雨中の来訪
都会の喧騒と再び距離を置き、慣れ親しんだ静かな日々が続く。
そんなある日のことだ。
ヌザミ湖周辺では朝から雨が降り続いていた。昼になっても止みそうな気配はまるでなく、強風が窓の木枠を激しく揺さぶっている。
一面灰色となった外を眺めながらピーノが呟く。
「ディー、ちゃんとゴルヴィタへ帰り着けてるかな」
前日にこの地へディーデリックが立ち寄り、お茶を飲む程度の時間だけ滞在していたのだ。彼の目的はエリオへの届け物だった。元修道士リーアムから預かったのだというセス教の僧服である。
しかも本人がいつも身に纏っている色褪せたものではなく、まだ黒色がきちんと残っている僧服だ。保存状態も悪くない。
「ピーノくんには無理だが、エリオくんなら体格的に着こなせるだろう。それがしもさほど長くはないだろうからな、形見分けとでも思ってくれ」
そんな伝言も併せてディーから聞かされた。ただしそのすぐ後に、イザークとディーが口を揃えて「ははっ、あいつは十年以上前から同じことを繰り返しほざいてるんだよ」と笑い飛ばしていたのだが。
「着てみたらこれ、結構格好いいよな。全身黒ってのがいい」
エリオは随分気に入ったようで、今日もわざわざ僧服を着用している。丈が膝まであるため動きにくそうに思えるが、雨で小屋に籠っているならさほど問題もないだろう。
ただしハナだけは不満げに「全然似合ってないのにバカみたい」と文句をつけており、今もまた蒸し返してエリオとの軽い言い合いに発展してしまっている。
ピーノが間に入れば上手くとりなせるはずだが、いちいち仲裁役を買って出ていてはきりがない。骨折り損のくたびれ儲けである。我関せずとばかりに椅子を窓際へ寄せ、激しい雨音に耳を傾けていた。
しかし風雨の音に紛れて、わずかに別の音が混じる。はっきりとはわからない。
確認しようとして腰を浮かしたのと同時に、外から玄関の扉が叩かれる。
奥の別室で書物を読んでいたイザークも「二日続けて来客か?」と口にしつつ、ピーノたちがいる居間へとやってきた。
急いでいるのか、こちらからの返事を待つことなく扉は開け放たれ、途端に雨が屋内にまで吹きこんできてしまう。
失礼、と揃って言いながら入ってきた二人組が慌てて扉を閉める。一人は中肉中背、もう一人はやや小太り。ともに男の声だ。
扉を閉めた方の中肉中背の男が外套から顔を見せるとピーノは驚いた。ハナも同様だった。間違いなく先日のゴルヴィタで遭遇した人物であったからだ。
けれどもイザークはもう一人の男に対して激しく反応した。
「まさか、あなたはキャナダイン殿か」
あのイザークが動揺している場面などめったに見られるものではない。
警戒気味に少し前へと出ながらエリオは「知り合いか?」と問う。
「まあ、面識はな……」
顔をしかめたイザークへ、キャナダインと呼ばれた小太りの男が「つれないじゃありませんか」と外套を脱ぐ。
現れたのは真っ白となった薄い頭髪と立派な揉み上げ。肌の緩み具合からも察せられるように結構な年齢の老人であろう。
「デ・フレイ殿、あなたと私の仲だというのに面識などと水臭いことを。世間話に興じて旧交を温めようではありませんか」
「旧交、ねえ。もう二十年近くお会いしておりませんのでどんな仲だったか」
イザークの皮肉にもまったく動じた様子はなく、キャナダインは部屋のあちこちに散らばっているエリオ、ハナ、ピーノの三人へ順に視線を向けた。
「これが噂のお三方ですな」
そう言って遠慮なく中央へ進んでくる。
「お初にお目にかかります。私の名はジェイク・キャナダイン、レイランド王国にて外務大臣の任にある者です」
以後よろしくお願いしますよ、とにこにこ笑いながらピーノたち三人へそれぞれ握手を求めてきた。
「時に〈シヤマの民〉の方、この前は私の従者が少し逸ってしまったようで」
彼の言葉に合わせて、玄関脇で立っていたもう一人の男がハナに正対する形をとり、すっと頭を下げる。
「ジェイク様にお仕えしているグレン・アドコックと申します。先日は不躾なお声がけをしてしまい、大変失礼致しました」
「誰もが目を奪われる、見事な舞踏を披露されたと報告を受けておりますぞ」
愛嬌たっぷりに片目を瞑ってみせたキャナダインに、さすがのハナも毒気を抜かれたように「はあ……どうも」と答えるのみだった。
それにしてもだ、さらりと述べられた彼の素性はピーノの想像をはるかに超えていた。ただの世間話をしに来たはずがない。明らかに何らかの政治的意図を持ってここを訪れたはずだ。
エリオも唸りながらイザークへと顔を向ける。
「いったいどういう繋がりだよ……。レイランドの外相って、ちょっと洒落にならねえくらいの大物じゃねえか」
「大物だよ。場違いなくらいにな。あまりに場違いすぎて、今すぐお帰りいただきたいほどだ」
彼らがどのような付き合いだったのかはピーノにもわからないが、古くからの知人とあってイザークの舌鋒は鋭い。相手が大国の外相であってもお構いなしだ。
当のキャナダインはイザークの辛辣な対応をまったく気にする風でもなく、アドコックから受け取った布で濡れた肌を拭いている。
それを見たハナが乾いた布をまとめて持ってきて手渡した。
「や、これはかたじけない」
偉ぶったところのないキャナダインは礼を口にし、「ところでデ・フレイ殿」と再びイザークへと話を振った。
「実はもう一人、連れの者がおりましてな。許可をいただいてからと思いまして外で待たせておるのです。招かせていただいてもよろしいか」
「もう二人も三人も変わりませんよ。この激しい雨で体が冷えて風邪を引いてもいけない、早く小屋の中へと入れてあげてください」
ぞんざいな口振りでイザークが首肯する。
感謝いたしますぞ、と言ったキャナダインはわずかに顎を上げた。すぐに従者アドコックが応じ、外にいるもう一人へ伝わるよう中から扉を強めに二度叩いた。
扉が開かれ、風雨とともに入ってきたずぶ濡れの三人目が顔を見せる。
「ダンテ!」
予期せぬ再会に、ピーノとエリオが思わず叫んだのは同時であった。




