花石榴の咲く館
カルミラの民が同族の知己を訪う際は、身体を霧に変えた状態でその者の気配を探ればよい。
人界と隔たれた彼らの領域には、住所など存在しない。
ただし屋敷にいるとは限らず、人界で放蕩している真っ最中かもしれない。はたまた、自室で従者を愛で、あられもない姿をさらしているかもれない。
ゆえに、特に懇意にしている間柄ではない場合は、『領地』の端を目指して降り立つのが礼儀だった。ほとんど漏れなく、門前で従者が出迎えてくれる。
ヴィオレットはその暗黙のルールを順守し、石榴館を取り囲む塀の外側で実体化した。領地に誰かが踏み入ったことを悟った従者がすぐにやって来ることだろう。
固く閉ざされた鉄柵の前でしばし待つと、ふわりと漂って来た一塊の霧が、瞬時に人の形になった。
顕現したのは、黒髪をポニーテールにした少女。年齢不相応に落ち着き払った表情は、彼女がいかに老練の従者かを如実に表していた。
少女はただぺこりと頭を下げただけ。歓迎の程度が推し量れる。
「これはこれはマクファーレン様。実に七年と四カ月ぶりのご訪問、まことにありがとうございます」
物覚えの良過ぎる従者に辟易としつつ、ヴィオレットは無言で顎をしゃくった。対する従者も作り物のような笑みを浮かべ、『どうぞ』とだけ言う。
ヴィオレットは再度身体を霧にして、開かれることのなかった門扉をくぐった。
少女が屋敷へと先導し、ヴィオレットは揺れるポニーテールを追う。
石榴館の庭には、その名の通りたくさんのザクロの木が植えられ、そのどれもが美しい花を咲かせていた。
朱色の花弁は、白く縁取られた白覆輪。八重咲きのそれは、決して結実することはない。
カルミラの民は、結実する植物を好まない。
なぜなら、庭園の植物は彼らの血液を肥料にして育つからだ。同族の血で育った果実を口になどしたくないし、振る舞うのもおぞましい。
当然人間にとっては猛毒で、もし悪意ある者の手によって人界に流出すれば、取り返しのつかないことになる。
ザクロの木々に囲まれた小道を、前方に見える屋敷に向かってひたすら歩く。
青々と生い茂る葉と、その中で自己主張を続ける大輪の花。それらがすさまじい生命力を放っており、今のヴィオレットには、いささか居心地が悪かった。
広大な屋敷内には、大勢の同族がいた。
誰もがヴィオレットの姿を見て目を丸くし、それからひそひそとなにかを囁き合う。そうされる心当たりはいくつかあるが、不愉快この上ない。
応接室に通されると、従者は無言で頭を下げて、そそくさと去って行った。別に欲しくもないが、客への礼儀として茶くらいは出してくれるだろうか。
ヴィオレットはむしゃくしゃした気分のまま、どっかりとソファに腰を下ろした。
もし長時間待ちぼうけを食わされることがあれば、テーブルに『もてなしに感謝』と刻み込んでから帰るか、と決意した。カルミラの民の肉体は、爪の先まで強靭だ。
なんとも暴力的な気分になりつつ足を組み替えたとき、扉がノックされた。
応答する前に扉が開き、一人の男が入室してくる。
金髪を肩のあたりで切りそろえた美丈夫。青い瞳は怜悧に輝き、同時にひどく横柄な色をたたえている。
石榴館の主人、アドルファス・M・グレナデンだ。
「マクファーレン。まさかそちらから出向いてもらえるとはな」
挨拶もなしに開口一番それか、とヴィオレットはもう一度足を組み替え、ついでに腕組みもする。
「グレナデン、私の訪問の理由を理解しているようだな」
低い声で尋ねると、対面に腰掛けながら男は答えた。
「連続殺人の件、どこかで耳に入れたようだな。それでわざわざ弁解に来たというわけか」
「屋敷に土足で踏み込まれてはかなわん」
「従者たった一人だけの寂れた縄張りでも、守る価値があるというのか」
あんまりな物言いに、ヴィオレットは拳を握る。爪が皮膚に食い込むほどに。
嫌われているのではない。見下げ果てられているのだ。――とある事件のせいで。
けれど、その状況に甘んじ、媚びへつらうわけにはいかない。ヴィオレットにも矜持がある。
「黙れ。従者の数は誇るものではない」
鋭く言ってやるが、グレナデンは意に介した様子もなく、ただ小さく息を吐いた。
「しかし、手間が省けた。荒事に慣れた者たちを選りすぐって訪ねるところだった」
まったく舐められている。いくら連続殺人の容疑者だからといって、他者の領域に争い前提で踏み込むなど無礼にもほどがある。
八重咲きのザクロ:「花石榴」と呼ばれ、結実する通常のザクロと区別される。