進んでるんだよ。みんな。
………
……
駅前に喫茶店に戻った俺を待ち受けていたのは、言うまでもなく恭一と春奈の二人だった。
二人ともかなり怖い顔をして俺を睨みつけている……。
「雄太。もう逃げられると思うなよ」
「ユウくん。散々待たせておいてくだらないこと言ったらタダじゃおかないからね」
こうなったら仕方ないよな……。
俺は素直に加奈とのことを話した。
あ、でも、本当は春奈に告白しようとしたことだけは伏せて、である。
春奈のことが告白するくらいに好きだったと二人に知られたら、何をされるか分かったものではないからな。
「んで、んで! お二人はどこまでいったのよ? もうチューくらいはすましたのかね? ぐへへ」
いやらしい顔の恭一が俺の首に腕を回して問いかけてくる。
俺はため息まじりに答えた。
「馬鹿言うなよ。俺たち付き合い始めてまだ1ヶ月もたってないんだぜ」
「そうかい、そうかい。いいねぇ。初々しくて! しかし雄太の相手がまさかクラス一の地味子とはねぇ」
「おい! 加奈を悪く言うな」
「別に悪く言ってねえだろ。そんなに怒るなよぉ」
こいつには何を言ってものれんに腕押しだからな。
むしろこっちが怒るのを楽しんでいるからたちが悪い。
だからこういう時は放っておくに限る。
飽きれば勝手に向こうからやめるからだ。
さて一方の春奈はというと……。
「……なによ?」
目を向けただけで、トゲのある言葉を投げかけてくるあたり、かなり不機嫌なのか?
なぜだ?
そこで俺は聞いてみることにした。
「なんで不機嫌なんだ?」
「べ、別に不機嫌じゃないわよ!! バカ!!」
うん。理由は分からずじまいだが、明らかに不機嫌であることは分かった。
春奈もそっとしておいた方がよさそうだな。
つまり今目の前にいる二人に何を言っても無駄ということ。
となればすることは一つだ。
「そろそろ帰るか」
俺の提案に二人ともうなずいた。
結局勉強らしい勉強もせずまま、俺たちの勉強会は幕を閉じたのだった……。
………
……
俺たち三人は近所に住んでいる。だから乗り降りする駅は一緒だ。
会社帰りのOLさんや会社員のおじさんたちでごった返す駅前を抜けると、音のない住宅街に入る。
寂しさすら漂う静かな住宅街の中、和気あいあいと歩く俺たち三人は明らかに浮いていた。
「最近のマリアちゃん、さらに肉食度が増してると思わねえ? 俺、ほんとに食われるかと思ったぜ」
「あはは! 肉食度って何よ?」
「肉食度は男にガッツく割合のことだろ? 数学で習ったじゃねえか!」
「ははは! そんなの習ってねえから!」
恭一がおかしなことを言い、俺と春奈はそれを笑い飛ばす。
物心ついた時から何度も繰り返されてきた光景で、まるで自分の部屋の中にいるように心地よい。
一方で、こうして三人で一緒の時間を過ごしたのは何年振りだろうか、という疑問が浮かび上がる。
春奈とは小学校の卒業とともに徐々に疎遠になっていった。
恭一とは今でも仲はいいが、彼は彼で普段はバイトに忙しく、めったに帰り道が同じになることはない。
だから三人で並んで歩くのは、本当に久しぶりだ。
ちらりと横にいる春奈を見る。
心の底から楽しそうに笑う彼女の顔は、星一つ見えない空の下で眩しく輝いていた。
ドキッと胸が脈打ったのをごまかしたくて、俺は何気なくつぶやいた。
「小学生の頃はよく三人で一緒にいたよな」
恭一が食いつく。
「どうした? 雄太。もしかして彼女ができたから急に『大人』になっちゃったのか?」
「だからそういうのは、もういいって」
「あははは!! お前が変なこと言うのが悪いんだぜ!」
からかう恭一から目をそらしながら、俺は声の調子を落として言った。
「いや……。すごく楽しいのに。どうして三人で帰らなくなったんだろうなって」
「それはおまえ……。みんな忙しくなったからだろ?」
恭一の声にもわずかな影がある。
そして春奈も俺も彼の問いに答えようとはしなかった。
忙しい、が本当の理由だろうか。
いや、違う。
違うのは三人とも分かっているはずだ。
だから誰も何も言えないんだ。
……と、静寂を破ったのは春奈だった。
「進んでるんだよ。みんな」
俺と恭一が春奈の顔を覗き込むと、彼女ははっとなってうつむいた。
俺は彼女の言葉に相槌を打った。
「進んでいる、か……。確かにそうかもしれないな」
「当たり前だろ! 進まなかったら、いつまでたっても家に帰れないじゃねえか!」
恭一の冗談とも本気ともつかない言葉に、俺と春奈は目を合わせて苦笑いを浮かべる。
しかし恭一の言ったこともあながち間違いではないように思えて、俺は何も言えなかった。
なぜなら進まなかったら、どこにもいけないし、何にもなれないのだから。
だから俺たちは進むしかないんだ。
でも進むためには、何かを犠牲にしなくちゃいけないのだろう。
そのうちの一つが俺たち三人の関係なのかもしれない。
そこまでして進むことにどんな意味があるのか、俺には分からない。
分からないけど、みんな当たり前のように進んでいる。
行き着く先にある何かを得るために――。
「なんだよ? 俺、なんか間違ったこと言ったか?」
「いや、言ってない。けど正しくもない気がする」
「なんだよ、それ? やっぱり雄太は彼女ができたからおかしくなったじゃねえか?」
「だからそういうのはもう……。まあ、いいや、なんでも」
「あはは! やっと認めたなぁ! 遠藤も罪な女子だねぇ。雄太を変えちゃったんだから」
いつもの調子が戻ったところで、恭一が立ち止まった。
気づけば彼の家のすぐそばだ。
ちなみに俺と春奈の家はもう少し先だから、ここで恭一だけお別れだ。
「じゃあな! 雄太! KINEで『加奈ちゃんとキス作戦』立てような!」
「そんなの立てるかっての! じゃあな!」
俺が言い終える前に彼は玄関の中へと消えていったのだった。
………
……
二人きりになった俺と春奈の間には、どことなく気まずい沈黙が漂う。
そうして家の近くの公園のそばを通り過ぎる頃、春奈がようやく重い口を開いた。
「加奈ちゃんのこと。本気なの?」
「……当たり前だろ。冗談なんかで彼女にするものか」
春奈がピタリと足を止め、俺は二歩行き過ぎたところで足を止めて、彼女の方を振り返った。
「……その様子だと何も聞いてないのね」
「どういうことだ? 俺が何を聞いてないんだ?」
春奈は深いため息をついて、首を横に振った。
「私の口からは言えない」
「なら言わなくていい」
「でも……っ!!」
彼女はそこで言葉を切った。
すごく辛そうな表情。
こんな春奈、初めて見た。
腹の底から不安の雲が立ち込めてきたが、俺はそれを隠すように穏やかに言った。
「だから何も言わなくていいって。そんなに大事なことだったら、加奈の口からしっかり聞くから」
「……うん。分かった……」
渋々納得した春奈は再び歩き出した。俺は彼女の横に並ぶ。
いったい彼女は何を心配しているのだろうか。
そして俺が加奈から聞かされていないこととは、いったい何なのか。
でも今それを考えても仕方ない。
本当に大切なことだったら、真面目な加奈のことだから、しっかりと話してくれるに違いない。
意外とさっぱりしている自分に驚きつつ、俺は話題を変えようと試みた。
「日本史のノート。ちゃんと見直しておけよ」
「言わなくても分かってるから」
春奈はいつもの調子で返してきたので、胸がすっと軽くなった。
そうしてすぐに彼女の家の前に着いた。
「じゃあ、また明日」
俺は軽く手を挙げた。
だが立ち去ろうとした俺の背中に、春奈の鋭い声が響いてきたのだ。
「私、嫌だからね!! 二人が傷つくのは!! だって二人は……。私にとって大切な友達だから!!」
俺は振り返らずに、右手を上げて小さく振った。
だって春奈自身が言ったばっかりじゃないか。
――進んでるんだよ。みんな。
って。
俺と加奈だって同じだ。
俺たちは進み始めたんだ。
そして、二人が傷つくような障害が待っていたとしても乗り越えてみせる。
だから春奈がいかに心配しようとも、立ち止まりたくなかったんだ。