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嘘〈1〉

 とにもかくにも、皇帝ランフランコ二世に会って申し開きをするのがニコラ・スカリエにとって火急の用件であった。皇帝が見初めた〈シヤマの民〉の娘を逃がしてしまった、エリオとピーノについてだ。

 彼らはニコラの生徒にして部下だったため、監督不行き届きとして自らの責を問われるのはもはや致し方ない。ニコラとしてもその点を承知の上で二人を行かせたのだ。


 あのハナという〈シヤマの民〉の娘がいよいよ皇帝と結婚させられる段になってエリオたちが経緯(いきさつ)を知ったなら、おそらくは相当に血生臭い結末を迎えただろう。

 抜群の相性を誇る彼ら二人を敵に回してしまえば、ニコラたち〈名無しの部隊〉も半数以上は確実に命を落とす。真っ先に狙われる皇帝の生死次第では帝国の瓦解さえあり得る。ハナが獄死してしまった場合だって同様に違いなかった。


 ただしそればかりではない。ニコラはエリオとピーノの目映いばかりの才能と、不釣り合いなほどの欲のなさとを愛していた。単純に、そんな彼ら二人と正面切って敵対したくなかったのだ。

 いずれは成長した彼らと再び会うことになるだろう。もしかしたら敵同士として対峙するのかもしれない。それでもニコラにとって、一年と半年の濃密な時を共に過ごしてきた生徒たちを、今は自らの手で傷つける気にはなれなかった。


「さて、陛下はどちらにいらっしゃるだろうか」


 皇帝ランフランコ二世への取次ぎを頼んだ近習の話では、寝室にも執務室にもおらず行き先がわからないとのことであった。役立たずめ、と内心で無能扱いしながら彼は踵を返す。

 とはいえ、こういった際の皇帝の居場所も限られている。ニコラがまず向かったのは軍の教練所だ。ランフランコ二世は鍛え抜かれた兵士たちの軍事教練を好んで観覧することが多かった。


 案に相違なく、やはり皇帝ランフランコ二世がいたのは教練所である。しかしだだっ広い土の教練所において、伴の者も連れずに独りきりで立っていた。猜疑心の強い皇帝としては常ならざることだ。

 彼はニコラの来訪にすぐ気づいた。


「来おったか、スカリエ中佐よ」


 続く「待っていたぞ」という言葉で、ニコラはより一層気を引き締める。皇帝は弁明を予期していたのだ。一筋縄でいかないのは明白だった。

 いつものように肘を曲げ、右腕前腕部は鳩尾付近へと持ってきて帝国軍人としての敬礼の姿勢をとる。

 だが気怠そうに手を振った皇帝が、その姿勢を解くように促してきた。


「よい。ここには余以外の人間はおらん。そんな些事よりもだ、あの褐色の肌を持つ娘がザニアーリ牢獄から脱獄した此度の一件について、思うところを率直に述べてみよ。嘘か(まこと)か、手引きした実行犯たちは其方の教え子というではないか」


 来た、とニコラは身構える。彼の勝負はここからだ。


「畏れながら陛下。その件につきましては、まったくもって私の落ち度と申し上げる他ございません。例の少女の脱獄を手引きしたのは、エリオとピーノという名の少年たちであります。優秀で、少々純朴すぎるところのある者たちでした。彼らは以前に少女と出会ったことがあり、互いに顔を見知っていたそうです。しかしながらあのハナという娘、美しい容貌の裏に恐ろしいほどの猛毒を秘めておりました」


 ここでいったん言葉を区切り、ちらりと皇帝の反応を窺う。

 返ってきたのは「続けろ」という、短い命令のみであった。


「最後の別れの挨拶を、と獄中にまで訪ねてきたかつての友人たちを言葉巧みに騙し、自らの身を自由とするため利用したのです。そして哀れにも、先ほど彼ら二人の遺体を発見したとの報告が、追っていった部下から上がって参りました。最速の伝書鳩によるものございます。詳細は追跡隊が戻ってからとなりましょう。ただ、エリオとピーノの二人が毒婦のごとき女にその純朴さへとつけ込まれ、捨て駒として扱われたことは揺るぎない事実だと愚考いたします」


 ニコラは堂々と嘘をついた。

 同族として、ほとんどすべての罪をハナへと(なす)りつけるのにはかすかな抵抗がないわけではない。それでもこの場を乗り切るには彼女を非情な悪役に仕立てる必要があった。何としても〈名無しの部隊〉の少年少女たちにまで罪が問われてしまうのを避けなければならないのだ。


「陛下、ゆめゆめあのような女を妃として迎えようなどとしてはなりませぬ。差し出がましいようですが、寝首を掻かれるやもしれませぬゆえ」


 要所で相当に強い言葉を使って、どうにか皇帝を自分の筋書きに乗ってこさせようと試みたニコラであったが、当のランフランコ二世の反応が薄い。

 ふうむ、とため息に似た相槌が返ってきたのみである。

 しかしその直後、ニコラは冷や水を浴びせられた。


「記憶にある限りでは、其方が余に嘘をつくのは初めてであろうな」


 特に怒りを滲ませるわけでもなく、淡々とした口調で皇帝がニコラの創作による虚偽を看破したのだ。


「スカリエ中佐よ。思えば其方の父、ヴィンチェンツォも余に嘘をついたことはほとんどなかった。父子二代に渡る誠実さを余は信頼しておったのだ。大抵の者は我が身可愛さで平然と嘘をぬかしおる。いかに深々と頭を垂れていようと、腹の内が薄汚れている連中の言になど一切の信は置けぬからな」


 さらに皇帝が口にしたのは、魔術を扱う〈シヤマの民〉の出であるニコラでさえも己の耳を疑うような秘密であった。


「余にはな、どういうわけか他者の嘘がわかるのだ。嘘をついた相手の、こう、体の輪郭がな、ぼんやりと霞んでいってしまうのよ」


 物心ついた時にはすでにそうであったわ、と述懐する。


「誰の嘘が怖いか、それはもう兄上をおいて他におらぬ。あやつがかけてくる優しい言葉は決まって嘘だったのでな。余はもう、恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。いずれは邪魔者として始末されてしまうのだろう、と。先代の王であった父上が逝去した際には、先手を打って兄上を亡き者とする以外の選択肢は残っておらなんだ」


 ウルス帝国内でランフランコ二世の兄殺しが大っぴらに語られることはない。誰もが疑ってはいるのだろうが、もし密告でもされようものならまず間違いなく刑場の露と消えるであろう。

 だからこそ皇帝自らの告白を受けてニコラは驚愕する。そして、遅まきながら認識を改めざるを得ないのだと理解した。

 目の前に立つ孤独な最高権力者は、初めから浅はかな騙りが通用する相手ではなかったのだ。

 即座に平伏し、己の非を認める以外に手立てはない。


「私は大罪を犯しました。口先だけで陛下を欺こうとするなど言語道断、この場で心の臓を抉られようとも申し開きはできませぬ」


 しかしながら、と顔を上げてニコラが皇帝へとにじり寄る。


「私が預かっております少年少女たち、あの子たちはまさしくウルス帝国の宝でございます。陛下をより高みへと押し上げる存在なのです。帝国最強、いえ大陸最強の精鋭へもう一歩のところまでやってきております。私個人の我が儘と誹りを受けるのはすでに覚悟の上。何とぞ、彼ら彼女らには累が及ぶことのなきようお願い申し上げます」


 自身に関する処遇であれば受け入れる。言外にそれを表明していた。

 最悪の場合、ニコラ本人がエリオとピーノへの追っ手とされるであろう。

 しばらくの間黒々とした顎の髭をしごいて無言のままだった皇帝だが、その表情は意外にも柔らかさを帯びたものだった。


「ならばスカリエ中佐」とようやく口を開いた。


「父子二代に渡るこれまでの忠誠に免じて、其方に二つの選択肢を与えよう。まず一つめは、其方が手塩にかけて育ててきた部隊にあの褐色の娘と叛逆者どもを追わせる道だ」


 飲めぬ。瞬時に出した結論が顔にまで現れていたのであろうか、珍しく皇帝が笑みを浮かべながら言った。


「まあ待て、そう逸るな。二つめの選択肢を聞くがよい。我が帝国でもその精強さで知られる近衛兵、総勢二十人。この場にて彼ら全員と剣を交え、其方の強さと代えのきかぬ価値とを再び余へ証明してみせよ」


 この提案を耳にしたニコラは心底安堵した。

 迷うことなど何もない。皇帝ランフランコ二世を弑逆せずとも事態が収拾したも同然なのだから。

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