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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
5章 初めてにして最後の恋
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ワイズ家の六日間

 今やワイズ家はゴルヴィタ市民の敵であった。

 ブライアン失脚の報が街を駆け巡ってからというもの、昼夜を問わず邸宅周辺には素性の定かでない人間が大勢うろつき、聞くに堪えない罵詈雑言をひっきりなしに浴びせてくる。臆病風に吹かれた小心者、レイランドの靴を喜んで舐めた男、ゴルヴィタの理念に泥を塗った恥知らず。


「あんな連中は気にしなさんな。統領と対立していた勢力の息がかかったやつらが大半を占めているんだから」


 怒りのあまり泣きだしそうになるのを必死に堪えていたシャーロットをそう言って慰めてくれたのは、ちょくちょく様子を見に訪れてくれていたディーだった。

 腕自慢が揃うイザーク麾下の傭兵たちが、ブライアン失脚後もワイズ家の警護に当たってくれており、万が一への備えという点では安心と言ってよかった。


 父のブライアン・ワイズは犯罪者同然に軟禁され、まだシャーロットたち家族が引きこもっている自宅へは戻ってこられていない。頼みの綱である傭兵隊長イザーク・デ・フレイも顔を一度見せたきりだった。ただ、ディーの話によればいろいろと動いてくれているらしい。

 灰色の分厚い雲が垂れこめているような現状を前にして、シャーロットはこれまでの自分がいかに恵まれていたのかを思い知らされた。何もかも、当たり前にあるものではなかったのだ。


 どうしても塞ぎがちになってしまうシャーロットにとって、傍らにいてくれるリタとルーシーの存在がどれほど心の支えになってくれたことか。二人と家族になれたのは何物にも代えがたいほどの幸運であった。

 嵐に見舞われたような日々の中、リタはいつもよりたくさんの笑顔を二人の娘へと向けてくれていた。彼女の笑顔こそが、ブライアンのいない家に灯っていた唯一の明かりだ。

 お母様、と初めて呼べたのがどの会話のときだったか、シャーロットにはまったく思い出せない。夜、就寝する直前にルーシーから「ありがとうね」とお礼を言われても、説明されるまで何のことだかさっぱりわからなかったくらいである。


       ◇


 家族三人、それも女たちだけの暮らしとなって六日目の夜、寝静まった頃に訪問する者があった。イザークだ。

 すっかり夢の中だったシャーロットだが、体を乱暴に揺さぶられて目を覚ます。そして寝台の脇にいたのがイザークなのだと気づいて「ぎゃっ」と短い叫び声を上げた。


「静かに。シャーロット、静かにするんだ」


 慌てて彼が唇に人差し指を当てている。

 次第に落ち着きを取り戻したシャーロットは状況を理解しようとして、窓から差し込む月明かりだけが頼りの薄暗い室内を見回す。すでにルーシーは起き上がってくすくすと笑っており、よく見ればリタまでやってきていた。


「こんな夜更けにすまない。だが時間がないんだ」


 ひどく真剣な様子のイザークの後を受けて、リタも「早く着替えてしまいましょう」と急かしてくる。


「二人とも、ようやくお父様に会えるわよ」


 これでシャーロットの目も完全に覚めた。

 まずイザークへと視線を向ける。事態を把握しているであろう彼ならば、簡潔にではあっても何らかの説明をしてくれるはずだからだ。

 その意図をすぐにイザークも察してくれた。


「手短に言う。おまえたちはこれからレイランド王国へ向かわなければならない。そしてもう、ここへは戻ってこられない」


 ワイズ家を断罪しようとする空気に満ちたゴルヴィタ共和国を離れ、敵であったはずのレイランド王国へと赴く。どういう交渉の末にそうなったのかは知る由もないが、逼迫した情勢の只中に自分たちが置かれているのだけはわかる。

 さすがにルーシーもまだ聞かされていなかったらしく、その表情にはありありと負の感情が浮かんでいた。それはそうだろう、とシャーロットも心中で同意する。

 よりによって行き先がレイランドなのか、というのが偽らざる気持ちだった。

 それでも少女たちに選択の余地などない。


「シャーロット、そしてルーシー。生きるんだ。まずはそれだけを心に刻め。どこであっても強く、しぶとく生き抜いてほしい」


 おまえたちなら絶対に大丈夫だ、と彼が言葉に力を込めた。


「母親を、リタ殿を守ってあげられるくらい強い女になれ」


 熱のこもった眼差しで語るイザークの勢いに押されるようにして、シャーロットとルーシーは頷くしかなかった。

 そんなとき、部屋の外から声がかかる。聞き覚えのあるその声はディーのものに違いなかった。


「もうすぐ、近くに統領を乗せた箱型馬車がやってくる。もちろん人払いもすでにすませてあるから、追っ手の心配はさほどないはずだ」


 夜の闇に紛れてとっとと出発しましょうや、と彼にしては幾分軽い調子で。あえて気を遣ってのことなのだろう、とシャーロットは推察する。


 これまでと、これからと。自分の人生がまったく異なるものになってしまうのを、時間をかけて受け入れなければならない。

 シャーロットはそのように覚悟を決めた。たとえいけ好かないレイランド王国で窮屈な暮らしが待っているとしても、家族揃って暮らせるならば耐えられる。

 だがこの先、ワイズ家の行く手には非情な運命が待ち受けていた。

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