決闘〈2〉
ダンテたちが〈スカリエ学校の子供たち〉と呼ばれていた頃、昼でも薄暗いため行動に慎重さが求められる森は格好の訓練の場であった。
当時は特に班を組んでの対戦を頻繁に行っていた。慣れた場所とあって、とにかく山育ちのエリオとピーノの二人が抜きんでて好成績を残していた印象がある。
「相変わらず暗えな」
誰に言うでもなくダンテが呟く。
森の中をしばらく進めば、相当の樹齢だったはずの大木が倒れてできたいくらか見通しのいい空間がある。もちろん足場は悪いのだが。
そこがリュシアンとニコラの決闘の場だ。邪魔にならないよう、広範囲を眺めることのできる手頃な高さの枝からダンテも見守っていた。
すでに二人は互いに剣を抜いて構えている。リュシアンは両手で、右腕が老人のそれと化しているニコラは左手一本で。
念の入ったことに、ニコラの右腕は指先まで隙間なく覆い隠されている。よほど他人の目には触れさせたくないらしい。
「遠慮はしない」
改めてリュシアンが宣言した。ニコラの腕について言っているのだろう。
「それでいい。全力の君となら拮抗した勝負になるはずだ」
「近衛兵程度なら二十人いても腕一本で皆殺しにできるだろうが、私が相手でも同じようにできるなどと侮るな」
「知っていたのか。さすがの情報網だよ」
そう言いながらニコラが頭上のダンテをちらりと見遣る。
思わずダンテの肝も冷えた。とっくにこの人にはばれていたのか、と。
「どこまでその余裕が持つか、な!」
先に仕掛けていったのはリュシアンだ。
彼の鋭い斬撃をニコラも左腕だけで見事に受け切る。
少し距離をとってからも再び同様の場面が何度か繰り返されたが、片腕なれどニコラの防御は非常に固い。力で押し切るのは難しそうだ。
「あのリュシアン相手に実質腕一本で五分かよ……。つくづく化け物だな」
ダンテは感嘆とも畏怖ともつかない声を漏らした。
聞こえたわけでもないだろうが、視線の先で「ならば」とばかりにリュシアンがすぐさま戦法を変える。
大木が転がり、地面は柔らかい腐葉土とあって条件があまり良くないにもかかわらず、足を使って機敏に動き始めた。どうやら上手く回り込んでニコラの右側から攻めようという腹積もりらしい。時には木の枝を投げつけながら隙を窺っている。
こういうところがリュシアンの強みだ、とダンテは思う。
軍人の息子として育ったため正統な剣術の指導を受けており、ダンテの目から見ても相当な技量なのだが彼はその戦い方に固執しない。機に臨み変に応ずる。
けれども出会ったばかりの頃のリュシアンは決して柔軟ではなかった。転機となったのは、何でもありの戦闘訓練において目立っていたのがエリオやピーノ、それにカロージェロという辺境組だったからだ。
我流で戦う彼らには定石などない。身の回りで使えそうな物があれば遠慮なく利用するし、とにかくでたらめであったのだ。攻撃の緩急や強弱といった技術においても、彼らのそれはひどく感覚的なものだった。まるで獣だ。
だからこそ、リュシアンは彼らから貪欲に学ぼうとしていた。動き方をつぶさに観察し、真似てみて、できるかぎり採り入れてみる。
戦い方にではなく、勝つことそのものに誇りを持つ。そんな彼が〈名無しの部隊〉でも屈指の強さとなったのは、誰よりも長くそばにいたダンテにしてみれば至極当然の結果といえた。
リュシアンとニコラの決闘は互角の攻防が続いている、ように見える。しかしダンテには次第にリュシアンの勝機が小さくなりつつあるのがわかった。
緩急の差はあれどひたすら動き回り、何とか一瞬の好機を作りだそうとするリュシアン。対照的にニコラは、押し込まれながらも無駄のない動作で斬撃を捌き続けている。二人の残り体力の差は傍目からでも歴然であったのだ。
長引けば不利、もちろんその点はリュシアンも認識しているに違いなかった。
ここで彼は懐に隠していた短剣を抜く。それをニコラへと投げつけながら、自分も後を追うように猛烈な出足で飛びこんでいく。
なるほど、とダンテも唸った。
「剣で弾き飛ばせば守りががら空きになるし、避けようとしてもあれだけの速さで突っ込んでこられたら、さすがにニコラ先生と言えど一歩遅れるぜ」
リュシアンが勝負に出た。
剣で弾くか、それとも避けるのか。ダンテが見つめる視線の先で、ニコラのとった選択はそのどちらでもなかった。
彼は使い物にならないはずの右手で、常人であれば避けるのも難しい短剣を空中で掴みとってしまったのだ。それも狙って柄の部分をである。
眼前の信じられない光景にリュシアンも動揺したか、わずかに速度が鈍る。
そこを見逃してくれるニコラではなかった。
リュシアンの突きの切っ先をかち上げるようにして左腕の剣で受け流し、そのままの流れで短剣の柄を握ったままの右拳を相手の顔へと叩きこんだ。
もんどりうったリュシアンは勢いよく地面へと倒れこんでしまう。
表情を変えずにニコラが彼の首元へ剣を突きつけた。
「隠していた手があったのはお互い様だったようだね。これで決着だ」
けれどもリュシアンは「まだだ!」と叫びながら立ち上がる。
「この程度であっさり退いてしまっては、死んでいったオスカルやヴィオレッタに申し訳が立たないだろうが!」
彼の首筋にニコラの突きつけている剣先が触れ、鮮血が飛び散る。
そんなことはお構いなしにリュシアンが真っ向から斬りかかった。
しかしどういうわけか右腕の力強さが復活しているニコラ相手では、無策で挑んだところでもはや勝ち目などない。余裕を持って防がれた挙句に蹴り飛ばされてしまい、距離をとられる。
「私が勝たなきゃ、きっとセレーネやトスカたちだっていつか……」
我を失ったリュシアンが「門」を開き始めた。
さすがにニコラの表情も険しいものへと変わる。
ここで傍観していては立会人として失格だ、とダンテは飛び降り、両手を広げながら二人のちょうど中間へと割って入った。
「終わりだ終わり。リュシアン、てめえの負けだ」
「ふざけるな! 死ぬまでは敗北でなどあるものか!」
吠えるリュシアンへダンテも負けじと怒鳴り返す。
「ここで死んだらそれで満足なのかよ! そうなりゃより一層、他のやつらにしわ寄せがいくだけなんだぞ!」
いつになく真剣な口調に気圧されたのか、リュシアンも力なくうなだれてしまう。
彼の真摯さはダンテにだって痛いほどよくわかる。
この決闘の結果だけにこれからの成り行きを委ねてしまうのは、ダンテとしても納得のいくところではない。
今度は後ろへと向き直り、ニコラへ深々と頭を下げた。
「先生、おれからもお願いだよ。どうかリュシアンの望みを汲んでやってほしい。残った仲間たちを守れるのは、結局のところあんたしかいないんだ」
ダンテの懇願に、ニコラも穏やかな眼差しへ戻って頷く。
「──私とて、君たちと気持ちは変わらないつもりだ。家族同然の存在が命を落として平気なはずがないじゃないか」
これにはリュシアンも「ニコラ……」と反応する。
ダンテが振り返ってみれば、いつの間にか彼も顔を上げていた。
「さあ、まずは戻ろう。長く留守にしていると他の子たちも心配するからね」
今後の話はそれからだよ、とニコラが柔らかく告げる。
◇
リュシアン・ペールが殺害されたのは、この決闘が行われた日から数えてわずかに三日後のことだった。




