傭兵失格
いくつもの悔いがイザークの胸に去来する。
ワイズ家の面々を逃がす先として、敵対関係でありながらブライアン・ワイズに正当な評価を下していたレイランド王国へ白羽の矢を立てたのがまず一つ。
優れた政治家であった彼を使い潰した形となったことへ、幾分かの責任を感じているであろう最高顧問会の伝手を頼ったのが二つめの悔いだ。よもやそこから情報が漏れようとは。
そして三つめは、国境でのこのこと引き返してきた己の判断の不味さに尽きる。どうして最後まで送り届けてやらなかったのか、と〈琥珀亭〉からの帰り道で何度も自らに問いかけた。ゴルヴィタ共和国の傭兵隊長が入国したことで多少の問題が起ころうとも、キャナダインに処理させれば済んだ話ではないか。
だが、すべてはもう取り返しがつかない。
八方手を尽くしてシャーロットとルーシーを捜しだし、ワイズ夫妻が安らかに眠るための墓を作り、そして静かに祈る。
復讐以外にできることなど、彼にはそのくらいしか思いつけなかった。
◇
イザークはまず最初の標的をゴルヴィタ共和国議会と決めた。
ディーとともに傭兵団を結成した初期から付き従ってくれている者たち、すなわち部隊の中核となる猛者たちがおよそ五十人。彼の名が知れ渡りだした頃から加わってきたのが三百人。ゴルヴィタに雇われてから入隊した兵士たちが五百人ほど。
総勢千人近い大集団を束ね、これまで防衛の任に当たってきた。その剣の切っ先が今、ブライアン・ワイズ亡きゴルヴィタへと転じて向けられる。
市民に無用の混乱が起きぬよう、街のあらゆる要所に兵士たちを配して予期せぬ事態に備えておく。それからイザークは議場周辺を完全に封鎖した。
交易都市としての力を誇示するがごとく、建物群の中にあってもひと際威容を誇っているのがゴルヴィタ議事堂である。
外での指揮は副官のディーへと一任し、選り抜いた百人の屈強な男たちとともにイザークは議場内へと雪崩れ込んでいった。
「連日の空疎な議論、まことにご苦労なことだ! 大いに結構!」
議員たちの数は百五十。
突如として現れた武装済みの傭兵部隊とその隊長の姿を目にし、慌てふためく議員もいれば怒りを露わにする議員もいた。
「不敬だぞ、デ・フレイ隊長!」
「傭兵風情が、ここを何と心得る!」
「分を弁えたまえ!」
罵る声も少なくなかったが、殺し合いの場である戦場を肌で知るイザークにとってはどれほどのこともない。
退き遅れてしまったのか、行く手に立ち尽くしていた者たちを容赦なく突き飛ばしながら、ずかずかと奥へ進んでいく。
そして彼は中央にある演台へと軽やかに跳び乗った。
近くにいた議長が血相を変えてイザークの足元へと詰め寄ってくる。
「何を考えている! 貴様……気でも触れたか! これではまるで反乱のようなものではないか!」
随分と呑気な反応だ、と思いながらも答えることなく蹴り飛ばし、騒然としている議員たちの席へと体を向けた。
「賢明なる議員の諸君! このイザーク・デ・フレイ、本日は皆様方にお願いがあってこうして場違いながらも参上いたしました次第です!」
腹の底から轟くような大音声での挨拶を受け、一気に広い議場全体が水を打ったように静まり返ってしまう。
続けてイザークはゆっくりと五人の名前を読み上げた。キャナダインから伝えられた、ワイズ家襲撃の元凶となった者たちの名だ。
「即刻、こいつらを差し出せ! 交渉の余地があるなどと期待するな」
時間の猶予はない、と重ねて言い渡す。
事前に彼が予想していた通り、「横暴だ!」「傭兵ごときに何の権限があってほざく!」といった反応が返ってきだし、次第にその声が大きくなっていく。
いったんは議員連中へ好き勝手にしゃべらせてから、声の波が少し弱まるのを見計らって再びイザークは告げた。
「できないと仰るのであれば、それはそれで構わない。皆殺しにするだけだ」
彼の言葉に呼応し、議場へ侵入している彼の部下たちが一斉に剣を構えてみせた。百本の剣はどんな脅し文句よりも雄弁である。
演台の上から部下たちを手で制しつつ、またイザークは声を張り上げた。
「もう一度だけ、賢明なる皆様方に申し上げよう! これは簡単な計算なのだ! 幼い子供でもわかるくらいのね」
百五十の優れた命を失うか、たった五つの薄汚い命を失うか。
そのような非情な問いを前にしては、もう誰も率先して口を開こうとする者などいなかった。議場を支配していたのは圧倒的な暴力の気配と静寂であった。
「悩むようなものではありますまい。ご存知の方も大勢いらっしゃるはずだ。この五人が策謀を巡らし、自らのつまらぬ権力欲を満たすために、無私の好漢であったブライアン・ワイズを死地へと追いやったのだと」
芝居がかった派手な仕草で剣を演台へと突き立て、結論を迫る。
「さあ、各々方。答えてもらおう! いずれを選ばれるのか!」
元々、見せしめとして二、三人くらいは殺すつもりでいた。議長を含む数人の首を容赦なく刎ね飛ばしてみせれば要求をすんなり飲むに違いない、と。
しかしどうやらその必要もなさそうだった。
結局は誰だって我が身が可愛い。名指しされた五名の身柄がよってたかって取り押さえられる光景を、イザークは冷え切った目で眺めていた。
◇
常軌を逸したイザークの怒りはとどまるところを知らない。
レイランド王国内でのキャナダインの尽力によって捕らえられた実行犯たちが、きつく拘束された上で移送されてきたときもそうであった。
首謀者のゴルヴィタ共和国議員たちと同様、ほとんどの者がいつ終わるとも知れぬ絶叫と苦痛の果てに死んだ。五体がきちんと揃ったままの遺体など一つとしてない。古くからの付き合いであるディーでさえ目を背けてしまうほどの陰惨な拷問を、平然とイザークは自らの手で遂行した。
実行犯の内の一人だけ、状況が理解できないほど愚かなのかそれともやたら肝が据わっているのか、イザークへの挑発を繰り返す男がいた。大柄で、分厚い下唇に特徴的な傷を持つ男だ。
あえてイザークは彼の拘束を解き、「来いよ」と告げる。
「素手での勝負で俺に勝てたら、ここから無事に解放してやる」
「へへ、そいつはありがてえなあ」
すんなり信じた男がにたりと笑う。
はたして勝負の結果はどうであったか。分厚い下唇の男はイザークによって徹底的に顔を狙われ、殴られ続けた。あまりにも一方的に。二人には力量の差がありすぎたのだ。鉄拳の異名は伊達ではない。そしてもはや顔面は判別のつかないただの肉塊となって男は絶命した。
こうしてイザークによる凄絶な報復は空虚さとともに終わりを迎えた。




