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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
6章 鳴り響く祝福の鐘の音
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ソフィアの傷

 音を立てて扉は閉ざされた。

 廊下へ取り残された形となったピーノたちだが、ここでずっとチェスターが出てくるのを待っているわけにもいかない。

 食堂にでも戻ろうか、と二人の少女へ声をかけた。

 だが返ってきたのはあまりにも冷淡な「は?」という反応だった。


「ねえピーノ、たとえばだけどね。きみが人気のあるお芝居の席をやっとの思いで手に入れたとするじゃない。そこで満足してしまって、実際には舞台も見ずに帰るなんてこと、あると思う?」


 ナイイェルがこう言えば、クロエも後に続く。


「ここで放りだすのは少し冷たいよ。結果がどうなるにせよ、わたしたちにはソフィア姉さんとチェスターさんの恋の結末を見届ける責務があるんじゃないかな」


 行動を正当化するための二人の理屈はまったく違っていたが、この場を去るつもりがないのだけはピーノにも理解できた。昨夜のイザークと同じだ。

 そんなやりとりを交わしている間に、他の女たちも次々に集まってきた。

 当然のようにしてマダム・ジゼルとコレットが扉の前に張りつく。


「始まった?」


「ちょっと出遅れたわね」


 口々に話しながら、二人は手に持っていたグラスを扉へぴたりとくっつけ、そのまま耳を当てて中の様子を窺っている。盗み聞きのための準備は万端だ。

「みんなどこに潜んでいたのさ……」とぼやきつつ、ここに至ってピーノも諦めて付き合うことにした。


 両隣の部屋へもよりよい場所を求めて淀みなく人が流れていき、結局そのまま廊下へ残ったのは特等席に陣取ったマダム・ジゼルとコレット、そしてピーノたちを加えた五人だけである。ナイイェルとクロエも大人たちに倣い、扉へぎゅうっと耳を押し当てていた。


 決闘の火蓋は、まずチェスターが花束を渡すことで切って落とされたようだ。

 そして娼館の主と副長による面白半分の解説も同時に始まった。


「何でそうぎこちないかな。彼だってもういい年齢でしょうに」


「チェスターさん、男相手なら誰であろうと退かずに渡り合えるのにね」


「あ、ソフィアもやっちゃった」


「どうしてそこで花束を投げ捨ててしまうのよ。あの子ったら、もう」


「時にはがつんと言いなよ、チェスターくんも」


「ダメね。この感じだときっと苦笑いで済ませているわ」


「お。でも今夜は一味違うみたいだよ。辛辣な対応にめげることなく、いきなり本題に切り込んでいったぞ」


「あらあら、さっそく山場が来たわね」


「『好きだ』か。その真っ直ぐさへは好感を抱くけど、揺さぶりが足りないな」


「もう一工夫欲しいところよね。ソフィアの逃げ道を塞がなきゃ」


 あきれてものも言えない、とはまさにこのことであったが、ピーノだって部屋の中での事の成り行きに応援以外の興味を持っていないわけではない。

 四人の女たちからさほど離れず、壁の継ぎ目にあたる部分で立ち止まりそのままみんなと同じように耳をすませてみた。

 どうやら室内ではまたソフィアがチェスターを詰っているようだった。


「血の巡りの悪いその頭でちょっとは真剣に考えてみろよ? だいたいさあ、娼婦とまともに恋愛しようってのがどうかしてる」


 だが今夜ばかりはチェスターだって負けていない。


「あのな。そんなことを言いだしたら、おれなんか金のためにレイランド王国軍の軍事物資を横流ししてた、めちゃくちゃろくでもない人間だぞ」


 露悪的な言い方であったが、その金だって自らの欲のためでないことはすでにピーノもイザークから聞かされて知っている。


「なあフィオナ」


「だから! 二度とその名前で呼ぶなって何べん言えばわかってくれるんだよ! もういいかげん、あたしのことなんかさっさと忘れてくれればいいのに!」


 風向きが変わってきた。

 ピーノの聞き違いでなければ、ソフィアの声はいくらか涙混じりとなっていた。


「みんないい人たちだったのに、死んでしまって、それなのに何であたしだけのうのうと未だに……。あたしなんか、生き残らなければよかったんだ!」


 憐みや同情なんかではなく、ピーノには彼女の気持ちがよくわかる。ソフィアもぼくと同じだったのか、と。

 だけど今の叫びをそのままにしていいものかどうか、迷った末に体が動く。けれども目敏いマダム・ジゼルがすぐに手を向けて制止してきた。


「潮時だね。行ってくるよ」


 そう告げたマダム・ジゼルは、ぽいっとグラスを空中へ放り投げる。

 焦りながらも両手で丁寧に受け止めたのはクロエであった。ただ眺めているだけだったナイイェルはそれを見て拍手を送っている。


 何の前置きもなく、いきなりマダム・ジゼルが勢いよく扉を開け放った。

 そのまま彼女は部屋の中へと進んでいく。

 泣き顔を見られないよう慌てて必死に涙を拭うソフィアへと近づき、予想外の行動に出た。ソフィアの額を指先で強く弾いたのだ。

 そういやぼくもやられたなあ、と少し前の出来事をピーノは思い出す。


「いたいよマダム……」


 両手で額を押さえた、子供っぽい仕草をソフィアが見せる。

 そんな彼女を、マダム・ジゼルが今度は柔らかく抱き寄せた。


「あなたが生きていてくれたからこそ、わたしは出会えることができた。他のみんなだってそう。生き残らなければよかったなんて、そんなことあるはずがないよ」


 視線は室内へと向けたままで、クロエがピーノの隣へと移ってくる。

 ささやき声で彼女が言った。


「ソフィア姉さんの背中には大きな傷があるのよ」


 戦争で逃げる際についてしまった傷なの、と祈るような表情のクロエはピーノへ教えてくれた。

 さすがのディーも、無傷で彼女を逃がすことはできなかったということか。


「一度だけ、ぽつりと呟いてたことがあってね。何であたしだけ、って。そのときのわたしはてっきり『自分だけ傷が残ったからかな』って思ってたんだけど、やっと本当の意味が理解できたよ。ソフィア姉さんは生き残ったことで、ずっと罪の意識に苛まれていたんだね」


「そうね。優しくて、とても繊細な子だもの」


 腕組みをして見守っているコレットも頷く。

 ただマダム・ジゼルによる説得にもソフィアは頑として応じようとしない。突き飛ばすようにしてマダム・ジゼルを押しのけ、距離をとった。


「いくら言葉だけを綺麗に取り繕っても、結局あたしが一人だけ生き残ってしまったことには変わりないじゃないですか。家族のいないあたしにとてもよくしてくれた村の人たちを見捨てて逃げて、口では連れ出してくれたスタウフェンさんを道中ずっと罵って、でも心の中では生き残れたことに醜く安堵してて。こんなどうしようもないあたしが差し出せるものなんて、もう体一つしか残っていなくて。それでもマダムが与えてくれたこの場所なら、辛い目に遭ってきた他の子たちのためにできることがあるんです。だったら、朽ち果てるまではせめて罪を償っていくしかないじゃないですか」


 堰を切ったように彼女は自らを傷つける言葉を吐きだし続ける。

 いつの間にかピーノたちの後ろには、両隣の部屋へ散っていったはずの他の者たちも集まってきていた。全員が静かにソフィアを見守っている。


 ここでようやく、チェスターが「それはおまえの罪じゃない」と口にした。


「生き残ることを罪と呼ぶなら、それでも別に構わないさ。ただし、決しておまえの罪じゃない。もちろんスタウフェンさんのでもない。おれだ。身勝手にも好きな女を助けたいと願い、恥も外聞もなくスタウフェンさんに頼みこんだおれの罪だ」


 そう言って手を伸ばしたチェスターは一歩、ソフィアへと足を踏みだす。


「おれの手をとれ、フィオナ」


「来ないで!」


 ソフィアが絶叫する。


「だって、あたし一人だけ、みんなを置いて幸せになんてなれない。そんなの、許されていいわけがない!」


 ピーノのすぐ近くから、短いため息をつく音が聞こえた。

 そしてため息の主は大股でソフィアへと歩み寄り、あろうことか彼女の頬を容赦なしに張ったのだ。


「本当にバカですね、ソフィア姉さんは。あなたの幸せはわたしたちみんなの幸せに決まってるじゃないですか」


 ナイイェルだった。

 マダム・ジゼルでさえも呆気にとられる中、ナイイェルは抵抗するソフィアの腕を無理やりつかんでチェスターへと差し出した。


「姉さんが何と言おうと、この手を絶対に離しちゃダメですからね。遠回りもすれ違いも自分の気持ちを押し殺すのも、全部今夜で終わり。終わりったら終わり」


 いいですね、と年上の二人に向かって念を押す。

 なし崩しにチェスターと手を繋ぐ格好となったソフィアだが、ナイイェルの剣幕に押されてさすがに観念したのか、おとなしくされるがままとなっていた。

 それでも彼女の表情は先ほどまでと比べて随分と柔らかい。


 ここからはもう二人に任せ、その他大勢の邪魔者たちは退散した方がいいんじゃないかな、と恋愛経験がないなりにピーノも考えた。

 だというのに今さら、階下から慌ただしい足音がする。誰がやってきたのか、ピーノにはすぐ見当がついた。

 傍らのコレットも彼へ微笑みかけてきた。


「今回はイザーク様の出番がなかったわね」


 だね、と返事をしながらピーノは視線の先にいるチェスターとソフィアをずっと見つめ続けていた。

 二人のこれからが祝福に満ちたものであるのを心から願いながら。

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