、腕の中にすっぽりと収まっていた女をそっと解放し、麗しいかんばせを真っ直ぐ見つめた。覚悟を決めて、一息で言う。


「あんたのことを好きになっていいか?」


 女の黒瞳が、極限まで見開かれる。


「いや、たぶんもう好きだ。それは命を助けてくれたからなのか、血を舐めさせてくれたからなのか、キスをしてくれたからなのかはわからない」


 これが友愛なのか、恋愛なのか、はたまた別の感情なのかは判別できなかった。

 ただ、このひとには、思うがままに振る舞い、笑っていて欲しいと思う。


「……わからない、のか」


 ヴィオレットは目を伏せ、くちびるの端をつり上げた。そこに怒りや嫌悪はなく、ラスティの告白を受容した上での、呆れた笑みのようだった。

 曖昧な好意は、女性にとって失礼にあたるかもしれない。乏しい異性経験を基にそう考えたラスティは、わずかに思案し、すっと頭に下りてきたとある意見を口にした。


「俺の好意は、たぶん『家族』に対するようなものだと思う」


 けれどヴィオレットからは笑みが消え、柳眉(りゅうび)が困惑に歪む。


「家族……。そんなもの、今度は私がわからないわ」

「……まぁ、正直言えば俺もわからない」


 誤魔化すように緩く笑うと、ヴィオレットのくちびるがムッと尖る。完全に機嫌を損ねる前に、慌てて続けた。


「シェリルは、こう言った。あんたと俺は血を分けた縁者だと。そして、俺のことが好きだと」

「……あの子、お前にそんなことを言ったの」


 女の顔に嫉妬の色が現れた。もちろん怒りの矛先はラスティに向けられている。ゆえに、また急いで弁解する羽目になった。


「ああ、もちろん俺から口説いたりはしてないよ」


 食事を『はい、あーん』されたことは黙っておこう、と瞬時に決意し、話を続ける。


「俺といるとき、あんたはとても楽しそうで、だからシェリルも楽しいって。だから、あんたを楽しませる俺が好きだとよ」

「あの子ったら……」


 語尾が途切れ、しばしの沈黙のあと、ヴィオレットの左の瞳だけが潤んだ。涙がこぼれる前に、女は指先で目頭を拭う。

 それは、優しく涙もろい普通の女の仕草で、ラスティはつい頭を撫でてしまった。すぐさまパッと払い除けられたのは、予想通りだ。

 睨んでくる女に苦笑しつつ、ラスティは語る。


「俺もあの子が好きだ。可愛くてよく動いて、素直で可愛い」


 図らずも二度『可愛い』と述べるほど、あの子は可愛い。


「そして、あんたのことも好きだ。俺に『いろいろなもの』をくれたあんたが」


 命や、糧。温かいベッドに、温かい会話。強引なキスに、所有権。


「互いが互いに好意を持って、共に暮らしている。……それがきっと、『家族』だ」


 それはただの理想に過ぎなかったが、きっと間違っていない。

 愛を誓って結婚した夫婦でも、不義を働くことがある。血を分けた兄弟でも、憎しみ合うことがある。だから、好意と血縁、両方が必要なのだと思う。


「そう……」


と、ヴィオレットは小さくつぶやいた。納得してくれたかは、わからない。ただ、神妙な様子でラスティを見つめている。

 やがて、決然とした面持ちで口を開いた。


「――ならば、おいで」

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