3―無差別な正義の味方ではない
「おい根暗、焼きそばパン二個と緑茶買ってこいよ」
如何にも不良といった風貌の赤髪男にそう言われたのは、俺ではない。
隣の席に座る、前髪長男くん……名前じゃなく、心の中での愛称だ。
俺はと言うと、外窓に近い席特有の暖かな日差しを浴びながら、どこを見るでもなく通学途中のコンビニで買ったおにぎりを貪っている。
「い、いけど…」
チラリと、前髪から一瞬覗いた目がこちらを捉えるのがわかる。
横目で見ると、黒い瞳の中に微かに助けを求める色が見えた。
回答は――スルー一択。
「っ」
「オラ、さっさと行ってこい!」
「わ、わかったよ…」
乱暴に椅子を蹴られ、項垂れて教室を出ていく前髪くん。
その背中には哀愁が漂っていた。
「クスクス」
「陰気よね」
「隣の席の上城くんにも見捨てられてるし」
「ハハ、マジでウケる」
まるで嘲笑うかのような声が教室中に響き、それがまた新たな笑いを誘う。
これが12年前の日常……が、そんな空気をどこ吹く風と気にせずに、おにぎりを食べ終えた指を湿らせた紙で拭く。
悪いが、俺は無差別に善意を振りかざせる正義の味方じゃない。
毛ほどしか知らない人間の、言葉もない訴えだけで動けるほど人間できちゃいないし、声にする勇気も覇気も持たない人間のために面倒事へ介入するのも嫌いだ。
クズみたいな考え方だけど、これは力を持つ12年前から変わらない事。
でも、助けないのに理由がないわけではない。
アイツにアイツの味方がいる、それもクラスに多大な影響力を持つ者が二人も。
そんな強力な味方がいるんだ、凡庸な影響しかもたらさない一個人が助けるより余程良い。
「おい佐藤! お前また蓮君をパシリに行かせただろう!」
「チッ」
「そら来た」
小さく言葉を漏らして、声の方向を目だけで追う。
ガシャン! と扉を勢いよく開けて、ズカズカとこちらへ歩いてくるのは我らが英傑、野上 勇助。
茶髪を爽やかに刈り上げたイケメン、だが今はその整った顔を怒りに染めている。
原因は発言からもわかる通り、俺の横で机にふんぞり返っている赤い髪がトレードマークの不良佐藤だな。
「ちょっと、勇助。は、速すぎ」
「ゆ、勇助くん…そんなに怒らなくても」
耳に心地良いソプラノボイスで、怒り心頭の勇助に続いて教室に入店なさったのは英傑の幼馴染、黒神 紗知。
嘘みたいな苗字だが実名だ、嘘みたいな苗字だが。
それと騒動の中心人物、前髪長男――巴 蓮。
「いいや、今日という今日は言わせてもらう!」
で、勇助は幼馴染と前髪くんの宥めを振り切って、佐藤に掴みかからん勢いで迫る。
もちろん佐藤もただ突っ立っているだけではなく、真っ向から額をぶつけるような勢いで勇助に相対した。
「君は! いつも! なぜ蓮君をイジメるんだ!」
「あぁん? 別にイジメちゃいないぜ? あいつがついでに行きたいっつーから行かせてるだけでよぉ。文句あんのか!」
佐藤の言葉に、本当か!? とクラス中を高速で見渡す勇助。
もちろん全員頷く……当然の事ながら、佐藤に目は付けられたくないからな。
「なら、金くらいは返すんだろうな?」
キッとした鋭い目で、佐藤を睨みつける。
正論だな、相手が佐藤じゃなければそれで解決した。
「あぁあぁ、返すよ。あとでな」
「ダメだ、今返せ」
手をひらひらと振って気だるく躱す佐藤だったが、生憎勇助にはそれが効かない。
「チッ」
最終的に、離れていても聞こえる舌打ちをかましながら、佐藤は前髪くんにお金を握らせた。
その際、穏和な表情でなにかを小声で話したようだが、十中八九良い事ではないだろうな。
「よし」
レシートと合わせて確認して、勇助の怒りも収まったのか、この件はこれで終わりとばかりに頷いた。
勇助が来てからはスピード解決、これで騒動は一件落着。
「君も君だよ、禅」
とはいかないらしい。
「んぁ?」
今気付いた、みたいな体を装って顔を向ける。
一瞬、横目で捉えた佐藤の顔がニヤけるのが見えたので、これで正解。
目を付けられないためには、こういう工夫もいるのだ。
しかしてそんな事には露ほども気付かない我が盟友、怒ってるわけじゃないようだが、矛は収まらない。
「隣の席でやり取りを見ていたんだろう? なんで助けようとしなかったんだ」
今度はこちらが、チラッと前髪くんに視線をやる。
俺の視線に非難の意でも感じたのか、目に見えてうろたえる。
紗知へも視線を移すが、手を横にあげて肩を竦めるだけ。
案の定というか、今回の騒動の一部始終は話していないようだな……これはいつもの暴走らしい。
つまりだ、もしもここでその怒りに対して反発しようものなら、クラス中から冷たい視線を頂戴するハメになる、そんな事はごめんだ。
ま、なにも間違っていないんだ、俺が悪いのは事実だし、勇助からの非難は甘んじて受け入れよう。
その上で、認識してもらう。
「ごめんごめん、助けてくれなんて言われなかったからさ」
「っ、君はいつもそればかり……」
俺と勇助は幼馴染だ。
だからこそ、俺の言葉の意味がわかる。
「知ってるだろ? 俺はお前みたいになんでもできるわけじゃない」
劣等感を抱いてるように見せかけることで、クラスメイトには俺が勇助よりも小さいように思わせる。
そうすることで、勇助の地位を保ちつつ、俺自身は目立たないようにする。
だが、勇助には俺が含んだ意味をしっかり読み取ってもらえたようだ。
『助けてなんて言われていない、だから助けない』
『俺はお前とは違う。俺の性格、お前なら知ってるだろ?』と。
勇助もそれを理解しているから、苦渋というに十分な表情をしている。
「でもま、悪かったよ。今度から気を付ける」
そう言っておどけてみせることで、クラスメイトからのヘイトを避けつつ、勇助の矛を収めさせる。
「まったく……本当に頼むよ」
勇助は未だに納得していないようだが、それでも引いてくれた。
懸命な友人を持って、俺は嬉しいよ。
と、丁度良いタイミングで昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴る。
それを聞いた皆は、各々の席に座り次の授業の準備をし始め、勇助と紗知は別のクラスなので、それぞれ自分の教室に戻っていく。
学校に通い始めて一週間とちょっと。
このクラスでは、毎日この光景が繰り広げられていた。
「はぁ、平穏だねぇ」
本人らにとっちゃそうじゃないと言うだろうが、あっちに比べれば大変喜ばしい事につまらないまである。
……だけどこの平穏さが、俺には嵐の前の静けさだとわかっているからため息しか出ない。
理由はたった一つだけ。
この教室だけ明らかに魔力濃度が違う。
次回、異世界転移、モチベーションはまだある、決闘準備。
追記、名前の誤字修正。