ゴルヴィタへ別れを告げて
民家が点在しているのどかな田園地帯を箱型馬車は進む。
時折土埃が舞い上がるのも構わず、シャーロットは飽きもせずに窓から外を眺めてはいちいち見つけたものを隣のルーシーへと報告し、そして生返事を寄越されてしまう。
前方には三頭の馬とそれに跨った屈強な男たちが、後方には四頭の馬と男たちが馬車の護衛を務めてくれていた。後方の内の一人はイザークである。ゴルヴィタ市内における傭兵部隊の指揮は副官のディーに任せ、隊長の彼自ら、友人のブライアンをレイランド王国との国境まで送ると買って出たのだ。
「そういえば、君たちをこのあたりまで連れてきたことはなかったな」
父ブライアンが遠くを見るような目でぽつりと呟く。
箱型馬車の中、四人掛けの席にワイズ家の面々は座っていた。久々に家族全員が揃ったことへシャーロットは嬉しさを隠し切れない。今からレイランド王国に向かうのを考えるとどうしても気が重くなるが、それよりも彼女は今この瞬間を大切にしたかった。
一行はまだ夜の間にゴルヴィタの市街地を抜けた。シャーロットにとって圧巻だったのは、やはり夜が明けようとする時間帯の光景であろう。遮る物のない真っ暗な平原の彼方に、世界を塗り替えるかのごとく姿を現す太陽の光。あんなに美しいものを見たのは本当に生まれて初めてだった。
「よくそんなにはしゃげるわね」とルーシーから嫌味を言われても、シャーロットはずっとはしゃぎ続けた。はしゃぎ続けることで、時代の突風に吹き飛ばされそうになっている大切な何かを繋ぎ止めようとしていたのかもしれない。
逃亡のための旅は順調だった。要所には監視塔が設置されているが、いずれもイザークの立案によって建設されたものである。当然、塔へ詰めている兵士たちも彼の手の者ばかりだ。なので通過にあたって何の問題も生じなかった。
「そろそろ国境付近に近づく頃合いだろう」
さすがにブライアンはゴルヴィタ中の地理をよく把握している。
呑気にもシャーロットはそんなことを思ったが、どういうわけかブライアンの隣に座るリタが涙ぐんでいた。統領失脚後の六日間にも、一度だって彼女は泣いている姿を二人の娘に見せなかったというのに。
俯くリタを優しく抱き寄せながら、彼は切り出した。
「シャーロットにルーシー。とても大切な、私の二人の娘たち。君たちにも伝えなければならない。ここからはリタと君たちだけでレイランドへ行くんだ」
私はゴルヴィタへ残る。シャーロットの聞き間違いではなく、確かにブライアンはそう言った。
「ゴルヴィタのために、私は最後まで力を尽くす。裁かれ、刑死の憂き目にあおうとも、それは統領の職に在った者の運命だからね」
なんで、とか細い声がシャーロットの口から漏れた。
「なんで、なんで、なんでなんでなんで! どうして一緒に来てくれないの? だってお父様は何も悪くない! 悪くないじゃない!」
「聞き分けてくれ、シャーロット。お願いだから」
穏やかな表情で父にそう言われてしまうと、シャーロットにはもう返せる言葉がない。きつく唇を噛み、膝の上で拳を握り締めて黙りこむしかなかった。
そんな彼女の握り拳に、そっと柔らかな手が添えられる。ルーシーの手だ。
リタも、ルーシーも静かに泣いていた。いつだって毅然とした態度を崩さないブライアンの目にもうっすらと涙が浮かんでいる。
「みんな、どうか笑っておくれ。君たちの笑顔を胸に、私は誰に恥じることなく堂々と最後の瞬間を迎えようと思う」
馬車は少しずつ速度を落とし始めた。
そろそろ別れの時だ、と口にしたブライアンが無理やりに笑顔を作ろうとしている。泣いているのか笑っているのか、まったく判別できないへんてこな表情となっていた。
「イザーク!」
彼は外に向かって盟友の名を呼ぶ。
軽やかに馬を駆るイザークが、すぐに馬車の近くへと寄せてきた。
「すまないが、手筈通りに頼む」
しかしどういうわけか、窓の外のイザークからはこれといった反応がない。
何度もブライアンが重ねて呼びかけているものの、イザークは無言のままで緩やかに手綱を引くばかりだ。
シャーロットたちの乗った箱型馬車と、周囲を固める騎馬たちが完全に止まった後にようやくイザークが口を開いた。
「実はこの馬車にはちょいと手を加えていてね。外から二重に鍵をかけてしまえば、中からはどうやったって開けられないようになっている。ディーの発案さ」
「イザーク、君は何を言っているんだ……?」
怪訝そうにブライアンが問う。
前を向いたまま、イザークはぶっきらぼうな口調で答えた。
「あんたがゴルヴィタへ戻って死のうと生きようと、どうせ汚名は残ったままなんだ。だったら家族とともに、泥をすすってでも生き延びるべきだろ。そうすりゃいずれは名誉を回復する機会だってやってくるだろうよ」
とっくにレイランドからも了承済みだぜ、と彼は続ける。
やっとシャーロットにも状況が飲み込めた。イザークはこのまま父をレイランド王国へ逃がそうとしているのだ。妻と二人の娘たちとともに。
ああ、やっぱりこの人は本当に格好いい大人なんだ。この人を好きになれてよかった。そう深く納得しながらシャーロットは、もしかしたら最後になるかもしれないイザークの姿をくっきりと目蓋に焼き付けようとした。
それでもブライアンにとっては承服しかねるらしく、必死の形相で扉を叩き、大声で外へと叫ぶ。
「バカなことはよせ! 早くここを開けるんだ!」
「言っておくがブライアン殿、統領でなくなったあんたはもう俺の雇い主じゃない。命令は一切受け付けないぜ」
そしてイザークがにやりと笑った。
「これからはただの友人同士さ。なあ、どうか命を大事にしてくれ。そしていつの日か、またみんなで会って大いに騒ごうじゃないか」
◇
ブライアンも含むワイズ家四人の身柄受け渡しは、シャーロットが想像していたよりもあっさりと終わった。イザークが言っていた通り、元からその方向で話がついていたのだ。
レイランド側からやってきていたのが護衛役の兵士二人と御者だけだったことに、イザークはわずかに難色を示したものの、レイランド領内となるここから先は彼らに任せるより他ない。
「イザーク。志半ばで去る私の代わりに、どうかゴルヴィタをよろしく頼む。あの国には君のような人間の力が必要なんだ」
去り際にブライアンが声をかける。
馬に跨り、すでに背を向けていたイザークは「どうだかね」とはぐらかすように答えた。
「契約期間はまだ残っているし、その間だけなら約束しよう」
それっきり、彼は青鹿毛の愛馬とともに駆けだして去っていく。
わずかに開いた窓の隙間から、シャーロットは遠くなっていくイザークの後ろ姿をずっと見送っていた。




