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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
6章 鳴り響く祝福の鐘の音
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小鳥と花束

 チェスター・ライドンを訪ねてやってきた商館の入口近くで、一行が名乗るよりも早く「おおピーノさん!」と声がかけられる。


 声の主はスタウフェン商会で働く壮年の男であり、名前は知らないが顔なら何度も見かけたことがあった。数人の部下へ指示を出していた覚えがあるので、ここスイヤールの商会でもそれなりの役職についているのだろう。

 少しだけ眉をひそめつつ、ピーノが「どうも」と挨拶を返す。


「あと、できればさん付けはやめてほしいんだけど」


「わはは、そんなわけにはいかんでしょ」


 男は快活に笑い飛ばした。

 以前にチェスターから聞いた話によれば、メルラン一家を皆殺しにしたことでピーノは商会内部において圧倒的な畏怖の対象とされているらしい。だがそこは海千山千の強者が集まったスタウフェン商会、畏れて遠ざけるのではなく尊敬の眼差しを持つ者が大半なのだという。

 ピーノの後ろで控えているナイイェル、クロエ、レベッカを見ながら男が用件を訊ねてきた。


「今日は買い物がてら、そちらのお嬢さん方も連れてライドンさんへ会いに? それともイザークさんですか?」


「チェスターの方だよ。中にいるかな」


「おりますとも。朝から暇そうにしてましたんで、きっと喜びますよ」


 随分な言われようだ。しかし思い返せば、チェスター本人もイザークに対してかなりぞんざいな口の利き方をしていた。こういった上下の壁のなさがスタウフェン商会の流儀なのかもしれない。

 彼の案内でピーノたち四人は館へと足を踏み入れる。

 その際、最後尾にいたナイイェルが何ごとかを呟いているのが聞こえてきた。


       ◇


 奥の応接室にいたチェスターは、扉を開けて入ってきたピーノを見るなり「何だその両手いっぱいの籠は」と苦笑いを浮かべる。


「マダム・ジゼルの館までうちの若いのに届けさせるよ」


 そこに置いとけ、と廊下を指差す。


「え、いいよ。これくらい問題ないから」


「遠慮するな。うちも今は手持ち無沙汰でね、やることができてむしろありがたいくらいさ」


 それ以上の説明はしてくれなかったが、さすがにピーノにもぴんと来た。昨夜にイザークが話していたように、レイランド王国とタリヤナ教国の対立が暴発寸前へと悪化しているせいで、仕事の依頼もある程度減少しているのだろう。

 そういう事情であれば頼むのも吝かではない。じゃあお願いしようかな、と中にある品物を傷めないようゆっくりと二つの籠を降ろす。久しぶりに両手が空いた。


「それで? 昨日の今日でいったいどうした」


 ちなみに大将なら留守だぜ、とチェスターが言う。


「スイヤール政府のお偉方と会食でな。金儲けの話で盛り上がりながら、一流の料理人が作った美味いメシをさぞ不味そうに食ってるだろうよ」


「その言い方……」


 半ば咎めるように返事しながらも、内心でピーノはいつもとまるで変わらぬチェスターの様子に舌を巻いていた。あんなにもソフィアと険悪だったというのに。

 ただナイイェル曰く、ピーノの目は節穴もしくは硝子玉なのだ。隠されているチェスターの動揺を見抜けていないだけなのかもしれない。


 革張りの椅子に腰掛けたチェスターの向かいで、ピーノたち四人は一列に並んで座っていた。奥から順にピーノ、レベッカ、クロエ、そしてナイイェル。

 初めてここの商館にやってきたレベッカは、いろいろと気になるのかしきりに周囲を見回している。その隣のクロエはといえば、今にも吐きそうなのではと心配になるくらい、緊張感に満ちた顔つきで強張っていた。

 だがナイイェルの態度は実に堂々としたものだった。


「今回の用事というのは他でもありません、ソフィア姉さんの代理としてわたしたちが贈り物を預かり、こちらへと伺ったのです」


 抜け抜けと嘘を言い放つ彼女の肝の据わり方は並の人間のそれではない。あきれるのを通り越して感心するほどだ。


「そうかい」


 短く答えたチェスターの表情からは、まだ動揺の色を読み取れない。


「で、あいつは何て」


「はい。チェスターさんもよくご存知のはずでしょうが、ソフィア姉さんはあの通りなかなか素直になれない人でして。仲直りしたくとも自分からは絶対に切りだせない、と強情を張っておりました。そこで『わたしたちが間に入って仲を取り持ちましょうか』と提案したところ、姉さんにも快諾してもらえた次第です」


「なるほどね」


 抑揚のない声で応じたチェスターへ、ナイイェルが「これを」と先ほど購入したばかりのブローチを差し出す。


「──小鳥の形か。またえらく可愛らしいのをくれたな」


 あいつの趣味ではなさそうだが、と受け取りながらチェスターが呟いた。実際ソフィアはこの件に一切絡んでいないのだから、疑われるのは無理もない。

 もちろんナイイェルとてこの展開は承知の上だったはず。さてどんな詭弁を弄して乗り切るつもりなのか、と見守っていたピーノだったが、案に相違して口を開いたのはクロエであった。


「あの、それはですね! きっとソフィア姉さんの『小鳥になって今すぐ会いに行けたらいいのに』って切ない想いが込められているんですよ!」


 まくしたてるように彼女は言い切る。

 絶対にばれた、とピーノは思った。ナイイェルと違ってクロエには、人を騙すということにまったく向いていない。


 ピーノが知る限り、あのソフィアが「小鳥になってチェスターへ会いに行けたらいいのに」などと口にはしないだろうし、おそらく考えもつかないだろう。

 だがチェスターの次の動きもまた予想外だった。


「ありがとう」とだけ述べた彼はおもむろに立ち上がり、クロエとナイイェルの髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で回したのだ。


「わ、わ」


「ちょっと、いきなり何するんですか! 子供扱いしないでください!」


 慌てるクロエと怒りだすナイイェル、そしてピーノの隣ではレベッカが「それやって、それやって!」とはしゃぎだしている。

 三者三様の反応を気にすることなく、ピーノに向けて彼が言った。


「すまんが彼女へ伝言を頼む。今夜、また会いに行くと。客としてではなく、あいつをさらいに行かせてもらう」


 これを聞いて思わずピーノは自分の耳を疑ってしまう。悪乗りした大人たちからあれほど「不甲斐ない」と責められていたチェスターが。

 対照的につい今しがたの怒りはどこへやら、ナイイェルが満面の笑みを浮かべて両手の拳を握り締める。


「でしたらチェスターさん、マダム・ジゼルとコレット姉さんにも話は通しておきますので。花束くらいは携えて、どうぞ命がけの覚悟でお越しくださいませ」


「ああ、そうさせてもらうよ。両手いっぱいに花束を抱えていくさ」


 何がどうなっているのやら、事態の急展開にピーノはまるでついていけないでいたが、それでも今夜がマダム・ジゼルの館を挙げての大騒動になることだけは心の底から理解できた。

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