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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
6章 鳴り響く祝福の鐘の音
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舞台へ上がれ

 この日の夜に予告通り、チェスターがマダム・ジゼルの館へ姿を見せた。

 いつもは無造作な髪を後ろに流して整え、胸元には不似合いな小鳥のブローチを付け、手には大きな花束を持って。


「知り合いの花売りに頼んで、ありったけをまとめてきた」


 裏口にあたる玄関で出迎えたピーノ、ナイイェル、クロエへぶっきらぼうな口調で彼が言う。お出かけで疲れたのだろう、レベッカはもう夢の中である。

 日が沈み、本来であれば独特の賑わいを醸し出すはずの娼館なのだが、今夜ばかりは臨時休業とすることが急遽決められていた。ナイイェルから事情を聞かされたマダム・ジゼルが即決したのだ。


 ただ一人、ソフィアだけは娼館内に設けられた自室でチェスターを迎え撃つ。彼女と出迎え役を任されたピーノたち三人を除く全員が、決闘の幕が上がるのを館のどこかでそれぞれ静かに待っている。祭りの前の静けさだ。

 歩きだそうとしていたピーノは、その足を止めて振り返る。


「ソフィアのところへ案内する前に、一つだけ訊ねてもいいかな」


「おう、何だ」


「どうして急に彼女を連れ去る気になったの? 悪いんだけど、イザークからいろいろと過去の話を聞かせてもらったんだ」


 恋愛のことはピーノにはまだよくわからない。それでも相手を思えばこそ、身動きがとれなくなるのは痛いほどに理解できた。

 相変わらずうちの大将も口が軽いよなあ、とチェスターが苦笑いを浮かべる。


「別に急ってわけじゃねえよ。これ以上ないってくらいにわかりやすく焚きつけられて、やっと覚悟を決めることができたってところかな。あいつの心の傷へと踏み込んでいく、その覚悟をさ」


「あー、やっぱりばれてたのか」


 さすがにチェスターの観察眼をごまかせはしなかったらしい。

 だが嘆息したピーノへ「バカね」と言い放ったのは、杜撰な作戦の立案者であるナイイェル本人だ。


「そりゃそうよ。あんな稚拙な策でばれないはずがないじゃない」


 これにはクロエも「えええ……」と驚きを隠せない。

 ピーノと彼女は互いに顔を見合わせ、揃ってナイイェルへと視線を送る。


「はあ……。あのね、お子様なきみたちに説明してあげると、チェスターさんとソフィア姉さんの二人ともが動くための理由を欲しがっていたはずなの。でね、ソフィア姉さんはほら、少し手順を間違えただけで意固地になっちゃいそうじゃない。手っ取り早そうなのはチェスターさんだろうなってわたしは判断したわけ」


 ピーノと同世代でありながら、ナイイェルはあっさりと年上の大人たちを手玉にとっていたようだ。

 彼女がその年齢に似つかわしくなく老練なのか、それとも大人と呼ばれる人たちもこちらが想像するほどには成熟していないのか。

 考えを巡らせているピーノをよそに、ナイイェルが言葉を続ける。


「嘘がばれることも、それがきっかけとなってソフィア姉さんのためにここへ来てくれたことも想定の内。あとはチェスターさん、あなた次第ですので」


 体の向きを変え、チェスターへと正対したナイイェルの眼差しはこれ以上ないというほどに真剣そのものだった。


「ソフィア姉さんは本当に優しい方なんです。わたしがこの館へとやってきたとき、うれしいだとか楽しいだとか、そういった感情がすっぽりと抜け落ちていて表情というものがありませんでした。何を見ても心が動かず、拾ってくれたマダム・ジゼルに手を引かれてどうにか立って歩いていた、そんな有様だったわたしを最初に笑わせてくれたのがソフィア姉さんだったんですよ」


 ピーノにとって初耳となる話だが、その光景がありありと目に浮かぶ。

 彼女はそういう人だ。率直な物言いで誤解を招きやすい性格ではあるけれども、いつだって自分以外の誰かをまず優先する。

 だからこそ、この館で暮らす他の誰もがソフィア自身の幸せを願うのだ。

 傍らではクロエも大きく頷いていた。


「わたしたちにとって、ソフィア姉さんは大切な家族です。ですからどうか、どうかよろしくお願いします」


 そして彼女は深々と頭を下げた。

 すぐにナイイェルもクロエに倣う。

 そんな真摯な少女たちの髪を順番に、チェスターが花束を抱えていない手で日中同様にぐりぐりと撫で回した。

 一瞬にして空気が変わる。


「ちょっと、お昼も子供扱いしないでくださいって伝えたばかりじゃないですか! わたしは撫でられるより撫でたい派なんですから!」


 案の定、ナイイェルがまた怒りだしてしまった。

 一方のクロエは少しだけうれしそうだ。彼女は隣の友人と違って撫でられたい派なのかもしれない。

 とりなすようにピーノがチェスターの腕を軽く叩いた。


「責任重大だね。ソフィアを悲しませたら、たぶん許してもらえないよ」


 チェスターもいつものようににやりと笑ってみせる。


「いいんだよ。どうせ背中を押されるなら、真っ直ぐに押されたい。ナイイェルにクロエだったよな、本当に感謝している」


 もちろんピーノにもだぜ、と彼は急いで付け加えた。


       ◇


 娼館の建物へと繋がる通路を四人で進みながら、ピーノは先ほどと同じようにチェスターへ質問を投げかけた。かねてから疑問に思っていたことだ。


「相手の心に踏み込んでいくのって、怖くないの? 言ってみれば何の武器も持たず、戦闘にただ裸で突っ込んでいくようなものだよね」


 ナイイェルもクロエも黙ったままで口を挟んではこない。

 他に聞こえてくるのは花束の中で花同士がこすれるかすかな音のみだ。

 ややあって、チェスターが穏やかに「怖いよ」と答える。


「そりゃもう、めちゃくちゃ怖い。大切な人であればあるほど怖いのさ。踏み込むのも、踏み込まれるのも」


 彼の率直な吐露が痛いほどに突き刺さってくる。

 ピーノは躊躇い、踏み込んでいけなかった側の人間だ。

 心が竦めば体も竦む。誰だって大切なものを失うのは怖い。だけど一度は繋いだはずの二人の手が離れてしまえば、もう一度繋ぐのには眩暈がしそうなほどの覚悟と勇気を必要とする。


 階段を上がり、廊下を進めばすぐにソフィアが待つ部屋の扉の前だ。

 ぼくみたいにはならないで。そんな気持ちを込め、軽く握った右拳をチェスターの胸へと当てる。


「頑張って」


 思いとは裏腹に、出てきた言葉はとても短かった。

 すぐそばではナイイェルが目を瞑り、また何ごとかを呟いている。


「それ、チェスターさんの商館へ入るときも口にしてたよね。どういう意味?」


 やはりクロエも気づいていたらしい。

 スイヤールではなかなか耳慣れないが、タリヤナ教国の言語であるのは間違いない。ただしピーノがニコラから教わった現代の話し言葉とは微妙に細部が異なっていた。おそらくは古典に属する類なのだろう。

 再び目を開いたナイイェルが簡潔に説明してくれる。


「タリヤナ教で唱えられている祈りの文言の一つなのよ。ひっくるめると『愛の前ではすべてがひれ伏す』ってことね」


「すごい教えだな……」


 感心したのかどうなのか、微妙にわかりづらい反応を見せたチェスターが扉をわずかに開いた瞬間だった。


「誰が、誰にひれ伏すってえ?」


 部屋の中から鋭い声が飛んでくる。

 扉の向こう側では、美しい刺繍の施された椅子にソフィアが足を組んだ姿勢でふんぞり返っていた。仕事用である紫色のドレスを身に纏って。


「ナイイェルぅ、ちゃんと男は見極めなきゃダメだって。あたしがそんな抜け作にひれ伏すわけないだろ」


 彼女は不敵に笑いながら、花束を抱えたチェスターへ手招きする。


「金も払わず娼婦の時間をもらおうとはいい根性してるよ。今夜、きっちりけりを付けてやるからな。二度とあたしなんかに構おうって気を起こさないようにさ」

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