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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
5章 初めてにして最後の恋
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昔も今も

 ジゼルとコレットが〈スイヤールに咲く毒の花〉で娼婦となってから、すでに五年の月日が過ぎていった。

 その間、大きな変化もいくつかあった。人の入れ替わりが頻繁な娼館で体を張り続けた二人は持ち前の教養と観察力、そして機転を武器にして次第に頭角を現していく。上流階級の客をがっちりとつかんだ彼女たちは、いつしか稼ぎ頭と認められるまでに成長したのだ。


 加えてマダム・ララが大病を患ったのも娼館を揺るがせる出来事であった。あれだけ肉付きのよかった彼女が急激に痩せ細ってしまい、誰の目にも「もう長くはないのでは」と映るほどの衰弱ぶりだった。いまだに楽観できない状況ではあるものの、それでもいくらか持ち直したのはさすがと言うべきだろう。


 ある穏やかな日差しの午後、ジゼルとコレットは揃って娼館から程近いマダム・ララの自宅へと呼び出された。これまでも忙しさの合間を縫って、お見舞いがてら三日に一度は顔を出すようにしていたが、彼女から来訪を求められたのは初めてのことだ。


「お加減はいかがでしょうか、マダム」


 ジゼルたちがやってくるのと入れ違いで、看病のために控えていた侍女が無言のまま別室へと下がっていく。


「今日は悪くないね」


 むしろ久しぶりにいい気分さ、と言いながらマダム・ララが天蓋の設えられた寝床から上体を起こす。その言葉とは裏腹に、随分と鈍重な動き方だった。


「大丈夫なんですか」


 コレットも心配そうに傍へ寄っていく。

 快活に笑い飛ばそうとしたマダム・ララだったが、どうやら上手く声を出せなかったらしく空咳のようになってしまう。彼女の痩せた首元には細く強張った筋が浮かび上がっていた。


「あー、いやだいやだ。あんたらみたいな小娘に心配されるようになるたあ、私もえらく年をとっちまったもんだね」


 生粋の夜の女だからなのか、マダム・ララは陽光を好まない。目を細め、窓から入ってくる明るい日差しを厭いながらジゼルとコレットのいる方へとゆっくり体を向けた。

 それから彼女は何かを咥える仕草をして訴えてきた。


「ちょっと、いつものあれを取っておくれ」


「だめですよマダム。煙管はご病気を治してからです」


 ぴしゃりと断ったコレットに続き、間髪入れずジゼルも「異論なし」とだけ口にして頷く。


「あんたたちまで医者みたいなことを言うのかい。私の数少ない楽しみを取り上げるなんてさ。やれやれ、世知辛いったらありゃしないよ」


 憤慨してみせるマダム・ララに以前のような迫力はもうない。

 もちろん彼女だって本気で怒っているわけではなかった。その証拠として、すぐに表情を緩めてしまう。

 つられてジゼルも顔が綻びそうになるのを慌てて堪えた。

 マダム・ララが言う。


「二人とも、十日後の予定は空けておきな。私宛であんたたちをまとめて指名してきた客がいるんでね。相手が泣いて喜ぶまで付き合っておやり」


「それはまた、えらく羽振りのいい方ですね」


 自分たちはすでに高級娼婦なのだ、そんな自覚がコレットの言葉から透けてみえる。本当に彼女は見違えるほどにたくましくなった。死んで楽になった方がいいと泣いていたかつての夜の面影が、ジゼルには遥か彼方へと消え去ってしまったように思える。

 寂しさと頼もしさ、どちらもが等しくジゼルの胸の内にあった。


「ま、飛ぶ鳥を落とす勢いで財を成してきた商人とだけ伝えておくさ」


 含み笑いとともにマダム・ララは相手の素性については明言を避ける。

 そして拾うのがやっとの小さな声で呟いた。


「──大したもんだよ、まったく」


 なぜかマダム・ララの目はどこか遠くへと向けられている。

 これまでに見たことがないほど穏やかな彼女の眼差しに、ジゼルは不意にそう遠くないであろう別れを予感せずにはいられなかった。


       ◇


 さらに二十年近くの歳月が流れる。

 真夜中、いつものように館内を見回っていたピーノが食堂へやってくると、二人の女性がいるのに出くわした。マダム・ジゼルとコレットだ。

 卓上にはコルクの抜かれた瓶が置かれてあり、赤い葡萄酒の注がれたグラスは二つ。しかしマダム・ジゼルはすでに酔っているのか、だらしなく机に突っ伏してしまっていた。


「珍しいね。二人だけでお酒なんて」


 声をかけながらピーノが歩み寄っていく。

 マダム・ジゼルからは何の反応もなく、答えたのはコレットだった。


「意外でしょう? 実はお酒に弱いのよ、彼女」


 そう言いつつコレットは、隣に座っている主の髪をいじって勝手に耳へとかけたり戻したりして遊んでいる。時折マダム・ジゼルの口からは「ぶう」という意味不明の呟きが漏れていた。

「水を持ってこようか」と訊ねたピーノに対し、コレットが小さく首を横に振る。


「ありがとう、でもジゼルなら大丈夫。いつもこうなのよ。ちょっとお酒を口にしたらすぐに眠くなってしまうみたいで」


 髪に飽きたのか、今度はマダム・ジゼルの耳たぶを触りだした。


「彼女とは長い付き合いだからね。たまにはこうやって、お酒を飲みながら思い出話をすることもあるのよ」


 年をとった証拠かしらね、と耳たぶを引っ張りながらコレットが笑う。

 椅子を引き、静かに腰掛けてピーノも応じた。


「別にいいんじゃないかな。誰だって年はとるんだし、それにマダム・ジゼルもコレットも年齢なんて関係ないくらいにすごく綺麗なんだから」


「あら。いつの間にそんな歯の浮くような台詞を覚えてきたんだか」


「思っていることを素直に言ったまでだよ」


「これは近い将来、女泣かせになってしまう可能性もあるわね……」


 顔をしかめてコレットは彼の先行きを危惧してきた。

 冗談とも本気ともつかないその態度に、ピーノは苦笑いを浮かべて曖昧にやり過ごそうとする。

 けれどもすぐにまた彼女はマダム・ジゼルの耳たぶいじりに熱中しだした。どうやらコレットの中で今の話題は終了したらしい。やはりマダム・ジゼル同様、いくらかは酔っているのだろう。


「ねえ、ピーノ。貴方はイザーク様が泣いているのを見たことある?」


 耳たぶを堪能しながら、唐突にコレットがそのような話を切り出してきた。

 少し考えてピーノは「ない」と返事する。


「そもそもあの人が泣いている姿を、ぼくは上手く想像できないな」


 だってあのイザークだよ、と重ねて言った。

 戦場における素手での奮戦ぶりからついた異名が〈鉄拳イザーク〉、傭兵から商人へと鞍替えして成功を収め、何よりウルス帝国から逃げだしたピーノたちを保護し家族同然に扱ってくれた男。

 いつだって頼もしさの象徴であってくれた彼の涙など、ピーノにとって思い浮かべることさえ困難であった。


「一度だけ、私とジゼルは見たわ。それはもう、男の人ってこんなにも泣くのかってくらいに涙を流してね。私の中でのイザーク様は『戦う大人の男』の代表みたいな方だったんだもの、とにかく驚いたわよ」


「イザークが……そんなに泣いたの」


「そうだよ、声を上げて号泣さ。対面したこっちが恥ずかしくなってくるくらいに泣いてたな、あの時は」


 ピーノとコレットが同時に視線を向ける。いつから意識がはっきりしていたのか、突っ伏した姿勢はそのままでマダム・ジゼルが会話へ加わってきたのだ。

 顔を上げることなく彼女は続けた。


「でもね、これだけは変わらない。どんなにみっともなくったって、私にとってはずっと格好いい人なんだ。昔も、今も」


 それっきりマダム・ジゼルは黙りこんでしまう。もしかしたらまた眠ってしまったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。ピーノにはわからなかった。

 きっといつもより酔っているのね、と優しい声音で言ったコレットが、柔らかな手つきでずっとマダム・ジゼルの髪を撫でていた。

5章はここまで。

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[一言] イザークの号泣にもらい泣きしました。
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