シャーロットとルーシー、姉妹になる
シャーロット・ワイズは長らく父と二人きりの家族であった。病弱だった母が、自らの命と引き換えのような形で彼女を生んで以来、ずっとそうだ。
母の温もりを知らない女の子。よちよち歩きだった頃から周囲の大人たちは彼女を憐れみ、何くれとなく気にかけてくれた。
それでも十四歳になった現在まで、シャーロットには特別寂しいと感じたことがない。リタ・メイフィールドという優しい乳母と、その一人娘である同い年のルーシーがいつも傍にいてくれたからだ。自分より少し背が高く、賢さと礼儀正しさを兼ね備え、母親に似て美しく成長している少女ルーシー。自慢の友人だ。
これまでもリタとルーシーはシャーロットにとって家族同然の存在だったのだが、つい先日に本当の家族となることができた。父のブライアンとリタが再婚したのである。
しかしそれぞれの娘二人にとっては遅すぎたくらいだ。十年前にルーシーの父が金目当ての暴漢に襲われて亡くなってからというもの、ブライアンはメイフィールド家への援助を惜しまなかった。
最初は娘の乳母に対する誠意からだったのだろう。ただ、互いに伴侶を失った二人は次第に相手に対して特別な感情を持つに至ったようだ。ゆっくりと、ゆっくりと。ブライアンとリタは何年もかけて距離を縮めていった。あまりにもゆっくりすぎて、親の恋愛事情にすぐ気づいた娘たちにとっては、もどかしいことこの上なかった。
今となってはそれも楽しい思い出だ。
「ねえ、あのときは本当に愉快だったよね」
立派な寝台で、まだ眠りもしないのにだらしなく仰向けになったままシャーロットが言った。十人の子供がいても問題なく暮らせそうなほど広い部屋のため、それなりに声を張って。
机に向かって勉学に励んでいるルーシーは、羽根ペンを走らせるのを止めて振り返る。
「端折りすぎてわからないわ。あのときっていつよ」
「ほら、お父様が公衆の面前でリタを抱き寄せたとき」
シャーロットが勢いよく上半身を起こすと、黒と見紛うほどに濃い茶色の髪も一緒にはねてまとわりついてきた。背中の半ばまであろうかという、長く綺麗な髪だ。彼女自身はもっと活動的な長さにしたいのだが、その点については娘に甘いはずの父が珍しく承諾してくれない。
まあ、娘にもう少し令嬢らしい振る舞いを身につけてほしいという父ブライアンの希望も理解はできる。せめて外見だけでも、ということなのだろう。
これまでブライアンにはいくつもの再婚話があったそうだ。シャーロットの厳しい目から見ても、父は相当に魅力的な男であった。整った容姿のみならず、誰に対しても決して偉ぶることなく接し、どんな仕事であろうとも情熱を注ぐ。結果として様々な方面から多大な信頼を得てきたのだ。
小さいながらも交易の中継地として繁栄するゴルヴィタ共和国。まだ四十代半ばと若くしてその元首たる統領の地位に就いたのがシャーロットの父、ブライアン・ワイズである。
すべての再婚話を退け、リタを選んだ彼に「もっと身分が高く、これから子を為せる若い嫁をもらうべきではなかったのか」などという心ない声も多く聞かれた。そのような噂を耳にしたシャーロットが「ふざけるな!」と怒りを露わにしたのも一度や二度ではなかった。
おそらく、態度にこそ出さなかったが父も同様に感じていたのだろう。でなければ四人家族となってから最初の朝の散歩で、市場を見て回りながらいきなりリタを抱き寄せて口づけなどするはずがない。
もはやブライアンの奥手ぶりに対して何年もあきらめの境地にあった娘二人は、にわかには信じられないほど予想外な出来事に呆気にとられるばかりであった。
「ふふ、そうね。ブライアン様にあれだけ大胆なことができるなら、もっと早く母との仲が進展したってよかったのにね」
「ちょっとルーシー。他人行儀な呼び方はやめてくれってお父様も言ってたでしょ。もうわたしたち二人のお父様なんだから」
「ならシャーロットもだわ。いつまでもリタって呼ばれたら母も傷つくもの」
うっ、とシャーロットは一瞬言葉に詰まる。
「──ごめん。慣れるまで、もう少しだけ待って。だってリタってば、お母様と呼ぶのが憚られるくらい若々しいんだもん。わたしが幼かった頃から全然変わってないよ。もしかして一人だけ年をとってないんじゃ……」
「ブライアン様に恋していたから、なのかしらね」
「えー、何かルーシーが大人みたいなこと言ってる……」
もう机に向かうのを断念したルーシーが立ち上がり、大きく伸びをする。
それから彼女はシャーロットのいる寝台へとやってきて、すぐ隣に腰掛けながら微笑みかけてきた。
「聞きかじってるだけよ。わたしにはシャーロットと違って恋い焦がれている男の人だっていないし」
突然に矛先が向けられたことへ動揺を隠せず、「はーっ?」とシャーロットは素っ頓狂な声を上げてしまった。
一方のルーシーは余裕に満ちた態度だ。
「あら、違うの? てっきりイザーク様を慕っているのだとばかり」
「そんなんじゃないから! そんなんじゃないから!」
両手を何度も大きく振って、必死にシャーロットが否定を繰り返してもルーシーは黙ったまま笑みを浮かべているばかりだ。まるで小さな子供の拙い遊戯を眺めている母親のように。
ゴルヴィタ共和国は自前の軍隊を保持していない。常設の軍備は経済的に効率が悪い、というのが主たる理由だ。
代わりに周辺地域の治安維持やいざというときの防衛任務を担っていたのは、金で動く傭兵連中である。傭兵の質は頭目の器量に大きく左右されるが、現在の傭兵隊長にその心配はまったく必要なかった。
イザーク・デ・フレイ、その名声は大陸遠方にまで轟き、〈鉄拳〉の二つ名でも知られる勇猛かつ冷静沈着な男だ。しかしシャーロットが知っているのは、穏やかでいつでも腹の底から笑っている、そんな誠実そのものを体現したような彼の姿だけであった。
本来なら戦場に生きる彼のような人間と、シャーロットのような少女とに交流などあるはずもない。二人を繋いだのはゴルヴィタ共和国統領、ブライアン・ワイズだった。
ブライアンとイザークの間に個人的な友情が芽生え、必然的に娘であるシャーロットにも彼と顔を合わせる機会が何度かあったのだ。
三十歳を目前に控えているにもかかわらずイザークがまだ独り身である、というのもそのうちに知った。
「うちの連中が家族みたいなもんだよ」と口癖のように彼は言っていた。
そんなイザークの姿を思い出し、少し顔が赤らんでいるのではないかと恥ずかしくなったシャーロットは、ごまかすために頬を膨らませてルーシーを睨む。
「からかいすぎちゃったみたいね」
今度は年の離れた物分かりの良い姉を演じているつもりなのか、ルーシーがシャーロットの髪へと優しく触れてきた。
対照的にシャーロットは憮然としたままだ。
「言っておきますけど、生まれた日としてはわたしの方が早いんだから」
「こだわるわね。たったの一週間じゃない」
ならもっと姉らしく振る舞ってほしいものだわ、とルーシーが挑発してくる。
寝台の上でひとしきり、じゃれ合いながら二人の姉妹論争が続いた。