生涯違えぬ約束を
娼館の主、マダム・ララは決して善人と呼ばれるような人間ではない。
そもそもが裏社会の男たちを手玉にとってのし上がっていった女性であり、何よりも金を信用し、愛していた。スイヤールだけでなくレイランド王国でも二軒の娼館を経営しているやり手なのも頷ける。
シャーロットとルーシー、いやジゼルとコレットを手に入れた経緯も、聞けば横槍を入れる形だったそうだ。二人をさらっていった組織の頭目と親交があり、たまたまレイランドを訪れていた際に、別々の場所へと売られていく直前の彼女たちを見かけたらしい。
ジゼルとコレットを一目で金の卵だと見抜いたマダム・ララは、あの手この手で二人をまとめて強奪して今に至る。
そのことを教えてくれたえらく口の軽い先輩娼婦から「あれでも昔はとんでもない美人だったらしいよ」と耳打ちされても、今一つジゼルとしてはぴんとこない。かつての美貌を想像しようとしたって、どうしてもあの貫禄が脳裏にちらついてしまうのだ。
だが、マダム・ララに引き抜かれたのはジゼルとコレットにとって、ほんのささやかな幸運だったと言える。
いつでも強気で、抜け目なく、気難しくも誇り高い女主人。それがマダム・ララという女であった。彼女は館で働く娼婦たちから畏れられていたが、それは決して恐怖からくるものではない。
「男たちから金を搾り取れ」
「負けるな。生き残った女が結局は勝ちなのさ」
「心も体も教養も貧相なら潰されていくしかない。だからあんたたち、いいものを食べ、いい服を着て、あらゆる物事を貪欲に学ばなきゃいけないよ」
「娼婦だから何なのさ。自らを恥じず、胸を張れ」
気まぐれにしかかけてこないが、マダム・ララの言葉には力があった。
娼婦たちの中には彼女へ心酔している者も少なくない。それはジゼルにだって理解できる。頼れる者もなくたった一人、文字通り裸で勝負しなければならない女たちにって、どれほどマダム・ララが心強い存在か。
もちろん、だからといって娼婦という職業の過酷さが軽減されるわけではなかった。心の弱い女から順に淘汰されていくのはどうやら日常の出来事らしい。
そしてジゼルの親友にして姉妹であるコレットが、娼婦となって一か月といくらばかりかを経て、とうとう精神的な限界を迎えようとしていた。
◇
ジゼルとコレットが二人揃って客をとらなかったある夜。
二段組みとなっている寝床の上側で、ジゼルは夢現の浅い眠りから引き戻されていた。どうやら寝返りを打った拍子に目が覚めてしまったようだ。
そんな彼女の耳に、すすり泣いているようなか細い音が聞こえてくる。マダム・ララの配慮によって同部屋となったコレットに間違いない。
慌てて跳ね起き、そのまま床へと飛び降りる。
驚いて顔を向けてきたコレットへ近づき、両肩をがっしりとつかんでジゼルが言った。
「どうしたの、何か嫌なことがあった? どんな些細なことでもいいからわたしに話してみて」
それでもコレットは手の甲で涙を拭いながら「ううん、別に何でもない」と答え、力なく笑みを浮かべた。
「ごめんね、起こしちゃったね」
「そんなことはいいのよ」
さらに顔を寄せたジゼルが、真正面からじっと見据えて諭す。
「お願いコレット、わたしには嘘をつかないで。悲しくなるから」
目に涙を溜めていたコレットはとうとう両手で顔を覆ってしまい、体を折り曲げ突っ伏すようにして嗚咽しだした。
ジゼルは静かに彼女が泣き止むのを待つ。幼い頃は逆の立場なことが多かったな、と懐かしい過去を思い出しかけ、急いで頭から振り払う。
暗い部屋の中、すっかり目が慣れてきてしまうくらいに時間が経った。
ようやくぽつりと「もう無理なの……」という言葉が漏れてきた。
「家族も名前も尊厳も理不尽に奪われて、それでも終わりの見えないこんな生活をずっと続けていくのは、いったい何のため? 結局理由なんてどこにもありはしないのよ。ひたすら心身を摩耗し続けていくだけの日々に、わたしはとても耐えられそうにない」
いっそ死んで楽になった方が遥かにましだわ、と顔を上げたコレットが投げやりに呟いてそれっきり黙り込んでしまう。
ゴルヴィタでの日々が終わりを告げた夜、イザークは言っていた。生きろ、と。
強くしぶとく生き抜いて、母のリタを守ってあげられるくらい強くなれ。
彼との最後の約束だったはずなのに、もはやジゼルには半分しか守ることができないのだ。ただの娼婦となった今の彼女にとっては、残されたその半分さえも覚束ない。
だからといって諦めるわけにはいかないではないか。無残な死を遂げた父と母のためにも、そして目の前にいる誰よりも大切な少女のためにも。
正対しながらもやや視線を落とし気味にしていたコレットを、ジゼルは柔らかく抱き締めて耳元で囁く。
「コレット……いえ、もう一度だけルーシーと呼ばせてもらうね」
かつてルーシーという名だった少女の体がぴくりと反応した。
「ねえルーシー。あなたの残りの命、全部わたしにちょうだい。代わりにわたしの命はあなたにあげるから」
顔を見られないよう、ジゼルは抱き締めている手にきつく力を込めてお互いに身動きが取れなくしてしまう。二人の熱が溶け合っていた。
「わたしはこの先、死ぬまでずっとあなたのために生きる。どこにも離れていったりしない。いつだってあなたの隣にいて、一緒に買い物へ出かけたり悩み事を相談したり時には悪戯したりしながら、バカみたいに笑っていてあげるよ。約束する。だからルーシー、あなたもわたしのために生きてほしいの。生きて生きてひたすら生きて、どうしようもなくなる最後の瞬間まで、二人で手を取り合って足掻き続けていこうよ」
ルーシーの肩が小刻みに震えている。
そんな彼女の髪を優しく撫でながら、抱き締める力も少し緩めた。
「言っておきますけど、わたしはめちゃくちゃ長生きして皺だらけのおばあちゃんになりますから」
そこまでちゃんと付き合ってよね、とジゼルはおどけてみせる。




