戦場にて鈍く光る〈3〉
ようやくトスカも落ち着きを取り戻そうとしていた。
セレーネから促されるまま、何度か深呼吸を繰り返す。ずっと彼女が握ってくれている手の温もりに意識が向いた。
「ありがとう、セレーネ。心配かけたね」
寝床の縁へと腰掛け、もう一度静かに長く息を吐きだしていく。
まだ眉を寄せたままの表情で「本当に大丈夫なの?」と気遣いながら、セレーネはそっとトスカの背中をさすってきた。
以前にはその高飛車な態度から誤解されることも多かったが、本当は誰よりも優しく仲間思い。それがセレーネ・ピストレッロという少女である。
だが今は彼女と二人きりではない。
「さっそくだが理由を聞かせてもらいたい。トスカ、どうして君は先ほどあのように取り乱してしまったのだ」
尋常な様子ではなかったよ、とリュシアンが声を落とす。
ここ三階は女子陣のみが立ち入りを許されている階だ。本来であればその禁を犯すような真似など堅物の彼は考えもしないだろう。
連れ立ってやってきたダンテともども、よほどの事態だと判断されたようだ。
意を決し、トスカは話を切り出した。
「──夢を見たから。ヴィオレッタとオスカルが二人揃って戦場で命を落としてしまう、とても哀しい夢を」
この返答に首を傾げたのはダンテだ。
「それはたしかにひどい夢だが、でも夢は夢だろ」
彼の言うことは間違っていない。しかしトスカの夢は時に世間一般の定義を大きく逸脱してしまう。
いつだって突然に彼女は未来を夢で見る。ずっと先に起こることなのか、それともすぐに遭遇する出来事なのか、そのあたりは夢によってまちまちであったが。
彼女自身には何も選択することができない、不自由で理不尽な力。
この特異な能力について、トスカはこれまで〈名無しの部隊〉の仲間たちの誰にも話さずに生きてきた。セレーネにもヴィオレッタにもユーディットにも、そしてピーノにも。
もちろん仲間たちはとても大切な存在だった。だからといってすべてをさらけだせるわけではない。一線を引いておく必要はある。
けれども事ここに至って、打ち明けるための潮時がとうとうやってきたのだと判断するしかなかった。ヴィオレッタとオスカルが今にも窮地に陥ってしまう可能性があるならば、自分がどう思われようとも助けるために告白すべきなのだ。
彼女は三人の仲間たちへ、隠し通してきた自らの力について簡潔に説明した。
ピーノに関する夢だけは伏せておいたが、先代皇帝の死を予言したくだりで全員の表情が明らかに変わったのがわかる。
わずかに震えを含んだ声で、セレーネがトスカの言葉を遮った。
「じゃあ、ヴィオレッタとオスカルの身に危険が迫っているのね」
荒唐無稽な話の内容をまったく疑っていない口振りだ。
傍らへ立つセレーネを見上げてトスカは言った。
「もしかしたら今回じゃないかもしれないけど……信じてくれるの?」
「信じるも信じないもないわ。あなたが私に嘘をついたことなど、これまで一度だってなかったのですから」
毅然とした態度でそのように告げたセレーネだが、すぐに場を離れて自身の寝床へと近づいていく。そして壁へ立てかけてあった剣をとり、腰へ収める。
「私も戦場へ向かいます。必ず二人と一緒に帰ってくるから」
挨拶を終えるや否や駆けだした彼女の背中へ、ダンテの声が飛んだ。
「待てよ! 一人で突っ走るな!」
しかし追いかけようとして前のめりになったダンテの肩が、リュシアンによってがっちりとつかまれてしまう。
「部隊の規律には違反するが、行かせてあげよう。ここは仲間を思う彼女の気持ちの強さを信じるべきだ」
二人の間に相当な信頼関係があるのか、彼の言葉には荒っぽいダンテもおとなしく従うのが常だ。このときも例外ではなかった。
無性にトスカはみんなでピクニックに出かけたときへと戻りたい衝動に駆られてしまう。リュシアンやダンテともっと親しくなって、ルカともたくさん話して、ピーノの手をぎゅっと強く握り締めて離さずにいられることができればどれほどよかったか。
「他に何か私たちに関する夢を見てはいないのか? 何でもいい、今後起こり得そうな事態への参考にできればと思ってね」
彼女の内心など知る由もなく、振り返ったリュシアンが問いかけてきた。
ある、とトスカは彼を真っ直ぐ見据えて応じる。
「先日、戦場での仮眠中に見た。リュシアン、あなたの夢よ。一触即発の空気の中、あなたがニコラ先生と対峙している夢だった」
この返答にはダンテも驚きのあまり目をかっと見開き、勢いよく体ごとリュシアンへと向ける。
「──まいったな」
当のリュシアンは肩を竦めていた。
続けて彼が言う。
「で、結果はどうだったんだ」
首を横に振りながらトスカは「夢はそこまで教えてくれない」と答えた。
「わたしが見たのは切り取られたその一瞬だけ。でも、あなたがいつかニコラ先生とそのように向き合う日が来るのだと思う」
この夢こそトスカが戦場で調子を崩した直接の原因である。
彼女にはもうわかっていた。どれほど〈名無しの部隊〉が圧倒的な強さを誇り、〈帝国最高の傑作たち〉などと褒めそやされようとも、遠くない将来に必ず瓦解する日がやってくる。結局、心は肉体ほどに強くなれなかったからだ。
出会って間もない頃のユーディットが「わたしたちは綱渡りを強いられるんだよ」と断じたのは本当に正しかった。
「もはやこれまでのようだね」
納得できたのか、吹っ切れたような表情でリュシアンが言った。
「ありがとうトスカ。ようやく進むべき道がはっきりと見えてきたよ」
セレーネ同様、彼も誤解されやすい性格の持ち主だ。そしてとても仲間思いであるところまでよく似ている。
これ以上誰にも傷ついてほしくない。それがトスカの切なる願いだ。
彼女自身には仲間たちを守れるほどの力がない以上、セレーネやリュシアンのような強き者へすがるように願いを託すしかなかった。