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スタウフェン商会よ、荷を運べ

 仕事柄、ディーデリック・スタウフェンはこれまでに様々な荷を運んできた。

 依頼主へ請求する金額もそれぞれに異なっている。例えば戦闘の勃発している地域を通るしかなければどんな荷であれ価格は跳ね上がるし、万全を期さなければならない高額の品を預かったときも同様だ。


 とはいえ、最終的には依頼主との交渉次第である。そこで決定した金額の半分を前金としてもらい受け、先方の要望通り無事に送り届けることができたならようやく全額をいただく。それが創業者イザーク・デ・フレイの作った仕組みだった。


 中には残金の支払いを渋る客もいる。その手の輩はだいたい行動が似通っており、あれやこれやと難癖をつけてどうにか踏み倒そうとするのだ。

 もちろんディーやイザークたちは確実に回収してきた。元が傭兵である彼らにとって、多少の荒事に訴えるのに躊躇いなどない。


 このようにして「どんな荷でも運んでみせます」を謳い文句にしたスタウフェン商会は急成長を遂げ、瞬く間に商いの網を広げていった。体内に流れる血のごとく大陸全土を駆け巡り、遠く離れた都市と都市を陸路で結んだのだ。


 ちなみに社名へディーの姓であるスタウフェンを冠することになったのなぜか。イザークとディーによる酒場を貸し切っての飲み比べ勝負で、酔い潰れて負けた方の姓を使うこととなったためだ。創業者でありながら看板にはなりたくないというイザークのわがまま過ぎる意向によって。渋々受けて立ったディーだったが、結局は明け方近くにまでもつれた接戦の末に敗れてしまった。


 小さな剣と馬車を図案化した紋章、それがスタウフェン商会の目印である。小さな剣の絵柄は、かつてゴルヴィタ共和国統領の令嬢シャーロット・ワイズがイザークへ贈った物とそっくりに似せてある。

 シャーロットとルーシー、ワイズ家の生き残りである娘たちを捜しだすのには二年以上の歳月を要した。よもやスイヤールの娼館で働いていようとは想像すらしていなかったせいだ。


 娼婦にされるため専門の仲買人へ売り飛ばされたことまではディーたちも突き止めたものの、肝心の居場所をレイランド王国とゴルヴィタ共和国に絞っていたために随分と時間を浪費してしまった。

 そしてまた娼館の女主人がとんでもなく手強かったのだ。ディーもイザークも、すぐに二人の少女を救い出すつもりでいたにもかかわらず、ここからさらに三年近くもかかったのはひとえに彼女の存在がその理由である。


「筋は通しな」


 イザークの代理としてまず最初にディーが交渉へ出向いたが、早々にマダム・ララという名の女主人から一喝されてしまう。


「男どもときたらいつもこれさ。どこであろうとずかずか踏み込んで、女なんて都合よく自分の一存でどうとでもできると高を括ってやがる。どうせあの子たちのことだって、一人じゃ何もできない可哀想な女の子くらいにしか思ってないんだろうが。ええ、どうなんだい?」


 いきなりの出来事にディーは面食らってしまった。

 傭兵時分に幾多の修羅場をくぐり抜けてきたとはいえ、堂々たる体躯である娼館の女主人と対峙するのはこれまでとえらく勝手が違う。


「いえ、決してそんなつもりでは──」


「お黙り!」


 返事を求めておきながら、理不尽極まりない高圧的な物言いだ。


「いいかい、これだけはちゃんと理解しておくれ。私はあの子たちだけでなく、ここで働く女たちをすべて人として扱っている。娼婦としての人生を選ばざるを得ない、鬱々とした事情を背負った女ばかりなのはぼんくらなあんたにだって察しはつくだろう? それでも私はね、女であることを彼女たちに否定してほしくないんだ。女として生まれ、生きていくことに誇りを持たせてやりたいのさ。たとえ娼婦であろうともね」


 女主人の迫力を前にして、さしものディーも気圧されっぱなしであった。

 彼からの反論を待つことなくマダム・ララが告げる。


「勝手なことはさせないよ。どうしても身柄を引き取りたいというのであれば、娼館の掟に従ってもらうまで」


 そして彼女が口にしたのは、とんでもない額の身請け金だった。

 話を持ち帰ってイザークに伝えたところ、彼は絞りだすように「──筋を通せ、か」と呟いた。


「マダム・ララといったか、その女主人。相当に癖は強そうだが、彼女の言い分は真っ当なものだ。ここはシャーロットとルーシーの強さを信じ、俺たちにできることをやっていく他あるまい」


 迅速かつ確実に荷を運ぶため、大陸中の道という道が彼らにとっての新たな戦場となった。時には道など存在しない荒れ果てた場所だってある。それでも二人の少女の身の上を思えば、非業の死を遂げたワイズ夫妻を思えば、泣き言を口にしている暇などない。

 文字通り寝る間も惜しみ、身を粉にしてディーもイザークも働き続けた。

 結果として彼らが率いるスタウフェン商会の名は、唯一無二の組織として大陸全土に轟いていくことになったのだ。


       ◇


 スタウフェン商会において、最も高額な荷とは何か。

 その問いにははっきりした答えが用意されている。人だ。

 人を運ぶのはさすがに物を運ぶのと同じわけにもいかない。よほどの事情がないかぎり依頼を受けないようにするための方便として、目を剥くような金額が「人」には設定されていた。それこそマダム・ララが提示してきたのと同等の。


 これまでにたった一度、ディーは人間を運んだ経験がある。ウルス帝国による侵攻とともに大きな戦争が幕を開け、レイランド王国との衝突が始まった頃合いであり、彼自身については髪に白いものが混じりだした時期のことだ。

 単身でディーだけが両大国の国境付近へと潜り込み、戦況についての様々な情報収集を行っていた。多くの場合、戦争は彼らの仕事にとって最大の障壁となる。軍隊と衝突する状況だけは何としても避けなければならない。野盗の群れを相手にするのとは訳が違う。


 折悪しく、国境で激しい戦闘が繰り広げられているようだった。ディーとしては行きがけの駄賃代わりに、国境の警備部隊の兵士たちから家族宛ての手紙でも預かっていこうかと考えていたのだが、すでに防衛線は後退しており前線基地も破棄された後だったのだ。


 レイランド王国軍には既知の軍人も何人かいる。傭兵だった頃には敵対もしたが、今はそのようなわだかまりはない。せめて挨拶だけでも済ませておこうか、とディーは急ごしらえの粗末な基地へと赴いた。基地といえば聞こえはいいが、実際はただの小屋だ。それが六棟並んでいる。

 遠慮なしに敷地内へ入っていた彼を「誰だ」と呼び止める声があった。まだ顔に幼さの残る青年兵士だ。

 すぐにディーは例の紋章を見せる。


「ああ。あんた、スタウフェン商会の人か」


 青年兵士の態度もあっさり軟化した。

 だがどういうわけか彼は声を潜める。


「よかった、本当にちょうどよかった。商会に依頼したいんだ、個人的にさ」


 周囲の様子を窺いながら、青年兵士が先を続けた。


「噂で聞いたんだ。いつもみたいに手紙じゃなくったって、金さえ払えばどんな荷でも運んでくれるんだろ?」


 面倒事になりそうな気配を感じ取ったディーがわずかに顔をしかめる。

 しかし真剣そのものの青年兵士にはまったく伝わっていない。


「頼む、ある少女をどうか安全な場所まで送り届けてほしいんだ。どこだっていい、無事でいられるところなら」


 彼は真っ直ぐにディーの目を見据えてきた。


「美しい金髪をしたフィオナっていう女の子でさ。身寄りはないけど快活な働き者で、村のみんなから可愛がられているんだ。でも、レイランド王国軍の作戦が決行されれば彼女の暮らす村が焼かれて戦場になってしまう。情けないけど、ただの下っ端兵士でしかないおれにはもうどうすることもできない」


 あんたみたいなその道の人に頼るしかないんだよ、と今にもすがりつきかねない勢いでディーへと迫ってくる。

「ちっ」と舌打ちをしつつ、ディーは自分がこの依頼を断れないのをこれまでの人生から嫌というほど理解していた。

 腹立ちまぎれについ乱暴な口調で吐き捨ててしまう。


「わかってんのか、クソガキ。人を運ぶってのがどれだけ難しくて、どれだけの対価が必要なのか」


「金なら払うよ、絶対に。おれの人生をかけて。すっかり諦めかけてたことが叶うなら、そのくらいは当然の責務だと思ってる」


 そう言ってたってどうせ踏み倒すんだろうが。内心では辛辣に評しつつも声には出さなかった。いずれにせよ引き受けることに変わりはないのだから。


「で、その子の居所と特徴は」


「え?」


「早く教えろ。助けてあげたいならな」


 ディーの気が変わってしまわないうちに、とでも思ったのか、慌てた様子で青年兵士が早口に喋りだす。


「フィオナの家は村の外れにある。一人で住んでるんだ。彼女に会えたらおれの名前を出してくれればいい。チェスター、それできっと伝わるから」


 チェスター・ライドン。改めて彼はそう名乗った。

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