お兄ちゃんって優しいくらいしか取り柄ないのに
◇◇
雄太と加奈が一つの傘の下で歩いている頃。
雄太の妹、香織はバレー部の部活を終えて一足早く帰宅すると、スマホの画面に指を滑らせた。
KINEでメッセージを送るためだ。
その相手は元バレー部の先輩、遠山春奈。
『今日。お兄ちゃんがデート行ったんですよ..・ヾ(。 ̄□ ̄)ツ!』
『えっ!? ほんとに? 誰と? ∑q|゜Д゜|pワオォ』
春奈の反応は香織にとっては意外なものだった。
なぜなら彼女の兄は春奈とデートに行ったものと思い込んでいたからだ。
『知らないです(。pω-。)』
『そっか。でもありがとね。教えてくれて<(_ _*)>』
『ううん、全然です! 先輩、頑張ってください!(ง •̀_•́)ง』
そこまでやり取りしたところで、香織はスマホをベッドへ放り出す。
「あんなお兄ちゃんのどこがいいんだろ? 取り柄なんて『優しい』くらいじゃん」
大きなため息をつきながら、天井を見上げた。
「でも頑張って欲しいなぁ。春奈先輩には……」
部活でさんざん春奈の世話になった香織は、彼女の幸せを願わざるを得ないのだった。
………
……
月曜日。
つまり加奈とのデート翌日。
休み時間に俺はぼけっと加奈のことを自分の席から見ていた。
――うん、私も好き。雄太くんと一緒の傘に入れるから。
加奈の言葉が脳内で繰り返されて、胸の動悸が早まる。
「はぁ……」
ひとりでに深いため息が漏れてしまったのは、相変わらず教室では加奈に近づくきっかけすらつかめていないからだ。
教室だけではなく、KINEですらやり取りできずに悶々としているのは、すべて臆病な俺が悪いのは分かっている。分かっちゃいるが勇気が出ない。
加奈のことが好きだと自覚したら、なおさら怖くなってしまったのだ。
「ダメだなぁ。俺……」
一方の加奈は、いつもポツンと一人でいるのに、今日はやたらと女子たちが彼女に話しかけている。
その一人一人に彼女は丁寧に対応しているようだ。
俺にもう少しだけ勇気があったら、彼女たちみたいに気軽に話しかけられるのに。
そんな俺の気持ちを見透かしているかのように、背後から声が聞こえてきた。
「ため息つきたい気持ちも分かるぜ」
「えっ?」
パッと振り返ると恭一がニタニタしているではないか!
その気味悪い顔は、まるで「全部分かっているんだぜ」と言わんばかりだ。
「分かるぜ、雄太。おまえも悩んでいるんだろ?」
「な、なにをだよ?」
「なにを、って、俺に言わせるつもりか?」
恭一はわざとらしく首を横に振る。
こいつ……。
何かに気づいているのか……?
それとも引っかけようとしているのか?
彼は口から生まれてきたような男で、よく舌が回る。しかも声がでかい。
もし俺と加奈のことが恭一にばれたら……。
考えただけでもゾッとする。
とにかく冷静に。
なにかを気取られてはダメだ。
「そういう恭一だって悩んでるんじゃないのか?」
「は? 俺? 俺はあれだ。もうあきらめたんだよ」
あきらめた……。
何を?
まさかこいつも加奈のことを……?
「そ、そうだよな。大丈夫だ。俺もあきらめてるから」
「そうかぁ!? ならなんで遠藤のこと見てたんだよ。しかも英会話の授業で俺を裏切って、あいつと組んでたし」
げげげっ!?
やっぱりこいつ何かに気づいてる!!
しかもジト目で見てくるし。
まずい! まずいぞ!
こ、こうなったら覚悟を決めるしかない。
あえて本当のことを言って、嘘っぽく聞こえさせる、名付けて『自爆の策』だ!
「遠藤のこと好きだからに決まってんだろ」
恭一の口がピタリと止まった。
大きく目を見開いて、俺をガン見している。
あれ……?
なんか思ってたような反応と違う……。
「雄太、おまえ……」
恭一さん? なんで声が低いの?
まずい……。完全に失敗じゃないか……。
こ、こうなったら方針を360度転換だ!
……って、360度回ったら元に戻ってしまうか。
ええーい! 今はそんなことはどうでもいい!
とにかく笑ってごまかす!
「なーんてね! あはは! んなわけねえだろ! たまたまだよ! たまたま!」
「そ、そうだよな。だっておまえが好きなのは遠山だもんな」
「そうだよ。俺が好きなのは春奈……って、おまえ!! なんてことを!」
「引っ掛かりやがったなぁ! へへへ。おーい! みんな! ついに雄太が白状したぞぉ!」
「てめえ! やめろって!」
ニヤニヤしている恭一にヘッドロックをかますが、まったくこたえていないようだ。
すると俺たちの後ろから透き通った声が響いてきた。
「ん? 私がどうしたって?」
まさか……。
その声は!
俺は急いで声の持ち主の方へ視線を向けた。
「どわあああ! は、春奈!?」
長めの前髪にストレートのミディアムヘア。短いスカートから覗く細い足。整った小顔にすらりと伸びたスレンダーなスタイル。
バレー部で洒落っ気がまったくなかった中学時代と比べると、まるで別人のようにあか抜けた美少女。
それが俺の幼馴染、遠山春奈だ。
明るい性格に、バレー部でキャプテンだった時につちかってきたリーダーシップ。そして運動神経抜群で学年トップクラスの成績。
まさに非の打ち所がない。
「クラスカースト上位の春奈がなんの用だよ」
「私がどこで何をしようとユウくんには関係ないでしょ」
「ま、まあそうだけどさ……」
春奈はちらりと加奈の方を見ると、大きなため息をついた。
「みんな都合がよすぎるのよね。普段は加奈ちゃんのことを相手にしないくせに、テスト前になるとああやって群がるんだから」
どういうことだ?
会話にそば耳を立ててみると、
「ねえ、遠藤さん! 現国のノート貸してくれない? スマホで写真撮らせて欲しいの! お願い!」
「うん、いいよ。私なんかのでよければ……」
「遠藤さんのノートが一番細かくて字が綺麗なんだもん! ありがとー!」
「あ、私は地理! お願い! 遠藤さん!」
なるほど……。
普段から真面目に授業を受けている加奈のノートは、女子たちにとってお宝みたいなものなのか。
つまり加奈はいいように扱われているだけってことだ。
しかし加奈は優しいからお願いされたら断れないんだろうな。
もしかしたら俺の手違いの告白にオッケーしたのも、単に断りきれなかっただけなのかもしれない……。
急に不安になったところで、恭一の声が耳に入ってきた。
「雄太も遠藤のノートが欲しくて悩んでたんだろ? だから英会話の授業を利用して彼女に近づいた、と。名探偵の俺の目はごまかせないぜ」
「はあ?」
「ああ、もう言わなくていい。俺はテストのことはもうあきらめてるが、お前はまだ捨てきれていないってことなんだもんな」
どうやら恭一は俺が加奈に近づき始めたのは、彼女のノートを手にいれるための下心だと勘違いしているらしい。
それはそれでいい気はしないが、それでも付き合っていると気づかれるよりはましだ。
「あ、ああ、そうだよ。俺はあきらめの悪い男だからな。はは……ははは」
乾いた笑いとは裏腹に、内心はほっと胸をなでおろす。
どうにか乗り切ったようだ。
しかしここにいるのは恭一だけじゃなかったのを、すっかり忘れてた……。
「あんたたちの寒いコントなんてどうでもいいの。私、ユウくんに話しがあるから」
春奈だ。
俺の前で仁王立ちになっている。
「俺に? なんだよ」
眉をひそめた俺に対し、春奈はさっと目をそらした。
「……ここで話すような内容じゃない……」
「はあ!?」
「いいから、きて!!」
――グイッ!
春奈は俺の腕を取ると強引に教室の外に出ていこうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「待てない! 休み時間終わっちゃうもん!」
春奈は元バレー部のエースだ。
彼女の怪力に対し、俺は無力も同然だった。
ずるずると引きずられていく俺に、恭一はニコニコしながら手を振っている。
「いってらぁー。あとで何の話しだったか聞かせろよー」
あの野郎……。
英会話の授業の仕返しだな!
もう親友なんて呼んでやらないからな!
覚えとけ!
こうして俺は春奈のなされるがままに廊下へ出た。
教室を出る瞬間に加奈と目が合ったが、彼女の心配そうな視線が、まるで魚の小骨のように胸に引っかかる。
俺の心の中は嫌な予感で曇っていった。
そしてその予感は、こういう時に限って的中してしまう――。
「加奈ちゃんのこと。軽い気持ちで近づくのはやめた方がいい。でないと二人とも傷つくことになるわよ」
誰もいない校舎の屋上へ続く階段の踊り場で、春奈にそう告げられたのだった。