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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
6章 鳴り響く祝福の鐘の音
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こんなにも夜が長いのは

「さて、私たちには今晩中にやるべき仕事が残ってるから。暇を持て余して管を巻いている、どこかの誰かさんと違って」


 強烈な嫌味を言い放ち、マダム・ジゼルとコレットは早々と食堂を後にした。イザークからの「別に暇ではないのだぞ」という反論を完全に黙殺して。


「おれも先に失礼しますよ、大将」


 憮然とした表情のまま、チェスターも足早に去っていった。

 食堂にいるのは元の二人だけとなってしまったが、賑やかだった余韻はまだかすかに残る。消えるのを待ってからピーノはイザークへと質問を振った。


「チェスターと一緒に商会へ戻らないの?」


「おまえはそんなに俺を早く帰したいのか……。傷つくぜ」


「別にそういうわけじゃないけど」


「なら何の問題もないな」


 どうやら彼はしばらく長居するつもりらしい。


「年寄りのお節介と言ってしまえばそれまでだが、不器用な若い連中を見ているともどかしくなってくるんだよ。好き合っている者同士なら何とかしてくっつけてやりたいじゃねえか。素直になれないのなら尚更な」


「チェスターとソフィアがね……。あんまりぴんと来ないよ、ぼくには」


 お子様め、とイザークが笑う。


「まあ、夜は長い。たまには身近な恋の話を無責任にあれこれ論ずるのも楽しいもんさ。おまえだって興味がないわけじゃないだろう?」


「どうかな。以前、今イザークが言ったのとまったく同じようにからかわれたよ。『恋を知らないお子様』だって」


 話しながらピーノはかつての仲間たちの顔を思い浮かべていた。発言主であるフィリッポ、彼と一緒になってからかってきたカロージェロ、真っ直ぐな好意を寄せてくれていたトスカ、そしてエリオとハナの顔を。


「いい観察眼だ。そいつ、うちに欲しい人材だぜ」


 イザークが茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる。


「俺自身はソフィアという娘とほぼ面識がない。きちんと会話をする機会もなかったはずだ。ただ、彼女についてはディーのやつからいろいろと聞いている」


「ディーから? どういう繋がりなの?」


 意外な人物の名前が挙げられたことにピーノは少なからず驚いた。

 ディーデリック・スタウフェン。傭兵時代から今に至るまでずっとイザークを傍らで支え続けている、歴戦の強者。そして懐の深い人格者でもある。

 当の本人は気づいているのかいないのか、相棒の話をしているときのイザークはやけに楽しげな表情を浮かべているのが常だ。このときもそうだった。


「あいつな、レイランド王国とウルス帝国が国境付近で小競り合いを繰り返していた頃に会ってるんだよ。チェスターとソフィアにな。当時のチェスターはレイランド王国軍国境警備隊の下っ端兵士さ」


 え、と思わずピーノが声を漏らす。


「チェスターって元々はレイランドの軍人だったんだ……」


「意外か?」


「いや、そう言われれば納得できるよ。メルラン一家との揉め事の際、随分と肝の据わった人だなって印象を受けたもんだから」


「えらく高い評価じゃねえか。それを教えてやればあいつも喜ぶだろ。といっても捻くれ者だからなあ、たぶん人目につかない倉庫の隅っこあたりで噛み締めるようににやにやするんだろうよ」


「その扱いはちょっとひどくないかな」


 どうもピーノとイザークとでは、思い描いているチェスターの人物像が相当にかけ離れているらしい。


「話を戻そう。そのときのチェスターがな、たまたま出会っただけのディーへ『自分の好いた女を助けてくれ』って依頼したそうだ。スタウフェン商会として荷を運んでくれ、そういう意味でだ。しかもあいつ、若僧のくせして『どれだけ高額でも金は払う』と言い切りやがったらしい。若さってのは怖いぜ」


「じゃあ、その好きな人ってのが」


「そう、ソフィアだったんだ。当時の名前はフィオナといったそうだがな。さすがは我らがディーだよ、すでに戦火へ飲み込まれつつあった村から彼女を救出し、すべての追っ手を斬り伏せてどうにか無事逃げ延びたのさ」


 驚くような出来事ではない。彼ならばそのくらいは平然とやってのける、ディーへのそんな信頼感がピーノにはあった。

 だがイザークの声が憂いを帯びる。


「問題はこの後なんだ。ここまでなら『めでたし、めでたし』で終わってもおかしくない話だろう?」


 言わんとしていることはピーノにも何となくわかる。でなければ、ソフィアが現在このマダム・ジゼルの館で娼婦として生きているはずもない。

 一呼吸置いてイザークは続けた。


「ディーみたいな無骨な野郎に、年頃の娘の面倒を見ろってのも酷だからな。おれとあいつで話し合い、結局ジゼルたちへ預けることにしたんだ。ただ、まさか自ら娼婦として生きる道を選ぶとは思わなかったが」


 心のどこかに沈んだままだったかつての記憶を呼び起こそうとしてなのか、イザークがしばらく視線を宙へ漂わせている。


「ジゼルによると、あのソフィアって娘は半端じゃなく頑なだったらしい。自分には返せるものが何もない、だから体を売って恩を返すってな。どれだけコレットとともに諭してもまるで聞く耳を持たなかったそうだ。彼女たちからはそのことで何度も頭を下げられたが、男である俺たちには踏み込みづらいところでもある。ディーのやつも『あの子自身が覚悟を決めたなら仕方ない』とだけ言って、それっきりだ。会ってもいないはずだぜ」


「何というか……ソフィアらしいよ」


 実感のこもったピーノの言葉を受け、黒髪をがしがしと掻きながらイザークは「まったく、どいつもこいつも」とため息混じりに吐き捨てる。


「チェスターだって似たようなものでな。あのガキ、本当に金を払うつもりでいやがったのさ。当のディーが踏み倒される気満々だったってのによ。まともに働いてたんじゃ生涯かけても稼げないような金を、一介の兵士でしかなかったあいつがどうやって工面したと思う?」


 ピーノからの返事を待たず、イザークはすぐに答えを明かした。


「軍事物資の横流しさ。ばれたら極刑ものの重罪だ。幸い、レイランド王国へは強固な伝手がある。裏から手を回し、発覚する前にあのバカ野郎を引き抜いてどうにか事なきを得たってわけだ。もちろん、それなりの額を積む羽目になったが」


 今、ピーノの目の前にいる男はいつだって他人のために奔走している。

 その内の一人であったピーノにも、彼の熱がちゃんと伝わっていた。


「上手くいくといいね、チェスターとソフィア」


「だろ? よけいなお世話と文句を垂れられても、想いが通じ合う手助けくらいはしてやりたいのさ」


 からかい半分にだけどな、と豪快にイザークは笑う。

 ピーノが思うに、きっとそれは照れ隠しに違いなかった。


       ◇


 いろいろと積もる話もあったせいで、ようやくイザークが腰を上げたのはもうすぐ明け方という時間になってのことだった。

 去り際、何気なく彼がピーノへ訊ねてくる。


「どうだ、最近は少しくらい眠れるようになったのか?」


 声の調子はあまりにさりげなさすぎて、逆に気遣いが際立っていた。

 ピーノは素早く返すべき言葉を探す。


「何言ってんの。娼館の用心棒が寝てたんじゃ仕事にならないじゃない」


 冗談っぽく答えることにしたものの、成功したかどうかは心許ない。

 それでもイザークは一言「そうか」と頷いただけだった。


 ピーノがまったく眠れないでいる理由を彼は知らない。エリオとハナとの別れを経験して以来、ピーノには自身の生命力と繋がる「門」を完全に閉ざすことができないでいたのだ。わずかながらも常に「門」は開かれており、片時も休まることなく肉体の隅々へと生命の力が流れ込んでいく。


 命とは何か。ピーノにとって、例えるならいわば砂時計のようなものだった。彼の場合は他人よりも砂が早く落ちていく、ただそれだけに過ぎない。

 すべての砂が落ち切るまでは、マダム・ジゼルの館に暮らす女たちを力の限りに守って生きる。静かに、そして迷いなく。ピーノはそう心に決めていた。

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