綱渡りから落ちた者
ニコラ・スカリエの下でともに切磋琢磨してきた仲だ。見間違えるはずもない。
招き入れられた三人目の客はダンテ・ロンバルディ。本来なら〈名無しの部隊〉の一員としてウルス帝国にいるべき人物である。
ピーノとエリオは即座に目配せし合い、戦闘態勢をとる。もしダンテが敵意を持ってここにやってきたのであれば、とてもじゃないが手加減できる相手ではない。
ただダンテにその気はないらしく、胸の前で両手を開いてみせる。
「待て待て、こっちにゃ最初から争う気はねえ。おまえらの化け物みたいな実力を知ってて、誰が一人でやり合うもんか」
「そちらにはかつて名を馳せた〈鉄拳〉もおりますしねえ。まず負けますな」
勝手に椅子へ腰掛け、くつろいだ雰囲気を醸し出しながらキャナダインも同意した。一瞬張り詰めかけた空気が緩み、ピーノとエリオも臨戦態勢を解く。
「だったら何でレイランドの人間にくっついてここへやってきたんだよ」
ややきつい調子でエリオが説明を求めた。
かつての仲間と言えど、ダンテとはさほど親しかったわけでもない。背景がわからない内は油断も禁物だ。
ダンテは軽く肩を竦めて答える。
「おまえらと同じさ。おれも帝国から追われる立場だ」
「じゃあきみも逃げだしてきたのか……」
話が繋がった、とピーノも応じる。
ダンテはしばらく無言の後、絞りだすように言った。
「まったく、おまえらは本当、上手くやったもんだよ」
「あ? どういう意味だそりゃ」
瞬時にエリオの表情が険しさを増す。
いつの間にかハナはイザークの傍へ寄り添っていた。招かれざる客との一触即発なやり取りに少し怯えているのかもしれない。
相手がダンテだけでなくレイランド王国の外相も含む以上、ピーノとしてもこの場はイザークの判断に従うべきだと考えていた。エリオとダンテが諍いを起こすようであれば、止めに入ることも想定しておく必要がある。
だがピーノが動く前に、キャナダインによって状況は一変した。
「ご存知ですか、エリオ殿にピーノ殿。このダンテとともにあなた方の所属していた部隊が〈帝国最高の傑作たち〉という仰々しい名前を冠され、大同盟側との戦争で猛威を振るっているのを。突如として表舞台に現れ、戦場で死を司ったのです」
これまでにこやかだったキャナダインの目が鋭くなる。
いきなり突きつけられた事実を前に内心の動揺を隠し切れず、ピーノは口ごもってしまって言葉にならない。
「その様子ではやはり教えてもらっていなかったみたいですな。彼ら彼女らの尋常ならざる強さはあまりに桁外れで、我々の常識をはるかに超えておりました。当然、大同盟側はその存在を恐れ、中には厭戦気分に覆われる部隊も出る始末です。逆にその首だけを標的として狙う部隊もね」
「知らなかった……」
呆然とした様子でエリオが声を漏らす。
ピーノも同感だ。しかしニコラが率いる〈名無しの部隊〉のたどる道としては、他にはないだろうなと思えるほどに順当なものだ。
途端にピーノは罪の意識に押しつぶされそうになってしまう。あのとき、必死に繋ぎ止めようとする手を振り払うように逃げてきたのだ。残された形となったトスカたちはいったいどんな気持ちで戦場を駆け巡っているのだろうか。
ただただ、ウルス帝国時代の辛い記憶をできるだけ思い返さないように努め、かつての仲間たちとの思い出も頭の片隅で眠らせ、イザークによって護られた今の安穏とした暮らしを享受してきた。
おまえらは上手くやった、と告げたダンテの言葉は何一つ間違っていない。
期せずしてピーノとエリオの視線が揃ってイザークへと投げかけられた。
「──戦争についてはあえて伝えないようにしていた。その事実を知れば、残された子たちを思っておまえたちはきっと苦しむのだから」
苦渋に満ちた表情でイザークが言う。
とはいえピーノに彼を責めるつもりなどまるでなく、むしろその心遣いに対して感謝していた。おかげで親しい人たちとともに楽しい日々を送れたし、こうして過去と向き合う時がやってきてもどうにか平静を保つことができている。
運良くイザークと出会っていなければ、きっと今頃ピーノもエリオも自暴自棄になったあげくどこかで生きることを諦めていただろう。
小さな目礼でそんな感謝の気持ちを彼に伝えたピーノは、決然としてダンテへ向き合って言った。
「ぼくらはみんなの身に起こった出来事をちゃんと受け入れなければならない。聞かせてくれるね、ダンテ」
彼も力強く頷く。
「ああ。そのためにやってきたんだ」
「そうですね。まず彼の話を皆さんに聞いていただき、それから本題へと入ることにしましょう」
キャナダインも同意したのだが、イザークは彼の言葉に噛みついた。
「本題か……。どうせまともな案件でないのだけは予測がつく。キャナダイン殿は俺にろくな話を持ってきた試しがない。そうでしょう?」
ピーノにはよくわからないが、以前にもこのような局面があったようだ。
それを裏付けるようにキャナダインがイザークへ静かに頭を下げる。
「あのお二方にはいつか直接お会いして謝罪をせねばなりません。それまで私は死ぬわけにはいきませんし、この戦争にもきちんと幕を引かねばなりません。なにとぞご理解いただきたい」
「──いささか言葉が過ぎたようです」
申し訳ない、とイザークも深く頭を垂れた。
「なんのなんの、お気になさらず。さ、ダンテ」
鷹揚に手を振ったキャナダインから促され、ダンテは再度頷く。
室内にいる六人の目がすべて彼に集まっていた。
「一応、前置きをさせてもらうぞ。〈名無しの部隊〉にあって、おれはわりと早くから皇帝直属の部下へ様々な情報を流す役目を果たしていたんだ。大した家柄でもねえし、直々に指名されちゃ逆らえねえ。あの皇帝はかなり小心者らしくて、可愛がっているニコラ先生の手元にかつての敵国出身者がいるのを不安に感じていたみたいでな。内通者ってほどでもないが、そういう意味では立場が違ったんだよ」
あろうことかダンテはとんでもない告白から入ってきた。しかし当の本人にはまるで悪びれた様子がない。
「でもあるときリュシアンのやつにばれちまってな。見逃してもらう代わりに、逆に宮廷内部の情報を仕入れてあいつに渡す役目も請け負ってたのさ。堅苦しそうに見えて図太いやつだったんだよな」
ここで彼はいったん言葉を切る。
「リュシアンもさ、死んだよ」
そう短く語ったダンテの目には涙が浮かんでいた。




