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いつだって奇跡は片隅から起こるんだ  作者: 友理 潤
第四章 小さな奇跡を起こす二人
26/43

ママからの掟

◇◇

 

 12月中旬。

 自分の部屋でマンガを読んでいた香織のスマホが震えた。


『カオちゃん! 久しぶり!』

『レーちゃん! 久しぶり! どうしたの?』

『もうすぐクリスマスじゃん』

『はあ……。そういう話題は彼氏募集中の女子にはタブーだよ』

『そうじゃなくて! お姉ちゃんのことなんだけど』

『お姉ちゃん? もしかして加奈さんのこと?』

『うん。実はお姉ちゃん。雄太さんに話していないことがあるの』

『お兄ちゃんに?』

『うん。このままだとよくないから。私、お姉ちゃんを助けてあげたくて』

『だから私にも協力して欲しいってこと?』

『さすがカオちゃん! 話が早いね!』

『もっと褒めてもいいから。んで、加奈さんがお兄ちゃんに話してない話ってなんなの?』

『うちのママからの掟なの』

『掟? どんな?』

『それがね……』



………

……


 2学期がはじまってからも、俺と加奈の二人はほんの少しずつ距離を縮めていった。

 

 一緒に勉強したり、帰り道を二人で歩いたり、時々池袋へデートに行ったり……。

 

 初めは違和感しか感じなかったのに、今では二人でいることが自然になっている。

 そんな俺たちのことを春奈や恭一をはじめとした周囲の人たちも温かく見守ってくれていたんだ。

 

 抱えきれないくらいに大きな思い出が作られていく。

 その一つ一つを新しく買ったリュックの中につめていった。

 

 そうして夏が終わって、秋になり、そしていつの間にか手がかじかむくらいに寒い冬がきた。

 気づけば来週はクリスマスイブ。

 もちろん加奈をデートに誘ったさ。


 でも答えは「NO」。

 

――家族と過ごすことになってるから……。ごめんね。


 そう言われた時はショックだったけど、加奈の辛そうな顔を見たら、それ以上は何も言えなかったんだ。

 

………

……


 12月24日。クリスマスイブ。

 学校からの帰り道。

 離ればなれになるT字路で、雄太くんは私、遠藤加奈へいつも笑顔を向けてくれる。


「バイバイ、加奈」


 今日も笑顔の雄太くん。

 でも、その笑顔はぎこちない。

 彼の笑顔を不自然にしたのは私のせいだ。

 私がデートの誘いを断ったから。

 彼に申し訳なくて、私はなかなか「バイバイ」が言えなかった。

 

「今夜は家族で楽しむんだぞ」


 気を利かせた雄太くんが軽い調子で背中を押してくれる。

 それでも私はつないだ手を離せないでいた。

 

「……ごめんね」


 謝罪の言葉がひとりでに口をついて出てきた。

 雄太くんは目を丸くした。

 

「どうして加奈が謝るの?」


 私はその質問に答えることが許されていない。

 なぜなら『ママからの掟』があるからだ。

 だから何も口にできず、ただうつむいていた。


「……ごめんね」


 雄太くんの黒いローファーが、涙でかすんでいく。

 すると私の頭にポンと手が置かれた。

 

「イブに涙は似合わないから」


 雄太くんの言葉と手から、柔らかな温もりが私の中に流れ込んでくる。

 優しさに包まれると同時に顔が上を向いた。


「笑顔だよ。加奈」

 

 雄太くんの顔が目に映る。

 私の大好きな笑顔だ。

 

「ありがとう」


 短い言葉を振り絞るのがやっとなのが情けない。

 でも雄太くんは全然そんなこと気にしていないようだ。

 

「加奈。またな!」


 快活な声とともに彼は私の手を離した。

 一歩また一歩と広がる距離に焦りが生じる。

 でも『ママからの掟』という鎖でがんじがらめに縛られた私は、彼の背中を追いかけることすら許されなかった。

 だからせめて、

 

「バイバイ! 雄太くん!」


 ありったけの声を振り絞った。

 雄太くんは振り返ってニコリと微笑んで、手を振ってくれている。

 私も小さく手を振った。

 でも……。

 

 私は彼に言えない秘密を隠している――。

 

 その後ろめたさが、足を棒のように固くした。

 そして彼の姿が見えなくなるまで見送った後、ようやく家の方へつま先を向けることができたのだった。

 

………

……


 3年前。

 私の両親が離婚した。

 理由は私には分からない。

 というよりその時のことを私はあまり覚えていない。

 ただ一つだけ鮮明に覚えているのは、パパが家を出て行った日の夜、目を真っ赤に腫らしたママが私たち姉弟に対して言った言葉だ。

 

――これからは私たちだけで生きていかなきゃいけないの。だからこれだけは、みんなで守りましょう。


 それこそが『ママからの掟』だ。

 

――成人するまでは家族とともに暮らすこと。

――何においても家族を最優先すること。

――みんなの誕生日、クリスマス、正月は家族で一緒に過ごすこと。


 そして……。

 

――ママがいいって言うまでは、恋愛禁止。


 こんな厳しい掟を作ったママだけど、普段はすごく優しい。

 仕事も子育ても両立させて、異例の出世をはたしたスーパーウーマンだ。

 でもそんなママにも苦手なことがある。

 それは恋愛。特にパパと別れてからは恋愛ドラマすら毛嫌いしている。


――なめんなよ! 女だって一人で生きていけるんだから!


 酔っぱらって帰ってきたママが、鬼のような形相でそう口にしているのを耳にしたことがある。

 だから『ママからの掟』を破って雄太くんに恋をしたなんて言えなかったのだ。

 当然、雄太くんにも打ち明けることができない。

 だってママから恋愛を禁止されてるなんて雄太くんが知ったら、ママに直談判しかねないもの。

 

――ちゃんと言わなきゃダメだよ。


 妹の玲於奈の言葉がずっと頭から離れないでいた。

 でも雄太くんと一緒にいる時だけは、『ママからの掟』を忘れることができた。

 彼の優しさで私の頭と心がいっぱいに満たされるからだ。


 だからと言って、隠したままでいいわけがない。

 

 一人になるといつも不安と焦りにかられていたのだった。

 

「ただいま」

「おかえりー!」


 家に帰ると、台所からママの声が聞こえてきた。

 ママは午後から休みを取って、お料理にいそしんでいる。

 

「おかえり! お姉ちゃん!」

「おかえりなさい! 加奈ねえちゃん!」


 玲於奈と小学6年生の弟、大翔ひろとも学校から帰ってきていた。

 玄関までやってきた二人の顔が明るいのは、ママからのクリスマスプレゼントが楽しみだからに違いない。


「ただいま。パーティー始まるまで部屋で勉強してるね」


 私は無理に笑顔を作って、自分の部屋へ急いだ。

 

――バタン。


 不自然にならないようにドアを丁寧に閉める。

 コートと制服のジャケットを脱ぎ、ワイシャツの上からブラウンのカーディガンを羽織った。

 そしてドレッサーの前で椅子に腰かけると、自分の顔を鏡に映した。

 

「自然に。自然に」


 何度も自分にそう言い聞かせる。

 ちょっとでも油断すれば落ち込んでしまいそうな気分を、強引に引き上げて笑顔を作った。

 そうして窓の外が真っ暗になった頃、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

 

――コンコン。


 このノックの仕方は玲於奈だ。

 私はきゅっと表情を引き締めてから「はい、どうぞ」と返事した。

 

「お姉ちゃん。大丈夫?」


 私はドレッサーの方を向いたまま、鏡越しに部屋へ入ってきた玲於奈と目を合わせる。

 

「何が?」

「分かってるくせに」


 私のつたない質問をあっさりと返してきた玲於奈は、小さく首を横に振った。

 

「ママに何も言ってないんでしょ?」

「……言えるわけないもん」

「その様子だと雄太さんにも言ってないんでしょ?」

「……うん」


 玲於奈はすらりと伸びた長い足を床に投げ出して、私の背中をじっと見つめている。

 

「さっきね。カオちゃんからKINEがきたの」

「香織ちゃんから?」


 私はぱっと振り向いて玲於奈と向き合った。

 玲於奈は淡々とした口調で続けた。

 

「雄太さん。どこかへ出かけたっきり帰ってこないんだって」

「そうなの……」


 玲於奈はそれ以上なにも言わなかった。

 でも彼女が言おうとしていることは、嫌と言うほどよく分かっているつもりだ。

 

――雄太さんとママにちゃんと言わないと、みんなが傷つくよ。


 でもなんて言ったらいいの?

 3か月後には日本を発つのに、今さら「恋人ができました」なんてママが聞いたら、怒るし悲しむに違いない。

 それに雄太くんにだって何も言えないよ。

 

 そんな風に言い訳ばかりして、いつも逃げる自分が嫌いだ。

 雄太くんと出会って、彼の優しさに触れてから、私もいつか彼のようになりたいって、いつも願っていたけど、結局私は何も変わらなかった。

 

「もうすぐパーティーを始めるからお姉ちゃんを呼んできて、ってママに言われたから」

「……うん」


 すくりと立ち上がった玲於奈は、私に背を向けて低い声で言った。

 

「お姉ちゃんが思っているほど、世界はお姉ちゃんに冷たくないと思うよ」


「玲於奈……」


「少なくとも私はどんなことがあってもお姉ちゃんの味方だから」


 最後の一言が心に染みわたり、鼻の奥がツンと痛む。

 

「ありがとう」


 私が言い終える前に玲於奈は部屋から出ていった。

 そして私も少したってから家族のいるリビングの方へ向かっていったのだった。

 

………

……


 テーブルの上に並ぶ色とりどりの豪勢な手料理。

 キュートな飾り付けのクリスマスツリー。

 そしてママの笑顔。

 

「メリークリスマス!」


 待ちきれずに大翔がクラッカーを鳴らす。

 つられるようにママ、さらに玲於奈も続いた。

 私も不自然さを気取らないようにクラッカーの糸を引く。

 高い破裂音で心の中のモヤモヤを吹き飛ばそうとしたけど……ダメだった。

 

「加奈ねえちゃん! ママへプレゼント渡して!!」


 進行は例年通りに大翔だ。

 彼の場合は、一刻も早く自分へのプレゼントを開けたいのと、美味しいケーキを頬張りたいだけではあるが……。

 

「う、うん」


 私は姉弟三人でおこづかいを出し合って買ってきたママへのプレゼントを渡す。

 ママはとても嬉しそうにそれを受け取った。

 

「ありがとう! 開けていい?」

「うん! 早く開けてぇ!」


 今年のプレゼントはスカーフだ。

 3人の母親でありながらスタイルも良く、若々しいママにはぴったりのシンプルな柄だ。

 

「嬉しい! 新しいオフィスに似合うわね!」


 まるで子どものように無邪気に喜ぶママを見て、いくらか気分が晴れてきた。

 そしてパーティーを楽しもうという気持ちがむくりと顔を出す。

 

「次はママからのプレゼントね」


 ママが部屋の隅にあった紙袋を持ってきた。

 

「おお! 今年はなんだろう!? 俺、スマブラをサンタにお願いしたんだけどなぁ」


 大翔が興奮してぴょんぴょんと椅子の上で腰を浮かせる。

 彼はゲームソフトをママにお願いしているらしい。

 きっと玲於奈も自分が欲しいプレゼントをママに言ったはず。

 でも私は何もお願いしていない。

 そんなことを考える余裕がなかったからだ。


「こらっ! 大翔! お料理がこぼれるでしょ! やめなさい」


 しっかり者の玲於奈が大翔をたしなめるのも、いつもの光景。

 ここが私の居場所なんだと、あらためて実感がわいてくると、ようやく自然の笑みを作れるようになってきた。

 

「はい! これ大翔のね」

「おおお! この箱の大きさはっ! まさかスマブラか!?」

「はい! これは玲於奈」

「ママ、ありがとう!」


 次は私の番だ。

 私はママから何がもらえるのだろうか。

 でも次に浮かんできた疑問が私の心をとらえた。


 そもそも私は何が欲しいんだろう?

 

 欲しいもの……。

 

 その次の瞬間。

 脳裏に映ったのは……。

 

 

 雄太くんの優しい笑顔だった――。

 


「次は加奈ね。加奈へのプレゼントは……」

 

 そうか。

 私が本当に欲しいのは……。



 ママに雄太くんを認めてもらうことだ!

 

 

 バチンと弾けた音が心の中に響き渡ったと同時に、私の口は勝手に動いていた。

 

 

「ママ、ごめんなさい。私、ママに言わなくちゃいけないことがあるの」



 ママの手がピタリと止まる。

 

「おおお! やっぱりスマブラだぁ! やった……」

「大翔! ちょっと玲於奈ねえとトイレいこっか!」

「はあ? 俺、トイレなんか行きたくねえよ!」

「いいから、きなさい!」


 玲於奈が大翔を引きずりながらリビングを出ていった。

 バタンとドアが閉まり、ママと二人きりになる。

 柔らかなママの表情がとたんに固くなり、自然と場の空気が凍りついていく。


「どうしたの? 加奈」

「ええっとね。私ね……」


 怖い。

 怖気づきそうになる。

 でも、そんな私を雄太くんの声が励ましてくれた。


――大丈夫。きっと大丈夫だから。


 そうだよね。

 雄太くん。

 きっと大丈夫だよね。

 だって雄太くんが証明してくれたもの。


――ウ、ウッヂュー……。ライク……。パートナー……?


 英会話の授業で初めて私のパートナーになってくれた時も、

 

――俺の傘に入る?


 初めてのデートの時も、

 

――お、俺の彼女なんです! だからやめてください!!


 私がナンパされてるって勘違いした時も……。


 勇気を振り絞れば、絶対に上手くいく、と。

 だから今度は私が立ち向かう番だ。

 

 私はぐっと腹に力を入れると、はっきりした口調でママに告げたのだった。

 

 

「ママ。私、好きな人ができたの」




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