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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
5章 初めてにして最後の恋
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琥珀亭での密談

 ワイズ家がレイランドへと去って二か月、イザークとその傭兵団は契約通りにゴルヴィタの戦力であり続けた。

 しかしその間、有能にして誠実であったブライアン・ワイズを手放したゴルヴィタ政界にあったのは極度の混乱だ。互いの政敵を論難することに終始し、山積している懸案事項への対策は一向に進まない。

 そういった報に接するたび、イザークは「ふん」と鼻を鳴らすのが常だった。この日もいつもと同じだ。


「ふん、有象無象の輩どもが。今からでもブライアン殿を呼び戻せばよいものを」


「遠からずそんな時が来るかもしれないな」


 強引ではあったが逃がしてよかった、そう応じたのは副官のディーである。

 ブライアンの統領失脚を見越し、イザークは驚くほど素早く手を打っていた。最高顧問会を通じてレイランド王国の外交担当と交渉し、ブライアンを含むワイズ家四人の受け入れを承諾させることに成功したのだ。

 ただし、そこには表には出ていない裏条件も存在した。イザークたち傭兵団はゴルヴィタ共和国との契約が切れたら、即座にレイランド王国との契約を結ぶこと。明るみにでたとき、非難と怨嗟の声を浴びせられるのは間違いない。そうまでしてでも盟友であるブライアンの命を救いたかった。


 イザークはそっと右胸のあたりに手をやる。上着の内側に、小さな木彫りの剣を布とともに縫い付けてあるのだ。ブライアンの娘、シャーロットからの可愛らしい贈り物を彼は肌身離さず持っていた。

 ディーからはよく「感傷的なやつめ」とからかわれたものの、そう言っているときの彼の目はいつだって優しい。


 いずれは美しく成長したシャーロットと再会できる日もやってくるだろう。姉妹であるルーシーとともに。

 だがこの夜、思わぬ相手からの呼び出しによって状況は一変してしまう。もはやすべてが手遅れであったのをイザークは思い知らされることになる。


       ◇


 ゴルヴィタの夜道を馬で駆け、イザークが出向いたのは〈琥珀亭〉であった。

 値の張る宿として知られる〈琥珀亭〉にはもう一つ別の顔がある。常連客にのみ供される、娼館としての顔だ。

 利用したことはないものの、ゴルヴィタの守り手といえる傭兵隊長イザークの顔を知らぬ者はいない。彼がやってくるのを自ら出迎えた主人が「こちらでございます」と奥の娼館部分へ案内してくれた。

 薄暗い廊下を抜けた先の重厚な扉を主人が軽く叩く。


「キャナダイン様、お客人が到着なさいました」


 イザークをここまで呼びつけたのはジェイク・キャナダイン。レイランド王国の外交実務を一手に取り仕切る男である。


「やあやあ。不躾なお誘いでまことに申し訳ない、デ・フレイ殿」


 扉が開くと、椅子に腰掛けていたキャナダインが立ち上がって歩み寄り、手を差しだしてきた。小太りで頭髪がやや薄く、対照的に揉み上げだけは立派であり、顔立ちはいかにも善良そのもの。

 しかし目の前にいるこの男が油断ならないのはイザークとて百も承知だ。なぜならワイズ家受け入れの交渉の際、対するレイランド側にいたのが彼だったからだ。あのときもこの部屋で交渉が行われた。キャナダイン曰く、「秘密の話は行きつけの娼館でするにかぎる」のだそうだ。


 挨拶をかわしながら握手をし、それとなくキャナダインを観察する。

 レイランド王国における外務大臣こそ別の人間が務めているものの、それはあくまで階級を重んじてのことに過ぎない。それでもキャナダインは下級貴族の出としては異例の出世といってよかった。

「お飾りですからね、調印の際に臨席していただければそれでよいのです」というのが、彼にとっての外務大臣の扱いである。

 にこにこと人好きのする笑顔を浮かべながらキャナダインが「お疲れでしょう」と着席を勧めてくる。イザークも素直に従った。


「して、今日はいったいどのようなご用向きでしょうか」


 時宜の決まり文句も何もなく、まずイザークから口火を切る。

 いきなりですなあ、とキャナダインの笑みがやや眉を寄せたものへと変わった。


「いえね、ゴルヴィタ政府との交渉があったので私がやってきたわけなんですけれども。今の無能揃いの政府ではまったく話になりませんね。時間の無駄だ。何せ新しい統領さえまだ決定していないのですから」


 はぐらかすような物言いはこの男の得意技だ。


「やはり前統領、ワイズ殿の手腕は見事でしたな。あの方の卓越した調整能力があってこそ、ゴルヴィタは持ちこたえることができていたんですねえ。我がレイランドとしても非常に手強い交渉相手でしたよ」


「皮肉な話だ。味方であるはずのゴルヴィタ政界より、あなたを筆頭にレイランドの方がよほどブライアン殿を高く買ってくれております。本当に感謝の言葉もありません」


 半分はお世辞、しかしもう半分は本音だと受け取ったイザークは軽く頭を下げた。

 ただキャナダインは構わずに話を続ける。


「ワイズ殿を見殺しにしたゴルヴィタ政府との交渉など、はっきり申し上げれば何の価値もない。世俗を知らぬセス教の修道士が代役を務めたって結果は変わらんでしょう。なのに私がここへ足を運んできたのはデ・フレイ殿、あなたに直接お伝えせねばならない話があったからです」


 ようやくキャナダインの目が真剣味を帯びてきた。

 来た、とイザークも身構える。


「伺いましょう」


 間を一拍置き、キャナダインが言った。


「そのワイズ殿ですが、殺害されました。夫人とともに」


「──は? ふざけているのか?」


 相手がレイランド王国の実力者であるのも忘れ、思わずイザークはぞんざいな口をきいてしまった。

 すぐに気を取り直し、「大変失礼をいたしました」と詫びる。

 だがそんなことは問題ではない。すっかり笑みの消えたキャナダインの表情もそれを雄弁に物語っていた。


「お気持ちはわかります。デ・フレイ殿、あなたとワイズ殿は個人的な友誼を深く結ばれていたと存じておりますのでね」


 順を追ってお話ししましょう、と彼は平坦な口調で告げる。

 キャナダインによる一連の説明は概ね以下のものであった。

 数日あれば到着するはずのワイズ家一行が行方不明となったこと。

 慎重に捜査を進めたところ、国境へ程近い場所に顔を潰された男女それぞれの遺体があったこと。

 身なりや現場の痕跡から推測するに、その二人がブライアン・ワイズと妻のリタでほぼ間違いないこと。

 ワイズ家の娘二人はいまだ行方が(よう)として知れぬこと。

 襲撃実行犯として関与した疑いが濃いのは、レイランド王国側の裏社会の組織であると当たりをつけたこと。

 そして、彼らへ依頼をしたのがゴルヴィタ共和国側の人間だったこと。どうやら今回のゴルヴィタ来訪の本命はこの件の裏を取るためらしい。


「襲撃事件の画策に関わった連中の名前も調べがついていますよ。総勢五名です。いずれも名の知れた議員たちでしたね」


 イザークの予想通り、キャナダインによって挙げられた名前は四名までがブライアン・ワイズや最高顧問会と激しく対立していた勢力に属する者たちだった。けれども残る一人は最高顧問会に名を連ねている男であった。

 最高顧問会にしか話を通さず、極秘に進めていたはずのワイズ家逃避行の話がどうやって漏れたのか、ようやくイザークにも合点がいった。

 権勢が斜陽となりつつある最高顧問会へ見切りをつけ、その対立勢力へ取り入るためにブライアンの情報を売った者がいたのだ。


「今だからお伝えできますが、最後の一人を除いた者たちはマッケニットの件でも我がレイランドへ逐一報告してきておりました。そもそもが内通者なのです。ひたすらワイズ殿の存在を疎み、統領の座から追い落してもなお、安心できず暴挙に及んだと考えて間違いなさそうですな」


 いつ激高してもおかしくない話の間、イザークは固く拳を握り締めてひたすら己を抑え続けていた。でなければ今にも目の前にいるキャナダインを殴り殺してしまいそうだったからだ。この男にだって責任の一端はある。


 事実ないしほぼ確実な推測を淡々と語り終えたキャナダインは、そんなイザークを相手にしても臆することなく視線をぶつけてきた。どうするかを問うている。

 こちらの腸が煮えくり返っているのは当然わかっているだろうに、とイザークは思う。しかしそういう胆力を持ち合わせている相手だからこそ交渉になるのも事実だ。

 怒気に満ちながらも、声を殺して切りだした。


「キャナダイン殿。しばらくこちらで起こる混乱を静観していただきたい」


 まるで待っていたかのような反応の速さで、キャナダインは「はてさて、どうしたものか」と芝居がかった調子で渋面を作ってみせた。


「あなたにとっては酷な話ですが、これも世の習い。我がレイランドにとっては介入する絶好の機会でもあります。行動を差し控えるに足る、充分な利がなければ見送るわけにもまいりません」


 情報提供と併せてあからさまに好条件を引き出しにかかっている。

 乗ってやるよ、と迷わずイザークは叩きつけるように言い切った。


「見返りはゴルヴィタそのもの、それでいかがか」


 さすがにキャナダインもこの提案は想定していなかったらしく、「なんと」と口にして目を丸くしている。

 前傾姿勢でイザークが畳みかけていく。


「こちらで少しばかり掃除をした後なら、存分にゴルヴィタ政界へ介入なさるといい。状況は整えておきますので、傀儡政権でも何でも好きに立てればよろしかろう。どうです、文句はありますまいな?」


「しかしそれでは、いくら復讐のためとはいえデ・フレイ殿に利がなさすぎる。それこそ裏切り者の汚名を着せられましょう」


「収支が合わない分に関しては、前回のお話をなかったことにさせていただければそれでよい。どうやら傭兵稼業もそろそろ引き際のようですから」


 裏を勘ぐってきたキャナダインも、イザークの説明を受けて「なるほど、それならば」と納得した様子だった。


「もちろん、今後のゴルヴィタをどうするかについては、わずかばかりの口出しをするつもりではいますがね」


「むしろそれくらいの方が信用できますな」


 ここに二人の利害は一致を見た。

 イザークはワイズ家襲撃に関与した者たちを誰一人許すつもりはない。

 ありったけの苦しみとともにこの世へ生まれてきたことを心の底から後悔させてやらなければならぬ、と密かに誓っていた。

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