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拾った女、拾われた男

三章は、プロローグの前半と後半の間のストーリーになります。


「ヴィオレット様!」


 屋敷へ帰還したヴィオレットがまず浴びたのは、メイドの絶叫だった。

 いつもは明るい笑顔と声で出迎えてくれるシェリルも、今の(・・)ヴィオレットを見ては平静でいられなかったようだ。


「その御方は一体……」


 シェリルは両手で口元を押さえて戦慄(わなな)き、ヴィオレットが肩に担いでいる男へと視線を貼り付かせている。

 詳細な説明を面倒に感じたヴィオレットは、しれっとした顔で一言だけ答えた。


「拾ったの」

「拾った……って、そんな、犬や猫みたいに……」


 おっかなびっくりといった様子でシェリルが近寄ってきた。まるで猛獣に麻酔が効いているかを確かめるように、指先でつつく。


 シェリルの態度は当然だろう。ヴィオレットが人間の戦場で拾ってきた男は、薄汚れてひどい匂いを放っていた。

 血と泥と火薬、そして死の臭い。

 それはヴィオレットの身体も汚染したが、つま先で蹴り転がしながら運ぶわけにもいかなかった。担ぎ上げ、霧へ変じた状態で天空を渡って来たのだ。

 カルミラの民の剛力であれば、いかに大柄な男であれど、運搬することは容易(たやす)い。


 まずは男の汚れをどうにかしたいと思ったヴィオレットは、当然のようにシェリルに尋ねていた。


「シェリル、この男を風呂に入れてくれないかしら?」


 すると、メイドは頬をカッと赤らめた。


「ヴィオレット様、それはあんまりでございます!」


 いつもは従順な彼女が、ぶんぶんと頭を振って強い拒絶を示す。

 それもそうか、とヴィオレットは納得と諦念の息を吐いた。シェリルは男の肌など見たことないはずだ。ましてや風呂に入れるとなると、女体との差異をまざまざと見せつけられることになる。


「じゃあ、私が洗うから、湯の用意だけしてくれないかしら?」

「いえ、そんな、ヴィオレット様にそのようなことは……」


 恐縮しつつ、シェリルの表情には葛藤があった。やはり男を入浴させることには強い抵抗があるようだ。ヴィオレットだって、愛しい従者に無理強いなどしたくない。


「じゃあ、少し手伝ってくれるかしら?」

「あ……はい」


 寛容に笑んでやると、シェリルは一礼して浴室へ去って行った。


「――ん……」


 ヴィオレットの肩口で、男が小さく呻く。苦鳴というより、寝言のようだった。どこか暢気な声で、悪夢を見ているわけではないようだ。

 ヴィオレットの口から、ふふ、と軽い笑みがこぼれた。


 そして、はたと気付く。こんなに穏やかな気持ちになったのは、何年ぶりだろうか、と。


***


 目が覚めたとき、男はふかふかなベッドの中にいた。こんなに柔らかくて暖かくて清潔でいい香りのする寝具に横たわったことなど、未だかつてない。


 覚醒したくない、もっとこの至福の感触を満喫したい。

 掛布を鼻の辺りまでかぶって、瞼を下ろして寝返りを打った。

 このまま再び入眠しよう、そう思ったとき。


「起きたか」


 どこか傲然とした声に、男ははっと目を見開く。首だけ動かして声の主を探った。


 寝台の傍らに、女が腰掛けていた。

 作り物のように美しい顔立ちの女。長い脚を見せつけるかのように組んで、黒い瞳で男を射抜いてきている。


 その女には見覚えがあった。死体だけ残された戦場に死神のような佇まいで現れ、話しかけて来た女だ。


 そのときはなぜか性別の判断がつかなかったが、改めて眺めてみると、まごうことなき『女』だった。

 しかも今はシンプルなドレスに薄いショールを羽織っただけの格好で、華奢な肩や鎖骨のラインが剥き出しになっている。そういう部分は非常に女性らしいのだが、バストの膨らみは哀れなほど控えめだった。


 あまりじろじろ見るのも悪いか、と視線を天井に向けてから、男は静かに礼を言う。


「助けてくれて、ありがとう」

「記憶があるの?」


 女の声には、驚愕の色があった。男は思考を巡らせながら頷く。


「そうだな。……少し会話をして、そのあと口元に熱い液体を垂らされたことは覚えてる」


 それがとても美味だった。具体的にどんな味だったかと聞かれれば名状しがたいが、もっと欲しいと思える味だった。そして、軽く()せながらも嚥下したのちに意識が途絶えた。


「こうして何事もなかったみたいに生きているってことは、あれは不死の霊薬かなんかだったのか?」


 いにしえの錬金術師が作ったという、永遠の命をもたらす秘薬。そういうたぐいのものを飲まされたのかもしれない。


 もちろん冗談半分だったが、肯定されても驚かない。なにせ、あの半死半生の状態が嘘のように、傷が癒えているのだから。


 しかもここは野戦病院ですらないだろう。漂う雰囲気から、戦地とは無縁の平穏な場所だということが確信できた。


 きっと人知を超えた不可思議な出来事が起こったのだ。馬鹿げているが、そう思わねば、つじつまが合わない。


不死の霊薬(エリクシル)……ねぇ。言い得て妙だわ」


 女を見遣ると、すこぶる愉快そうに赤い口元を歪ませていた。


 そのとき、扉がノックされた。女が許可の声をあげると、即座に扉が開く。

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