絶対に手放すんじゃねえぞ
◇◇
夏休みに入ったばかりの、ある日の夜。
俺は恭一にKINEで近所の公園に呼び出された。
十中八九はくだらないことだとは思うが、もしかしたらすごくシリアスなことかもしれない。
自然と肩に力が入っていた。
ホーホーと鳥が鳴く声に耳を傾けながらベンチに座っていると、恭一が缶コーヒーを2本持ってやってきたのだった。
「ほれ。これ俺からのおごりな」
「ありがと。珍しいな」
「ははは! バイトに青春をかけた男なら缶コーヒーの一本くらい全然余裕だっつーの」
「お、おう」
妙にテンションが高い。
いや、テンションが高いのはいつも通りなのだが、少し違和感がある。
そんな俺の心を見透かしたように恭一は視線を下に向けて苦笑いを浮かべた。
「実は振られちゃってさ」
聞き流してしまいそうになるくらいに、恭一はさらりと言った。
とっさにかける言葉を見つけられないでいると、彼は流れるように続けた。
「知ってると思うんだけど。バイトの先輩……明莉さんって言うんだけどさ。俺、明莉さんのことマジで好きだったんだわ」
恭一は缶コーヒーをぐびっと飲み干した。
そして空を見上げながら続けた。
「俺はこんな性格だから、本気の恋とかしないもんだと思ってたんだけどな。まあ、ダメだな。一度好きになったら、もう止まらないって言うか……」
恭一の気持ちがすごく分かる。
なぜなら今の俺もまったく同じことを加奈に対して感じ始めているからだ。
「そんなんだからさ。毎日バイト入れてな。偶然でもいいから明莉さんと同じシフトになって、同じ休憩時間になるのを狙ったわけだ。んでさ、たまたま明莉さんが他のバイトの女子と話しているのが聞こえちゃったんだよ」
恭一はそこで言葉を切って、ベンチから立ち上がった。
そして俺に背を向けたまま、ちょっとだけ語調を強めて言った。
「今年の9月からアメリカの大学で臨床心理の研究がしたいんだって。だからその準備のために今週でバイト辞めるってさ」
他人の俺でもズキンと胸が痛むのだから、恭一にしてみれば奈落の底に落とされたような衝撃だったんだろうな。
「今週だぜ? 俺、結構仲良くしてたのに、本人から何も聞かされていなかったんだぜ? ありえねえよな。ああ、ありえない」
恭一の口調には怒りの感情がこもっている。
それはどうにもならない現実へのいら立ちなのだろうか。
それとも不甲斐ない自分へのいら立ちか。
俺には分からなかった。
「だからさ。俺、カッとなっちゃってさ。我を忘れて、その場で言ったんだよ。『俺、明莉さんのこと好きなんです! アメリカなんかに行かないでください!』って。バイトの休憩中にだぜ。バカだよな」
背を向けたままの恭一の肩がかすかに震えている。
「当たり前だけどさ。みんな笑ってるわけ。俺はいつもジョークばっか飛ばしてるからさ。一世一代の告白すら、受け流されちまった」
「恭一……」
「でもさ。明莉さんは優しいから。バイト終わった後にKINEくれたんだよ」
そこで言葉を切った恭一は俺の方を振り返り、スマホの画面を見せてくれた。
綺麗な女性のアイコンから出た吹き出しに、こう書かれていた。
『舟木くん、ごめんね』
たったそれだけ。
「さっき店長に電話して。俺もバイトやめることにしたよ。と言っても夏休み中はシフト組まれてるから、8月末までは続けるけどな」
「そうだったのか……」
こんな時に俺はどうしたらいいんだろう?
言葉がみつからず、ただ悲しげな顔をすることしかできない。
恭一はスマホをズボンのポケットにしまうと、小さく笑った。
「ああ、別になぐさめて欲しいとか、そういうことで雄太に話したわけじゃねえんだ。……まあ、話を聞いて欲しかったという気持ちが全くなかったのか、と言えばウソになるんだけどな。でも、本題はそこじゃねえ」
恭一の顔つきが一変する。
テストの時でも見たことないくらいに真剣な表情だ。
俺もまた口を真一文字に結んで、彼の視線を受け止めた。
「春奈から聞いたぜ。遠藤……加奈ちゃんのこと。来年の春から海外に行っちゃうんだってな」
「ああ」
「雄太はどうするつもりなんだ、……なんてヤボなことは聞かねえぞ。おまえのことだから、もう覚悟はとっくに決まってるんだろ?」
「まあ……な」
恭一がニコリと笑う。
俺もつられるように顔をほころばせた。
「何があっても手放すんじゃねえぞ。加奈ちゃんのこと」
ズンと心に響く重い言葉だ。
俺は声を低くして答えた。
「ああ」
「雄太は俺がつかめなかったものをつかんだんだ。自分から手放すような真似をしたら、俺はおまえをぶっ飛ばすからな」
冗談でないのは、公園の白い外灯に照らされた彼の横顔を見ればすぐに分かる。
俺は表情を締め直した。
「そうしてくれ。俺は臆病で、どうしようもなくおっちょこちょいだからさ。もし俺が血迷って加奈のことを悲しませそうになったら、俺はお前にぶっ飛ばして欲しい」
そう言い終えた後、しばらく俺と恭一は視線を交わした。
さらながら剣豪同士の睨み合いのように、張り詰めた空気が二人の間に漂う。
そうして静寂を破ったのは恭一の笑い声だった。
「ぷっ……ぶわっはははは!!」
俺は目を見開いて口を半開きにする。
恭一は腹を抱えながら大笑いを続けた。
「はははは!! くせーよ! くさすぎる! はははは!!」
「なっ……。恭一の方から言い出したんだからな! 俺のことをぶっ飛ばすって!」
「ジョークに決まってるじゃんか。『おまえのパンチは既に見切ってるから大丈夫』くらいにさらっと流してくれると思ったのによぉ! 本気で返されると思ってなかったぜ。はははは!!」
俺がそんなに器用な人間だと思ってたことがビックリだぜ。
……とは言えず、俺は顔を赤くして震えるより他なかった。
恭一はそんな俺の首に腕を回してきた。
横目で彼を見ると、目じりに涙をためている。その涙は単に笑いすぎによるものなのか、それとも……。
しかし考えを巡らせる暇を恭一が許すはずもない。
「安心したぜ。やっぱり雄太は何にも変わっちゃいねえな。それでこそ俺の親友だ」
「おまえ……。調子良すぎだろ!」
「おうよっ! 俺はいつでも絶好調だぜ!」
彼は俺から離れると涙をぬぐう。
そして声のトーンを落として言った。
「頑張れよ。俺は雄太の味方だからな。いつでも俺に相談するんだぞ」
俺は小さくため息をついた。
「相談したとたんにクラス中に広めるくせに……」
「俺をそんな薄情な男だと思ってんのかぁ?」
「俺もおまえのことを昔から変わってないと思ってるからな」
恭一が首をすくめて、ニヤッと笑った。
失恋したばかりなのに、ずいぶんと軽い。
でも恭一は昔からケガや病気をしても、隠したがる性格だったからな。
本当は泣き出したいくらいに辛いのかもしれない。
だから恭一のことが心配だった。
だが……。
「ところで話は変わるが、今度の土曜にクラスの女子たちが海へ行くという情報をキャッチした」
「は?」
自分の顔が引きつっていくのが分かる。
恭一は腕を組んで、堂々と宣言した。
「そこで俺たち男子も海へ行くことにした! ひと夏の思い出を女子とともに作るのだ! ははは!!」
心配した俺がバカだった。
恭一には失恋すら前に進むためのガソリンのようなものなんだろうな。
「おまえ……本気か?」
「本気、本気! 女子の水着姿がおがめるなんて……。こんなチャンス滅多にないんだぜ!」
「いやいや……。春奈にバカにされに行くようなものじゃないか」
「春奈が怖くて青春できるか!!」
「はあ……。俺はパスだわ……」
俺が手をひらひらさせると、恭一は俺の肩にポンと手を乗せた。
「なお春奈に確認したところ、加奈ちゃんも誘ったらしいぜ」
背中に電撃が走ったような衝撃を覚える。
恭一はニヤッと不気味な笑みを浮かべた。
「いいのかなぁ? 加奈ちゃんが行くのに、雄太は行かなくて」
「ぐぬぬ……。で、でも加奈が行くとは限らないだろ?」
「ああ、その通りだ。いつも一人ぼっちの加奈ちゃんが、クラスの女子たちと海へ行く、なんて想像がつかないよな」
「え、あ、うん……。想像つかないな」
小さなトゲが胸に刺さったような痛みを覚えたのはなぜだろうか?
恭一は俺の目を覗き込みながら続けた。
「春奈が言うにはさ。加奈ちゃんにとっては高校生活最後の夏だから。クラスのみんなと思い出を作って欲しいんだとよ」
しみじみとした口調に、俺はギュッと心臓をわしづかみにされたような錯覚にとらわれる。
恭一は俺が口を挟む暇を与えずに続けた。
「でも加奈ちゃんは渋ってるらしくてさ。おまえからも加奈ちゃんの背中を押してやってくれよ」
恭一はポンポンと俺の肩を軽く叩いた後、公園を出ていこうとした。
俺は慌てて彼を呼び止める。
「ま、待てよ! 俺にどうしろと?」
すると彼は俺の方をチラリと見た。
「自分で考えろよ。大事なのは雄太が加奈ちゃんにどうして欲しいか、だろ?」
「それはそうだけど……」
「男子の待ち合わせ場所と時間をKINEしておくからさ。気が向いたら雄太もこいよ」
そう言い残して恭一は去っていった。
そして次の土曜――。
「ははは! 雄太! 俺はおまえが来てくれるって信じてたんだ! 今日は全力で楽しもうぜ!! ははは!!」
俺は恭一から指定された待ち合わせ場所にいた。
――春奈から海に誘われたんだってな。
――うん。どうしようかと思って……。
――春奈がいれば大丈夫だから。行ってくればいいと思う。
――そうかな……。
――思い出を作ろうって話したじゃないか。クラスのみんなと楽しい思い出を作るのも悪くないと思うぜ。
――うん、ありがとう。じゃあ、行ってみるね。
つまり俺は恭一に言われるがままに、加奈の背中を押し、自分も海に行くことにしたというわけだ。
「最初から素直になればいいのにぃ! ははは!!」
豪快に笑う彼を見て、俺はなんだか負けた気がしたのだった。




