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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
5章 初めてにして最後の恋
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火種

 ゴルヴィタ市民による信頼の眼差しと熱のこもった拍手とに送られて、イザーク率いる傭兵部隊は野盗団討伐へ向かった。

 そしてわずか七日間という短さで彼らはゴルヴィタへと帰ってきた。もちろん、期待に違わぬ戦果を携えての凱旋だ。

 盟友であるイザークの戦上手ぶりをよく知ってはいても、送り出した側の統領ブライアン・ワイズとしては一安心である。


 だが功を上げた当のイザークは浮かぬ顔だった。部隊の指揮を副官のディーへ任せ、武装を解いていない姿のままで面会を求めてきた彼のそんな表情に、ブライアンは想定外の事態が起こりつつあるのを敏感に感じとった。

 政庁内にある中庭で人払いをし、二人きりでの会話の場を作る。このようなときにイザークは回りくどい前置きなどしない。さっそく本題から入るのが常だ。


「やつら、商人の襲撃だけでなく誘拐も生業としていたようでしてな」


 黒々とした長髪の乱れを手櫛で直しながらイザークが言う。


「皆かなり衰弱しておりますが、囚われていた者たちを救出することはできました。そのうちの一人の男の顔に見覚えがありまして」


「つまり、まだ不確定な段階なのか」


「ええ。随分とやせ細り、声もろくに出せないほどの状態ですので、身元の確証はつかめていません。ですが俺の記憶に間違いがなければ、彼はロビン・マッケニットだ。かつてはレイランド王国の全権大使を務めたほどの華々しい経歴を持つ男です。ブライアン殿も顔を合わせたことがおありでは?」


 これは芳しくない事態になる、とすぐにブライアンも悟った。

 マッケニットは先頃、セス教グエルギウス派の教義とは異なる見解を口にしてしまったがために、一夜にして政界を追われたのだ。

 信教面での自由があるゴルヴィタ共和国の庇護を彼が求めてくるのではないかという観測もあったが、そのまま何の動きもなく、ブライアンとしてもすでに終わった話だと認識していた。よもや野盗団に囚われていようとは。

 周囲を警戒しつつ、鋭い目をしてイザークが囁いてくる。


「マッケニットの存在を知るのは俺とディー、そしてブライアン殿。この三人だけです。他の部下たちには伝えていませんので。さて、どうしますか」


 今ならまだ秘密裏に処理できる、彼は言外にそう伝えてきていた。

 ただ、ブライアン・ワイズはゴルヴィタ共和国の元首である統領の任にあるとはいえ、それはあくまで有能さと人徳を見込まれたからに過ぎない。終身制とされている最高顧問会の老人たちの推挙によって、任期六年という限られた間に統領の地位を預かっているだけのことなのだ。


 レイランドを放逐されたマッケニットの身柄をどう処遇するべきか。ゴルヴィタ人としての立場で物申せば、ロビン・マッケニットへ救いの手を差し伸べてあげるべきなのだろう。政治家としての勘で言えば、彼の存在がゴルヴィタにとって大きな災いを招く火種となりかねない。この案件は、ブライアンが個人の裁量で判断できる範囲を超えていた。

 然るべき手順に則り、最高顧問会と議会の判断を仰ぐ必要があった。


       ◇


 結果としてブライアンは後手を踏む。

 最高顧問会と議会、どちらの総意も「マッケニット氏の容体回復に尽力し、我が国の客人とせよ」だったのは理解できる。ゴルヴィタ共和国の掲げている理念が自由と繁栄である以上、当然の帰結であろう。

 だがそこへ「レイランド王国との関係悪化を避け、しかし譲歩することなく対等に交渉せよ」という条件が加わると話は別だ。一時の冷却期間が生じるのもやむを得ないとする最高顧問会の現実路線とは対照的に、議会は決議によってブライアンらの行政府へ無理難題を押しつけてきた。


 政界とは常に激しい対立が上演されている劇場さながらの場所だ。ゴルヴィタ共和国とてその例外ではなかった。

 現在、議会において多数派を形成しているのは反最高顧問会を鮮明にする勢力である。そのため、最高顧問会はまだ四十代と若いブライアン・ワイズを新たな統領として据えたのだ。穏和で信望厚く、市井の人々や対立勢力の声にも耳を傾けることのできる彼ならば現状を維持、そして発展させられるであろう、と。

 その困難さを誰より認識していたのが当のブライアンであるのは皮肉だし、彼にとって不運と言うより他にない。政治基盤の脆弱さゆえに統領へと選出され、そして苦悩することになるのだから。


 日ごとに政争が激しさを増していく中、マッケニットは順調に回復し本人の口から「ゴルヴィタ居住の許可を」との希望が出された。受諾する以外の選択肢など、もはやブライアンには残されていなかった。

 周辺国への影響力を誇示するレイランド王国のことだ、介入するのにうってつけの機会を座して見守るはずもない。

 風雲急を告げる情勢は、統領ブライアン・ワイズの立場を次第に苦しいものへと変じていく。


       ◇


 ゴルヴィタ政庁から少し離れた位置に、イザークらの傭兵部隊へ貸与された三階建ての館がある。

 その一室、蝋燭の明かりのみが頼りの暗い部屋で、隊長であるイザークは副官のディーデリック・スタウフェンとともに客人を待っていた。


「お見えになりましたぜ」


 扉の外から部下の短い報告を受ける。

 すぐに招き入れられた客が部屋の中ほどへと進み、顔を隠すように羽織っていた黒い外套を脱ぐ。

 ゴルヴィタ共和国統領、ブライアン・ワイズ。伴の者も連れず、夜の闇に紛れてたった一人でこの館へと足を運んできていた。

 そんな彼へイザークは深々と頭を下げる。


「ご足労、痛み入ります。本来ならばこちらからお伺いせねばならんのですが」


「何を言う。これは私が望んだことではないか」


 頭など下げてくれるな、とブライアンがイザークの肩を軽く叩いた。


「イザークにディー、もはや私にとって信頼できるのは君たちだけなのだ」


 用意しておいた椅子には目もくれず、蝋燭のすぐ近くで彼が地図を広げる。


「さっそく本題に入ろう。ディー、レイランド側の動きはどうだった」


「すでにある程度の軍勢を国境付近へ展開、集結させつつあります。ただ戦端を開くほどの気概は感じられません。あくまで示威的なもののように見受けられますね。ゴルヴィタへ圧力を掛けようって腹積もりでしょう」


 地図の何か所かを指で差し示しながら、ディーは不敵に笑う。


「こちらはいつでも準備万端ですよ、統領。レイランドなんざ、数頼みの戦しか知らない木っ端野郎どもに過ぎません。何度も奇襲をかけ、図体ばかりでかくて小回りの利かないやつらをずたずたに引き裂いてやれば、有利な条件で講和に持ち込めるはずです」


 腕組みをして考えこむブライアンの脇からイザークが手を伸ばし、卓上にあった小さな砂時計をつかむ。そのまま地図の全く別の場所へと移動させた。

 ゴルヴィタの北方、いくつかの小国を挟んだ先にあるタリヤナ教国だ。


「その場合、タリヤナ教国の動向も鍵になりますな。仮に先ほどディーが言ったような目論見が外れ、レイランド王国と長期間の対峙となるのあれば、タリヤナ教国との同盟締結も悪い手ではない。まあ、あの国はあの国で厄介ですから、一筋縄ではいかんのですが」


 イザークとディー、二人が揃ってブライアンへと顔を向ける。

 目を固く瞑ったまま、しばらくの間ブライアンは何も言葉を発しなかった。

 随分と長く沈黙が続いた後、ようやく聞かれたのは「それはできない」というはっきりとした意思表明だった。


「今回の構図にタリヤナ教国まで引き込んでしまうと、さすがにレイランド王国も適当なところで手打ちとするわけにはいかなくなる。もはや面子の問題になるからな。そうなれば過去に前例のない、大戦争が起こってしまうだろう。我がゴルヴィタがきっかけとなってね」


「ならブライアン殿、どうなさるおつもりですか? もはや時間の猶予はほとんどない。あなた自身、相当に追い込まれているのですから」


 友人でもある雇い主の身を案じるあまり、ついイザークはブライアンへと詰め寄ってしまう。

 心配をかけるな、と言ったブライアンがなぜか別の話題を切りだした。


「あのロビン・マッケニットという男、誰に異端信仰を告発されたと思う? マッケニット家は代々、グエルギウス派ではない宗派を密かに信仰していたらしい。そのことを告発したのは彼自身の妻さ。どうやら彼は外でのみ善良に振る舞い、家では頻繁に妻へ暴力を振るっていたらしくてね。しかもそのことを悪びれもせずにこちらへ話してくれたそうだよ。すべてを失ったのはあの出来損ないの女のせいだ、と」


 口振りにほんのわずかな嫌悪感を滲ませながらも、さすがに感情の高ぶりといったものは見られない。


「あの厳格なレイランド王国で異端信仰を貫こうとしたのだ。ならば彼にも相応の覚悟はあってしかるべきだろう」


「まさか」


 イザークの反応に対し、ブライアンは「そうだ」と頷いてみせる。


「マッケニットをこのゴルヴィタから追放し、レイランド王国へと引き渡す。可能な限り速やかに。戦争を回避するにはこれしかない」


 傍らで聞いていたディーも慌てふためいた。


「しかし、しかしそれでは統領が罪に問われる事態となりましょう。最高顧問会にも、議会にも背くわけですから」


「国民のために身を切るような決断を下す、それこそが私の、ゴルヴィタ共和国統領の仕事なのだよ」


 いかにも彼らしい、篤実な答えだ。イザークはそう感じる一方で、激流に今にも飲まれてしまいそうな木の葉を頭に思い浮かべていた。


       ◇


 ブライアンの方針はすぐに実行へと移された。

 夜明け前、傭兵部隊の精鋭たちによって秘密裏にロビン・マッケニットが拘束され、そのまま彼は連れ去られていったのだ。

 そして独断でゴルヴィタ共和国の理念に背く決定を下したブライアン・ワイズは、マッケニットの身柄がレイランド王国軍の野営地へ送り届けられたという報告を受けるよりも早く、イザークらが予期していた通りに統領失脚となった。

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