加奈。また明日な
………
……
これが最後となるお別れのT字路。
思えば私と雄太くんの関係はここから始まった。
――私のことも『加奈』って呼んで欲しいの。
本当にあつかましかったよね。
でも私は3年前に苗字が変わったことがあったから。
もしまた苗字が変わってしまったら、私は私でなくなってしまうような気がして嫌だったの。
だからずっと変わらない下の名前で呼んで欲しかった。
――バイバイ! 加奈!
雄太くんは嫌な顔一つせずにそう呼んでくれた。
それがすごく嬉しくて……。
家に帰った後に、大泣きしたんだよ。
それから、
――雄太くん。手が痛い。
初めて手を握ってくれた日もこのT字路を通ったよね。
遠山さんと仲良さそうにしている雄太くんを見て、すごく不安だった。
でも雄太くんの手から伝わってくる優しさが、そんな不安を振り払ってくれた。
――確かに告白は手違いだった。だけど今の俺は加奈のことが誰よりも好きだ!
あの時も嬉しかったなぁ。
私にはもったいなくて、心の中で何度も「ごめんね」を繰り返してた。
初めてのキスもここで交わしたよね。
すごく幸せなクリスマスイブだったよ。
時が止まってくれたらいいのに、って本気で思った。
けどそんな願いはかなうはずもなく、まるで流れ星のようにあっという間に季節は巡っていったの。
――加奈。また明日な。
ここで何回も繰り返された言葉。
楽しかった時も、喧嘩しちゃった時も、嬉しい時も……。
いつだって雄太くんはそう言ってくれた。
私はその言葉が大好きだった。
また明日も雄太くんに会える。
雄太くんとお話しできる。
もしかしたら手をつなげるかもしれない。
ぎゅっと抱きしめてくれるかもしれない。
約束された『明日』は、私にとっては奇跡だったから。
でも……。
それもこれで最後。
私は心に決めていた。
絶対に泣くもんかって。
雄太くんに心配かけないように、笑顔でお別れしようって。
きっと雄太くんのことだから「バイバイ、加奈」と短く言ってお別れしてくれるはずだ。
そしたら私も「バイバイ、雄太くん」と笑顔で手を振ってお別れするんだ。
それなのに雄太くんが発したのは……。
「加奈。また明日な」
いつもの言葉。
『明日』を約束してくれたのだ――。
パンと風船が割れたような感覚がして、涙がポロポロとこぼれだす。
泣かないって決めてたのに、私には無理だった。
「どう……して……? もう今日で終わりなんだよ?」
三歩だけT字路を行き過ぎた雄太くんが振り返る。
彼はひだまりのような笑顔で答えた。
「だって明日、見送りに行くから」
私は首を横に振る。
「空港、遠いよ」
「シアトルに比べれば近いだろ」
もう彼の顔を見られない。
足元を見て嗚咽をこらえるのがやっと。
すると雄太くんはゆっくりと近寄って、私の頬をそっとなでてくれた。
「泣かないで、加奈」
「だって……」
「これからもずっとそばにいるから」
その言葉を耳にした直後に、私は上を向いた。
そして雄太くんの目をじっと見つめながら、いじわるな質問をぶつけた。
「だったら明日は何て言ってお別れするの?」
雄太くんは即答した。
「また明日……かな」
「どうして!? もう離れ離れなんだよ!」
綺麗事なんていらない。
余計に別れが辛くなるだけだもの。
でも彼は迷いなく答えた。
「だって明後日も『おはよう』と『おやすみ』を言うから」
ガツンと脳を叩かれたような衝撃が全身を走る。
そこでようやく私は気づかされた。
「明後日だけじゃない。三日後も、一年後も……。ずっと。俺は加奈に『おはよう』と『おやすみ』を言うから。だから『また明日な』でいいんだ」
私と雄太くんは離れ離れになんかならない。
「東京とシアトルだと時差が16時間あるんだって。だからシアトルの朝7時は、東京では夜の11時。シアトルの夜11時は東京だと昼の3時なんだってさ。ちゃんとその時間にKINEするから」
彼はずっと私のそばにいてくれる。
「だから加奈。大丈夫。泣かなくて大丈夫だから」
奇跡はこれからも続いていくんだ――。
「ありがとう、雄太くん」
涙が止まった。
私はそっと背伸びをした。
彼の唇と私の唇が優しく重なる。
お別れのキスじゃない。
これからもよろしくお願いします、のキス。
だからゆっくりと離れた後、二人して照れた笑顔になった。
「雄太くん、また明日!」
離れていく雄太くんの背中を見つめているうちに、彼の言葉が浮かんでくる。
――大丈夫。きっと大丈夫だから。
ううん。
違うよ、雄太くん。
絶対に大丈夫なんだ。
雄太くんが『加奈。また明日な』って言ってくれるから。
………
……
翌日――。
雄太くんは香織ちゃんを連れてお見送りにきてくれた。
「カオちゃああああん!!」
「レーちゃああああん!!」
玲於奈と香織ちゃんは抱き合って号泣している。
頃合いを見計らってママが口を挟んだ。
「そろそろ行くわよ」
雄太くんは香織ちゃんの手を引いて、一歩だけ私たちから離れたところに立つ。
彼は穏やかな声でお別れの挨拶を言った。
「加奈。また明日な」
ぐっと胸に熱いものがこみ上げてくる。
でもここで涙を流したら、雄太くんを不安にさせちゃう。
だから私は必死に笑顔を作った。
そんな私の顔を見た雄太くんが安心したように、頬を緩ませている。
――さよなら、雄太くん。
本当ならそう言うべきなんだろうな。
でも私はこう答えたのだ。
「また明日ね! 雄太くん!」
と――。
こうして私は日本を発った。
たくさんの思い出と感謝で、頭も心もいっぱいだ。
それは1年前、ひとりぼっちで、ただ雄太くんのことを遠くから見ることしかできなかった私を考えれば、奇跡としか言いようがなかった。
でも私も雄太くんも知らなかったの。
本当の奇跡はさらに1年後に訪れることになるなんて……。
これで第二のクライマックスは終了です。
いよいよ本編は最終章になります。
ちょっと寂しいです。




