戦場にて鈍く光る〈1〉
過去編です。
ニコラ・スカリエが育てた部隊の力量は圧倒的であった。投入される各戦線において群を抜く結果を出し続けたのだ。
しかし戦場での名声と引き換えに、かつての〈名無しの部隊〉改め〈帝国最高の傑作たち〉と呼ばれるようになった少年少女たちの手からさまざまなものがこぼれ落ちていく。
たとえば空き時間を見つけては誰彼となく集まり、他愛無い話題で盛り上がっていたはずの食堂は、今ではただ栄養補給を手早く済ませるだけの場所へと様変わりしていた。
そういった会話からいくらか距離を置いていたリュシアン・ペールにとっても、自分以外に誰もいないがらんとした食堂には言い知れぬ寂しさを覚える。
エリオとピーノが自らの意志でここを去ってからというもの、かつての賑やかな空気は遠い過去のものとなってしまった。
独断で彼らを追っていったルカもそれっきり戻ってきていない。残念ながらおそらくもう生きてはいないだろう。エリオだけが相手ならともかく、幼い顔立ちに似合わず容赦のないピーノから返り討ちにされてしまった可能性が高いとリュシアンは見ていた。
それからはただただ戦場で手を血に染めながら生き抜くだけの日々だ。
部隊を率いるはずのニコラは単独で重要な戦線に張りついており、リュシアンを含む部下たちは二人一組で各戦線へと回された。
リュシアンには夢があった。ウルス帝国によって滅ぼされた祖国を再興するという、大きな夢が。
当初は虎視眈々と反逆の機会をうかがっていたものの、どれほど強くなろうともあのニコラを出し抜ける気にはまったくなれない。巨大な壁だ。
ならばと方針変更、彼の部隊にあって手柄を立て、皇帝ランフランコ二世の覚えがめでたくなれば願い出てみるつもりでいた。もちろん独立など許されるはずもないので、あくまで自治区域としてではあるが。レイランド王国に組み込まれたゴルヴィタ共和国のような形なら、とリュシアンは夢想していたのだ。
だが夢は夢だ。そのことを彼は嫌というほど思い知らされてきた。
非情な現実によって夢がどんどん蝕まれていく。
自分が本当に守るべきは何なのか。
決断の時はすぐそこまで近づいていた。
◇
話は少し遡る。
リュシアンとダンテ・ロンバルディ組、そしてオスカル・リトリコとヴィオレッタ・クアリアレッラ組が留守を守る中、セレーネ・ピストレッロとトスカ・ファルネーゼの組が戦場から帰還してきたのだ。
まずは二人の無事を喜ぼうとしたリュシアンたちだが、どうやらトスカの様子がおかしい。歩くのも精いっぱいといった調子で、顔色も随分と悪い。
鋭い声で傍らのセレーネが告げる。
「誰でもいいから、早くカスコリ医師を呼んできて」
カスコリは部隊のお抱え医師である。いつも淡々とした態度を崩さず接してくるが、腕は充分信頼に足る男だ。
さっそくトスカを診察したカスコリ医師によれば、極度の疲労によりしばらくは安静を保て、とのことであった。
それを聞いたセレーネは「よかった……」と胸を撫で下ろしていた。彼女もあまり語ろうとはしなかったが、今回は相当に苛烈な戦場だったらしい。とはいえ重い怪我がなかっただけ、まだ恵まれていたと考えるべきなのだろう。
安心したのは他の者たちも同様らしかった。
「そんじゃ、こっちもそろそろ出発だな。トスカにはあたしらが帰ってくるまでぐっすり眠っててもらうとしますか」
ひと際明るくそう言ったのはヴィオレッタだ。
次の出番は彼女とオスカルの組なのだが、ヴィオレッタは先の戦いで腹部に傷を負っており、まだ完全には癒えていないはずだった。
よかったら今回代わろう、とリュシアンは案じて声をかける。
けれども聞くなりヴィオレッタが笑い飛ばした。
「大丈夫だっての。あんたも心配性だなあ。それにさ、あたし以外にオスカルの面倒は見られないってば。こいつは相変わらず弱っちいんだもんよ」
「うわっ」
何の予告もなくオスカルをぐいっと引っ張りこみ、彼の左肩へそのまま顎を乗せてから再び口を開いた。
「とりあえずリュシアンとダンテ、あんたらの仕事はトスカを看病すること。セレーネだけじゃ不安だからさ」
まあ、とセレーネがすぐに反応して気色ばむ。
「その言い草はちょっと聞き捨てならないわね。いいこと、帰ってきたら覚えておきなさいよ」
「うわ、怖い怖い」
笑いながらヴィオレッタがオスカルの後ろに隠れようとする。しかし彼女の方が頭一つ分ほど背が高いため、上手く身を隠せない。
そんな彼女を見ながら両手を腰に当て、ため息をついたセレーネだがまた真剣な表情に戻って言った。
「──ちゃんと帰ってきてね」
「あったりまえさあ」
いつもと変わらぬ、威勢がいいヴィオレッタの返答だった。
彼女とオスカルはすぐに旅立ち、次の戦場へと向かっていく。
◇
異変が起こったのは翌朝のことだ。
カスコリ医師の診察が終わってからずっと眠っていたトスカが、目を覚ますなり狂乱といった様相を呈して騒ぎだしたのだ。
リュシアンとダンテは連れ立って三階へと駆けつけた。
「お願い、落ち着いてトスカ。落ち着いて」
彼女の寝台脇では、どうにかセレーネが優しくなだめようとしている。
その甲斐あってか少しずつ、リュシアンの耳にもトスカの声が聞き取れるようになっていく。
引き留めて、連れ戻して。しきりに彼女は繰り返しているようだ。
「だめ、ヴィオレッタとオスカルを行かせてはだめ」
もう二度と会えなくなるかもしれないから。
不吉なことに、トスカの口からはっきりとそう聞こえてきた。




