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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
7章 来るべき別れの日
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湖畔での日々

 スタウフェン商会を率いている立場上、本来であれば非常に多忙なはずのイザークなのだが、彼はずっとヌザミ湖畔でピーノたちと生活をともにしていた。


「なあに、俺ももう隠居する年だからなあ」


 大丈夫なのかと心配して訊ねてみても、返ってくる答えはいつも同じだ。

 時折部下らしき人たちが差し入れを持ってきたり、助言を仰ぎにやってきたりもしたが、それでもイザークがピーノたちを置いてどこかへ行ってしまうことは一度もなかった。


 かといってべったりとくっついてくるわけでもない。丸一日ほどピーノが勝手に周囲の探索へ出かけていた時も、帰ってきた彼に対し何の詮索もせず「おう、おかえり」と迎えてくれただけだった。

 後で思い返してみれば、イザークという男と一緒にいるのはさながら樹齢を重ねた大木の傍にいるのに似た安心感があったと断言できるだろう。


 ヌザミ湖畔でゆっくりと流れていく時間に、極度の緊張を強いられていたウルス帝国からの逃亡の記憶もほんの少しずつではあったが薄れていく。

 ピーノにエリオ、そしてハナの三人を待っていたのはそんな日々だった。


       ◇


 離れた場所から斧を木に打ちつけている音が聞こえてくる。エリオだ。


「待って待って、もう充分だから!」


 慌ててピーノが怒鳴ると少し遅れて音も止んだ。

 元々木こりだったエリオは先ほどすでに一本切り倒しており、薪を割っている途中であるピーノのすぐそばに太い幹が転がっている。

 しばらくして大きな斧を担いだエリオが木々の奥から姿を現した。

 その表情はやや不服そうだ。


「それっぽっちで足りるのかよ?」


「充分だってば。寒くなってきたらまたお願いするから、それまでは切りすぎないように我慢して」


「ちぇっ、物足りねえなあ」


 ピーノからの注意に対してわざとらしく唇を尖らせたエリオだが、今度は別の人物へと標的を変える。


「おいおいピーノ、おれたちが汗水流して働いているってのにあそこにゃ遊んでいるやつがいるじゃねえか」


 こりゃ説教が必要だな、とにやにや笑いながらそちらへ近づいていく。

 木組みの小屋へともたれかかりながら、小さなナイフで何かを一心に彫っていたハナが手を止めた。

 そしてやってきたエリオをにらみつけて言う。


「は? あたしはもう自分の仕事を終えているんだけど。のろまなあんたたちと一緒にしないで」


 大陸言語を流暢に話せるようになったのはいいが、周りにいるのがエリオやイザークなのもあってすっかり口が悪くなってしまった。

 手斧で小気味よく薪割りを続けながら、ピーノが言葉足らずな彼女を補足する。


「ハナ、今日も大漁だったもんねえ」


 この日ハナに割り当てられていたのはまとまった数の魚を手に入れることだ。

 さすがに生まれてからずっと旅暮らしを続けていただけあって、何をやらせても彼女の手際はよかった。もちろん魚を釣るのも。


 空いた時間を使い、ハナは笛を一から彫って作っていた。

 すでにいくつかの楽器を完成させているが「次は笛がいいな」ということで数日前から取り掛かっている。ピーノやエリオのような田舎者には楽器の良し悪しなどまったくわからないが、イザークが感嘆しきりなのだから見事な出来栄えに違いないのだろう。


「おまえなあ、あんまりハナを甘やかすんじゃねえよ」


 一転してエリオが苦い顔をしていた。


「こいつにも少しはしおらしさってもんも身につけてもらわねえと。今のままじゃ増長っぷりがとどまることを知らねえぞ。まったく、どこかの国の姫様かよ」


「あら、ひどい言い草。正当な事由もなく女の名誉を傷つけるようなバカな男なんて、今すぐ湖の真ん中で溺れてしまえばいいのに」


「溺れませんー。海を知らなくても泳ぐくらいはもうできますー」


「じゃあ、自分が切り倒した木の下敷きになって、餌かと勘違いした鳥たちに散々突かれまくって、面白い顔がもっと愉快になればいいのに」


 随分とハナの語彙も豊富になったなあ、などと感心している場合ではない。

「まあまあ」とピーノは二人の言い合いに割って入る。


「ごめんね、ハナ。エリオは捻くれてて素直じゃないから、つい心にもないことを言っちゃうんだ」


「うん、まあ、知ってるけど」


 いくらか照れたような素振りとともにハナが目線を逸らす。


「おいピーノ! おまえは兄弟同然のおれを差し置いてそっちの肩を持つのか! 何てこった、見損なったどころの話じゃないぞ!」


 ぎゃあぎゃあと騒いでいるエリオを二人揃って無視しているところへ、小屋の中から出てきたイザークが声をかけてきた。


「相変わらずおまえたちは賑やかだな。いいことだ」


 両手で持った板にはびっしりと下拵えを済ませた魚が並べられている。これから天日干しにする分だ。

 ピーノの視線に気づいたイザークが言う。


「台所には塩漬けにしたのもある。それ以外は今夜、俺が腕を振るって豪勢に料理してやるぞお」


 自信満々の顔つきで宣言したイザークだが、対照的にピーノたち三人の反応はさほど芳しくない。

 その理由をエリオがつい口にしてしまう。


「イザークが作るメシ、なーんかいつも味付けが濃いんだよな」


 心の中でピーノは同意する。おそらくハナもだろう。

 基本的にはピーノとエリオとハナの三人が交代で料理を担当するのだが、時々気まぐれにイザークが調理を買って出るのだ。この日のように。

 そして彼の作る料理は例外なく、味付けが非常に濃い。


 出会った日に食べさせてもらったスープはあんなにも美味しかったのに、と疑問に思ったものの、結局あれは部下の青年が作ったからだったらしい。

 心外だな、とイザークが不満を露わにする。


「これだから小僧どもは……。いいか、食い物なんてのは味が濃い方が酒によく合うんだ。それもわからんようでは、大人への道のりはまだまだ遠いな」


「酒、ねえ。おれにはまだ良さが理解できねえや」


 首を傾げたエリオの言葉にまたしても同感だった。

 ピーノだって味見させてもらった経験はあるものの、大人たちが好んで飲むほどの魅力があるようにはまったく思えなかったのだ。


「はっは、酒はいいぞ。そのうち浴びるほど飲ませてやるよ」


 豪快に笑い飛ばしたイザークを見遣り、ハナが小さくため息をついた。


       ◇


 このように総じてのんびりとした空気の中で日々は過ぎていったが、ピーノには一つだけ気がかりな点があった。

 他でもないエリオのことだ。

 口にこそ出さないが、ふとした拍子に覗かせる顔からピーノには伝わる。

 間違いなく、あの日から彼はずっとルカの死を引きずっていた。

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