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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
6章 鳴り響く祝福の鐘の音
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思い出がいっぱい

 ナイイェルの先導によって一行は馴染みの店を回り、コレットから頼まれた食材の買い物をてきぱきと済ませていった。

 二つの籠いっぱいに詰め込まれた野菜や果物、チーズ、そしてバゲット。ピーノの両手はすでに塞がっており、もうこれ以上荷物は持てない。レベッカと手を繋ぐ役目もすでにクロエへと交代している。

 心優しい彼女からは「わたしも持つよ?」と言われたが、気持ちだけを受け取って丁重に辞退している。この程度はピーノの仕事の内だ。


 ちなみにお菓子を探して云々の話はどうなったのか、と少し前にピーノが訊ねてみると「え? あんな戯言みたいな会話を本気にしてたの? 嘘でしょ?」という辛辣すぎるナイイェルの答えが返ってきたのみだった。

 多少は釈然としない気持ちを抱えながら、それでも口を噤んだピーノは以降、おとなしく荷物持ちに徹していたのだ。


 マダム・ジゼルの館としての買い出しはこれでもう終了なのだろう。ただ、ナイイェルには本来の目的があったはずだ。彼女が最後に向かったのは市場の外れ、人通りの少ない立地の小さな雑貨屋であった。

 店の前で足を止めたナイイェルがピーノたちに告げる。


「ちょっとここで男の人への贈り物を選ぶから」


 これにはピーノも少し驚いたが、クロエからは「えええ!」と比較にならないほど大きな反応が返ってきた。その声に今度はレベッカがびっくりしている。


「誰にあげるの! ねえ、誰に!」


 勢い込んで訊ねるクロエだったが、確かに気になるところではあった。

 タリヤナ教徒のナイイェルはまだ娼婦として働いているわけではないので、客の男という線はない。


 元来、愛や性といった事柄へのセス教とタリヤナ教の姿勢は、真逆と言っていいほどに著しく異なる。万事に厳格さを求めるセス教に対し、神として崇められている開祖クレイシュがそもそも男娼であり、「愛こそすべて」を教義の根幹とするタリヤナ教。

「みんなのためなら、いつでも喜んで娼婦として働く覚悟はできています」と彼女は言っているそうだが、マダム・ジゼルとコレットの二人が首を縦に振っていないのだ。


 いったいどこの誰なの、とさらにクロエがぐいぐいと詰め寄っていく。

 しかしナイイェルの答えはまったくの予想外だった。


「チェスターさんだよ」


 ピーノの頭にも一瞬、チェスターを真ん中に挟んでナイイェルとソフィアがにらみ合っている嫌な光景が浮かんでしまった。そんなのは見たくない。

 だが彼女の返事には続きがあった。


「わたしはね、納得がいかないの。チェスターさんにも、ソフィア姉さんにも。好き合っている二人なんだからさっさとくっついちゃえばいいじゃない。喧嘩して別れるのはその後にだってできるんだし。ねえクロエ、そう思うでしょ?」


 急に同意を求められたクロエが動揺を隠せず、曖昧な笑みを浮かべた。


「あはは、わたしにはちょっと難しい話かな……」


 助け舟を出すつもりでピーノは「それとこれと、いったいどう繋がるの?」と、抱えた二つの籠の間から顔を出してナイイェルへ問いかける。

 店の棚へ陳列されていたいくつかの品をを手にとって吟味しながら、事もなげに彼女は「嘘をつくのよ」と言ってのけた。


「愛の前では多少の偽りも赦されるの。適当に『ソフィア姉さんから、仲直りの印にとのことです』とでも伝えて渡せば、チェスターさんだって初心なんだから簡単に信じるでしょ。直接じゃなく、わたしたちを介してってあたりが素直になれないソフィア姉さんらしくてそれっぽいじゃない?」


 ピーノには恐ろしくて到底思いつけない、とんでもない作戦を考えていたのだ。


       ◇


 結局、ナイイェルが購入したのは店で最も廉価なブローチだった。どう見たって男性向けではないはずだ。

「だってお金がもったいないし、可愛いのがよかったんだもの」という彼女の言い分には、ピーノとしても開いた口が塞がらない。とはいえ、品自体は安物であっても粗悪ではなかった。丁寧に木を削り、可愛らしい小鳥に見立てた出来栄えは悪くない。無愛想な店主だったが、腕のいい職人なのだろう。今後も使わせてもらいたい店となった。


 ふとピーノはかつての記憶を思い出す。〈スカリエ学校〉の仲間であったオスカルは手先が飛び抜けて器用であり、技術と感性とを要する装身具の制作を得意としていたのだ。


 そのためと言うべきか、そのせいでと言うべきか。彼に無茶な注文が舞い込んだことがあった。〈スカリエ学校〉の少女たち全員分のブローチを作らされたのだ。ユーディット、トスカ、セレーネ、そしてヴィオレッタ。しかもそれぞれの印象に合った、まったく別の物を。もちろんヴィオレッタからの要望である。


 だがオスカルの手腕は見事だった。厳しい訓練の合間を縫って作業を続け、毎晩最後に眠る日々を送ること一か月。彼は好みのうるさい四人の少女たちを納得させるだけの物を完成させた。


 受け取ったときの少女たちの反応を、オスカルだけでなくピーノたち他の少年たちも固唾を飲んで見守っていた。彼の真摯な努力をみんなが知っていたし、報われてほしいというのが全員に共通する思いだったからだ。

 最も喜んでいたのは意外にもセレーネであった。


「こんなに綺麗な贈り物、私初めて!」


 もらったブローチをさっそく訓練用制服の胸元に飾り、飛び跳ねんばかりにはしゃいでいた彼女にいつもの強気な面影はまるでなく、随分と幼く感じられたのをピーノは今でもよく覚えている。

 トスカやユーディットも感激の面持ちで、口々にオスカルへお礼の言葉を述べていた。だが誰もが気になったのは彼の幼なじみ、ヴィオレッタがどういった態度をとるか、だ。


 最後に受け取った彼女は非常に素っ気なかった。

「ありがとさん」と一言添えて、オスカルの肩をぽんと叩いただけだ。


 ピーノとしては何となくもやもやする、消化不良な感覚が残った。もう少し感謝の意を表す言葉があっていいのでは、と頑張っていた友人を気遣う。

 ただ、エリオはまた別の感想を抱いたようだった。


「ま、あいつらはあれでいいんだろうさ」


 そう呟いた彼にアマデオも「そうなんだろうねえ」と同調する。フィリッポも何度か頷いていた。

 いまいち納得のいかないピーノが軽く首を捻っていると、横からカロージェロが「何でじゃ、オスカルが報われとらんのに」と口を尖らせた。


「こんなもん、いいように使われただけじゃろ」


 近くにいたルカがそんなカロージェロを「ガキだな」と揶揄し、リュシアンとダンテは互いに肩を竦めながら微笑を浮かべていた。


 とても懐かしい記憶だ。けれどもピーノにとって、懐かしさとは失われたものという意味でしかない。どれだけ手を伸ばしても届かないほど遠く、過去の遥か彼方へと消え去ってしまったもの。

 胸がじんわりと温かくなりつつ、一方ではきつく締めつけられてしまうのだ。

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