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宵闇の女王は二度目の愛を誤らない~拾った青年に血と寵愛を捧ぐ~  作者: root-M
第一部 エドマンド・E・オルドリッジの憂苦
2/142

薔薇とサンザシの咲く、朝の庭

****

 

「あの霧深い森の奥には、何があるのです?」


 異国から来た旅人は、村人に尋ねた。村人たちはことごとく眉をひそめ、きつく口を閉ざした。

 けれど、一人の老婆が語り出す。ひどく恐ろしい禁忌に触れるかのように。


「あそこには、カルミラの民が住んでいる」

「カルミラ?」


「はるか昔からそう呼ばれている、人の姿をした、人外のものたち。夜になると人界に紛れ込み、若く美しい人間を誘惑し、生き血を啜り、その心を攫ってゆく、化け物」


 旅人には、安っぽいおとぎ話のように聞こえた。


「霧と(いばら)に囲まれた森の奥には、決して近づいてはならない」

「そうですか」


 おざなりな返事をしながら、若い旅人は思った。田舎の村にありがちな迷信、悪い因習だと。人の手の及ばぬ領域に恐怖を感じ、好奇心につられた子どもたちが近づかぬようにしているだけなのだろうと。


 そして旅人は、森の奥へと足を踏み入れる。

 もちろん、二度と帰らない。探されることすら、ない。


(とある地方に伝わる民話)


****



 霧と茨は『人界』と『彼らの領域』を隔てる国境線であり、結界でもあった。

 招かれざるものを拒み、同胞を歓迎する霧の奥。広がるのは、薔薇とサンザシの植えられた庭。


 薔薇の花は深い深い赤色。美しく咲いていてはいるが、心なしかうつむき加減で元気がない。

 サンザシの花は淡紅色(たんこうしょく)。決して結実し得ない八重咲き。

 漂うのは、しっとりと濡れた土の匂い。誰かが水を与えた直後らしい。


 美しくも寂しい朝の庭に、銀髪の青年が静かに訪れる。

 庭の敷石を踏み鳴らし、黒いコートの裾をなびかせながら奥に建つ屋敷へと向かう。


 玄関先では、メイド服の少女が鉢に植わる花々へと水をやっていた。


「やぁシェリル。ヴィーは起きているかい?」

「あら、エドマンド様」


 青年の姿を認めたメイドは、少しだけ眉根を寄せた。手にした如雨露(ジョウロ)を地面へ転がす。


「おや、どうしてそんな不機嫌そうな顔をするんだい?」

「あなた様がいらっしゃると、あの方の機嫌が悪くなるからです」


 栗色の髪を肩上でこざっぱりと切りそろえたメイドは、プイとそっぽを向いた。頭のレース飾りが揺れる。

 その顎を優しく捉えた青年は、少女のくちびると、その横のほくろを指でなぞる。


「相変わらず美しいね、シェリル。うん、血色もいいし、ちゃんと食事は取っているようだ」

「なにをおっしゃいます。紳士のように褒めるのか、もしくは医者のように見定めるか、どちらかになさってください」

「辛辣だね。ぼくは君のような従者が欲しくてたまらないのに」


 青年はメイドの手を恭しく取ると、甲へそっと口づけた。メイドはされるがまま、ただ苦笑するだけ。


「あの方は眠ってらっしゃいます。まさか、朝の小鳥のさえずりとともに現れる客人など、居りはしないと思っておいででしょう」


 しかしメイドの苦い笑みは、にこやかなものへと変わっていく。


「どうもお久しぶりでございます、エドマンド様。せっかくのご来訪、無下に追い返すわけには参りません。僭越ながら、紅茶でも淹れさせて頂けないでしょうか」


 メイドはスカートの裾を持ち上げて片足を後ろへ引き、歓迎の跪礼(カーテシー)をしてみせた。


「そうそう、ぼくは客人として、君のその言葉を聞きたかった。このやり取りをするのに、ずいぶん長い前置きをしてしまったよ」


 青年が涼やかな笑みを浮かべると、メイドはゆるりと(おもて)を上げる。そこに刻まれているのは、招かれざるものを排除しようとする門番の形相。先ほどの言動とは、まるで正反対の表情だった。


「――なんて言いたいところですが、残念です! あの方はここ最近、機嫌が悪いのです。どうか今日はお帰りくださいませ!」


 メイドは青年の背中を両手で押し、引き返させようとする。並みの男であれば、膝を屈するほどの剛力だ。


「どうしたんだいシェリル。もちろん彼女が起きるまで待つよ。どうして今日はやけにぼくを帰そうとするんだい?」


 青年は押されながらも一歩も動かない。メイドはますます険しい顔をした。


「日を改めて、こちらから挨拶に出向かせて頂きます! あの方も久方ぶりにオルドリッジ閣下に会いたいとおっしゃってましたから!」


 メイドは腕に目一杯力を込めているようだ。そのせいで声が大変低くなっている。


「エドマンド様、後生ですからどうぞお引き取りください!」


 しかしそのとき、青年は(かすみ)のようにかき消えた。いきなりのことに、メイドは悲鳴を上げて前方へと転がる。


「ごめんごめんシェリル」


 どこからともなく、青年の声が響いてくる。


「悪いけれど、急ぎの用件なんだよ。ちゃんとヴィーの機嫌を取っておくから許しておくれ」

「いけません! い、今は、あの方は……」


 メイドは口ごもる。どう説明しようか戸惑っている内に、青年の気配は失せていた。


「ああ、もう……」


 嵐の予感に、メイドは項垂れた。だがすぐに立ち上がり、奮然と走り出す。

淡紅色・八重咲きのサンザシ:セイヨウアカバナサンザシ。表紙イラストに描かれている花です。八重咲の花は、おしべやめしべが花弁化しているため、実をつけることはない。


カーテシー:女性のみが行う、西洋の伝統的な挨拶。目上の者にする。膝の曲げ方、辞儀をするかなどで丁寧さが決まる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 雰囲気作りと、世界観の描き方が素晴らしいです… 語彙力が、無くなります… [一言] 人の動き方の模写が凄まじく、艶かしい。 誰にでも出来るような物ではないと思いました、参考にさせて頂きたい…
2020/05/30 00:45 退会済み
管理
[良い点] 文章がとても読みやすかったです。 [気になる点] 最初の民話がとても意味深で気になりました。 [一言] TwitterにてRTしていただきありがとうございます。 よければ自分の小説『聖女の…
[良い点] 言葉の説明を入れていて、とてもわかりやすいと思いました! カルミラの民、、なんか触れちゃいけないような奴らが、今後どう関わってくるのか、気になったのでブックマークに追加させていただきました…
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