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宵闇の女王の隆盛 ~夜の秘め事~

プロローグよりもずっと過去のストーリーです。


この話においても、女性間の吸血シーンがありますので、百合要素の苦手な方はご注意ください。

 華やかな舞踏会場にあって、その少女は浮かない顔をしていた。


 明るい音楽の流れる中、美しく着飾り舞い踊る紳士淑女。

 けれども、少女の心境は(くら)い。見世物小屋の檻の中にいるような気分だった。


 なぜなら、少女は品定めされるためだけにここにいるからだ。

 少女の家は、没落しかけていた。破滅の運命を回避するため、母親は少女を『贄』にすると決めた。花嫁という名の生け贄に。

 ゆえに、精一杯着飾らせられ、引きずるようにここまで連れてこられたのだ。


 少女の役目は、ただ黙して待つこと。どこかの金持ちが彼女を見初めて落札の声を上げるときまで。


 舐めるような視線を受け続けるのが辛く、少女は瞼を閉じて空想へと逃げた。

 大きな音を立てて入り口の扉が開き、音楽が止んで人々がざわめく。

 現れたのは、たくさんの薔薇を抱えた美しい貴公子。金色の巻き毛で、すらりと背が高い。あまりの凛々しさに、女たちが熱い吐息を漏らす。

 貴公子は人混みの合間を縫うように、真っ直ぐ少女の方へと歩んでくる。

 少女の前に膝をつき、薔薇の花束を捧げる。形の良いくちびるで、得も言われぬ美声を紡ぐ。

 ――以前お見かけしたときから、お慕い申しておりました。

 周囲の羨望の眼差しを受けながら、少女は頬を赤らめて彼の手を取るのだ。


 そんな夢想に心を弾ませながらも、痛いほどわかっていた。そんな都合の良い話、決してありはしないと。想像をすればするほど、空しく、惨めになるだけだと。


 金と地位だけが取り柄の、少女好みの中年男へ嫁いで、母に楽な暮らしをさせる。そのためだけに生き続けるのが、自分に課せられたただ一つの義務なのだ。

 その男が極力紳士的でありますようにと祈ることしかできない。


 ふと気が付くと、傍らの母親が消えていた。娘の結婚相手を吟味するため、貪欲な目を周囲へ向けていたはずだが。

 視線を巡らせれば、端の方でご婦人たちと世間話に花を咲かせていた。話の輪に入ろうと必死で、娘の方を見ていない。


 少女は、会場の外へ逃げた。


 外はとても涼しかった。室内は、酒と料理と香水の匂いが充満し、あまりに息苦しかった。

 すっかり日も落ち、周囲には闇が満ちている。だが窓からは会場の明かりがたっぷりと漏れており、さして恐怖を感じることもなかった。


 眼前に広がる庭には、たくさんの薔薇が咲いている。

 夕闇の中、花を眺めるのもいいかもしれない。そう一歩を踏み出し掛けたとき、はたと気が付いた。


 ――誰か、いる。


 ちょうど光と闇の混じるあたりに、すらりと伸びる人影があった。

 少女は目を凝らし、次いで息を呑んだ。


 そこにいるのは、若く美しい貴公子だった。


 黒を基調とした品の良い衣装で身を包み、長い黒髪を後ろに撫で付けて緩く結っている。かんばせは作り物のように整っていて、美術館で見た太陽神の彫刻を思い起こさせた。

 けれど、漆黒をまとい闇を背にする姿は、太陽とはまるで対極。それでも、美麗なことには違いない。


 彼もまた人いきれに嫌気がさしたのだろうか、俗世のことなど忘れたような様子で、ただ庭の薔薇を愛でている。


 ――ああ、なんて素敵な殿方だろう。わたしの手を取って、どこかへ連れ去ってはくれないだろうか。

 少女はうっとりと貴公子を見つめる。視線だけでなく、こぼれる溜め息さえ熱を帯びていた。


 不意に貴公子が首を動かし、切れ長の瞳が少女を捉える。どくりと心臓が跳ねた。

 ――不興を買ったかもしれない、逃げなければ……。

 少女は踵を返した。


 しかし、何者かに手を掴まれ逃亡を阻まれた。

 ぎくりと振り返ると、そこにいたのは(くだん)の貴公子。まるで魔法でも使ったかのように距離を詰められていたが、瞬時に茹で上がった頭が正常な思考を乱した。


「お嬢さん」


 涼やかな声。


「ここでなにを?」

「あ、あの、少し風に当たりたくて」

「確かに。あの中は息が詰まりそうだ」


 貴公子は典雅に微笑む。長い睫毛の影が頬に落ちていた。


 身体がとても熱い。林檎のようになった顔を見られるのが嫌で、深くうつむく。だが貴公子に下顎(おとがい)を捉えられ、そっと上を向かせられた。

 二人の視線がぶつかる。


「お嬢さん、名前は?」

「わ、わたくしの名前は、セーラ……」


 少女は素直に答えていた。貴公子の目は、真っ直ぐセーラを捉えている。

 屋敷から漏れる光を受けて、黒々と輝く不思議な瞳。蠱惑的に微笑むくちびるは紅をさしているように艶やか。

 少女は貴公子から目を離すことができない。


「セーラ」


 貴公子に名を呼ばれた。まるで美味を味わうかのように、口内で赤い舌が踊ったのが見えた。


「セーラ」


 もう一度名を囁かれたかと思うと腰を抱かれ、踊るように半回転。セーラは暗いほうへと(いざな)われた。


「可愛らしい子。年は?」

「じゅう、よん‥‥‥」

「そう」


 貴公子と身体が密着する。彼の右手はセーラの腰を支えたままで、逃れることは叶わない。左手はセーラのうなじや首もとを撫で回している。

 だが、まったく気にならない。嫌悪など一切湧いてこない。むしろ、別の生き物のように這いずり回る指先のくすぐったさが心地よかった。


「セーラは、ああいう華やかな場所は苦手なのね」


 貴公子の口調が、女のものになる。そこでようやくセーラは気が付いた。

 ――このひとは、明らかに女だ。


 どうして男と見間違えたのか。まるで人外のもののように、ひどく蠱惑的な雰囲気をまとう女性。

 しかし同性だと知れた今さえ、抵抗する気にならない。むしろ、足元がふわふわして、今にも宙に浮きそうだ。視線は女に釘付けで、まばたきする間さえ惜しかった。


「セーラは私が怖い? それならば今すぐあなたを解放して、どこぞへ消えるわ」


 どこかなぶるような口調で女が尋ねてくる。その台詞の間も、ドレスからむき出しになったセーラの鎖骨を撫でていた。


 ――このひとが、どこかへ行ってしまう。

 セーラは、女に去られ一人残された自分を想像した。途端、虚無と寂寥がやって来て、ずしりと心が沈んだ。


「い、嫌です……、どうか、どうか放さず抱いていてください」


 セーラは腕を伸ばし、女を強く求める。

 女はくすりと笑声を漏らしたあと、ぐっと顔を寄せてきた。


 与えられたのは優しいキス。

 少女の人生で初めてのキス。


 純朴なセーラにとって、()()豪奢(ごうしゃ)なドレスや宝石よりも価値があるものだった。そこらの男においそれと与えたくないと、大切に守ってきたものだった。

 けれど、後悔の念はこれっぽっちも生じない。ただ、胸の内から湧き上がる歓喜が、全身をくまなく熱くさせた。


 貴公子の柔らかいくちびるは、顔のあちこちへ落ちてきた。敏感な耳を()まれたときはさすがに身を捩ったが、すぐに受け入れた。

 触れられてさえいないうなじが、両胸の先が、へその下が、尾てい骨のあたりがむず痒くて仕方ない。

 その感覚があまりに切なく、くちびるを噛み締めておかないと、おかしな声が漏出しそうだった。


 やがて、セーラの首筋に息がかかる。妙に生暖かかったが、やはり嫌悪は感じない。


「本当に可愛い子。後悔させないわ」

「――あっ!」


 首筋に鋭い痛みが走った。だがそれはなんともいえぬ掻痒感(そうようかん)に変わり、やがて背骨を駆け抜けて脳髄へ達する電流となる。


「あっ、ああ――あああっ!」


 我知らず、セーラは悲鳴をあげていた。それは決して苦しみの呻きではない。

 喉を仰け反らせて、首元に口を付け鋭いものを突き立てている女の頭を強く抱いた。脚に力が入らなくなり、膝が折れたところを女が上手く支えてくれる。

 なにかが身体から抜けていくのに、決して喪失感はない。身体は冷えていくのに、頭は熱に浮かされたよう。


「ダメよ、そんなに大きな声を出しては……。誰かに見つかってしまうわ」


 女がくちびるを放すと、身体の奥を駆け抜けていったものが力を失っていく。再びそれが欲しくて欲しくて、セーラはただ懇願した。


「ああ、やめてはだめ。お願いです、美しい方」

「そうね、私もやめたくない。お前が欲しいわ」

「それならば、あなたの望む通りになさってください」


 セーラは、快楽の前に己の全てを投げ出した。それ以外なにも考えられない。


「……では、場所を移動しましょう」


 女がいかに情欲に満ちた笑みを浮かべたかは、セーラには(つい)ぞ知れなかった。


 終ぞ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 艶やかというか耽美というか……とても美しい文体で綴られていて、物語の雰囲気にとても合っていました。ヴィオレットやラスティ、そしてシェリルの容姿や表情も想像しやすく、場面が容易に脳裏に浮かぶ…
[一言] 読了させていただきましたが、二十話という数を気にせずサクサク読み進められるのは非常に魅力的に感じました。 また普通の恋愛かと思えば、ミステリアスな雰囲気が混じって独特な雰囲気があって読んでい…
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