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いつだって奇跡は片隅から起こるんだ  作者: 友理 潤
最終章 片隅から奇跡を起こす二人
33/43

幸せってなんだと思う?

最終章のはじまりです。

◇◇


 加奈が日本をたった日。

 東京の真ん中にある豪邸で一組の母娘が数年ぶりの再会を果たしていた。

 しかしそれを手放しで喜ぶわけにはいかないのは、二人が黒の喪服を着ていることからも容易に想像がつく。

 39歳には見えないスラッとしたスタイルの娘が、69歳の老いた母に向かって話した。


「意外とあっけなかったわね」

「この場合、『あっけない』という表現はどうかと思うの」


 彼女たちの目の前には全面に模様が施された桐の棺。中には多くの花に囲まれて横たわる老いた男があった。

 母は続けた。


「光太郎さんは立派に生き抜いたと思うわ」


 物言わぬ亡骸となっている男は、娘にとっては実の父親。かつてこの国の総理大臣にまでのぼりつめた人だ。

 名前は渋沢光太郎。

 およそ一年の闘病の末、76年の生涯に幕をおろした。

 

「ふん。生き抜いたねぇ。確かにそうかもしれないわね。最期の最期まで自分のことばかりの人生。さぞかしご満足でしょうね」

「こら、里美。故人を悪く言うものではありませんよ。ましてや父親なのだから」


 母が娘をたしなめる。

 しかしその口調は淡々としたもので、40年以上連れ添った夫の死を前にしても、悲嘆は感じられなかった。

 娘は母の様子に小さなため息をついた後、低い声でたずねた。



「母さんは幸せだったの?」



 母は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに元通りの穏やかな表情に戻して答えた。


「さあ……。私には分からないわ」


 それもそうだろう。

 娘は口には出さなかったが、そう考えていた。

 政治家として将来有望だった父にとって、大手航空会社の会長の娘だった母との結婚は、いわゆる自分が政界でのし上がるための政略結婚だった。

 二人は一児をもうけたが、その結婚生活は決して明るいものではなかった。

 父は政治の世界にどっぷりつかり、家庭をかえりみない。

 母は子育てしながら、毎晩のように父の連れてくる客人をもてなした。

 両親の間に会話らしい会話すら聞いたこともない。

 娘にしてみれば、母は父の道具のような存在にしか見えなかった。

 そんな母を見ているのが辛くて、娘は大学を卒業するなり家を飛び出した。

 そして今はアメリカのロサンゼルスで貿易関係の仕事に従事している。


「母さんと父さんは、出会い方を間違えたんだよ」

「出会い方?」

「うん。もっと違った出会い方をしていれば、違った夫婦生活になったと思う」

「ふふ。ずいぶんと知った風に言うのね」


 まるで少女のように可憐な笑みを浮かべる母に、娘は少なからず同情していた。

 でもこれまでの母は父を恨んだり、ままならない結婚生活に愚痴をこぼしたりすることは、ただ一回もなかった。

 娘はそれが不思議でならなかったのである。

 しかし今、それを母に問い詰めても仕方ないことだ。

 彼女は話題を変えた。


「私、結婚することにしたから。お腹に赤ちゃんがいるの」


 娘からの突然の告白。

 母は驚いている。

 せめて父さんの一周忌が終わってからにしたら、くらいは言われると娘は覚悟していた。

 しかし母はそんな娘の予想に反した言葉を投げかけた。


「まあ。そうだったの。どんなお相手?」

「安心して。少なくとも政治家ではないわ」

「あら? 夫が政治家だと何か不都合でもあるの?」

「嫌味なら笑えないから」


 娘はちらりと父の亡骸に目をやる。

 母はその視線に気づいて、くすりと笑った。


「ふふ。それもそうね。じゃあ、来年の今頃は私も赤ちゃんを抱っこできるかしら」

「母さんが一人でロスに? 大丈夫?」

「さあ……」


 再び流れる沈黙。

 それを破ったのは母の方だった。



「幸せってなにかしらね?」



 娘は答えなかった。

 その代わりに彼女は母のしわくちゃな手をぎゅっと握ったのだった――。



本日はもう1話アップいたします。

19:00の予定です。

よろしくお願いいたします。

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